第10話 断罪、再び
王立裁判所の大法廷は、静まり返っていた。
傍聴席には社交界の名だたる貴族たちが並んでいる。彼らの視線が、原告席に立つ私に注がれている。好奇、懐疑、そして——期待。
正面の裁判官席には、三人の法官が座っていた。中央の老齢の男が、書類を確認しながら口を開く。
「本件は、フローレンス伯爵家息女ヴィオレッタ・フローレンスによる名誉回復の申し立てである。原告は、六週間前の婚約破棄および断罪が不当であったと主張している」
法官は被告席に目を向けた。そこには、聖女ルミエールとマリアンヌ侯爵夫人が座っている。
聖女は蒼白な顔で、手を組んでいた。侯爵夫人は鉄の仮面のような無表情を崩さない。
「では、原告。証拠の提示を」
私は深呼吸をした。
緊張で手が震える。でも、声は——出た。
「はい、裁判官殿」
「まず、断罪記録の改竄についてご説明いたします」
私は用意した書類を法官に提出した。
「こちらが、断罪当日の公式記録です。そして——こちらが、記録管理局から提出された原本です」
法官が二つの書類を見比べた。眉をひそめる。
「確かに、筆跡が異なる箇所がある」
「改竄された部分は、『被告は弁明の機会を与えられたが、沈黙を選んだ』という記述です。しかし——私は沈黙を選んだのではありません」
傍聴席がざわめいた。
「緊張のあまり、声が出なかっただけです。弁明の機会は、実質的に与えられませんでした」
「それを証明できるか」
「記録管理局次長、カール子爵の証言がございます」
私は証人席を示した。そこには、小柄な中年の男が座っている。青ざめた顔のカール子爵だ。
「カール子爵。この記録を改竄したのは、あなたですか」
「……はい」
彼の声は、震えていた。
「誰の指示で?」
長い沈黙。
カール子爵は、被告席に目を向けた。そして——
「マリアンヌ侯爵夫人です」
傍聴席が、どよめいた。
侯爵夫人の表情が、初めて動いた。わずかに目を細める。でも、それだけだ。
「異議あり」
侯爵夫人の弁護人が立ち上がった。
「カール子爵は減刑と引き換えに証言しています。信憑性に疑問が——」
「証言だけではありません」
私は二枚目の書類を提出した。
「こちらは、カール子爵が保管していた改竄前の下書きです。筆跡鑑定により、侯爵夫人の手紙と同一人物の筆跡であることが確認されています」
法官が書類を確認した。傍聴席のざわめきが大きくなる。
侯爵夫人の弁護人は、言葉を失っていた。
「次に、聖女ルミエールの証言の虚偽についてご説明いたします」
私は聖女に目を向けた。彼女は——泣いていた。大粒の涙を流し、可哀想なほど震えている。
「わ、私は嘘なんてついていません……」
か細い声。傍聴席の一部から、同情の視線が向けられた。
「ヴィオレッタ様は、本当に私を苛めたんです。冷たい目で見て、無視して——」
「それは事実と異なります」
私は冷静に答えた。
「私があなたを『無視した』とされる場面の目撃者を、三名召喚しています」
証人席に、三人の若い貴族令嬢が座った。いずれも、学園時代の同級生だ。
「証人の方々。あの日、何を見ましたか」
最初の令嬢——アメリア・ローゼンクランツが口を開いた。
「ヴィオレッタ様は、聖女様に挨拶をしようとされていました。でも——緊張で言葉を噛んでしまい、うまく話せなかったのです」
「無視ではなく?」
「はい。無視ではありませんでした。むしろ——ヴィオレッタ様の方が、困っているように見えました」
傍聴席がざわめいた。
二人目、三人目の証人も、同様の証言をした。全員が、私が「緊張で話せなかった」ことを認めた。
「聖女ルミエール」
私は彼女に向き直った。
「あなたは『苛められた』と主張していますが、具体的にどのような行為を受けたのですか」
「そ、それは……」
彼女は言葉に詰まった。涙を流しながら、必死に言葉を探している。
「冷たい目で見られました……」
「具体的な行為は?」
「……」
「暴言は? 暴力は? あなたの持ち物を壊された事実は?」
「……ありません、でも——」
「では、『苛め』の実態とは何ですか」
聖女は答えられなかった。
傍聴席が静まり返った。誰もが、気づき始めていた。
「苛め」の実態が、存在しないことに。
「最後に、聖女の『神託』と侯爵夫人の関係についてご説明いたします」
私は三枚目の書類を提出した。
「聖女の神託が発表される前日、侯爵夫人と聖女が密会していたという目撃証言がございます。そして——神託の内容が、ことごとく侯爵夫人の政敵を追い落とす方向であったことも」
「異議あり! それは状況証拠に過ぎない——」
「では、こちらをご覧ください」
私は最後の証拠を提出した。
「侯爵夫人の屋敷から押収された書類です。神託の『台本』と、侯爵夫人から聖女への指示書が含まれています」
法廷が、騒然となった。
侯爵夫人の顔から、ついに仮面が剥がれた。目を見開き、私を睨みつけている。
「この……小娘が……」
「侯爵夫人」
主席法官が、厳しい声で制した。
「発言は許可されていません」
侯爵夫人は口を閉じた。でも、その目には憎悪が渦巻いていた。
審議は、一時間で終わった。
法官たちが協議を終え、主席法官が立ち上がった。
「判決を申し渡す」
法廷が、水を打ったように静まった。
「まず、聖女ルミエールについて。虚偽の証言により無実の者を断罪に追い込んだ罪は重い。よって——聖女位を剥奪し、北部辺境の修道院への送致を命ずる」
聖女が——悲鳴を上げた。
「嘘よ! 私は聖女よ! 神に選ばれた——」
「静粛に」
法官の声が響いた。聖女は護衛に押さえられ、それでも叫び続けていた。でも、誰も彼女を見ていなかった。
「次に、マリアンヌ侯爵夫人について。記録の改竄を指示し、虚偽の神託を捏造した罪、さらに孤児院への寄付金横領の罪を認定する。よって——爵位を剥奪し、全財産を没収、領地からの追放を命ずる」
侯爵夫人は、何も言わなかった。ただ、私を見つめていた。その目には——暗い、暗い炎が燃えていた。
「最後に、原告ヴィオレッタ・フローレンスについて」
私は息を呑んだ。
「六週間前の断罪は不当であったと認定する。よって——ヴィオレッタ・フローレンスの名誉を回復し、全ての処分を撤回する」
終わった。
勝った。
私は——勝ったのだ。
傍聴席から、拍手が起きた。最初は小さく、やがて大きくなっていく。
その中で——傍聴席の奥に目をやった。
セバスチャンが、静かに立っていた。
彼は——微笑んでいた。小さく、でも確かに。
胸が熱くなった。泣きそうになるのを、必死で堪えた。
その時だった。
「この女が……!」
叫び声と共に、何かが動いた。
傍聴席の一角から、男が飛び出してきた。手には——短剣。
侯爵夫人の手下だ。逆上した目で、真っ直ぐに私に向かってくる。
「貴様のせいで——!」
護衛が動くより早かった。
私は避けようとした。でも、体が動かない。恐怖で足が竦んでいる。
刃が、迫ってくる。
間に合わない——
その瞬間。
銀色の影が、私の前に飛び出した。




