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勘違いで断罪されたので、今度は私が王国を勘違いさせます  作者: 九葉(くずは)


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3/12

第3話 嘘は書かない、真実を切り取るだけ

創刊号を配布してから三日が経った。


私は安宿の部屋で、第二号の原稿に向かっていた。窓から差し込む午後の陽光が、羊皮紙の上に影を落としている。


「社交界の窓」は、予想以上の反響を呼んでいるらしい。


あの銀髪の男——「協力者」を名乗る怪しい人物が、昨夜そう教えてくれた。茶会で話題になっている。貴婦人たちが「面白い読み物ができた」と噂している。そして、聖女の「感動エピソード」について、ちらほらと疑問の声が上がり始めていると。


「まだ小さな波だ。でも、波は広がる」


彼はそう言って、薄く笑っていた。


その言葉を反芻しながら、私はペンを走らせる。


第二号の目玉は、王太子殿下の発言だ。


---


創刊号が出回った翌日、殿下は公の場で聖女を庇ったらしい。


「あのような下品な噂話を信じる者は愚かだ。聖女ルミエールの清らかさを疑う者は、我が目の前に出てくるがいい」


協力者が教えてくれた、殿下の言葉そのままだ。


普通なら、これで噂は沈静化する。王太子という最高権力者が否定したのだから、誰も逆らえない。


でも、私には別の見え方があった。


殿下は「証拠」を示していない。ただ「信じる者は愚かだ」と断じただけ。つまり、「俺が正しいから正しいのだ」という論法だ。


前世で何度も見たパターンだった。炎上を鎮火しようとして、逆に火に油を注ぐ人。


「庇えば庇うほど、怪しく見える」


私は呟いて、ペンを取った。


第二号の記事は、こう書き出した。


『——先日の夜会にて、王太子殿下が聖女様を庇われる場面がございました。「清らかさを疑う者は愚かだ」という力強いお言葉に、殿下の深いご愛情が窺えます。聖女様もさぞお幸せなことでしょう——』


好意的に書いている。批判は一切ない。


でも、これを読んだ人は考える。


なぜ殿下は、あそこまで必死に庇うのか。疑われて困ることでもあるのか。そもそも、婚約者がいるのに「深いご愛情」とは何事か。


私は聖女を攻撃しない。王太子を批判しない。


ただ「事実」を好意的に並べるだけ。読者が勝手に違和感を覚えるように。


「嘘は書かない」


それが私のルールだ。


「真実を、切り取るだけ」


---


夕暮れ時、協力者の男が再び訪れた。


もう三度目だ。毎晩のように現れては、情報を置いていく。そして私の原稿を読み、短い感想を述べて去っていく。


「聖女の側近が動いている」


今夜の情報は、それだった。


「動いている?」


「『社交界の窓』を潰せ、と。情報紙の出所を探っているらしい」


私は眉をひそめた。予想より早い反応だ。創刊号一枚で、もう脅威と見なされたのか。


「見つかる可能性は?」


「今のところ低い。君は匿名で、配布も間接的だ。ただ——」


彼は窓の外を見た。


「気をつけた方がいい。聖女の後ろには、もっと大きな影がある」


「大きな影?」


「今はまだ言えない。確証がないからな」


また、はぐらかされた。この男はいつもそうだ。情報を小出しにして、私の興味を引く。


「あなた、本当に何者なんですか」


「しつこいな」


彼は肩をすくめた。


「言っただろう。王太子の判断に疑問を持っている者だ。それ以上でも以下でもない」


嘘だ、と直感が告げる。


この男の情報網は異常すぎる。宮廷の内部事情、聖女の側近の動き、社交界の反応——すべてをリアルタイムで把握している。そんなことができるのは、相当な地位にある者だけだ。


でも、今は追及しない。彼が情報をくれる限り、正体は二の次だ。


「……わかりました。気をつけます」


「ああ。それと——」


彼は机の上の原稿を一瞥した。


「第二号、いい出来だ。殿下が庇うほど墓穴を掘る構造になっている」


「褒めても何も出ません」


「知ってる」


彼は薄く笑って、扉に向かった。


「無理はするなよ。倒れたら元も子もない」


「ご心配なく」


「心配じゃない。投資先が潰れると困るだけだ」


相変わらず、素直じゃない言い方をする。私は小さく肩をすくめて、原稿に視線を戻した。


扉が閉まる音がして、部屋に静寂が戻る。


「さて、続きを——」


ペンを取ろうとして、ふと気づいた。


彼が座っていた椅子に、何かが置いてある。


小さな包みだった。開けてみると、中には上質な羊皮紙の束と、新品のインク瓶が入っていた。


「……なに、これ」


消耗品の差し入れ。私が資金難なのを知っているのだろう。でも、わざわざ言わずに置いていくあたりが、妙に気恥ずかしい。


「変な人」


呟いて、私は包みを机の隅に置いた。


礼は今度言おう。今は原稿を仕上げなければ。


---


深夜。


蝋燭の灯りが揺れる中、私は机に向かい続けていた。


第二号の原稿は八割方できている。あとは推敲して、明日の朝には完成する予定だった。


でも、目が霞む。


ここ数日、まともに眠っていない。昼は情報収集と執筆、夜は協力者との打ち合わせ。前世の社畜時代を思い出すような生活だ。


「……まずいな」


過労死した前世の記憶が、頭の隅をよぎる。


無理をしすぎると死ぬ。それは身をもって知っている。でも、今は立ち止まれない。聖女側が動いている以上、先手を打ち続けなければ。


ペンを握る手が、重い。


文字が、滲んで見える。


「……少しだけ」


少しだけ、目を閉じよう。


そう思った瞬間、意識が遠のいた。


---


——どれくらい眠っていたのだろう。


ふと、気配を感じた。


誰かがいる。部屋の中に。


起きなければ、と思うのに、体が動かない。深い眠りの底に沈んでいるようだった。


足音が近づく。


そして——何か、温かいものが肩にかけられた。


柔らかい布の感触。かすかに香る、上質な香水の残り香。


「……無理をするなと言っただろう」


低い声が、遠くで聞こえた気がした。


でも、それが夢なのか現実なのか、判断がつかないまま——私は再び眠りに落ちた。


---


目を覚ましたのは、夜明け過ぎだった。


窓から差し込む朝陽が眩しい。私は机に突っ伏したまま眠っていたらしく、首と肩がひどく凝っていた。


「……最悪」


呟いて、体を起こす。


その時、肩から何かが滑り落ちた。


灰色の外套だった。


上質な布地。丁寧な縫製。裏地には銀糸の刺繍が施されている。どう見ても、この安宿に似つかわしくない高級品だ。


「これ……」


昨夜の記憶が、おぼろげに蘇る。


誰かが来た。何かをかけてくれた。「無理をするな」と言う声。


あの男だ。協力者を名乗る、銀髪の青年。


彼が、この外套を——?


「……なんで」


意味がわからなかった。彼は「投資先が潰れると困る」と言っていた。つまり、私との関係は純粋に利害だけのはず。


なのに、こんなことを。


外套を手に取り、じっと見つめる。高級な仕立て。かすかに残る香水の香り。これは相当な値打ち物だ。うっかり忘れていくようなものではない。


「……返さないと」


呟いて、外套を椅子の背にかけた。


今夜、彼が来たら返そう。そして、余計なことはするなと言わなければ。私は誰かの同情や施しを受けたいわけではない。


こんこん、と扉が叩かれた。


今度は誰だ。朝から訪問者が多い。


私は警戒しながら扉を開けた。


誰もいなかった。


ただ、足元に手紙が一通、落ちていた。


宛名には、見覚えのある筆跡で私の名前が書かれている。


「リディア……」


封を切り、中身を読んだ。


『お嬢様へ。突然のお手紙、驚きましたが、それ以上に嬉しく思いました。私はずっと、お嬢様の無実を信じておりました。あの断罪は間違っています。私にできることがあれば、何でもお申し付けください。お嬢様のお力になれるなら、本望です——リディア・メイフィールド』


手紙を持つ手が、震えた。


信じていた。


彼女は、ずっと信じていてくれた。


断罪されて、社会から追放されて、家族にも見捨てられて。誰も味方がいないと思っていた。一人で戦うしかないと覚悟していた。


でも——


「リディア……」


目の奥が熱くなる。


泣くな。泣いている場合じゃない。


でも、止められなかった。


一筋、涙が頬を伝った。


---


しばらくして、私は顔を上げた。


涙を拭い、深呼吸をする。手紙を丁寧に折り畳み、机の引き出しにしまった。


孤独じゃなかった。


味方が、いた。


「……よし」


私は机に向かい、新しい羊皮紙を取り出した。


リディアへの返信を書かなければ。そして、彼女に協力を頼むのだ。情報紙の配布ネットワークを作るために。


窓の外では、王都の街並みが朝日に輝いていた。


断罪から十日。私はまだ、何も取り戻していない。でも——


「一人じゃない」


その事実だけで、胸の奥に火が灯る気がした。


椅子の背にかけられた灰色の外套が、朝の光を受けて静かに揺れている。


あの男にも、今夜礼を言おう。そして、これを返して——


「……いや」


少しだけ、もう少しだけ。


借りておいても、いいかもしれない。


理由は、自分でもよくわからなかった。

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