戦乱の始まり
畑中耕平はしがない地方のサラリーマンだ。学生時代は勉強に打ち込み、就職してからは頭を下げ続け、見合いで結婚をして子を儲けたまでは良かった。が、既に50そこそこだというのに役職は大したものでもなく、妻にはいいように使われ子供は冷たく、家も車もローンがかさんで趣味に使う金はこれっぽっちもない日々だった。
毎日、6時には起きる。くたびれたコートを来て満員電車に揺られて会社に行って、誰に感謝されるでもなく財務会計の仕事をこなし、数字に囲まれて労働を終える。飲み会には誘われても疲れた顔をして断りを入れ、帰ればまた冷たい家族の中で肩身の狭い思いをせねばならない。
こんな世界は糞食らえだ。
彼がそう思うのも無理はなかった。そしてもう何千回目かもわからないその言葉を、ついつい電車の中で、しかも大声で叫んでしまった瞬間。彼の姿は電車ではなくオズワルドの一国であるハギビスの、その謁見の間に在ったのだった。
彼は混乱しつつも、周囲が何とかなだめ、説得してくれるにつれて状況が飲み込めてきた。神サマに選ばれたから戦ってくれなんて言うのは荒唐無稽だったが、言われるままに手をかざしてみると何も無い場所から金が出現したので、これはもう信じざるを得ず、長年誰にも頼りにされていなかった男は社長よりも富貴に満ちた王侯の温かな態度にほだされて、その日は久々に機嫌よく眠りについた。
翌日、王様から隣国より宣戦布告状が届いた旨を告げられた耕平は、早速スーツからそれらしい軽鎧に着替えて戦場に出た。山岳部である。山々の間に開けた小さな盆地で、黒い鎧のハビギス軍と、山向こうの海運国家・ハイシェン軍が蒼い鎧を着て、それぞれ組んず解れつ、血を血で洗う戦いを繰り広げている。
まだ耕平の頭は昨夜からの興奮で満たされていた。血に驚くこともなく能力を発動すると、手元から出現した黄金の槍が勢いもそのままに近くのハイシェン兵を刺し殺す。
強い、と50そこそこの彼は思った。恐らく金を自在に操れるのだ。金銭的価値以前に、無から有を創り出せるのは圧倒的。それは事実だったし、耕平の通る所は血の朱と黄金の煌めきが道を作り、足りない所はハビギス軍があとから補い、その日の戦いは終わったのだった。圧勝だった。
二日目。ハイシェン側は懲りずに仕掛けてきた。馬鹿なやつらだ、と王も耕平も誰もが言った。思えば此処で誰かが諌めていれば話は違ったのかもしれないが、もう遅かった。
やがてハイシェン軍は潰走する。そう見せかけていることにも、ハビギス軍は誰も不審に思わなかった。やがて歩卒が悉くどこかに隠れたのをようやく訝ったがもう遅く、遠くから車輪が大地を踏み鳴らす音が聞こえたかと思うと、巨大なサメのような形をした何かが時速60kmほどでハビギス軍の中核に突っ込んで、そのまま全員を跳ね飛ばし、轢き殺し、ミンチにしながら一挙に尾翼まで駆け抜けて、更に右翼左翼を存分にかき乱して城内に突入していった。
一瞬の嵐であった。誰にも、何が起きたか理解できなかった。何かが突っ込んできたのだが、まさかそれだけで昨日からまさに輝いて見えた中年が金に囲まれて即死しているとも思わなかったし、隠れていたハイシェン軍が既に周囲を取り囲んで、ハビギス歩兵の大半が投降しているとはまさか歴戦の将軍ですら分からなかった。
戦いは、終わった。アルカヌムが用意した映像もそこで終わり、各街や部族にハイシェンがハビギスを征服したという報が入る。ここに至って、人々は確信した。あの突撃してきた〝何か〟も耕平同様の勇者であり、彼らは戦局を一人で覆せる存在で、この度の触れが冗談でもなければ悪ふざけでもないのだと。
アルカヌムはそれじゃあ、と残して消えた。全世界の城下が少々、では済まない熱気に包まれたのは言うまでもなく、各国家はハイシェンに使いをやると同時に己の国に割り振られた勇者は何処だ、と探しにかかる。見つかった所もあれば、無かったところもある。ハイシェンが漏らした所によれば、そこの勇者は見つかるまでに一日掛かったというから、全員が玉座の間に現れるわけではないのだろう。そして能力についても市井の人々は噂した。その勇者がどういったことに長けているかで能力が決まるのだろう、と。
世界中がお遊びのような大戦争に巻き込まれつつある中、舞台はエイデン王国。古い王家と歴史を持つ、農耕国家。その王城の一室で、一人の青年が眠りについていた。側にはティアラを頂く女性が居て、そっと朝日が差し込むと、まるで天使のようにも思える美しさだった。