ちょっとこわい夏休みの思い出
大学の授業も試験も終わって、無事夏休みに入った。毎日暑くて暑くて、自室で、あるいは近所の図書館の閲覧室といった冷房の利いたところで、だらだらごろごろと過ごしていた。いや、勿論必要な勉強はやっていたけど、どうもアグレッシブになれなかったのさ。まだ二年だし、就職運動もまだしなくていいしね。
そんなある日のこと、田舎の伯父から、
「暇ならうちの店、手伝って。息子が今年は帰省しないんで、人手が足りないんだ。バイト代少しは出すよ。あ、もしできたら、バイトやってくれる人、もう一人か二人連れてきてくれると嬉しいな」
と電話で依頼が来て、父母は僕に了解を取らずに勝手にOKを出したのだ。
「お父さん、お母さん、僕、そんなに暇そうに見える?」
「「「見える」」」
特に訊かなかった高校生の妹にまで言われてしまった。おいおい。
「お前、男だろう。いくら暑いからって、もっとしゃっきりしないとな」
お父さん、ビールを片手に言われても、いまひとつ説得力に欠けます。
「そうよ。何なら、お前が信用できるお友達を一緒に誘って行ったらどう?」
お母さん、勿論そうします。
「兄さん、女の子はダメだよ。男の友達だよ」
いや、僕、ガールフレンドいないから。何ならお前来いよ。え、部活? 大変だなあ。水泳部、確かに夏が勝負時だな。
とりあえず、何人かの友人に声をかけてみた。都合がついたのは一人だけ。
「わかった。あんたがよければつきあうよ」
甘いマスクに似合わず口が悪く、背が高くて筋肉むきむきの目の前の男は、品揃えの豊富な文具店の一人息子、一年下の後輩で、高校の時からの付き合い、たまたま進んだ大学も一緒だった。ほとんどタメ口をきいてくるが、この後輩の基準では「あんた」と僕を呼ぶのは一応敬語のつもりらしい。大学では僕は文学部で彼は経済学部、と学部が違うが、一応ともに英語劇のサークルに属している。しかし、夏休みは「暑すぎるから」という理由で、活動がない、というおそろしく緩いサークルだ。
「君、夏休みなのに。てっきり彼女と遊ぶのを優先するかと思った」
つい意外で訊き返してしまうと、後輩は軽く首をすくめ、素直に答える。
「いや、あいつ、社会人だから。普段は土日のどちらかしか会えてない」
「ああ、そういえば、彼女、市役所の受付のお姉さんだったっけ」
僕らの母校は進学校だったから、大学に進む者が多いが、後輩の女友達はもう社会人だ。背が高くスレンダーな美形で、後輩と並ぶと美男美女のお似合いカップルだ。
「そうか、じゃ、今度の木曜日から、一緒に来てくれるか?」
「げ、あさってじゃないか。ずいぶん急だな」
「ピンチヒッターだからな。君んちと違って、『海の店』は、今がシーズンだからさ」
ぎりぎり未成年の大学生の男二人がつるんで、都会の真ん中にある駅から長距離列車を乗り継いで、向かい合って座る小旅行。うん、色気が見事に全くない。長く座ってると尻が痛くなるし、お喋りのネタもそろそろ切れてきた。……ん?
「うちで作ってきたおにぎり食べるか?」
くう、とかわいい音を立ててしまった腹を恥ずかしそうに押さえている後輩に向かって、僕はデイバックから、包みを取り出して渡した。
「え、いいのか?」
「大したものは入ってない。梅干しとか鮭とか。半分残しといて」
「ん。ではありがたく」
後輩は両手を合わせて「いただきます」をしてから、手元のお茶を口に含み、いっそ気持ちのいいほどに、ぱくぱくとおにぎりを食べ始めた。僕はぼんやりとその情景を眺めながら、車窓の外に目を向けた。随分と日差しが強くなっていて、朝早くに出たのにもう昼近い。もう少ししたら、車内販売で駅弁でも買おう。
目的の駅に着いたのは午後遅くなってからだ。ホームに降り立つと、後輩はあたりを見渡して、
「海と山。絵に描いたような景色だな」
と妙に感動している。いくら純粋な都会っ子だからといっても、大げさなやつだ。まあ、両親が店をやっているから、学校の行事を除いてはほとんど旅行などしたことない、とは聞いているけれど。
「あれ、あの建物、なんだろう」
後輩が指差すほうを見ると、山の麓に、緑色のドーム状の建物が立っている。あれはこの地元の有名な薬品会社で、わざわざ社屋を緑色にしたのは、景観を損ねたくない、という意向があってのことらしい。もっとも、冬になるとブナとかの落葉樹は葉を落としてしまうから、微妙に目立ってシュールだ。そう教えてやると、後輩は、そこに隣接しさらに海寄りに立っている、古いコンクリートの、いかにも「工場」っぽい建物のことも聞いてきた。
「ああ、あれは昔からある、菓子工場だよ。なに、田舎だから、田んぼや畑しかないとでも思った?」
経済学部のくせに、そんなことでいいのかい、とからかってやると、後輩は少々むくれた。
「じゃあ、もうじきバスが来たら乗るよ。今のうちに、トイレに行っといで」
「俺は子供じゃない」
そう言いつつも、駅のトイレに入っていく後輩、本当に素直な奴だ。僕は列車内でトイレを済ませているので、とりあえず必要ない。後輩を待っているうちに、スポーツドリンクでも買っておくか。
バスを降りるとすぐに海水浴場が目の前にある。このあたりには洒落たレストランや海水浴グッズの売店などもあるが、僕の伯父の経営する店は、建物がこぎれいな以外は昔ながらのままの「海の家」のイメージで、店先ではかき氷や冷たいジュースや焼きトウモロコシや焼きそばを販売しており、店の奥のほうに観光客用にロッカーやシャワー室や更衣室があったりする。伯父は店先で呼び込みをしていたが、僕らを見つけて声をかけてきた。
「やあ、いらっしゃい。待ってたよ」
「こんにちは、伯父さん。お久しぶり。あ、こっちが一緒にバイトをしてくれる友人です」
「初めまして。よろしくお願いします」
後輩は礼儀正しく伯父に向かって頭を下げた。これで何で、普段あんな言葉遣いなんだろう。
「こちらこそ、よろしく。―――いいガタイしてるね、兄ちゃん。うちの甥といると、でこぼこコンビだな」
伯父は僕と後輩を見比べて、面白そうに目を細めた。悪かったな、僕が鍛えても細っこくて小柄なのは遺伝だろう。伯父さんだって、あまり背、大きくないじゃないか。
この日は、仕事の合間を見て、伯父から店内を案内されたり、仕事の内容についての説明があったりした。その間に来客があり、伯父より先に後輩が、
「いらっしゃいませ! 何をお探しですか?」
とやったのには驚いた。
「ええと、更衣室を使いたいのですが」
来客は女性の二人連れで、後輩を見て少しばかり目を輝かせていた。くそう、イケメン爆発しろ。心中でつい毒づく僕には構わず、伯父が後輩からバトンタッチをして対応した。客が着替えて出ていくと、伯父は後輩を褒めた。
「いや、兄ちゃん、なかなかやるね。『いらっしゃいませ』って、意外にすっと出ない子、多いんだ」
「いえ、慣れてますから」
「伯父さん、こいつ、商人の子だから。よく店を手伝っているらしいよ」
後輩は高校時代に、若干「素行不良」とか教師連中に言われていたが、家族思いで、本当の意味で「いい子」だ。
「おや、それじゃ良かったのかな、うちの助っ人頼んでしまって」
「文具店は、夏休みだとあまり忙しくないから、手伝う必要がないんです」
この日の夜は伯父の自宅のほうで歓迎会をしてくれて、翌日から店で寝泊まりをしながらバイトをすることになった。伯父の家は兼業農家というやつで、祖父母や伯母は畑に出ている。伯父は、夏は「海の家」を経営しているが、海水浴の季節でなくなれば、「派遣」という名の出稼ぎに出ている。伯父は後輩のことをとても気に入ってくれた。連れてきたかいがある。バイトの期間は三週間の予定だ。なぜわざわざ店のほうに寝泊まりをするかというと、海辺の商店街の夜間の治安を守るため。店がそのまま自宅、というところも多いが、伯父のように店と自宅が別になっている場合、当然店は夜間に無人になる。ずいぶん前に、夜間、近所の無人になった店に勝手に入り込んだ挙句に好き勝手をやった観光客がいたらしい。
開店前は、焼きそば用の鉄板を用意したり、かき氷を作る器械を出したり、結構力仕事が多い。幸い僕も後輩も力持ちのほうなので、全く困らない。後輩は客の応対に向いているし、僕はどちらかといえば掃除をしたり、焼きそばなどの軽食を作ったり、といった裏方のほうが向いている。得意分野が重ならないのはかえって良かったかもしれない。
「やあ、いい子たちを雇ったじゃないか」
バイトを始めて数日もたつと、開店前のバタバタしているときに、ご近所さんたちが大勢やってきて伯父に声をかけてきた。伯父は隣で掃き掃除をしていた僕の肩を抱くと、
「いいだろう。自慢の甥っことその友達だ」
伯父さん、なんでそこでドヤ顔になる。そこに後輩が顔を出した。
「店長、棚の商品の予備、出したほうがいいでしょうか」
「ああ、そうだな、各二くらいでいい」
「わかりました」
頭を軽く下げて店の奥に向かおうとする後輩を、伯父が引き止める。
「短い間だが、近所同士、顔を覚えておいたほうがいいからな」
右隣の喫茶店のおばさん、左隣の土産物屋さん、真向いの海水浴グッズ(水着、ゴーグル、シュノーケルなど)の売店のひと、近所の八百屋さん、お肉屋さん。……なんでこんなに大勢来てるんだろう。後輩と一緒に挨拶をしながら、僕は不思議でならなかった。
仕事の合間に後輩に意見を聞いたら、
「近所付き合いもあるだろうが、防犯上の問題もあるだろうな。顔を覚えておけば、知らない奴がうろついていたらすぐわかるし、空き巣とかやりづらいだろ」
と、あっさり答えが返ってきた。
「なるほどね」
「そういえば、あんたは家に連絡を入れているのか?」
「いや? 君は……訊くまでもない、か」
夜、仕事が終わった後、後輩は店の外に出てケータイでどこかに電話をしている。たぶん、家族や彼女に電話をかけているのだろう。
「あんた、妙にそういうとこ、淡白だよな」
「便りがないのは元気な証拠っていうだろう。女の子じゃあるまいし、んな細かいことやってられないよ」
一応ケータイは持ってきているが、カメラで写真を撮ったり、アラーム機能を目覚ましに使ったりしていて、本来の機能は使っていない。だいたい、こちらから連絡しなくたって、何かあれば、うちから何か言ってくるだろう?
バイトはとても順調だった。店の厨房を使って食事を作ることが許されていたので、近くの店に材料を買いにいったり、自炊に飽きたときは定食屋や喫茶店に入ったりしたので、結果的に二人ともあっという間にこの海辺の商店街になじんでしまった。
「バイトが終わったら帰ってしまうんだね、あんたたち。よかったら来年もおいでよ」
隣の喫茶店のおばさんは、休憩時間にコーヒーを飲みに入った僕に、そう話しかけてきた。
「残念ですが、来年は、たぶん無理だと思います」
僕は就職活動を開始することになるだろうし、僕が来なければ、後輩だけでここに来ることはまずないだろう。
「そう、残念ねえ」
「そうですね。―――ここに来てよかった、と思っています」
これはお世辞でも何でもなく、本心だ。家でごろごろしているより、ずっと、生きている気がする。バイトが伯父のところ、という甘い環境ではあるものの、懸命に働く人々を間近に見ることができた。
お父さんも、きっと会社でバリバリ働いているんだろうな、お母さんも、家計の穴を埋めるためのスーパーのレジ打ち、頑張っているんだろうな、と今更のように家族のことを考えた。
そんな次の日の朝。隣の喫茶店がおばさんごと消えていた。まるで火事にでもあったように、黒こげの家の骨組みだけが残っている。
「変だよ、伯父さん! いくらなんでも隣が火事だったらわかるよ」
僕と後輩がここに寝泊まりしているし、他にも店が並んでいるのだ。大体、消防車来てないよ?
恥ずかしながら、ついパニックを起こしかけた僕に、伯父は、
「何を寝ぼけているんだ。どこが火事だって?」
と、とりあってくれない。目の前に喫茶店の焼け跡があるのに。
「あんた、大丈夫か? 顔色悪いぞ」
後輩にも心配されてしまったが、どうも彼にも、喫茶店はいつもと変わらずにあるように見えるようだ。しかし、僕の様子がよほどおかしく見えたらしく、
「そんなに言うなら、後で隣に紅茶でも飲みに行ってみる」
と言ってくれた。気持ちはありがたいけど……。
「おばさん、ちゃんと紅茶を出してくれたぞ。『できたら来年もおいで』って言ってくれたけど、『たぶん来られない』って答えておいた」
僕と交代で休憩したときに、宣言したとおりに「喫茶店に入った」後輩は、いつもどおりに紅茶を飲んできたらしい。でも、いったいどうやって?
「俺が紅茶飲んできたって、信じてないみたいだな。『精神病院に行け』って言いたいけど、あんたが狂ってるようにも見えないし、どういうことなんだろう」
後輩は首をひねっているし、伯父も心配そうに僕を見つめていた。
その翌日、真向いの海水浴グッズの売店の人がいなくなっていた。店は一応あるように見えるが、もう自分の目が信用できない。だって、後輩も伯父も、何もおかしいところはない、と思っているみたいで。
次の朝は、お隣の土産物屋さんが、店の人ごと消えていた。状況は喫茶店の時と同じ、火事の焼け跡にしか見えない。かんべんしてくれよお!
さらに怖いのは、ただ人や建物が消えただけでなく、少なくとも自分の身近な人は誰も異状に気付いていないことだ。後輩は毎晩自宅と彼女に電話をかけているが、ちゃんと通じているらしいし、伯父も毎晩自宅に戻っていて、何の変わりもないらしい。
覚悟を決めて、僕は、ここに来てから初めて、自宅に電話をすることにした。
「あ、兄さん? なに、電話かけてくるなんて、雨の代わりに槍でも降るんじゃないの」
電話に出たのは妹だった。全く普段と変わらないのんびりした調子の声が、ケータイから聞こえてくる。それに対し、
「みんな、元気か?」
口から出たのはこんなありふれた言葉だけ。
「あたりまえじゃない。バイト終わったら、お土産持って帰ってきてね」
「それ、来るときにも言ってたような」
ふふ、と妹は含み笑いをしている。
「まさかもう、ホームシックになったわけじゃないよね」
「違うって」
電話を切った後、僕は深々とため息をついてしまった。
まわりをそれとなく観察してみると、商店街の人たちばかりでなく、店を訪れる客たちも、とくに異状を覚えていないらしい。認めたくはないが、これはもう、僕の頭がどこかおかしいのだ。妹の言うように、バイトをやり遂げたらさっさとうちに戻って、それから精神科にでもかかるしかない。そう思っていたが、
「坊主も俺と同じなんじゃないか、って思えるんだが、どうなんだ?」
と、買い物に行ったときに、お肉屋さんのご主人が僕に声をかけてきた。
「はい?」
「人が消えたり、店が燃えてなくなったりしている。ほとんどの奴が気が付いていないみたいなんだが、観光客の中にも気付いているのが少しはいたようだし、坊主もそうだろう。視線でわかる」
「まさか……あなたも」
「自分の目を少しは信じな。奇妙ななにかが、確かに起こっている。ま、慌てずに行こうや」
ほら、と注文した揚げたてのコロッケの紙包みを僕に手渡しながら、お肉屋さんは首をすくめて見せた。
僕と同じように、異状に気付いている人がいる。自分がどこかおかしいのか、という疑いはだいぶ薄らいだが、そのかわり、ここで異常事態が発生していることはほぼ間違いない、ということになってしまう。いったい、なにがどうなっているんだ。店番をしながら、思わず腕組みをしてしまう。
「あまり考え込むなよ、禿げるぞ。―――あ、アイツから電話だ。珍しいな」
客がいないからいいよな、と、後輩はケータイを取り出して耳にあてた。とたんにそばにいる僕のところまで響き渡る、悲鳴のような呼びかけ。
「お願い、目を覚まして! ねえ、ねえったら!」
この声は、間違いない、後輩の女友達の声。なぜここまで、泣きそうな声を出す?
後輩は、彼女の声に打たれたように、茫然とあたりをみまわした。
「そうか。そういうことだったのか。今まで、気付かなかったなんて」
「おい?」
「だいたいわかった。―――あんたも、早く目を覚ましたほうがいい」
後輩は、僕の呼びかけに答えずに、逆に僕に話しかけ、そのまま店の外に飛び出した。もちろん慌てて後を追ったが、後輩の姿はいつの間にか消えていた。
ほんと、どうしよう。伯父が戻ってきて、後輩に用を言いつける声は確かに聞こえるのに、僕には後輩が「見えない」。もしかしたら、各自違うものを見たり聞いたりしているということなのか?
後輩の姿も声も僕には認識できないのに、伯父や、客たちにはしっかりわかっているらしい、という状況がその日はずっと続き、夜になった。珍しく、店のほうに伯父の自宅から電話がかかってきた。
「もしもし、どうした……なに? わかった。そういうことか」
チン。受話器を置く音がしたかと思うと、
「おい」
と、伯父が話しかけてきた。あれ、なんかデジャブが。
「お前も早く、目を覚ませ。待っている」
そう言い残すと、伯父は目の前で消え失せた。
「ちょ、伯父さんまで」
伯父が消えるとほぼ同時に、ポケットに入れてある、ケータイの音声着信音が鳴りだした。慌ててケータイを耳にあてる。
「しっかりしろ、目をあけてくれ!」
「起きなさい! 起きて!」
「目を覚ましてよ!」
僕の家族の、いずれも今にも泣きそうな叫び声。それらが小さくなると、あたりの情景が一変した。
激しい風が吹きこんできて、伯父の店もその周辺の店も、滅茶苦茶に壊れていた。さらに真っ赤な炎が吹き込んできて、あっという間に海辺の商店街を嘗め尽くした。
「なんだこれ、なんかの爆発?」
「か、火事だあ!」
店内にいた海水浴客がパニックを起こしかけた。
「海岸へ向かう! 逃げ遅れれば死ぬぞ、急げ!」
「皆さん、焦らないで、急いでください!」
伯父や後輩は客を先導して比較的安全だと思われる海岸へ移動を開始し、僕は客たちの更に後方を歩いていた。すぐ隣に、喫茶店のおばさんやお肉屋さんがいたと思うが、定かではない。―――なぜなら、逃げている最中に、再び爆発音が響き渡り、突風に吹き飛ばされたのが最後の記憶だったから。
目を開けると、知らない部屋に寝かせられていた。薬品のにおいが漂い、腕には何本も管がささっているし、口にはマスクがあてられ、酸素が送り込まれているようだ。ここは病院か。ナースコールしたほうがいいかな、と迷っていると、医師や看護師たちが入ってきた。
「あの」
こちらから話しかけようとすると胸が苦しくなって、思わず咳き込んだ。
「喋らないでください。肺や気管が傷んでいますから」
看護師が僕に話しかけている間に、僕の家族たちが部屋へなだれ込んできた。
「よかった。大丈夫だって聞いてても、気が気じゃなくて」
「こいつが死ぬわけないだろう」
「兄さん、伯父さんも後輩さんも、さっき目を覚ましたよ。安心して」
口々に耳元に大声で話しかけてくる。あのね、もう意識あるんだから、あまり大声出されると、うるさいんだけど。
海辺の商店街を襲ったのは、不幸な多重事故だった。まず、薬品会社で爆発が起きてしまい、隣接する菓子工場がその爆風にあい、菓子の原料の小麦粉等で今度は炭塵爆発が起こり、近隣に爆風と炎が襲いかかったのだ。薬品会社や菓子工場では残念ながら死者が出たが、不幸中の幸い、商店街では怪我人を出しただけで済んだらしい。僕より早く回復した伯父や後輩が病室までやってきて、いろいろ教えてくれた。しかし、二人ともあの奇妙な出来事を覚えてはいなかった。廊下で偶然出会ったお肉屋さんに訊いたら、あっさり一言だけ。
「お互い無事でよかったな」