一九話
真はセラピアの診療所の前に立ち、扉を軽くノックした。
返事はなく、もしもし、と声をかける。
だが返ってくるのは無音で、その静寂が逆に不気味さを感じた。
何か嫌な予感がし、真は思いきってドアを開ける。
そこには、言葉を失う光景が広がっていた。
フーが上半身裸で、セラピアが愕然の眼差しを真に向けていた。
「おぅ、シン。元気だったか!」と彼に駆け寄るフーを、セラピアが制す。
フーに上掛けをかぶせ、上半身を隠すように言い、蝋人形のように突っ立ている真にセラピアは極上の笑みを向ける。
「シン、返事がなかったのにどうして勝手に扉を開けたのかしら?」
猫なで声のセラピアに、真はゴクリと唾を呑み、弁解をする。
「いや、返事がなかったから、何かヤバイ予感がしたんだ。何か、あったらマズイだろ?」
「そうね。でも、その『ヤバイ予感』というのは正しいのかもしれない」
へっ? と間抜けな声がこぼれた瞬間、真の頬にセラピアの平手が炸裂した。
真は意識が飛び、床に倒れた……。
「いててっ……」
真はぶたれた頬を手でさすりながら、抗議の眼差しでセラピアを見る。だが、彼女の満面の笑みによって、逆に萎縮してしまった。
「自業自得よ、シン」
「ふん……」
そっぽを向き、フーに向き合う。
彼女は真に裸を見られても意に介したように見えず、むしろあっけらかんとしていた。
「……もう大丈夫なのか?」
問いかけると、フーは「ああ!」と元気よく頷いた。
「セラピアから治療を受けたし、アタシはもう戦える。戦場が恋しいぜ!」
いきり立つフーを頼もしく思う。だが、ふと真はフーの言葉に違和感を憶えた。
「そう言えば、フー。お前、いつから自分のことを『アタシ』って言うようになったんだ? 前は『オレ』だっただろ?」
そう言うと、フーは少し沈んだ面持ちで俯く。しかし次の瞬間には笑顔で答える。
「『オレ』は今まで、自分の決別のために使ってたんだ。前は『アタシ』だった。アタシは自分の親を――みんなをグロースに殺された時、このままじゃいけないって思ってた。『アタシ』じゃだめだ。『オレ』になって、生まれ変わって、アイツらと戦わないとダメだって、そう思ってたんだよ」
真は黙ってフーの言葉を聞く。
「だけど、シン。お前と戦って、『オレ』は分かった。『オレ』は『オレ』じゃなくていい。『アタシ』でいいんだって、そう思ったんだよ。だから、ありのままの自分で、アタシはグロースと戦う」
そう宣言するフーに、真は「そうか……」と頷く。
「だから、改めて頼むぞ、シンッ!」
え、俺はもう戦いたくないんだけど、と思って、曖昧にフーの言葉に頷こうとすると、「ちょっといい?」とセラピアに声をかけられた。
そのまま彼女は、診療所の外へ出ていくので、真もセラピアの背を追いかけた。
「? どうした、セラピア?」
背を向けたままの彼女に真が声をかけると「フーのことなんだけど」と言って、セラピアが振り向く。
「あの子のこと、貴方がちゃんと見てあげて欲しいの」
「? 何か問題でもあるのか?」
そう問うと、セラピアは、『やっぱり何も知らないのか』と言いたげに顔をしかめる。
「……フーは〝ピースエンド〟になりつつあるの」
「〝ピースエンド〟?」
耳慣れない言葉に、真は眉をしかめた。
「〝ピースメーカー〟になるにはね、二通りの方法があるの。
一つは自然発生したものね。生まれた時から素質があって、何かのきっかけで能力が開眼するパターン。
そしてもう一つは後天的に備わるパターン。〝ピースメーカー〟になるために、ある〝儀式〟を行って、素質がないのに、無理矢理力を植え付ける方法。
フーはね、元々〝ピースメーカー〟になる素質はなかったのよ。それが、フォティアの民の虐殺の際に、彼女はルーチェに直接訴え、〝ピースメーカー〟になる儀式を受けたの」
衝撃の事実に、真は「そうだったのか……」と頷く。
「だけど、それは間違いだった。生に死があるように、〝ピースメーカー〟にも終わりがある。それが〝ピースエンド〟――」
「……その〝ピースエンド〟ってのになると、どうなる?」
「フーは死ぬ」
間髪入れず言ったセラピアの答えに、真は絶句する。
「人はね不相応の力を手に入れた時、その代償を支払わねばならないの。
だから注意して。これ以上彼女が死に至るような能力の使い方をしないように、貴方が見守ってあげて」
「……分かったよ」
「ありがとう。頼もしい弟が出来て、私も嬉しいわ」
そう言ったセラピアに、真は苦笑した。
この前まで、自分には妹がいたのに、姉が出来るなんて、あの時以来だ。
そんな事を考えていると、セラピアが「さてと」と、切り出す。
「話はこれでお終い。あんまり長いとフーが心配するから、そろそろ戻りましょうか」
ああ、そうだな、と言って、真とセラピアは、診療所の中へと入っていった。
そんな仲睦まじい光景を、ルーチェが複雑な面持ちで眺めていたことを、二人は知らなかった。知る事は無かった。




