その4
コンコン。
そこに、いきなりノックの音がした。
「はい」
クラセックは、驚きながら扉の方にそう返事した。
「リーラン王国全権大使・ローグ伯爵閣下が、お越しになっています」
扉の向こうから教会関係者がそう声を掛けてきた。
「お通し下さい」
クラセックは姿勢を正してそう答えた。
すると、扉がゆっくりと開き、1人の中年男性が入ってきた。
彼が、ローグ伯だった。
「閣下、わざわざお越し下さり、ありがとうございます」
クラセックは、商人らしく、恭しくお辞儀をして出迎えた。
「いや、猊下に呼び出されたついでだよ」
ローグ伯は、クラセックの前で立ち止まりながらそう言った。
「どうぞ、お掛けて下さい」
クラセックは、進路を譲るように、一歩引いた。
「ああ、ありがとう」
ローグ伯は、そう言うと、クラセックに導かれるまま、上座のソファに腰掛けた。
「ええっと、お飲み物を……」
クラセックは、気を利かせるようにそう言おうとした。
「いや、それはお構いなしで。
ここでは、そちの勝手は出来ないだろうから」
ローグ伯は、クラセックの行動を手で制した。
「はっ、申し訳ございません」
クラセックは、頭を下げた。
とは言え、これはクラセックの想定通りなのだろう。
ローグ伯とクラセックは、任地が近いのでお互い顔見知りで、行き来もそれなりにあった。
なので、今では、互いの性格がよく分かっていた。
「それより、そちも腰掛けたらどうなんだ。
これでは、話がしづらい」
ローグ伯は、クラセックに座るように勧めた。
「では、失礼します」
クラセックは、一礼すると、ローグ伯の向かいに腰掛けた。
これで、一応、礼節の手順は終わった。
「猊下に呼び出された件は、まあ、予想してはいると思うが、ワタトラ伯の件だ」
ローグ伯は、ここに来た理由を説明し始めた。
「……」
クラセックは、無言で、その説明を聞く他なかった。
「当事者であるバルディオン王国とシーサク王国の大使が同席した」
ローグ伯はやれやれと言った感じだった。
その表情から、会議の結果は分かってしまった。
「で、3回目の今回も、話し合いは物別れに終わったと言う事だ。
我が国は関係ないという主張が中々認められない」
ローグ伯は、更にやれやれ感が増していた。
何度も最後のフレーズを聞いているクラセックは、聞く度に孤立感を高めていた。
今回は、確かに法国関係の商談だった。
そして、それ故に、法国旗を上げる事も許されていたのだ。
だが、クラセックがここにいるのは、エリオに命じられた為だと、諸国は認識しているからだ。
つまり、クラセックは、リーラン王国の保護下にあると認識されている。
何だか、やるせないような気分になっているクラセックがいた。
えっ、どうしてって、まあ、そう言う事ですよ。
「とは言え、クライセン公も動き出した。
状況は改善されるだろう」
ローグ伯のやれやれ感は増してはいたが、希望の光が見えてきたといった感じにもなっていた。
「ええっと、閣下、それはどういった動きなのでしょうか?」
クラセックは、いつになく真剣な表情でそう聞いた。
いつも真面目にやっているつもりだが、商人なので、どうしても胡散臭さが漂ってしまう。
なので、愛想笑いをしていないクラセックは、どこか悲壮感がある。
「まずは、西方艦隊をスワン島沖に展開するそうだ。
バルディオン王国とシーサク王国も艦隊を派遣すると聞いている。
それに先んじて、展開が完了するみたいだから大したものだな」
ローグ伯は、感心したようにそう言い終えた。
「それはどういった理由によるものなのでしょうか?」
クラセックは、期待薄と言った感じで、一応聞いてみた。
「無論、法国の防衛任務だろう」
ローグ伯は、あっさりとそう答えた。
クラセックは、予想通りの答えに大変がっかりした。
それにしても、ローグ伯はエリオを大いに評価していた。
命令系統からすると、少しおかしな面がある。
外交交渉とは言え、法国駐在大使は、女王直属である。
まあ、リ・リラにしろ、ローグ伯にしろ、エリオと相談しないと話が進まない。
なので、エリオから命令が来るのは、まあそれ程おかしい事ではないのかも知れない。
ただ、それはそれであり、エリオを評価する事にはあまり繋がらない。
ローグ家も世襲であり、現ローグ伯も5年前に爵位を継いでいた。
ローグ家は、駐在大使を務める家系なので、特殊である。
当主は、法国に住むが、嫡子は成人後、王都に住む。
その嫡子の館は、クライセン家の館と隣接している為、両家には交流が少なからずある。
つまり、現ローグ伯は、エリオと旧知の仲であり、その能力をよく知っていた。
と言う事なので、ローグ伯の評価となる訳だった。
まあ、でも、そんな事はこの話の流れではどうでもいい事か……。
「公は、私の事は何か仰っていませんでしたか?」
クラセックは、不安に苛まれているようだ。
報告はしたが、梨の礫だった。
「公から連絡がないと言う事は、現状維持でいいという事だろう」
ローグ伯の方は、対照的にあっさりとしていた。
まあ、所詮他人事なのだろう。
いや、言い過ぎか?
「はぁ……」
あまりにもあっさりと答えられたので、クラセックは消え入るような声で反応せざるを得なかった。
「まあ、連絡がないと言う事は、そちの身に危険は及ばないという事だろう」
ローグ伯は、クラセックの安全性に太鼓判を押した気でいた。
「……」
クラセックは、当然納得できないでいた。
まあ、それはそうだろう……。
話の流れから、ローグ伯は、一応クラセックの様子を見に来ただけであるのは明白だった。
「そちの身は、猊下が保護している。
シーサク王国も無茶な事は出来ないだろう。
それに、シーサク王国からの引き渡し要求は、そちではなく、ワタトラ伯だ」
ローグ伯は、ダメ押しのつもりでそう言った。
だが、当の本人の不安が消える訳ではないよだった。
クラセックは商人である。
最高の結果と、最悪の結果を常に考えてしまう癖があるのだろう。
なので、最悪の結果に備えなくてはならない。
それは、本能のようだった。
そういう意味では、この会談で、両者の溝が埋まるという訳にはいかないようだった。