第1話 断罪、そして目覚め
春の終わり、薔薇が咲き誇る季節。
王立ルミナリア学園の卒業パーティーは、例年通り華やかな夜会として幕を開けた。シャンデリアの光が大広間を照らし、若い貴族たちが着飾って談笑している。私もその一人として、紫紺のドレスに身を包んでここにいた。
——いや、「いた」というべきか。
「ヴィオレッタ・フローレンス!」
大広間の中央で、金髪の青年が私の名を呼んだ。王太子エドワード殿下。私の婚約者であり、この国の次期国王となるはずの人。その隣には、淡い金髪の少女が寄り添っている。聖女ルミエール。空色の瞳を潤ませて、怯えたように私を見つめていた。
「お前の罪を、ここに断ずる」
殿下の声が、広間に響き渡る。周囲の視線が一斉に私へ向けられた。好奇、嫌悪、そして——どこか愉しげな光。
「お前は聖女ルミエールを苛め、傷つけ、この学園での日々を地獄に変えた。その罪、万死に値する」
……は?
私は目を瞬いた。苛めた? 傷つけた? いつ、どこで、どうやって?
「弁明があるなら聞こう」
殿下がそう言った。形式だけの言葉だと、すぐにわかった。だって、彼の目はもう私を見ていない。断罪は決まっていて、これは儀式なのだ。
それでも、私は口を開こうとした。
「あの、私は——」
声が、出ない。喉が詰まる。緊張で舌が絡まる。昔からそうだった。人前で話すのが苦手で、大勢の視線を浴びると言葉が出てこなくなる。
「ほら見ろ、何も言えないではないか」
殿下の声に、周囲から嘲笑が漏れた。
「やはり悪役令嬢は悪役令嬢だな」
「聖女様を苛めておいて、謝罪の一つもできないなんて」
「目つきが悪いと思っていたのよ、最初から」
——違う。違う、私は何もしていない。聖女に挨拶をしようとして、緊張で噛んでしまっただけだ。目つきが悪いのは、緊張すると表情が固まるからで——
「本日をもって、フローレンス伯爵家息女ヴィオレッタとの婚約を破棄する」
殿下の宣言が、私の思考を断ち切った。
「王都への在住も禁ずる。お前のような悪女は、この社交界にふさわしくない」
終わった。その言葉が、頭の中で響いた。全部、終わった。婚約者も、社会的地位も、貴族としての未来も。
「ヴィオ」
父の声がした。フローレンス伯爵が、人混みの向こうに立っている。その目は、私を見ていなかった。
「恥さらしめ」
低く吐き捨てるように言って、父は背を向けた。
……ああ、そうか。家族にも、見捨てられたのか。
足元がふらついた。視界が滲む。大広間の華やかな光が、急に遠くなっていく。
その時だった。ふと、視線を感じた。
会場の隅。柱の影に、一人の青年が立っていた。銀色の髪。深い碧の瞳。貴族にしては控えめな服装で、まるでこの喧騒を観察するように佇んでいる。
目が、合った。
彼は微かに口角を上げた。嘲笑ではない。むしろ——興味深そうな、値踏みするような目。「面白いな」とそう言ったように見えた。声は聞こえなかったけれど。
何が面白いというのだろう。人の断罪を見世物にして。
私は視線を逸らし、逃げるように大広間を後にした。
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王城の回廊を歩きながら、私は息を整えようとした。
頭が痛い。いや、痛いというより——割れるように熱い。何か、おかしい。記憶が、溢れてくる。知らないはずの記憶。知らないはずの——人生。
「……え」
足が止まった。
広告代理店。炎上対策。SNSマーケティング。山田優子。二十八歳。社畜。
「……過労死」
声に出して、ようやく理解した。私は——前世で死んでいた。そして、この世界に生まれ変わっていた。悪役令嬢として。
「なに、これ……」
壁に手をついて、呼吸を整える。前世の記憶が、断罪の衝撃で蘇ったのだろうか。都合がいいというか、タイミングが最悪というか。
でも、不思議と——絶望は、薄れていた。
前世で散々「炎上案件」を見てきたからだろうか。理不尽な批判、根拠のない噂、一方的な断罪。
「……ああ、これ、炎上と同じだ」
呟いて、私は笑った。乾いた笑いだった。
大広間での断罪を思い返す。殿下は「証拠」を一つも示さなかった。聖女の涙と、「彼女が言っている」という言葉だけ。周囲も、誰一人「本当に苛めがあったのか」を確認していない。
「この世界の人たち」
私は呟いた。
「情報リテラシー、低すぎない?」
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深夜。王都郊外の安宿で、私は小さな机に向かっていた。
伯爵令嬢の頃に貯めていたへそくりで、なんとか数ヶ月は生活できる。それまでに、何とかしなければ。蝋燭の灯りの下、私は前世の知識を整理していた。
炎上の構造。世論の動かし方。情報の切り取り方。
「事実」と「印象」は違う。人は「事実」ではなく「物語」で動く。聖女は「可哀想な被害者」という物語を作り上げた。私は「冷酷な加害者」という役を押し付けられた。
でも——
「物語は、書き換えられる」
私はノートにペンを走らせた。まず、聖女の「被害証言」に矛盾がないか調べる。次に、断罪の手続きに不備がなかったか確認する。
直接反論しても意味がない。大衆は「言い訳」を嫌う。だから——
「第三者に『あれ、おかしくない?』と思わせる」
それが、炎上を鎮火させる基本だった。逆に言えば、炎上を起こすこともできる。聖女という「神聖な存在」に、小さな疑問を植え付ける。王太子という「正義の味方」の判断に、違和感を覚えさせる。
情報を操作するのではない。真実を、適切に切り取るだけ。嘘は書かない。でも、見せ方は変えられる。
「私は悪役令嬢で、復讐に燃える女……なんて柄じゃないけど」
窓の外には、月が出ていた。王都の灯りが、遠くに見える。あの輝きの中で、今も貴族たちは噂話に花を咲かせているのだろう。
明日から私は「断罪された悪女」として、社会の底辺で生きていく。でも——それは、監視されないということでもある。誰も、没落令嬢の動向なんて気にしない。自由に動ける。
私はペンを置き、ノートを閉じた。
「さて」
立ち上がり、窓辺に歩み寄る。この世界に、私を見てくれる人はいない。味方もいない。でも、それでいい。
「ゲームを、始めましょうか」
月明かりの下、私は静かに笑った。前世で死ぬほど働いた経験が、こんなところで役に立つとは思わなかった。
復讐なんて大層なものじゃない。ただ、奪われたものを取り返すだけ。名誉を。居場所を。そして——
「自分の言葉で、自分の正しさを証明する」
誰かに与えられる名誉なんて、また誰かに奪われる。だから、自分で掴む。
窓の向こうで、夜が明けようとしていた。




