第8話
今日は朝から忙しい日となった。
私は今日、ケンの部屋を受け持つことになっていたので、305号室に向かった。
昨日から容態がぐっと悪くなっているらしい。
もしかしたら、今日が最期の日になるかもしれない。
そんな事を思いながら面倒なプロテクターを着て305号室に入った。
ケンはベッドにうつ伏せにうずくまっていた。
私が近づくとケンは急に喉を掻き毟るように暴れだした。
咄嗟に私は緊急ボタンを連打していた。
緊急事態は急にやって来る。
緊急ボタンを押すのは条件反射になってしまっていたようだ。
ケンは最後の力を振り絞るように私の右肩をぐいっと掴んで引き寄せ、睨むようなものすごい形相で大量に吐血し、息絶えた。
私は暫く立ち尽くす以外に何も出来なかった。
そして、剥き出しの目を閉じさせ、何とかベッドに運んだ。
スタッフが駆けつけた時には何も施しようがなかった。
シーツにはべっとりと真っ赤な血が染み付いた。
私のプロテクターの半分にも真っ赤なペンキがべったりと塗りつけられたようだった。
床にも赤い水溜りができていた。
その真っ赤な血はまるで何かに怒りを表しているようだった。
ケンのウイルスに汚染された遺体は速やかに火葬された。
ケンは独身で肉親もいなかった。
両親は人間でケンよりも先に旅立っていた。
ゆえに、立ち会う人もおらず寂しい最期だった。
私は休憩をもらったが、食欲も出るはずがなく、短い仮眠をとってナースステーションに向かった。
私の姿を見た婦長が
「アイリさん。午前中はお疲れ様でした。これから入院があるからお願いね。315号室よ。」
と、電子カルテのチップを私に渡すとナースステーションから出て行ってしまった。
電子カルテに目を通そうとポケットから小型コンピューターにチップを挿入しようとしていたら簡易ロボットが315号室に患者を案内したことを告げに来たので、そのまま部屋に向かうことにした。
315号室のドアを開けるとベッドに腰掛けてTVのチャンネルをいじっている、茶色がかった髪の、青い瞳が印象的な青年が目に飛び込んできた。
見とれるような整った青年だった。
もしかしたら頬が赤くなっているかもしれない。
そんなことを思いながら私は真向かいに病室の椅子を置いて座り、電子カルテを開いた。
homo マモル
シリアルナンバーが名前に無いのは人間の証だ。
彼も私と同じ人間なのだ。
既往歴を見ると3才からある一定の記憶を消す治療を受けているのが分かる。
横に「誘拐」とあった。
私はそれに深く触れず淡々とアナムネをとった。
全て必要事項を確認すると
「では、検査の準備ができるまで、しばらく部屋で待っていてくださいね。」
そう言って315号室を出た。
検査は全身を隅々まで調べる精密検査だ。
検査室の空き状態を調べてマモルを検査室に案内する。
検査はいたって簡単。
ベッドに寝て、丸いドーム状の中を1回通過すればよいのだ。
それで、今の健康状態が全てわかる。
検査の帰りにマモルが私に聞いた。
「どうしてナースになったんですか?」
その目は私には、「もっと楽な仕事もあるのに、あなたも人間なのに。」と言っているように見えた。
私はいつものように
「この仕事にアーミニズムを感じたからです。」
と言って微笑んだ。
そう言うとマモルは、なるほど、と言うような表情になって
「確かに、人類は大昔から看取ることをして来ましたからね。ナイチンゲールが看護というものを理論的に位置づけて職業として成り立ったわけですが、それ以前から尊い行いを我々は行っていたんですよね・・・。アーミニズムか・・・。なるほど。なんとなく分かりますね。面白い方ですね、アイリさんは。」
と言って屈託の無い笑顔を私に差し向けた。
私は、今まで死んでいたような鼓動が息を吹き返したようにドキドキと音がするのを感じていた。
マモルに見透かされているような気持ちになって恥ずかしかった。