アルマと術者
狼は遠征してみることにした。最初に出現した建物、そしてこの屋敷。今現在狼が知っているのはこの二つだけだ。
この屋敷には、そこそこの数の人間が雇われており、そして、潤沢な食材が用意されている。だからおそらく近くの村では、畑や放牧も行われているに違いない、でなければこの屋敷の状態は説明がつかない。
当然、この向こうには、村もあってそして町もあるのだろう。
しかし、それほど人口密度が高いとは言いがたい状態である可能性も高い。目蔵めっぽう歩いてもそうそう町や村に辿り着けないかもしれない。
それならば何とかアルマを説得して、連れて行ってもらうしかない。
考えた末の結論が情けなさ過ぎて少し悲しくなった。
そして、ここに車での地獄の荷馬車の旅を思い出して少しだけ憂鬱になった。
ここから一番近い町や村までどのくらいあるのだろう。
とにかくアルマの姿を探してみることにした。
アルマは書斎で考え込んでいた。
視界に入るのは亡き兄の蔵書ばかり、入り口のある壁を除けばすべての壁が書棚で埋め尽くされていた。
この部屋は最上階なので、天井にかろうじて明り取りの窓をつけることができたが、そうでなければ昼でも明かりが必要だったろう。
ゆったりとした椅子に腰掛け兄がしていたように、机の上で手を組んであごを乗せる。
子供の頃兄の真似をしていたのがいつの間にかアルマの癖になってしまっている。
その傍らに小柄な影があった。ずるずると引きずる長衣に顔を半ばまで隠す被り物を身につけたその人物が、男か女かすら判別できないまでも。アルマの傍らにあることを許されてそこにいることは間違いない。
「何故ああなった?」
本来ならば呼び出すべき人間は一人、にもかかわらず二人の人間が現れたことを端的にアルマは問うた。
「私にわかるならばああいう事態にはなっていません」
か細い、そして鈴を鳴らすような軽やかな声で相手は答えた。
「珍しいな、お前がそんな風に言うのは」
アルマはそう言って視線を傍らの人物に向ける。
「それは今までそういうことが一度も起こったことがないからです。私の力不足が原因で不発に終わったことならば数限りなくありますが、想定していたよりも大きな結果に終わったなど、私のみならず、今までいた術者すべてにおいても起こったことがないでしょう」
「つまり、別の力が働いたということか?」
アルマが、術者の言葉を自分なりに脳裏に分析して考えたことを言った。
「その可能性は高いです」
そして、アルマは術者の奥の目を覗き込む。
「かつて、いかなる術者の干渉もなく、かの方はあちらに飛ばされた。それを考えると場所自体に、何らかの力が停滞しているのかもしれない」
「かも知れませんが、私にもそれは観測不能なのです。おそらくそれが起こるべき時が来なければ、それを知覚することができない」
術者の言葉にアルマはしばらく考え込んだ。
「とにかく計画はしばし停滞することになる」
アルマはそう呟くと陰鬱に黙り込んだ。