五話
「ふぅ……。ここまで来れば、もう安心……かな?」
戦場を逃れた真はとある湖畔に辿り着いた。がむしゃらに馬を走らせ、馬の意思に任せた結果がこの湖だった。
人間、切羽詰れば何とかなるもんだなあ、と馬に乗った事がない真は感嘆する。
馬の首をこれまでの苦労をねぎらうようにポンポンと叩き、馬から降りようとすると頭から真は落下した。
「ぐぎぎ……!」
地面に頭部をぶつけた真は、痛みに呻きながら、呆れたようにいななく馬を睨む。
蹴り飛ばしてやりたい所だが、結果的に真とルーチェを救ってくれた恩人だ。恩は大事にしなければならない。
痛みを我慢し、気絶しているルーチェを馬から降ろした。
「――ッ!」
見ると、彼女の背中が血に濡れていた。ルーチェが斬られたのを真は思い出し、慌てて自分の服を剣で切り裂き、湖に浸して戻ってきた。
そして彼女の服を引き千切りると雪のような白い肌が露わになり、真はドキッとした。
(何を考えてるんだ俺は……! いまはそれどころじゃないだろっ!?)
妹以外の女性の体に触れるのは初めてだったが、恥ずかしがっている場合ではない。
手当が最優先だ、とルーチェの傷口を湖に浸した布で拭う。
血は既に止まっており、凝固した血液が服に染みこんできて、生々しい傷痕が浮かび上がる。
素人判断だが、傷口はそう深くないようだ。時間が経過すれば元通りになるだろう。傷痕は残るのは可哀想だが、仕方ない――
「クソッ……!」
拳を握り、強く地面に打ちつける。震える手を――怯えている自分を消すために何度も何度も。
自分は一体何を考えた?
仕方ないだって?
それは違う。自分が不甲斐ないからルーチェは傷ついた。
真がもっとしっかりしていれば――剣を向けられても恐怖に囚われなければ、彼女を護れたはずだ。愛歌を護れたように。
真は震える自身の体を抱きしめた。こうすれば外部の脅威から身を護れるのだと錯覚した。だけど溢れ出す恐怖は止まらなかった。
「ハハッ……」
口元からこぼれ落ちたのは自らへの嘲笑だった。
見知らぬ世界に飛ばされたのは災難だろう。
戦火を目の当たりにしたのは、地獄だろう。
だが環境の変化、対応の責任は順応しきれなかった自分にあるのだ。
「う……、ここ……?」
ハッと真はルーチェの呻き声に反応し、彼女の顔を覗き込んだ。
「大丈夫か!?」
ぺしぺしっとルーチェの頬を叩く。彼女はまだ覚醒しきっていないようだったが、次第に意識がハッキリとなったようだ。
そして、真を思いっ切り殴った。
「――何するんだ、一体!!」
地面に突っ伏した真は起き上がり、猛烈に抗議する。妹に殴られたことなどないというのに。
だがルーチェは、真の怒声を聞いてもびくともしない。むしろ真の態度はルーチェの怒りを促進させた。
「……何するんだ、ですって……? むしろ貴方が一体、私に何をするのかをお聞きしたいですわ」
「はぁ? 何言って――――ッ!」
ズイッと近づくと、再度殴られた。
「いいから服を着なさい!! 何で裸なんですか!? そして私に何をしたんですか、貴方はッ!?」
「あっ――」
ルーチェが顔を真っ赤にしている理由に、真は遅ればせながら思い至った。
上半身裸の真。
服がめくれ、素肌をさらしているルーチェ。
よく見ると、彼女の瞳には涙が溜まっている。それはきっと羞恥のせいだろう。
「いや――待て、君は勘違いしてる。俺はそういうつもりじゃ――ッ」
「言い訳……無用ですわ――ッ!!」
ルーチェの鉄拳が炸裂する。
真の意識は、闇に沈んだ。