勉強嫌い? 俺も〜
皆さんこんにちは、すっしーです。
モニターの埃に若干の鬱陶しさを感じながら、今日も大学の授業を受けに行ってます。はよパタパタするやつ買わないと。おとぎ話的な雰囲気でモニターをパタパタ......。
「スシデレラ! なんでここに埃が溜まってるのかしら?」
趣もクソもねぇ。
そんな感じで、今は大学で楽しく講義を受講しています。教授が話す内容はどれも創作に関わる重要なことです。それを聞いて首を縦に振りまくるのが僕です。いつ首が折れるのやら。
ですが、こういった講義を受ける遥か昔、僕は大学受験という名の戦場に足を踏み入れていました。そこでは、今まで青春を共にした友達がライバルとなり、参考書が新たな友達、文房具が彼女となります。高校三年生になるだけで、恐ろしい変身魔法が同級生全員に降りかかるわけです。
そして机の戦場で長いこと戦っていると、ある疑問を持ち始めるんですよ。
「この勉強って意味なくない?」
これは僕だけでなく、きっと皆さんもそう思ったことがあると思いますよね。
つまらないし、微積だって実際に役に立つ場面なんて限られています。そんな知識や解法を詰め込むぐらいなら、確定申告のやり方や今の政治情勢についての解説を聞きたいものですよね。
でも、今までそういった授業内容が根本的に変わることなく日本に展開されてきたのには、それなりの理由があるからなんですよね。
その理由は、学校での勉強が
「社会的に有能な存在を汲み取るための都合のいい一つのシステム」
だからなんです。
超基礎的なことを学ぶ幼稚園、生きていくために必要な知識を学ぶ小学校、少し応用を聞かせた小学校の延長線である中学校、専門的なものを学ぶ高校。どれも共通して言えることは、平等に与えられたテストや宿題という課題に生徒が取り組んでいるということです。そこで、点数に差が出たり、平均点が出されたり、偏差値が出されたりしますよね。
大体そういった教育機関で行われる学習内容というのは大抵の人が嫌います。だって面白くないから。唯一僕が面白いと思えたのは、理科の実験でしたね。話を戻しますが、全員がそんな内容のテストをやって同じ結果が得られるかどうかというと、全然そんなことないのです。100点の子がいれば0点の子もいる。先生に褒められるのは当然100点の子です。
テストの点数が高い子は基本的にどんなことも従順に聞き入れるし秩序を乱すこともない。加えて、テストの点が100点であるというデータからその子は要領が良いです。これらを踏まえて、100点の子は社会的に有能であると判断されるのです。ですので、現役で東大や旧帝大などに合格した彼らは、仕事の出来もいいので重役を任されます。学歴社会と言われるのはそのためです。例外ももちろんありますけどね。
こんな感じで、今までずっと続いてきた意味のないと思われた勉強が強制されてきたのは、社会的経緯があり、人材を選別するための一つの材料となるからだったんです。
でもやっぱり、勉強嫌いですよね。僕も、もう一度つまらない勉強なんかしたくないです…。
そんな感じで、僕たちが勉強をさせられる理由について書きました。
僕が個人的に思うのは、実用的な知識のインプットをもっと増やしてほしいってことぐらいですね。家庭科を毎日受けさせるとか、どうでしょう先生……?(部屋汚い民のすっしー)