第9話 自業自得の末路
「衛兵! その女を捕らえよ! 王家への反逆罪だ!」
シャンデリアの輝く大広間に、レオン殿下の狂乱した声が響き渡った。
完全に理性を失っている。自分の思い通りにならない現実を前に、ついに権力という暴力に訴え出たのだ。
(……本当に、最後まで成長しない人ね)
私は小さく息を吐き出した。
槍を構えた王宮の衛兵たちが躊躇いがちに近づいてくるが、ユリウスが一歩前に出て氷のような視線を向けただけで、彼らは怯えて足を止めてしまった。
誰も、王国最強の辺境伯を敵に回したくはないのだ。
「騒々しいぞ、レオン」
重厚な声が、凍りついた空気をさらに一段階押し下げた。
群衆が海が割れるように道を開け、その奥から豪奢なマントを羽織った初老の男性が現れる。
国王陛下。この国で唯一、ユリウスと対等に渡り合える絶対権力者だ。
「父上! ちょうど良いところに! この悪辣な女と辺境伯が、王家に歯向かい──」
「黙れ。愚か者が」
国王陛下一喝に、レオン殿下がビクッと肩を跳ねさせた。
陛下は冷ややかな目で実の息子を一瞥すると、ゆっくりとユリウスに向き直った。
「辺境伯よ。余の愚息が、そなたの妻に無礼を働いたようだな」
「ええ。ですが、事のついでです。我が辺境伯軍が、先程王都内で『興味深い代物』を押収いたしました。陛下の御目にかけたく存じます」
ユリウスが指を鳴らすと、カイルが恭しく進み出て、黒い革張りの手帳を国王陛下に差し出した。
それを見た瞬間。
レオン殿下の後ろに隠れていたミアと、会場の隅にいた財務大臣の顔面が、雪のように真っ白になった。
「これは……財務省の印が押された、非公式の帳簿だな」
「はい。ここ数ヶ月、王家の国庫から引き出された予算が、どこへ消えたのか。その全てが克明に記された『裏帳簿』にございます」
私はすかさず言葉を継いだ。
「横領額は莫大ですわ。その大半が、財務大臣の隠し口座と、そちらのミア男爵令嬢のドレスや宝石、そして温室の建設費用に消えております。……ねえ、殿下。私が残したシステムを勝手にいじって、随分と甘い汁を吸ったようですわね」
「なっ、なんだと……!? ミア、これはどういうことだ!」
何も知らされていなかったレオン殿下が、裏切られたような目でミアを振り返る。
ミアはガタガタと震えながら、ボロボロと大粒の涙をこぼした。
「わ、私は知りません! そんな帳簿、きっとセシリア様が私を陥れるために捏造した偽物に決まっています! 財務大臣様、そうですよね!?」
「ひっ……そ、その通りでございます、陛下! 私は無実だ!」
見苦しい責任逃れ。
予想通りの展開に、私は手元のパーティーバッグから、小さな黒い石を取り出した。
辺境伯家が密偵の連絡用に用いている、高価な通信の魔導具。そこに組み込まれた「録音機能」を起動する。
『──ああ、笑いが止まらないわ。財務大臣様、今回の石鹸の利益も、適当に理由をつけて王家のものにしちゃいましょうよ』
静まり返った大広間に、甘ったるいミアの肉声が響き渡った。
『殿下は私が泣けば何でも信じてくれますからね。セシリアが残した帳簿なんて、数字を少し書き換えればバレやしませんわ。殿下は馬鹿だから、難しいことは分からないもの』
「あ……ぁ……」
ミアが、へたりと床に崩れ落ちた。
言い逃れ不能。
王都に潜ませた密偵が、財務大臣の執務室の裏でしっかりとその悪巧みを記録していたのだ。
「……レオン。お前はどこまで余を失望させれば気が済むのだ」
国王陛下の声は、ひどく疲びれていた。
その言葉が、彼らの運命を決定づけた。
「財務大臣を捕らえよ。全財産を没収の上、地下牢へ繋げ。ミア男爵令嬢は王家を欺いた罪で、北の厳格な修道院へ幽閉とする」
「そ、そんな……いやああああっ! レオン様、助けてっ!」
「……そしてレオン。お前は本日をもって王太子の地位を剥奪し、廃嫡とする」
レオン殿下は悲鳴すら上げられず、虚ろな目のままその場に膝をついた。
自業自得。
地位も、名誉も、お金も。彼らは自らの無能と欲望によって、全てを失ったのだ。
完全なる、断罪。
衛兵に引きずられていく彼らの背中を見送りながら、私は小さく息を吐いた。
◇
「……少し、風に当たるか」
騒然とする広間から私を連れ出したユリウスは、誰もいない夜のバルコニーの扉を閉めた。
冷たい夜風が、火照った頬を撫でる。
王都の夜景が見下ろせる手すりに寄りかかり、私は大きく伸びをした。
「終わりましたね、旦那様」
「ああ」
ユリウスは短い返事をしたきり、黙り込んでしまった。
いつもなら、ここで私の頭を乱暴に撫でるか、憎まれ口を叩くはずなのに。
不思議に思って隣を見上げると、月明かりに照らされた彼の横顔は、彫刻のように美しく──そして、ひどく痛みを堪えているように見えた。
「旦那様?」
「……これで、お前の名誉は完全に回復した」
ぽつりと、夜の闇に溶けるような低い声。
ユリウスは私から視線を逸らしたまま、自嘲するように唇の端を歪めた。
「国王は、お前の能力を惜しんで破格の待遇を用意するだろう。実家も、手のひらを返して擦り寄ってくるはずだ」
「それは……」
「お前はもう、俺の庇護がなくても、自分の足で生きていける」
ドクン、と。
心臓が、嫌な音を立てた。
何を言っているのだろう、この人は。まさか。
「俺との偽装結婚などという足枷は、もう不要だな」
突き放すような言葉。
なのに、手すりを握る彼の手は白くなるほど力が込められていて、私を見ようとしないその態度は、まるで……捨てられることを恐れる子供のようだった。
(──ああ、違う)
私は彼がお荷物な私を切り捨てようとしているのだと、一瞬勘違いしかけた。
でも、違うのだ。
彼は不器用すぎるだけ。私を愛しているからこそ、私の自由を尊重して、自ら身を引こうとしている。
胸の奥から、熱いものが込み上げてくる。
偽装結婚。白い結婚。相互不干渉。
そんな契約の紙切れ一枚が、今の私たちをどれほど邪魔なものにしているか。
「……ユリウス様」
私は初めて、彼の名前を呼んだ。
驚いて振り返った氷色の瞳を、私は逃げ場がないほど真っ直ぐに見つめ返した。




