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断罪された悪役令嬢は、犬猿の仲だった義兄との偽装結婚を全力で楽しむ  作者: 秋月 もみじ


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第3話 泥だらけの領地改革


「奥様、いくらなんでも土に直接触れるなど……!」


 侍女の悲鳴をよそに、私は腕まくりをして重い鍬を握った。

 辺境の屋敷にやってきてから一ヶ月。

 あの完璧に設えられた自室で大人しくしているつもりは毛頭なく、私は連日のように領内の農村へ足を運んでいた。


「構わないわ。土の質を確かめるには、自分の手で触るのが一番早いもの」


 ざくり、と鍬を振り下ろす。

 周囲を取り囲む村人たちの視線は、冷ややかだった。


(……無理もないわよね)


 彼らからすれば、私は王都から追放されてきた「我儘な悪役令嬢」だ。そんな都会の貴族が、気まぐれで自分たちの畑を荒らしに来たと思われているのだろう。

 よそよそしい態度。遠巻きに囁き合う声。

 その警戒心を解くには、言葉ではなく結果を見せるしかない。


「村長さん。お願いしていた『砕いた下級魔石』と、腐葉土は混ざりましたか?」

「へ、へえ。言われた通りにしましたが……本当にこんな石の粉を畑に撒いて、意味があるんでさぁ?」


 疑心暗鬼な声に、私はふわりと微笑んだ。

 現代日本の農業知識と、この世界の魔法を組み合わせた「魔力肥料」。

 やせ細った辺境の土壌には、窒素などの栄養素だけでなく、大地そのものの魔力素が不足しているのだ。


「見ていてください」


 私は調合した肥料を畑に撒き、そこに少しだけ自分の魔力を流し込んだ。

 ぼんやりとした淡い緑色の光が土を覆う。

 数秒後。昨日植えたばかりの豆の種が、パキリと音を立てて芽を出し、あっという間に青々とした葉を広げた。


「なっ……!?」

「一日で、発芽した……!?」


 村人たちの目の色が変わった。

 驚愕と、歓喜。

 痩せた土地で苦労してきた彼らにとって、それは文字通り希望の光だった。


「これで収穫サイクルは三倍に早まります。次は、別の区画で輪作の準備をしましょう」

「お、奥様……いや、セシリア様! 俺の畑も見てくだせぇ!」

「私のところにも!」


 さっきまでの冷ややかな態度が嘘のように、村人たちが目を輝かせて押し寄せてくる。

 胸の奥で、じわりと温かいものが広がった。

 王都ではどれだけ書類を処理しても「生意気だ」と疎まれるだけだった。でもここでは、私の知識が真っ直ぐに喜ばれている。


「順番に見ますから、押さないで……きゃっ」


 ぬかるみに足を取られ、思わずしりもちをついてしまった。

 顔に泥がはねる。

 しまった、お屋敷の侍女にまた怒られる、と苦笑したその時だった。


「──何をやっている」


 低く、よく通る声。

 振り返ると、いつの間にか黒馬に跨ったユリウスが、数人の護衛騎士を連れて畑の畦道に立っていた。

 村人たちが一斉に青ざめて平伏する。


 視察に来たのだろう。

 軍服を隙なく着こなした美しい義兄と、泥だらけの私。

 ……最悪だ。辺境伯夫人の体裁を保てという契約を、さっそく破ってしまった。


「旦那様、これはその……」


 言い訳をしようと立ち上がった私に、ユリウスが無言で歩み寄ってくる。

 怒られる。

 そう思ってぎゅっと目を瞑った。


 しかし。

 頬に触れたのは、叱責の声ではなく、ひどく熱い体温だった。


「え?」


 目を開けると、ユリウスが至近距離にいた。

 剣ダコのある大きくて硬い指先が、私の頬にこびりついた泥を、素手でそっと拭い取っている。


「……泥がついている」

「あ、あの……ハンカチで拭きますから! 旦那様の手が汚れてしまいます」

「構わん。それより」


 氷のように冷たいはずの瞳が、至近距離で見ると、ひどく柔らかく揺れていた。


「……あまり、無理はするな」


 それだけ言い残し、ユリウスは素早く身を翻して馬に戻っていった。

 呆気にとられる私を残して、辺境伯の視察団は風のように去っていく。


(……なんだ、今の)


 心臓が、うるさい。

 呆れられたのだと頭では分かっているのに、頬に残った微かな熱が、どうしても消えなかった。


 ◇


 その頃。

 王都の王宮、王太子の執務室では、怒号が響き渡っていた。


「くそっ! なんだこの数字の羅列は! 全く意味が分からん!」


 レオンは、デスクに積み上げられた書類の山を乱暴に払いのけた。

 ばさばさと床に散らばる羊皮紙。

 それは、セシリアが追放される直前まで管理していた、王家の内政と税収の管理帳簿だった。


 彼女がいなくなれば、自分が全ての権力を握れると思っていた。

 だが現実は違った。各地からの陳情、複雑な税率の計算、予算の分配。セシリアが構築したシステムはあまりにも高度で、剣術しか能のないレオンには一行たりとも読み解けなかったのだ。


「レオン様ぁ、どうなさったの?」


 甘ったるい声を上げて、男爵令嬢のミアが執務室に入ってきた。


「ミア……。いや、セシリアの残した書類がでたらめでな。政務が滞っているんだ」

「まあ、酷い! あの女、わざとレオン様を困らせるような嫌がらせを残していったのですね」


 ミアは可憐に小首を傾げると、床に落ちた書類を拾い上げた。

 数字の羅列を見て、彼女の目も一瞬だけ泳ぐ。当然だ。彼女にはマクロ経済の知識など微塵もないのだから。


「私がお手伝いしますわ。こんなの、適当に承認のサインをしてしまえばいいんです。民からたくさん税金をもらえば、レオン様も私も、もっと贅沢できますもの!」

「……そうだな。お前は本当に賢くて優しい」


 レオンはミアの頭を撫で、内容も確認せずに次々と書類に王太子の承認印を押し始めた。

 それが、国家予算を完全に崩壊させ、自らの首を絞める致命的な一撃になるとも知らずに。


 ◇


 同日、夜。

 私は私室のデスクで、木箱の中で白く固まった「それ」を満足げに見下ろしていた。


「うん、完璧。香りも手触りも申し分ないわ」


 前世の知識と、辺境に自生する特殊なハーブのオイルを掛け合わせて作った、高品質な美容石鹸。

 王都の貴族女性たちが喉から手が出るほど欲しがるはずの、全く新しい特産品だ。


 これを商会に卸せば、辺境の財政はさらに潤う。

 窓の外の星空を見上げながら、私は次なる一手に思いを馳せていた。

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