6,セイラの日常(2)
「――というわけで、今年の出し物は…………メイド、喫茶、ということで……いいのでしょうか?」
時刻は昼休み前。
教壇に立った赤髪の少女、リンが、若干顔を引きつらせてクラス全員に確認を取った。
「「「イェーイ!!」」」
「「「ヒャッフォォォォイ!!」」」
「「「イヤッハーー!!」」」
それに対して返される、なんとも混沌とした叫び声、絶叫。歓喜の咆哮。
教室内は、もはや阿鼻叫喚の縮図と化していた。その騒々しさは、間違いなく廊下どころか他の教室にも伝わっていることだろう。
普段、特に騒ぎらしい騒ぎも起こさないこのクラスでは、非常に稀有な現象である。
現在は、十月の文化祭に向けて、クラスで何をするのかの話し合いのための時間だった。本日は三時限目から二時限分を使い、この話し合いの時間が設けられていたのだ。
……のだが、おおよそ二時間使って話し合っていった結果が、この状況――惨状である。
クラスの三分の一ほどは、個人差こそあれ苦虫をかみつぶしたような表情をしている。
残る三分の二のうち、半分ほどは呆然とした表情である。
そして、残りの生徒は全員、ニヤニヤ――というよりはウキウキした感じの気持ちの悪い笑みを浮かべている。先ほどの歓喜の怒号は、主に三番目の生徒たちが発したものである。
結果だけを言えば、二時間も費やして出された提案は、クラスの女子によるメイド喫茶である。
いったい何が「――というわけで」なのか、話をほとんど聞いていなかったセイラにはイマイチ理解できないが、とにかく今クラス内では、メイドをやるのが厭で表情を苦くしている生徒(全員女子)と、やってもいい(またはどうでもいい)が、どうにもこの状況に途方に暮れているという具合の生徒(男子・女子半々ほど)と、「メイド喫茶やりたい!!」と勢い込んで提案提案提案の嵐を吹かせている生徒(言うまでもないだろうが全員男子)の三勢力に分かれているのだった。
セイラ本人としては、文化祭の出し物で何をやるのかは別にどうでもいいことなので、どれかと言えばどうにも状況についていけない具合の層に入るだろうか。ちなみに、セイラが自分の席から見る限りでは、リュウトもまたセイラと同様に呆としている様子である。
まあ、だからどう、というわけでもないのだが。
……早く終わらないだろうか、とセイラはぼんやりと考える。
メイド喫茶をやることになったとして、それがどうなると言うのか。
接客にしろ調理にしろ、たかだか祭りの出し物程度、それもただの学生がやるものである。
その程度の決め事で、こうも感情を昂らせたり絶望させたりできるあたり、彼らはまだまだ子供……もとい青春しているということなのだろう。
たった数日の間。
それくらい、これからの人生の長さを思えば、ほんの僅かと形容できる時間なのに……。
実際、セイラはメイド服を着ろと言われたとしても、特に抵抗は感じないだろう。
着ろと言うならば着てやる。接客もしてやる。
作れと言われれば作ってやる。料理もしてやる。
だから、早く終わんないだろうか。
自分が興味を持てないことほど、退屈な時間はない。
「……うぅ、ん」
欠伸が出る。
教室内に満ちている空気など気にせず、セイラはマイペースである。
当然、今クラスで繰り広げられている話し合いの行方も聞いてはいなかった。
「じゃあ、男子もメイド服着なさいよ!」
ひときわ大きな声が、セイラの鼓膜に届く。
前後の議論内容を聞いていなかっただけに、うしてそんな発言が起こったのかはわからなかったが、そろそろ本格的に舟を漕ぎそうになっていたセイラの意識はその言葉によって現実に引き止められたのだった。
「そうよそうよ! わたしたちも着るっていうのなら、男子も何人か来なさいよ!」
展開される、謎理論。
メイドカフェをやるのだから、接客係をすることになる女子はメイド服を着なければならない。……ならば、男子も何人かはメイド服を着て接客しろ、と。
何がどうしてそんなことになっているのだろうか?
面白そうな展開になりそうなのに、前後の話を聞いていなかったことが悔やまれる。
「……」
何気なく、視線がリュウトの方へ向く。
セイラの左斜め前の方に座っているリュウトは、セイラと同様、この話し合いの急展開に興味を持ち始めていたようだった。
……ふと、セイラの視線に気づいたのか、リュウトがこちらを振り返る。すぐさま、視線を前に戻した。
「…………ん?」
ふと、自分の行動を疑問に思う。自分は今、どうして咄嗟に視線を逸らしたりしたのだろうか……?
もう一度リュウトの方へ視線を向けてみようかとも思ったが、なんとなく、今は視線を向けづらい。
「えー……と、それでは、今年のあたしたちのクラスの出し物は……女装……メイド、喫茶……ということで、いいでしょう、か?」
しどろもどろな口調で、リンがクラス中にそう呼びかける。
そしてちょうどその時、狙い済ませたかのようなタイミングで昼休みを告げるチャイムが鳴ったのだった。
「……女装、か」
教室。
いつもの五人で昼食を取っている最中、早速深刻そうな表情で、テラヴァルト・ドラグランが小さく呟いた。
結局、文化祭での出し物は「女装もいるよ☆」なメイド喫茶(仮名)で行くことになった。
「テラは調理係でしょー」
先ほどとは打って変わり、随分と砕けた調子でそう言うのはリンである。サンドイッチを頬張るその表情には、もうどうにでもなれとでも言いたげな諦観が感じられる。
数日もすれば、やつれていそうな感じだな、とセイラは他人事のように思った。
「うん、でも、さ……」
濁した言葉を返しながら、テラがちらりと視線を向けるのは、先程から黙々と弁当を食しているリュウトである。テラを筆頭に、その場の全員の視線がリュウトへ向く。
チャイムが鳴った後、速攻で決められた生徒たちのメイド喫茶の係で、この場の五人の役割は現段階では、
リン:調理係・ビラ配り
テラ:調理係
リーン:ビラ配り
セイラ:接客
リュウト:接客(女装枠)
といった感じになっている。
無論、この配役が最終決定というわけではない。だが、特に理由でもない限りは配役を変更することはない。
接客係に任命されてしまったリュウトへ、テラもリンも何とも言えない視線を向けるのだった。
女装して接客しなければならないリュウトへの同情、それとはまた別に友人が女装した姿を見てもみたいという好奇心、やや相反する感情が二人の中にはあった。
というか、どうしていつも不愛想なリュウト(ついでにセイラも含む)が接客係にされてしまったんだろうという疑問もあった。係決め自体はクラスのまとめ役であったリンが進めていたはずなのだが、とにかく時間優先で手っ取り早く多数決で採用したのが不味かったのだろうか……。
当のリュウトは、皆の視線などお構いなしに黙々と弁当を食べている。
少女と見間違う――ほどではないにしても、それでも女顔と評せる程度には中性的な顔立ちのリュウトである。それ故、女装すれば、なかなかにいい具合になることは予想するに容易い。この、何を考えているのかさっぱりわからない無表情でさえなければ、リンたちも不安感を覚えることはないのだろうが。
――一方で、彼と同じ係に任命された人物は、リンたちほど悲観的に捉えてはいなかった。
完全な他人事というわけでもないだろうが、こんなので接客係ができるのだろうか、とセイラはぼんやりと考える。自分もあまり感情を表に出さない性格である、ということは棚上げにして。
リンたちと比べてクラスの出し物にあまり関心がないだけに、セイラの内心はあくまでも客観的だ。
その時――、
「……ウィッグとか、買わないとな」
ぼそり、とリュウトがそんなことを呟く。
その場の全員が、リュウトが発したその言葉を咀嚼し、嚥下し、理解するのに、数瞬の間があった。
今すぐツッコミたい、という激しい衝動がリンたちの中で生まれるが、かろうじて呑み込む。
リンとテラも、リュウトとの付き合いは長い。たかだか女装程度で、リュウトが「世界の終わりだ……」などと絶望顔を披露したりする正確ではないことは察するに容易い。だが、まさか自分から乗り気な反応を示すとは、テラやリンにも、想定をやや超えていたのだ。というか、長年の付き合いであるはずのリンやテラでさえ、リュウトがどんな反応を示すのかイマイチ理解しきれていない。
しかし、思いの外ノリノリな様子のリュウトに、何故だかリンたちの中では言い知れない不安が大きくなっていく。
「……やる気、満々だね。リュウトくん」
ようやっとそうつっこんだのは、誰あろうセイラであった。もっとも、彼女のそれはつっこむ、というほどの声量も勢いもなかったが。
彼女だけは、リュウトの乗り気な態度を前に、どことなく可笑しそうに笑みを浮かべている。その瞳には、この状況を純粋に楽しんでいる余裕さが窺えた。
周囲との温度差という面では、ある意味セイラはリンたち以上にリュウトに近いと言えるかもしれない。
◆
荒涼とした世界が、どこまでも続いている。
一面、どこを見ても、あるのは荒んだ大地の傷跡だけだ。
黙々と立ち上がっていく煙は、この世で最も野蛮な現象の名残である。
誰も、この哀愁漂う情景が現実のものだなんて思うまい。
事実、それは現実のどこにもありはしない世界である。
「…………」
一陣の風すら吹かないその世界で、セイラは一人の男と相対する。
黒い髪。黒い瞳。すらりとした細身の体格。
なんの光も映さない眼差しは周囲を凍てつかせるかのように冷たく、陶磁器のよう青白い肌は病的なまでに血の気に乏しい。何よりも、彼が放つオーラそのものが、彼が尋常の人ならざるモノであることを悠然に語っている。
セイラは、この男のことを知らない。
正確には、姿と声と名前以外はほぼ何も知らない。
セイラとこの男の接点はそう、つい一、二か月ほど前の定期戦だった。
何もかもが混沌の中に呑まれ、死傷者行方不明者多数の被害が出たあの場所で、セイラが遭遇した正体不明のこの男。
たった一度。あれがセイラと男の初対面だったし、それ以来、男と会ったことはない。
しかし、男の名前を、セイラは今でもはっきり覚えている。
けれど、いったい何故、彼と自分がこんな場所にいるのか……?
やや時間を置いて、言葉を口にしたのは男の方だった。
『……ここがどこだか、わかりますか?』
男の声は、どうにもセイラの頭へ直接聞こえてくるような、妙な響きを持っている。さらに言えば、女性じみた高い声や、あまりにも野太い低い声が混じった、ともすればエコーがかかっているような不思議な声であった。
「さあ」
『フフフ、即答ですね』
男――リウジは、可笑しそうにセイラの冷たい返事を笑う。その、不思議な響きを持つ声のせいで、いっそテレパシーで会話しているような気分になってくる。
「……だって、わたしはこんな場所、知りませんもん」
『フフフフ、これは手厳しい』
「……で、ここはどこで、私はどうしてこんな場所に? ここに来るまでの記憶がまったくないんですけど、あなたが何かしたんですか?」
『ええ、まあ、そんなところですね』
苦笑を浮かべながら、リウジは首肯した。
「……ここは、どこなんですか?」
『この場所に名前はありません。世界中のどこでもない』
「……あの、もしかしてふざけてます?」
『いえ。しかし、そうとしか答えようがない。ここは本当に、世界のどこにもない場所なんですよ』
「…………」
――今すぐにでも、その夢見心地な顔に一発拳を撃ち込んでやりたい。
一瞬浮かんだ衝動を、セイラは頭を軽く振って振り払う。
自分の望んだ答えからはかけ離れていたリウジの返答。しかし、そんなことでいちいち腹を立てて暴力に訴えても仕方がない。落ち着き、冷静にならなければ。
とにもかくにも、ここがどこか――という質問に返されたのは、「世界中のどこにもない場所」という答えだ。
………………。
…………。
……。
果たして、そんな場所はあるのだろうか? ではここは、異次元空間だとでも言うのだろうか……?
冗談半分にそんな考えが脳内をよぎるが、改めて周囲を見回してみると、何故だかそんな風にも見えてしまうのだから不思議だった。
もしかして、今セイラがいるこの場所は本当に異空間ないしはそれに類する謎の次元であり、リウジがセイラをこの空間へ何らかの方法を使って誘った、ということなのだろうか。
『勘がいいですね、先生と同じで。ええ、そうですよ。概ね、貴方が今考えている通りです』
投げかけられた、リウジの言葉。どうにも、あちらはセイラの考えていたことがわかるようだった。
そう言うことならば次の質問は自ずと決まってくる。
ストレートに、簡潔に、セイラはその質問を口にした。
「……じゃあ、ここは、何なんですか?」
『ここは夢の中ですよ。貴方が見ている』
返された答えは、果たしてセイラの望んだ内容だった。
……夢の中。別次元の世界や異世界等々を覚悟していただけに、なんとなく、肩透かしな感がある。
だが、それはそれで安心できる。
自分は異次元世界に放り込まれたわけではなく、ただ単に眠っていて、夢を見ているだけに過ぎないのだ。……もちろん、彼が嘘をついていないという前提の話ではあるが。
しかし、仮にそうだとしても、これはどういう状況になるのだろうか?
自分が夢を見ているということを自覚している……これは、明晰夢というやつになるのだろうか?
だとすれば、今のこの状況を、ある程度は自分の意志で弄くることができたりするのだろうか?
無限に美味しいものを食べたり、
魔法を使わなくても自由に空を飛べたり、
とにかく自分が夢を見ている限りは、自由気ままに好きなことを好きなだけ試すことができるのではないか。
『いいえ、今、僕たちがいるこの場所はあらゆる干渉を受けつけません。たとえ夢を見ている張本人でもこの世界に変化を及ぼすことはできないんですよ』
セイラの、ふとした好奇心への解答。
しかし、質問したわけでもないのにこうもどんどん疑問に答えられるのは、なんとなく厭な気持にさせられた。自分のすべてが、相手に筒抜けにされているような――事実、相手が考えていることを知る術を、リウジは持っているようだ。その事実に対する生理的な嫌悪感に、セイラの背筋をぞわりとさせる。
「あなたは、一体……」
『大丈夫ですよ。僕に、貴方を害するような気はありません』
「…………」
『ふふふふ……、この魔法はもう癖みたいなものでして……貴女の考えに答えることには、どうかご容赦ください』
「……魔法?」
『おや、興味が湧かれましたか。はい、ええ、ですからもちろん、呪文式を把握することができれば貴方にもできますよ。まあ、お勧めすることはできませんが』
「…………」
含みを持たせるようなリウジの言い方に、セイラは眉根を寄せた。
リウジの言葉を真実とするならば、彼の、人の心を見透かしているような言動は、彼の魔法によるものだ。だが、そんな魔法は、セイラは今まで聞いたことがない。
いや、もちろんセイラが知らないだけ、ということもあるのだろうが。
『ふふふ、では、今回はこのあたりで失礼しましょう。もともと、今夜は挨拶だけのつもりでしたし』
「挨拶?」
『ええ、それと言っておくことが一つ二つほど』
指を一本立てて、リウジは告げた。
『先ほども申しました通り、この夢は貴女が見ているものです。ですが、今、この夢は僕の支配下にある状態なんです。……ああ、そんなに警戒しなくても何もしませんってば』
『この世界は貴女が見ている夢であると同時に、僕の世界でもあります。貴女が眠っている間であれば、僕は自由に貴女をこの場所に呼び出すことが出来ます。……本当に警戒心が高い女性だな』
『ですから、もしかするとこの先も貴女にはここに来てもらうことがあるかもしれません。もちろん、貴女の方から願えばこの場所に来ることもできます。本物の明晰夢を見る必要がありますけどね。言っておくことはこれくらいですかね』
時々挟まれる言葉は、リウジをどこまでも信用しようとしないセイラの心情を読んでの感想だろうか。
リウジの言ったことを整理すると、この夢はリウジの支配下にありセイラをここに呼んだのもリウジの意思によるもの、もしかするとセイラは時々ここに呼ばれるかもしれない、セイラの側からここに来ることはできるがそのためには明晰夢を見る必要あり、と言ったところだろうか。
いったい何のために、こんな男と夢の中で会わなければならないのか。
『理由は、まあ大したものじゃないんですが……言ってみればただのお節介みたいなものですかね』
……お節介。
何がお節介なのか、その説明もしてほしいものだ。そんな曖昧な理由でこの先も会うことになるとか、ちょっと厭な気がしてくる。
そして、出来れば質問してもいないのにほいほい答えるのはやめてほしい。
無論、言葉に出さずともセイラの考えていることはリウジに読まれているのだろうが。
『……はあ。では、今日のところはここまでで。この場所での記憶は覚醒しても鮮烈に残ります。ですが、あまり他言はしないで下さい。ああそれと、僕の依り代になっている本は決して無くさないよう、お願いします』
「……本」
本、と聞いてすぐさま思い浮かんだのは、あの本であった。
黒い装丁で、
ぼろぼろで、
判読することすら不可能な文字で、
とても古い、あの本。
『では、またの機会を』
徐々に、頭が呆としてくる。
意識が夢の世界からどんどん切り離されていく。
セイラをこの場所へ呼び出したのがリウジならば、この場所から退場させることができるのもまた、当然リウジだ。
暗く、視界が暗転し、
そして、セイラの意識は現実へと覚醒していった。




