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第七話 急かすだけでは間に合いませんわ

 翌朝、代官館の食堂は、食事のためというより帳場の延長のようになっていた。


 長机の上には紙板、炭筆、簡易の領地図、昨夜までに揃えた倉の帳面が並び、パンくずの横に村名が書き込まれていく。クラリス・グランディエルはその中央に座り、腕を組んでいた。


「もう一度確認するわ」


 机の上の紙板を指先で叩く。


「倉が一日にきちんと受けられる量は、燕麦袋二十、根菜籠十五、羊毛束十。これは“積める量”ではなく、“札をつけて、見分けて、出せる形で置ける量”よ」


「ええ」


 フィリップが頷いた。


「無理に詰めれば、また昨日と同じことになりますな」


 その横で、エマは炭筆を握ったまま、たいへん嫌そうな顔をしていた。


「これ、絶対に怒られますよね……」


「怒られるでしょうね」


 クラリスはあっさり言った。


「でも決めないと、もっと怒鳴り合いになるわ」


「慰める気あります?」


「現実を言っただけよ」


 エマは「ありますよねえ……」と呟きながら、割り振り表へ視線を落とす。


 村ごとに持ち込み日を分ける。品目ごとに上限を切る。傷みやすいものは先、待たせてもよいものは後。昨日受けられなかった村には次の口を先に回す。


 理屈としてはきれいだ。


 だが、きれいすぎる。


 帳面の上で滑らかに流れるものほど、現実では角が立つ。クラリス自身、それはよく分かっていた。


「代表は何人来ますかな」


 フィリップが尋ねる。


「昨日の時点で五村。噂を聞きつけて増えるかもしれません」


「増えるでしょうな」


 クラリスは紙板の端を揃えながら答えた。


「昨日あれだけ持ち込んでいたのですもの。“今決められるらしい”となれば来るに決まっているわ」


 ヴァルターが壁際に立ったまま口を開く。


「門前にすでに七人おります」


 エマが顔を上げた。


「もう!?」


「ええ。増えました」


「やっぱり怒られるじゃないですか……!」


「だから言ったでしょう」


「お嬢様、ちょっと楽しそうなんですよね、それが嫌なんですけど」


 クラリスは否定しなかった。


 ほどなくして、代表たちが通された。


 年かさの男が三人、女が二人、若い男が二人。靴の泥も、袖の擦れも、村からそのまま来たことを示している。礼儀を知らぬわけではない。だが王都のそれではなく、必要だから身につけた礼だった。


 その中の一人に、クラリスはすぐ目を留めた。


 まだ若い。二十代半ばほどだろうか。日に焼けた顔、ぶっきらぼうな立ち方、だが視線だけは逸らさない。無礼ではない。媚びもしない。


 言うべきことを言う人間の顔だった。


 フィリップが簡単に趣旨を説明し、受け入れ割り振り表を広げる。


「本日お集まりいただいたのは、今後三日分の持ち込み順と上限を、先に決めてしまうためです」


 途端に空気が硬くなった。


 最初に口を開いたのは、やはり若い男だった。


「決める、って、誰が?」


「こちらで、です」


 フィリップが答えると、若い男は鼻で笑う。


「王都のお嬢様が?」


 エマがむっと顔を上げたが、クラリスは手で制した。


「名前は?」


「ルーク」


 短く返ってくる。


「ルーク。あなたが一番怒っていそうだから、最初に聞くわ。何が不満?」


 食堂の空気が少しだけ揺れた。


 言い返されると思っていたのだろう。真正面から問われて、ルークは一瞬だけ言葉を選んだ。それから机の上の表を指で叩く。


「これだ」


「具体的に」


「うちの村が後ろだ」


 クラリスは表へ目を落とす。


 ルークの村は、二日目の後半になっていた。主要品は羊毛と燕麦。量はそこそこある。距離は中くらい。帳面の上では妥当な配置だ。


「理由はあるわ」


「理由ならいつだってある」


 ルークの声は怒鳴り声ではなかった。むしろ低く、腹の底から押し出してくるような声だった。


「量が多い、少ない。距離が遠い、近い。道が悪い、村が小さい。いつだって、後ろに回す理屈は立派だ」


 年かさの男が横から鼻を鳴らす。


「まあ、ルークんとこは昔からそうだな」


「笑い事じゃねえ」


 ルークはそちらを見もせず続けた。


「“今回はこうだから後だ”を何年も聞かされりゃ、こっちは“またか”としか思わねえよ」


 クラリスは黙った。


 机の上の表は正しい。だが、正しさだけでは片づかない何かが、確かにそこにあった。


 別の女が口を挟む。


「うちも同じさ。少ない村ほど後に回る。少ないから後でいい、ってね」


「違うわ」


 クラリスが言う。


「少ないから後なのではなく、傷みにくいから」


「言い方が違うだけだ」


 ルークが切った。


「待てる村だ、持つ村だ、少ない村だ。どれも同じだ。後に回される側の腹は、いつだって同じだ」


 エマが不安そうにクラリスを見る。


 フィリップは静かに言った。


「お嬢様。村の者は、損をするから怒るだけではありません」


 クラリスは視線だけで続きを促す。


「軽く見られたと思うから、腹を立てるのです」


 それで、ようやく腑に落ちた。


 ただの反発ではない。


 ただの非合理でもない。


 きちんと怒っている。きちんと、何に腹を立てているのかを言葉にしている。


 ああいう相手の方が、よほど信用できる。


 黙って頷き、帰ってから荷を止める者より、ずっと。


「……なるほど」


 クラリスは静かに言った。


「それは、わたくしの言い方が悪かったわね」


 ルークがほんの少しだけ目を細めた。


 予想外だったのだろう。クラリスはそのまま続ける。


「あなたの怒りはもっともよ。ただし、だからといって好きな日に全部持ち込ませれば、今度は倉が死ぬ」


「そんなことは分かってる」


「ええ。あなたは分かっているでしょうね」


 クラリスは紙板の上に指を置いた。


「でも、わたくしは一つ見落としていた」


 部屋が静まる。


「倉の口だけを見ていたわ。村の置き場まで見ていなかった」


 ルークの眉がわずかに動く。


 横でエマが、小さく「やっぱり……」と息を吐いた。


「出せる日に全部出したがるのは、得をしたいからだけではないのね」


 クラリスは一人ひとりの顔を見た。


「村に置けないからだ」


 ベルナ村の女が、静かに頷く。


「そうだよ」


「薬草は持たない。羊毛も、雨が続けば臭いが移る。燕麦だって、家の納屋は食う分でいっぱいだ」


 年かさの男も続ける。


「売り物を抱えたまま寝るのは、気持ちがいいもんじゃねえ」


 ルークが最後に、ぶっきらぼうに言った。


「だから、出せる時に出したい。それだけだ」


 クラリスはそこで、表を一度ひっくり返した。


 エマがぎょっとする。


「お、お嬢様?」


「書き直すわ」


 フィリップが腕を組む。


「今ここで、ですか」


「今ここでよ。ここで直せない表に意味はないもの」


 クラリスは炭筆を取り、新しい線を引く。


「本口はそのまま。倉が一日に飲み込める量は変わらない」


「はい」


「その代わり、仮口を作る。村で長く持たせられないものだけ、少量ずつ先に逃がす」


 ルークが眉を寄せる。


「逃がす?」


「ええ。全部を今日入れるのではなく、“今日ここから出さないと村が困るもの”だけ先に受ける」


 ベルナ村の女が身を乗り出した。


「薬草も?」


「薬草も。湿りやすい羊毛も。傷みの早い干し根菜も」


 フィリップがすぐに補足する。


「代官館の車庫を仮置きに回せます。半分は空いておりますし、掃除をすれば一晩二晩は持つ」


 エマがぱっと顔を上げた。


「わたし、掃除できます!」


「一人では足りないわ」


「ヴァルターさん!」


 名を呼ばれた名目執事は、何の感情も見せずに頷いた。


「屋根の確認も含めて対応します」


「助かります!」


 クラリスはルークへ向き直る。


「あなたの村は羊毛が主だったわね」


「……ああ」


「全部を今日入れることはできない。でも、今日中に湿りやすい分と、村で持たせにくい分だけは仮口で受ける。残りは明日、本口の先へ回す」


「先へ?」


「ええ。今日ここで帰した分は、明日以降、優先して通す」


 ルークはまだ簡単には頷かなかった。


「口約束じゃ意味がない」


「もちろん」


 クラリスは紙板の端へ村名を書き足した。


「書くわ。あなたの目の前で」


 そして、本当にその場でルークの村名を一段上へ移した。横に、小さく仮口の印を加える。


 ルークはその手元をじっと見ていた。


 年かさの男が小さく吹く。


「ずいぶん思い切りがいい」


「思い切りではなく修正よ」


 クラリスは言う。


「理屈が合っていても、前提が欠けていれば組み直すしかないでしょう」


 ルークがそこで、ようやく少しだけ息を吐いた。


「……貴族のくせに、あっさり直すな」


「間違いを引きずる方が高くつきますもの」


「嫌な言い方だな」


「事実よ」


 エマが横でこっそり囁く。


「でも今の、ちょっとだけよかったです」


「何が」


「お嬢様、ちゃんと聞いてました」


「聞いたから直したのよ」


「それが大事なんです」


 クラリスは返さなかった。


 返さなかったが、否定もしなかった。


 結局、話し合いは昼過ぎまで続いた。


 村ごとに、


何が長く置けないか


どこまでなら村で抱えられるか


何を先に逃がすべきか



を聞き取り、表へ書き足していく。


 理想の表ではない。

 美しくもない。

 けれど、少なくとも“人が生きて使える表”にはなり始めていた。


 最後にルークが立ち上がる。


「……じゃあ明日、残りを持ってくる」


「ええ」


「今日受ける分、ちゃんと別に見ろよ」


「もちろんよ」


 クラリスが言うと、ルークは少しだけ口元を歪めた。


 笑ったのではない。まだそこまではいかない。

 だが、さっきまでの剥き出しの反発とは違う顔だった。


「ちゃんと怒って、ちゃんと伝える村は嫌いじゃないわ」


 クラリスがそう言うと、ルークは意外そうに目を瞬かせた。


「は?」


「黙って引っ込めるより、よほど信用できるもの」


 ルークは何か言い返そうとして、結局言葉を飲み込んだ。


「……変なお嬢様だな」


「お褒めにあずかりまして」


 そのやり取りのあとで、ルークはようやく背を向けた。


 完全に納得したわけではない。

 だが少なくとも、今日ここで話した意味までは捨てていない。

 それは分かった。


 代表たちが帰ったあと、エマは机に突っ伏した。


「つ、つかれました……」


「まだ昼よ」


「心が先に終わりました……」


 ヴァルターが静かに盆を置く。


「少し冷ましてあります」


 差し出された紅茶を見て、クラリスは一瞬だけ間を置き、それから受け取った。


 フィリップがそれを見て、ほんの少しだけ目を細める。


「よくお分かりで」


「長いので」


 ヴァルターはそれだけ言った。


 エマが顔だけ上げる。


「何が長いんです?」


「付き合いです」


「ずるい答え方……」


 クラリスは口をつける前に、窓の外を見た。


 前庭の隅では、さっそく車庫の片付けが始まっている。昨日まで荷車の影に過ぎなかった場所が、今日は仮置き場になる。


 たったそれだけのことだ。


 だが、そういう“たったそれだけ”が今までなかった。


「フィリップ殿」


「はい」


「次は仮置き場の持ち方を決めるわ。一晩で動かすもの、三日持たせるもの、その境も要る」


「また面倒なことを」


「面倒でない改善など、貧しい土地にはめったにありませんわ」


 フィリップは、そこでついに声を出して笑った。


 乾いた、しかし昨日より少し軽い笑いだった。


「ええ、まったく」


 クラリスは紅茶を一口含んだ。まだ少し熱い。だが我慢できないほどではない。


 机の上には、書き直された三日分の受け入れ表がある。完璧ではない。今夜にはもう修正点が見えるだろう。


 それでいい。


 修正できる形になっただけ、昨日よりましだ。


「急がせるだけでは足りませんわ」


 エマが顔を上げる。フィリップも聞いている。


「急がせれば倉が詰まる。待たせれば村が詰まる。だから、どこで何を抱えるかを決めるの」


 エマが小さく頷いた。


「置き場も、流れのうちなんですね」


「ええ。今日もちゃんと追いついたわね」


「今日は嫌な言い方、ちょっと少なめです」


「疲れているのよ」


「それならちょっとかわいいので、ずっと疲れてらしてください」


「あら生意気」


 クラリスは微笑みながら紅茶を置いた。

 フィリップが咳払いで笑いを隠し、ヴァルターは何も聞かなかった顔をした。


 窓の外では、車庫の戸が開かれ、古い箒が動き始めている。


 グレイ領では今日、初めて“置き場を作る”という仕事が、利益そのもののためではなく、利益へ至る流れのために始まっていた。

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