第12話 勘違いから始まる、ふたりの物語
断罪から二ヶ月。秋の陽光が窓から差し込む朝、私は鏡の前に立っていた。
「お嬢様、よくお似合いです」
リディアが微笑みながら、深紅のドレスの裾を整えてくれる。フローレンス家の色を纏うのは、あの卒業パーティー以来だった。あの日は婚約破棄と断罪の舞台衣装だったこの色が、今日は名誉回復の証になる。
「緊張していますか」とリディアが訊ねる。
「少しだけ」
嘘だ。心臓がうるさいくらい鳴っている。ただ、あの法廷に立った日とは、鳴り方が違う。あの日は恐怖と覚悟が混ざっていた。今日は——何だろう、この落ち着かなさは。
「殿下も、朝からそわそわなさっていましたよ」
リディアがいたずらっぽく目を細める。私は思わず眉を上げた。あの男がそわそわ? 想像できない。いや、最近は少しだけ想像できるようになってしまった。それが問題だ。
馬車で王宮へ向かう道すがら、窓の外を眺めた。王都の街並みは秋の色に染まり始めている。二ヶ月前、安宿の小さな窓から見ていた景色とは違う。あの頃の私は、生き延びることだけを考えていた。
今は——少しだけ、欲張りになっている気がする。
王宮の大広間は、貴族たちで埋め尽くされていた。
入場した瞬間、無数の視線が私に集まる。好奇、驚き、そしてかつての嘲笑を塗りつぶすような敬意。二ヶ月前、この同じ顔ぶれの何人かが私を「悪役令嬢」と呼び、断罪を当然のこととして見ていた。今、その口が閉ざされている。閉ざさざるを得ない。
証拠と法が、彼らの口を塞いだのだ。
中央の玉座には国王陛下。その隣に王妃陛下。そして——傍聴席ではなく、今日は正式な席にセバスチャンの姿があった。銀色の髪が陽光を受けて淡く光っている。目が合った。彼は小さく頷いた。それだけで、足が前に進む力を得る。
式典は粛々と進んだ。
「ヴィオレッタ・エリーゼ・フローレンス」
宰相の声が広間に響く。
「先の王立裁判所の判決に基づき、汝に対する一切の嫌疑は撤回され、名誉は完全に回復されたものとする。また、フローレンス伯爵家の爵位継承権を正式に認める」
書面が読み上げられる。一語一語が、あの断罪の日を上書きしていく。私は頭を下げ、しかし背筋は伸ばしたまま聞いていた。
「異議を申し立てる者はあるか」
沈黙。
あの日、異議など誰も唱えなかった。王太子の言葉を鵜呑みにして、聖女の涙に同情して、私を見捨てた。今日もまた沈黙している。ただし、その意味は正反対だ。異議を唱える根拠が、もう誰にもない。
「名誉回復を正式に宣言する」
拍手が広間を満たした。形式的な拍手。だが、その中に本物の音も混じっている。リディアの席から。アメリアの席から。そして、彼女たちの手配で席を得た、かつての私を信じてくれた数少ない人々から。
式典が終わり、社交の時間が始まる。
私のもとへ挨拶に訪れる貴族たちの列ができた。二ヶ月前には目も合わせなかった人々が、にこやかに握手を求めてくる。私はその一人一人に微笑みを返した。皮肉を言いたい気持ちがないわけではない。でも、言わない。彼らを打ち負かすために戦ったのではないから。
私は、私の名誉を取り戻しただけだ。
「お時間をいただけますか」
列が途切れた頃、背後から声がかかった。振り返ると、セバスチャンが立っていた。公式の場にふさわしい正装。けれど、表情がどこか硬い。いつもの皮肉げな余裕がない。
「殿下が私にお時間を求めるとは、珍しいですね」
「……茶化すな」
彼は小さくため息をつき、庭園への扉を示した。
秋の庭園は、夏の盛りを過ぎて落ち着いた色合いになっていた。
噴水の傍らで立ち止まる。人目を避けた場所。でも、完全に二人きりではない。遠くに護衛の姿が見える。あの日、私を庇って怪我をした護衛たちだ。傷はもう癒えたと聞いている。
「式典、無事に終わったな」
「ええ。殿下のおかげでもあります」
「俺は何もしていない」
嘘だ。証拠の収集、裁判への根回し、襲撃からの護衛——彼がいなければ、私は今日ここに立っていない。ただ、それを認めると彼は居心地悪そうにするので、あえて追及しない。
「それで、お話とは」
「……」
セバスチャンが黙った。珍しい。普段は言葉に詰まるような男ではないのに。
「殿下?」
「分かっている。待て」
彼は一度深く息を吸い、それから私の目を真っ直ぐに見た。
「ヴィオレッタ」
名前で呼ばれた。公式の場では「フローレンス嬢」と呼んでいた彼が。
「俺は、君に求婚したい」
心臓が跳ねた。予想していなかったわけではない。でも、こうして正面から言葉にされると、違う。
「……理由を聞いても?」
「理由」
彼は少し困ったような顔をした。それから、ゆっくりと言葉を選ぶように続けた。
「君は俺の投資先だった。有能な駒だった。利害の一致で協力していた——最初は、そう思っていた」
「今は違うと?」
「違う」
断言だった。
「君は勝手に危険に飛び込む。止めても聞かない。俺の助けを『横取り』だと言って怒る。面倒で、強情で、どうしようもなく——」
言葉が途切れる。彼は視線を逸らし、それからまた戻した。
「君の隣にいたい。対等な共犯者として。勝手に飛び込むなら、俺も一緒に飛び込む。そういう関係を、望んでいる」
共犯者。駒ではなく。守られる存在でもなく。
「対等、ですか」
「……できるかどうかは分からない。正直に言う。俺は君を守りたいと思う。危険から遠ざけたいと思う。その衝動を完全に消すことはできない」
あの夜の言葉を思い出す。「私を守ることと、私を対等に扱うこと、両立できると思いますか」「正直、わからない」
彼は、嘘をつかなかった。あの時も、今も。
「でも」とセバスチャンは続けた。「君が自分で選ぶことを、邪魔したくない。だから——訊いている。求婚という形で」
噴水の水音が、沈黙を埋めた。
私は、この二ヶ月を思い返していた。断罪された日。安宿で一人、復讐ではなく再構築を選んだ日。「社交界の窓」を創刊した日。彼と出会った夜。彼の正体を知った日。価値観がぶつかり、決裂した夜。そして、彼が私を庇った瞬間。
私は、自分の人生を自分で選び取りたかった。誰かに与えられた幸福ではなく、自分の手で掴んだものが欲しかった。
——この人を選ぶことも、私の選択だ。
「一つ、条件があります」
「言ってみろ」
「『社交界の窓』は続けます。あなたの妻になっても」
セバスチャンは一瞬驚いた顔をして、それから笑った。本当に可笑しそうに。
「当然だ。俺の情報網は君の紙面で最も効果を発揮する。やめられては困る」
「打算的ですね」
「お互い様だろう」
そうだ。私たちは最初から、そういう関係だった。
「では、お受けします」
「……本当に、か」
「はい。対等な共犯者として、お隣を歩かせていただきます」
彼の表情が、ゆっくりと緩んだ。いつもの皮肉げな笑みではない。もっと——柔らかい何か。
「ありがとう」
初めて聞く、飾りのない声だった。
その夜、私は「社交界の窓」編集部——つまり、あの安宿の一室に戻っていた。
もうすぐここを離れる。セバスチャンの屋敷に移り、やがては王宮に住むことになるのだろう。でも、この部屋は残しておくつもりだ。ここが、全ての始まりだから。
「次号の特集、どうしましょうか」
リディアが原稿用紙を広げながら訊ねる。アメリアも隣で羽根ペンを手にしている。二人とも、もう私の「元」侍女ではない。「社交界の窓」の正式な編集部員だ。
「そうですね——」
私は窓の外を見た。秋の夜空に、星が瞬いている。
二ヶ月前、この窓から見た景色は絶望の色をしていた。今は違う。まだ書くべき記事がある。暴くべき真実がある。届けるべき言葉がある。
「新しい噂が出回っているらしいんです」とアメリアが言った。「北方辺境で、奇妙な事件が——」
「面白そうですね」
私は羽根ペンを手に取った。
勘違いで断罪された悪役令嬢の復讐劇は、これで終わり。
でも、「社交界の窓」の物語は——まだ、続く。
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