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何事も限りあるので大切に

 ――ギルド本部・地下倉庫。

 厚い石壁に囲まれた暗がりの中、ランプの灯りだけが頼りだった。

 棚には山のように並ぶ木箱、積み上げられた帳簿と報告書。その一つ一つに「鑑定屋関連」と赤字で書かれているのを見るたび、ハーゲンの眉間には深いシワが寄る。


「はぁ……またアイツ絡みの書類かよ……」

 ため息を吐きつつ、棚の奥の木箱をどけると、埃にまみれた小さな箱が出てきた。

 中にはラベルの剥がれ落ちた黒い小瓶が一つ入っており、ガラス越しに淡い液体が揺れている。


「……なんだ、これは……。まるで俺が使っている育毛――」

 同行していた部下が慌てて走り寄った。


「危ない、ギルド長!! もしかしたら危険物かもしれません、封印班に回した方が――」


「いや、……ま、待て! ……いや……これは……」

 ハーゲンは思わず声を張り上げそうになり、慌てて咳払いで誤魔化した。


(まさか……育毛薬じゃないだろうな? 俺が“かつて持っていた飲み薬の瓶”に酷似している。だが、これは……、この瓶の装飾は、若かりし時に手の届かなかった、グレードS……。いや、そんなはずが……!)


 期待と不安が入り混じる。だが「育毛剤を自ら探し当てた」とは、部下に口が裂けても言えない。


「こ、……これは、俺が預かる。私自ら解析班に手配する、だから安全に違いない!」


「だ、大丈夫ですかギルド長……。なんだか、お顔と言語能力が優れぬようですが……」


「ももも、問題ない! 俺は、俺だ!」


「は、はぁ……」


 ハーゲンは小瓶を素早く懐に入れ、作業を切り上げると、帽子を深くかぶり直した。


――

――――


 ちょうどその頃鑑定屋。紫織が腰に手を当て、床に転がる適見を見下ろしていた。


「もう! 鑑定士なら、もっと誇りを持ちなさいよ! お客さんの命だって掛かってるのよ!」

「……ええ……。埃なら店いっぱいに溜まってるわよ……」

「その埃とは違うのよ!」


「……大丈夫よ、ちゃんと鑑定してるらしいから……」


「“らしい”って何よ、らしいって!」


 やり取りはまるで噛み合っていなかった。

 紫織が説教を続けようとした時、またしても不吉なベルが響いた。


 ――ちりん。


 扉が開くと、やたらと挙動不審な大男が立っていた。

 帽子を目深にかぶり、周囲を警戒し、入るそぶりを繰り返す。だが、その巨体と特徴的な髭を見れば一目瞭然だった。


「ギ、ギルド長!? どうしてここに!」

 紫織の声が跳ね上がる。


「わ、わたしはギルド長でなく、一般市民……。そう一般市民だな!」


「……どう見てもギルド長じゃん……」

 適見の突っ込みが刺さった。


 ハーゲンは周囲を気にしながら、懐から例の小瓶を取り出した。

「うっ、ま……まぁよい。実はこの薬を……ちょっとばかり、鑑定して欲しいのだ……」


 紫織は眉をひそめる。

「怪しい薬品を持ち込むなんて、ギルド長ともあろう方が……!」



 適見は床にごろりと転がったまま、片腕を伸ばして瓶を受け取った。そして魔道TVをチラチラ見ながら青いコンソールを出し、ぽちっと確定する。

「うーん……。“Hair Potion of Infinite Bloom”……でしょ」


〈――なんとなんと、この育毛剤を使えば、あなたの未来もバラ色! 貴方の頭皮に、お花という名の毛髪を咲かせます!! |Infinite Bloom(無限の花)をお求めの方は、今から30秒以内にお電話を……――〉


「ちょっと待って!」

 紫織が声を荒げ、適見から瓶をひったくるように奪い取った。

「そんな訳ないでしょ、本当にそんな名前なの!? 適見、あなた今、完全に魔道TVを見ながら入力してたでしょ!」


「……そんなことないって……」


 紫織は即座に自分の鑑定器を取り出した。

 掌に収まる小さな水晶球が、瓶に淡い光を注ぐ。

 やがて瓶の上に、はっきりと文字が浮かび上がった。


【Hair Potion of Infinite Bloom】


「……っ、本当にそう表示されてる……!? 嘘でしょ……」

 紫織は絶句した。

 鑑定器も使わず、ずさんな態度と半分寝ているような状態で、どうして正確に効能を言い当てられるのか。

(まさか……怠けて見えるけど、直感だけで真実を見抜く“天才”だというの……?)


 ハーゲンは瓶を奪い返すと、嬉々とした表情で胸に抱いた。


「うおおおおぉぉ!! 俺の目に狂いは無かった!! これさえあれば、私は――!」


「ギルド長!? その薬、本当に飲むつもりですか!?」


「もちろんだ! 誰にも邪魔はさせんぞ! ふははははははは!!」


 そのまま、帽子を目深にかぶり直し、逃げるように店を後にした。


 ――静まり返る鑑定屋。


 紫織は困惑を隠せなかった。

「どうして……鑑定器も使わないまま一致したの……。普通じゃあり得ないわ……」


 床に沈んだままの適見が、片手をひらひらさせてぼやいた。


「……ほらね、名前は“適当”なんだよ……」


「えっ?」


「……なんでもない……寝よ……」


 紫織はその声を最後まで聞き取れず、ただ深いため息をつくだけであった。


――

――――


 ――ギルド本部、執務室。

 ハーゲンは扉を閉めると、懐から小瓶を取り出した。透明な液体がランプの光に揺れる。


「ふふ、ふふふふ……これで、私の運命が変わる……!」


 椅子に腰を下ろし、震える手で蓋を開ける。

 鼻先に近づけても、特に変わった匂いはしなかった。だが、遠くに僅かな甘みを感じ取った。


 ――生唾を飲むと瓶に口をあてる。

 震える手は、かちかちとハーゲンの前歯を鳴らす。


 そして意を決し容器を逆さにすると、一息で喉へと押し込んだ。


 ――ごくり。


「ん……何も起こらん……ぞ?」

 しばらく待ってみるが、鏡に映る自分はいつも通り。

 頭皮をさすってみても、感触は寂しいままであった。


「……やはりただの水だったか……? いや、薬品の微かな味は感じられた。きっと遅行性の可能性もあるな……暫く様子を見てみるか……」

 書類を整理しながら定期的に頭皮をさすっていたが、次第に書類の確認へと没頭していく。


 ――そして、夕刻。

 書類に目を通していたハーゲンの頭皮に、チクチクとした刺激が走った。


「む……?」

 慌てて鏡を覗き込むと、額の生え際にうっすらと黒い点が並んでいた。

 指で触れると、確かな産毛がそこにあった。


「うおおぉぉぉぉ! きたああぁぁぁぁ!!!」

 執務室の廊下にまで巨体の雄叫びが響き渡る。

 通りかかった部下が驚きのあまり扉を開けると、ハーゲンは鏡にかじりついて涙を浮かべていた。


「ギルド長!? どうなさいました!」

「見ろ! 生えた、生えたんだよ!!」


「ほ、ほんとだ……! ギルド長、確かに黒い毛が……!」


 歓声とともに部下は駆け出し、廊下中に「ギルド長に髪が!」と広めてしまった。


 ――そして翌朝。

 ハーゲンの頭は黒々とした毛に覆われていた。

 (くし)を通せばサラリと音が鳴り、鏡を見れば若かりし過去がそこにはあった。


「はははは! 私は甦ったぞ!」

 机の上の書類に向かってまで宣言する。

 部下たちは「おめでとうございます!」「これで仕事もますます捗りますね!」と口々に祝った。


 その言葉に気を良くしたハーゲンは、やる気満々で書類にハンコを押しまくる。

 数々の恨み辛み……、そんな胃の痛みも全て吹き飛んだかのようだった。


 ――しかし午後。

 毛の成長速度は、留まるところを知らなかった。

 昼休みの終わりの鐘が告げる頃、頭髪は異様なまでに膨れ上がっており、髭は鼻毛と一体化し、胸元まで垂れ下がっていた。

 眉はまるで二枚のカーテンのように垂れ下がり、まつ毛は視界を覆っていた。


「おおお……素晴らしい、素晴らしいぞ……!」

 まだ余裕の笑みを浮かべるハーゲン。だが部下の顔は引きつっていた。


「ギ、ギルド長、その……机が毛で埋まっております!」

「椅子が沈んで……! 部屋が狭くなってきています!」


 やがて髪と髭は、まるで生き物のように床にじわじわと広がり始める。

 伸びる速度は指数関数的に増し、壁へ、天井へと迫っていく。


〈ミシ……ミシ……〉


 木材がきしみ、窓枠が押され、ガラスにヒビが入る。

 書棚は毛の圧力に押し倒され、報告書の束が崩壊する。


「はっはっはっ! この勢いなら、私は“毛の王”となれる! 誰も私を笑えまい!! 全てを塗り替え、やがては私が“毛”となるのだ!!!」

 高笑いするハーゲンの姿は、もはや毛に埋もれた黒い塊だった。

 机も椅子も床も見えず、執務室は黒い繊維で満ちていく。


〈バリィィン!〉

 ついに窓が割れ、黒々とした毛が外へ噴き出した。

 廊下の兵士たちが悲鳴を上げる。


「な、なんだこれは!?」

「執務室が……毛で……!」


 外から見れば、ギルド本部の一角が巨大な毛玉と化していた。

 窓という窓から毛があふれ、壁面はミシミシと音を立てて崩れ始める。


「ギルド長が……中に閉じ込められてるぞ!」

「早く救出班を呼べ!」


 だが、その中心にいるハーゲン本人は、まだ満面の笑みを浮かべていた。

「見よ! これが“Hair Potion of Infinite Bloom”の力だ! 無限の栄光! 無限の毛髪! 俺が毛となるのだ!!! ふはははははははは!」


 だが、その笑いは、すぐに悲鳴に変わった――。


 ――ギルド本部、中枢。

 執務室の外は騒然としていた。

 割れた窓から黒々とした毛が溢れ出し、壁面を押し破り、時間を早めた蔓のように伸び続けている。


「対象確認! 規制線を張れ!」

「ギルド長が中に閉じ込められている! 急げ!」


 封印班と救出班が慌ただしく駆け込み、廊下は兵士と職員で溢れかえった。

 誰もが見たことのない異様な現象に、皆顔を引きつらせている。


 外ではかつてない出来事に野次馬が集まっており、それをかき分けるように中継馬車が停まった。


「はいっ! 現場のリーネです!」


 場違いな明るい声が響き渡る。

「ご覧ください! ギルド本部の一角が黒い繊維に覆われ、今も膨張を続けています! あっ、関係者の方ですか!? 一体、中で何が起こっているのでしょうか!」


 突然マイクを突きつけられた封印班長がリーネを見るなり叫んだ。

「質問してる場合か! 早く下がってろ!!」


 だがリーネは下がらなかった。むしろカメラを引き連れ、黒い繊維の壁にぐいぐい近づいていく。

「すごいです! 新種の魔獣かと思いきや、内部には……あれは……ギルド長!?」

 リーネの視線の先には、僅かに見えるハーゲンが居たのだ。


「カメラさんもっとアップで! ギルド長が飲み込まれています!」


 ――執務室内部。

 ハーゲンは毛の中心にいた。

 壁も窓も床も、すべて自分の毛で埋め尽くされている。

 光は差さず、息苦しいほどに毛が絡みつき、身体を締め付けていた。


「ぐっ……はぁ……! し、しかし……これが、我が栄光……! 私は……毛の王……!」

 なおも強がろうとするが、毛の圧力は限界を超えていた。

 ギチギチと骨が鳴る。視界を覆うのは暗闇と毛の海。


〈ドオォォン!〉

 ついに外壁が崩れ、執務室の一部が吹き飛んだ。

 大量の毛が津波のように外へ流れ出し、兵士たちを飲み込む。


「うわあぁぁぁあ、避けろぉぉ!」

「規制線を強化しろ!」


 結界が展開され、毛の流出をなんとか押し止める。


「救出班、突入しろ!」

 防護服に身を包んだ救出班が、剣と斧で毛を切り開きながら突入する。


 再びリーネの実況は続く。

「はい! ただいま救出作業が始まりました! ご覧ください、結界の内側は毛の海! 全く暗くて右も左も分かりませんが、その中心にギルド長が閉じ込められている模様です!」

――


 ――そして、数分後。

 救出班の手により、ついに中心部からハーゲンの腕が引きずり出された。

「ギルド長を確保! 今すぐ搬出する!」


 兵士たちが歓声を上げる。

 だが次の瞬間――。


〈ブチブチブチッ……!〉


 嫌な音とともに、毛が逆流するように一瞬縮むと、そのまま成長を停止した。

 黒々とした毛が互いを手放すように細かく、そして根こそぎ引き抜かれ、空中に舞い散っていった。辺りはまるで黒い雪のように、廊下に積り覆い尽くし、風が吹くと街の青空を黒く染めていった。


「な、なんだこれは!? 毛が……毛が抜けていく……」


 救出班の手に抱かれたハーゲンは、数秒前まで毛の王だった。

 だが――。


「……ひ、ひぃ……!? な、何も……残っておらんぞ……!」


 彼の頭はもちろん、眉も髭も、まつ毛すら完全に消え失せていた。

 顔はつるつるに光り、瞼は裸同然となっていた。


 リーネがカメラを向ける。

「ご覧ください! 発毛から一転、全身脱毛を試みたようです! 髭もまつ毛もその姿を確認できません!」


「ち、違うぅぅ!! 私は生えたんだ! 本当に生えたんだぁぁ!!」

 絶叫するハーゲンの声が、毛の吹雪にかき消されていた。


――


 適見と紫織は、魔道TVの実況中継を見ていた。

 紫織は険しい顔でつぶやいた。

「……やっぱり、あの鑑定本当にあってたの……?」


 そして、相も変わらず床に寝転がったままの適見は、紫織の方へと視線を向けた。

「……たぶん、あってたんじゃない。だって、ちゃんと生えてたし……」


「それはそうなんだけど、なんだか納得いかないなぁ……」


――


 そして中継現場のリーネは満面の笑顔でカメラに締めを入れる。

「以上、現場からお伝えしました! これは新時代の“脱毛薬”として――いや、新たな惨劇の幕開けかもしれません! 提供はもちろん――」


――

――――


 ♪チャララ〜ン♪


〈育毛・発毛・脱毛まで! 髪のことなら《ニャープネイトュアー》へ!〉


――――

――


 ギルド本部の一角は、崩壊した壁と、毛の名残で埋め尽くされていた。

 その中心で、布にくるまれたハーゲンは膝を抱えていた。

「……俺の毛がよ……真っ白く燃え尽きちまった……。夕陽までが、俺を笑ってやがる……」

 夕陽は彼の頭皮を寂し気に照らしていた。

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