四話
真は改めて戦場に佇んだ。
飛び交う罵声と怒号。
火の手はあちこちから立ち上り、負傷した兵士達が城下で手当を受けている。
ルーチェは兵士達に命令を出し続け、立て続けに来る伝令の対処に追われていた。
真の視界に映るのは紛れもない現実だった。
負傷兵の悲鳴や、生々しい剣の切り傷。肉はただれ、腕がない人もいる。
真は地獄を見ているようだ、と思い慄然とする。
自分の知っている世界は、平和そのものだったと再度認識した。
「シンッ! 何をしてるの! ここももうすぐ敵がやってくる! 早く、撤退の準備をなさい!」
ルーチェに叱咤され、ビクッと身が竦んだ。
そんな事を言われても、真は何をしていいか分からずオロオロと狼狽えるだけだった。
「いいわ! もう、こちらに来なさい!」
怒るルーチェに手をひかれ、真は彼女に連れていかれる。
混沌と混乱の渦が湧き起こる人垣を掻き分け、真とルーチェは馬房へと辿り着いた。
「準備は出来てる、兵士長?」
馬を用意する兵士長に、ルーチェは声をかけた。
兵士長は敬礼し、「ハッ! いつでも走れます!」と答えた。
「お、おい! どこに、行くんだ!?」
真の質問に兵士長とルーチェの表情が苦痛に歪んだ。
「ここから逃げるのよ……! グリモワールは、放棄します……ッ!」
答えたルーチェに、真は驚いた。
「ちょ、ちょっと待てよ! グリモワールって、大事な場所なんだろ!? それに、まだみんな戦ってるじゃないか! それなのに、ここから逃げるのかッ!?」
「――じゃあ、どうするって言うの!?」
真の言い分に、ルーチェは声を荒げた。
「兵士が戦ってる!? そんな事、貴方に言われなくても知ってます! これから彼らを見殺しにする事だって、承知しているわ!
でも、だからってどうするの!? 私は、この国の姫なの! 私が死ねば、全てが終わるの! それが貴方には、分からないのよ……ッ!!」
ルーチェの目には涙が溜まっていた。自分がこれから何をするのか、委細漏らさず承知しているようだった。
真は自分の無神経な発言を恥じた。
「……すまん」
「……いいのよ。こちらこそ怒鳴ってしまってごめんなさい」
涙を拭い、ルーチェは兵士長に向きあう。
「貴方もごめんなさい。私は貴方たちに、自殺を命じてるようなものなのに……」
「いえ、姫様は我が国にとって、重要な人です。貴方を失ったら、それこそ我が国は滅んでしまう。ですから、我々の事は気になさらないでください」
ニッと笑う兵士長に、ルーチェは再度彼に謝罪しようとした。だが次の瞬間――
爆音が轟いた。
真達が脱出しようとした鉄の門が粉々に砕け散り、破片が散逸する。
爆発の衝撃で真達は吹き飛び、地面に転がった。
キーン、という耳鳴りと、白煙で視界が霞む。
そして敵の兵士達が怒号を上げながらなだれ込んできた。
「大丈夫!? シン、しっかりなさい!!」
ルーチェが真を揺り起こす。彼女の綺麗だと思った金髪は、砂埃で汚れていた。
「……だ、大丈夫だ……。それより、他の人達は……」
ルーチェは首を振る。分からない、と言ってルーチェと真は立ち上がり、馬のもとへと駆け寄った。
「先に貴方が乗りなさい」
「……俺は馬に乗ったことがないんだよ……」
「貴方が乗った後、私もすぐ乗るから――――ッ!? 危ない――ッ!!」
どん、と背中を押される。見上げると、敵の兵士がルーチェを斬りつけていた。
「ルーチェ!? おい、ルーチェしっかりしろ!!」
「う……」
かろうじて意識はある事に安堵する。だが脅威はまだ終わらない。
黒い甲冑を着た敵兵が、止めを刺そうと、剣を再び振り上げる。
真は膝がガクガクと震え、動けなかった。体が恐怖に支配され、死を受け入れようとしていた。
迫る白刃の煌めき。真はせめてルーチェは生きられるように、と自らを盾にして彼女を護る。
真は目を閉じ、死を覚悟した。
そこに、
「危ないッ!!」
と叫ぶ声が割り込んだ。
瞼を開けると、先程の兵士長が剣に貫かれていた。真の顔に暖かい液体が降りかかる。
「……ひめさ、まを……頼んだ、ぞ……ッ! 小僧……!!」
ドサッと地面に兵士長はくずおれた。
「おい、あんた! しっかりしろ、おいッ!!」
男は眼を見開いたまま、絶命していた。揺すっても反応はもう無かった。この世から完全に去ったのだ。
真は絶叫した。涙が滲んだ瞳で、眼前の敵を強く強く睨んだ。
コロシテヤル……!!
今まで懐いた事のない強烈な感情が真の心を染めた。
それは純粋な憎悪だった。混じりけの無いまっさらな感情。
真は、ルーチェから渡された剣をスラリ、と抜く。
兜で顔を覆っている敵の兵士は、せせら笑っているようだった。
お前に剣が扱えるのか、と馬鹿にされている気分だった。
真は剣を振り上げ、一閃する。
だが敵に軽くあしらわれ、蹴りを腹に食らった。
吐き気をこらえ、ギッと強く敵を睨んだ。その反抗的な態度が相手の嗜虐心をそそったのか、敵は剣を収め、真をひたすら蹴り続けた。
蹴られる最中、真の心中はひたすら相手を殺す事ばかりを思考した。
グリモワールの虐殺者と呼ばれている自分を信じろ、と。
敵の攻撃にひたすら耐えた。が、やがて相手も飽きたのか、蹴るのを止める。
そして終わりとばかりに剣に手をかけた。
鞘から剣を抜く一瞬の動作を、真は見逃さなかった。
「うお――――っ!!」
刺突し、相手の喉を穿った――瞬間。
敵の喉に奇妙な黒球が発生した。
黒い球体は螺旋の渦を巻きながら、敵の頭部を吸い込む。
そいつの頭部は消失し、血を噴き出しながらバタンと、倒れた。
何が起こったのか分からない。真は呆然と敵の遺体を眺めた。
「おい、こっちにまだ生存してる奴がいるぞ!!」
「――――ッ!!」
敵兵の怒声が聞こえ、真は呻くルーチェを馬に乗せ、自らもまたがった。
今は考えこむ時間じゃない……! この場を一刻も離れなければ!
真は手綱を握り、馬を走らせた。突如駆けだした馬に、敵兵は驚き対応できない。
二人は破壊された門をかろうじて突破する。
怒号が飛び交う中、ルーチェが微かに呟いた言葉を、真は見逃さなかった。
ピースメーカー、と。