第8話 護衛と告白未遂
セバスチャンの屋敷は、王都の外れにあった。
高い塀に囲まれた、瀟洒な館。表通りからは見えない位置にあり、門には護衛が立っている。第二王子の隠れ家として、完璧な造りだった。
「こちらのお部屋をお使いください」
案内されたのは、二階の角部屋だった。窓からは庭園が見える。安宿とは比べ物にならない広さと、上質な調度品。
「……落ち着かないわね」
隣のリディアが呟いた。
「私もです」
二人で顔を見合わせて、苦笑した。
昨夜は馬車で移動し、深夜にここへ着いた。セバスチャンは「今夜は休め」とだけ言って、自室に引っ込んでしまった。
「お嬢様、本当によろしいのですか?」
「何が?」
「第二王子殿下のお屋敷に、こうして……その、匿っていただいて」
リディアの声には、不安が滲んでいた。
「選択の余地がなかったのよ。侯爵夫人の手下に見つかるよりはマシだわ」
「それは、そうですけど……」
彼女は言葉を濁した。言いたいことはわかる。王弟の屋敷に滞在することは、様々な意味で危うい。政治的にも、そして——
「変な噂が立つ、と言いたいの?」
「お嬢様……」
「大丈夫よ。どうせ私は『断罪された悪役令嬢』ですもの。今さら噂が増えたところで、大差ないわ」
軽く言ってみせたが、内心では私も複雑だった。
セバスチャンと同じ屋根の下。彼の領域に入り込んでしまった。それが何を意味するのか——考えないようにしていた。
昼過ぎ、セバスチャンが部屋を訪れた。
「体調はどうだ」
「問題ありません。それより——」
「ああ、本題だな」
彼は椅子を引き寄せ、私の向かいに座った。リディアは気を利かせて、部屋を出ていった。
「カール子爵が落ちた」
私は目を見開いた。
「落ちた?」
「侯爵夫人を裏切った、という意味だ」
セバスチャンは淡々と説明した。
「第四号の影響で、侯爵夫人への風当たりが強くなっている。国王が調査を命じるという噂も広まった。それを聞いたカール子爵が、保身に走った」
「保身?」
「俺の元に来たんだ。『改竄の証拠を渡す代わりに、減刑してほしい』とな」
私は息を呑んだ。
「証拠を——手に入れたんですか」
「ああ」
セバスチャンは懐から、封筒を取り出した。
「断罪記録の原本と、改竄前の下書き。そして、カール子爵の自白書だ」
封筒を受け取る手が、震えた。
中を確認する。確かに、そこには——私の断罪が「仕組まれたもの」だったという証拠が、詰まっていた。
「これで、裁判を起こせる」
セバスチャンの声が聞こえた。
「君の断罪が不当だったと、公式に認めさせることができる」
目の奥が熱くなった。
一ヶ月以上、戦ってきた。情報を集め、記事を書き、少しずつ敵を追い詰めてきた。そして今——手元に、決定的な証拠がある。
「……ありがとう、ございます」
声が震えた。
「礼を言われることじゃない。君が撒いた種が、実を結んだだけだ」
セバスチャンは立ち上がった。
「侯爵夫人は追い詰められている。だからこそ、危険も増す。今後の動きについて、夜に話そう」
「はい」
彼が部屋を出ていった後も、私は封筒を握りしめたまま動けなかった。
夕刻、セバスチャンが再び現れた。今度は、護衛隊長のグレンという男を伴っている。
「護衛の配置を変える」
「変える?」
「侯爵夫人が本気で動いている以上、今の体制では不十分だ」
セバスチャンはグレンに目配せした。
「殿下の護衛を半数、こちらに回します」
私は眉をひそめた。
「それでは、セバスチャンの護衛が手薄になるのでは?」
「俺は屋敷にいる。問題ない」
「でも——」
「これは決定事項だ」
彼の声は、有無を言わせなかった。
グレンが退出した後、私はセバスチャンを睨んだ。
「自分の安全を削って、私を守るつもりですか」
「そう聞こえたか」
「そう聞こえました」
「なら、そうなんだろう」
彼は窓辺に立ち、外を見た。
「利害の問題だと言っただろう。君が死んだら、俺の計画が頓挫する」
「嘘ですね」
「……何?」
「あなたの行動は、『利害』だけでは説明できません」
私は立ち上がり、彼の隣に歩み寄った。
「護衛を半分も回す必要はないはずです。私一人を守るために、第二王子殿下が危険を冒す理由がどこにありますか」
セバスチャンは答えなかった。
窓の外では、夕陽が沈みかけていた。庭園の木々が、茜色に染まっている。
「……聞いてもいいですか」
「何を」
「なぜ、そこまでするんですか」
沈黙が落ちた。
蝋燭に火を灯す使用人の気配が、廊下から聞こえた。それが遠ざかり、静寂が戻る。
「……わからない」
セバスチャンの声は、低かった。
「自分でも、わからないんだ」
「また、それですか」
「本当のことだ」
彼は振り返った。
夕陽を背にした彼の顔は、逆光で表情が読めない。でも、その目だけが——妙に、熱を帯びているように見えた。
「最初は利害だった。君を使えば、兄の過ちを正せる。俺にとって都合がいい。それだけだった」
「今は?」
「今は——」
彼は言葉を切った。
一歩、近づいてきた。私は後退しない。
「君が倒れていたら、放っておけなかった。君が危険だと聞いたら、居ても立ってもいられなかった。君が他の男と話しているのを見たら——」
「レオナルドのこと?」
「……ああ」
彼の声が、掠れた。
「胸が、妙にざわついた。自分でも意味がわからなかった。でも——」
「でも?」
「君が死んだら、と考えた時——」
セバスチャンは、私の目をまっすぐに見た。
「俺は、耐えられない」
心臓が、大きく跳ねた。
「君が死んだら、誰が俺と——」
その時、扉が叩かれた。
「殿下、緊急のご報告が」
グレンの声だった。
セバスチャンは——一瞬、苛立たしげに目を閉じた。そして、仮面のような表情を取り戻す。
「入れ」
扉が開き、グレンが入ってきた。手には、封蝋のされた書状がある。
「王立裁判所より、招集状が届きました」
セバスチャンが書状を受け取り、封を切った。内容を読み、眉を上げる。
「……来たか」
「何ですか?」
彼は書状を私に渡した。
『フローレンス伯爵家息女ヴィオレッタ・フローレンス殿。名誉回復申し立ての件につき、五日後の午前、王立裁判所大法廷への出頭を命ず。なお、本件は公開裁判として執り行われる——』
公開裁判。
つまり、社交界の面々が傍聴する中で、私の断罪が正当だったかどうかが審議される。
「カール子爵の証拠が効いたな」
セバスチャンの声が聞こえた。
「裁判所も動かざるを得なくなった。——これは、君の勝利だ」
私は書状を見つめた。
五日後。公開裁判。
ついに——決着の時が来る。
「セバスチャン」
「何だ」
「さっきの話——」
「忘れろ」
彼は踵を返した。
「今は裁判の準備が優先だ。俺の戯言に構っている暇はない」
「戯言なんかじゃ——」
「ヴィオレッタ」
彼は扉の前で足を止めた。振り返らない。
「裁判が終わったら——話す。今は、待ってくれ」
それだけ言って、彼は出ていった。
一人になった部屋で、私は窓辺に立った。
夜の庭園が、月明かりに照らされている。
「君が死んだら、誰が俺と——」
彼は、何を言おうとしたのだろう。
胸が、締め付けられるように痛い。同時に、どこか温かい。
「……馬鹿」
呟いて、招集状を握りしめた。
考えている場合じゃない。五日後には、裁判がある。聖女と侯爵夫人を相手に、公開の場で戦わなければならない。
でも——
「裁判が終わったら」
彼はそう言った。
なら、待とう。勝って、生き延びて——その時に、ちゃんと聞こう。
「君が死んだら、誰が俺と——」
その続きを。
窓の外で、月が静かに輝いていた。
五日後、全てが決まる。




