表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勘違いで断罪されたので、今度は私が王国を勘違いさせます  作者: 九葉(くずは)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/12

第2話 社交界の窓、創刊

断罪から七日が過ぎた。


安宿の小さな部屋で、私は机に向かっていた。窓から差し込む午後の光の下、羊皮紙の束とインク瓶が並んでいる。


この一週間、私は準備に費やした。


まず、王都の古書店を回った。没落令嬢の姿では入りにくい店もあったが、平民の服に着替えれば誰も気にしない。伯爵令嬢時代の私を知る者は、こんな場末の古書店には来ないのだ。


そこで見つけたのが、百年前に出版された詩集だった。


『月下の祈り』——無名の詩人が遺した、今では誰も読まない古い本。その中の一篇を読んだ時、私は思わず笑ってしまった。


聖女ルミエールが学園で披露した「感動のエピソード」。孤児院で過ごした幼少期に、月明かりの下で神に祈りを捧げたという美しい話。社交界の婦人たちを涙させ、殿下を虜にしたあの逸話が——この詩集の内容と、驚くほど似ていた。


言い回し。情景描写。祈りの言葉。


偶然の一致にしては、あまりにも完璧すぎる。


「さて」


私は羊皮紙を手に取った。


ここからが本番だ。


---


『社交界の窓』——それが、私の作る情報紙の名前だった。


内容は三部構成にした。一面は今週の話題。二面は社交界のゴシップ。三面はファッション批評。そして四面に「気になる噂」というコーナーを設ける。


重要なのは、直接的な告発をしないこと。


前世で学んだ教訓だ。炎上を起こしたい時、最悪の手は「正面から批判すること」。人は押し付けられた結論を嫌う。自分で「発見」した真実にこそ、強く反応する。


だから私は、こう書いた。


『——先日の夜会で話題になった聖女様の幼少期の逸話。月明かりの下での祈りという美しいお話に、多くの方が心を打たれたことでしょう。ところで、読書好きの方ならご存知かもしれませんが、百年前の詩集『月下の祈り』にも、よく似た情景が描かれております。古典に親しまれる聖女様のこと、きっとこの詩集がお好きなのでしょうね——』


嘘は一つも書いていない。


聖女が詩集を盗作したとは言っていない。ただ「似ている」と指摘し、「きっとお好きなのでしょう」と好意的に解釈しただけ。


でも、これを読んだ人は考える。


本当に「好き」なだけ? それとも——?


疑問の種を蒔く。それが最初の一手だ。


---


夕暮れ時、私は別の羊皮紙に向かっていた。


宛先は、リディア・メイフィールド。私の元侍女だ。


断罪の後、フローレンス家を辞めさせられたと聞いている。私のせいで職を失ったのだ。恨まれていても仕方がない。


でも、試す価値はあった。


『リディアへ。突然の手紙を許してください。私は今、王都郊外で暮らしています。あなたに迷惑をかけたくはありませんが、もし——もし、まだ私を信じてくれるなら、返事をください。同封した住所に届けてくれれば、届きます』


これ以上は書けなかった。


彼女が応じてくれる保証はない。でも、配布ネットワークを作るには協力者が必要だ。一人では、社交界に紙面を届けることすらできない。


封をして、窓辺に置いた。明日、街の郵便屋に預けよう。


返事が来るかどうかは、賭けだ。


---


深夜。


蝋燭の灯りの下で、私は創刊号の最終確認をしていた。


消失インクで書いた部分は、四十八時間で消える。証拠を残さないための保険だ。高価だったが、伯爵令嬢時代のへそくりを使えば何とかなった。


あとは、これを刷って配布するだけ——


こんこん、と扉が鳴った。


私は手を止めた。


こんな時間に、この安宿を訪ねる者がいるはずがない。誰も私の居場所を知らないのだから。


「……誰?」


返事はない。


私は机の上のペーパーナイフを握り、そっと扉に近づいた。


「開けてもらえるかな。話がある」


低い男の声。聞き覚えは——ない。


「何の用ですか」


「君が書いているものについて」


心臓が跳ねた。


まだ一枚も配布していない。なのに、この男は知っている?


「……どうやってここを?」


「それを説明するには、扉を開けてもらう必要がある」


沈黙が流れた。


罠かもしれない。聖女の手の者か、あるいは侯爵夫人の刺客か。でも——殺すつもりなら、わざわざ声をかけない。


私は意を決して、扉を細く開けた。


廊下に立っていたのは、銀髪の青年だった。


深い碧の瞳。整いすぎた顔立ち。灰色のローブを羽織っているが、その下の服は明らかに上質な仕立てだ。


見覚えがある。一週間前——断罪の夜、会場の隅で私を見ていた男。


「君か」


彼は薄く笑った。


「覚えていてくれたとは光栄だ」


「忘れるわけがないでしょう。人の断罪を『面白い』と言った顔なんて」


「読唇術ができるのか。ますます興味深い」


彼は一歩、近づいた。私は後退しない。退いたら負けだと、本能が告げていた。


「中に入れてもらえるかな。立ち話は目立つ」


「……信用できると思いますか?」


「思わないだろうね。でも、俺は君に利益をもたらせる」


「利益?」


「情報だ」


彼の碧眼が、蝋燭の光を受けて輝いた。


「王太子の判断に疑問を持っている者は、君だけじゃない。俺もその一人だ」


---


結局、私は彼を部屋に入れた。


狭い安宿の一室。彼は窓際の椅子に座り、私は机の前に立ったまま対峙した。


「まず名乗ったらどうですか」


「名乗れない事情がある。今は——そうだな、『協力者』とでも呼んでくれ」


「怪しすぎます」


「だろうね」


彼は悪びれもせずに笑った。


「でも、君も本名で活動するつもりはないだろう? その情報紙、匿名で出すんじゃないのか」


図星だった。


彼は机の上の羊皮紙をちらりと見た。私が書いた『社交界の窓』の原稿。まだ誰にも見せていないはずなのに。


「どこまで知っているんですか」


「君がこの一週間、古書店を回っていたこと。消失インクを買ったこと。そして——聖女の『感動エピソード』が、古い詩集の盗作である可能性に気づいたこと」


背筋が冷えた。


この男の情報網は、異常だ。没落令嬢の動向を、ここまで正確に把握している。普通の貴族にできることではない。


「……あなた、何者なんですか」


「さっき言っただろう。王太子の判断に疑問を持っている者だ」


彼は足を組み、私を見上げた。


「取引をしないか」


「取引?」


「俺は君に情報を渡す。宮廷の内部事情、貴族間の力関係、聖女の周辺で何が起きているか。君はそれを使って、君の望むことをすればいい」


「見返りは?」


「君が成功すること、それ自体が俺の利益になる」


意味がわからなかった。私が成功して、この男に何の得がある?


「……信用できません」


「だろうね」


彼は立ち上がった。


「でも、考えてみてくれ。君には情報が必要だ。俺にはそれがある。利害は一致している」


扉に向かいながら、彼は振り返った。


「ああ、一つだけ」


「何ですか」


「君の書いたもの、読ませてもらった。なかなかいい出来だ」


私は眉をひそめた。いつの間に読んだのか。


「嘘は書かない。真実を切り取るだけ。その姿勢、俺は好きだよ」


「褒めても何も出ませんけど」


「褒めてるんじゃない。評価しているんだ」


彼は扉を開けた。


「また来る。——君、面白いな」


その言葉を残して、銀髪の青年は夜の闘へ消えていった。


---


一人残された部屋で、私は深く息を吐いた。


何だったのだ、今のは。


怪しすぎる。情報網が広すぎる。そして——あの立ち居振る舞い、あの目。普通の貴族ではありえない。


でも、認めざるを得なかった。


彼の言う通り、私には情報が必要だ。宮廷の内部事情を知らなければ、効果的な一手は打てない。


「利用されているのか、利用しているのか……」


呟いて、私は机に向き直った。


創刊号は完成している。あとは配布するだけ。リディアから返事が来れば、ネットワークの第一歩になる。


窓の外では、夜明けが近づいていた。


あの銀髪の男が何者であれ、私のやることは変わらない。


「社交界の窓」を世に出す。聖女の虚像に、最初の罅を入れる。


羊皮紙を手に取り、私は小さく笑った。


「さて、第一手」


ゲームは、始まったばかりだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ