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レンガの中の未来(後編)

(九) 出会いと別れ

 いつもの昼休憩がやってきた。シノーは一人、配膳係が支給した昼食を口にしていた。今日は晴れであったので、外での昼食とした。…これからどうしようか。これで本当の独りぼっちか。自嘲気味に心の中で呟いた。ははは、これはこの前も独り言で言ったな。何をするにもうわの空だった。

 昼食の殆どを食べ終え、まったりしていた時でだった。遠くから監視員の声が聞こえた。

「ここに、G六五五という者はいないか~?」

シノーは、最初は監視員が何か言っているな位にしか感じていなかった。監視員は、複数の作業員に声を掛けているようだったが、G六五五というものを探し出す事はできていないようだった。ししばらくすると、シノーのそばまでやって来た。

「おい、お前はG六五五か?」

シノーは自分の札を確認し、はっとした。

「あ、すいません、私がG六五五でした。」

監視員は、安堵感からふぅと声を出した。

「先ほどから声掛けているんだ、何ボーっとしているのだ。それはそうと、あちらにお前に会いたいという者が来ているから、面会するように。少し位は休憩時間をオーバーしても良い。」

シノーは一瞬戸惑った。これまで自分に客などが来た事はない。

「はて…?私にお客ですか?どのような方でしょうか。」

「そんなことを私が知るわけないだろ、さっさと行け。あちらの小屋付近にいると聞いている。」

数分掛けて監視小屋のそばまで監視員に連れられて行くと、一人の女が立っていた。シノーはその女に面識はなかったが、近づくと軽く会釈した。先に口を開いたのは女のほうだった。

「ああ、突然にすいません。あなたはシノーさんでお間違いなかったでしょうか?」

「そうですが、あなたはどちら様でしょうか?」

「私はエセンス家に出入りしておりました、家庭教師の者なのですがご存じないでしょうか?」

「私には家庭教師の知合いはおりません、人違いではないでしょうか?」

しばらく互いに疑問形の遣り取りが続いた。監視員は素知らぬふりをしつつ、二人の会話に聞き耳を立てていた。ポケット内では、女から渡された千ビースが握られている。

「ああ、すいません。エセンス家と言ってもピンと来ませんね。私はイリン君に定期的にお会いしていました、家庭教師の者です。」

「あ、イリンの。」

シノーは、はっとした。と同時に、ロギンの顔も一緒に思い出した。

「やっとお話がかみ合ってきたようですね。」

「あ、はい。その節はイリンが大変お世話になったようで。私はイリンとは数か月に一度しか会えなかったものですから。それにしても、態々私にどのような用事でしょうか?」

「ええ、実はエセンス家に先日訪問した際に、イリン君の事を伺いまして、居てもたっても居られずにお兄さんのあなたに会いたいと思っており、今日やっとここまで来る事ができたんです。事情はエセンス家の方に伺っております。」

「そうでしたか。これまではどうも有難うございました。」

例の監視員はいつの間にかいなくなっていた。


 イリンは即死に近い状態だった。老馬の脚膝と顔面衝突が致命傷であった。衝突と同時に道端に放り出され、イリンは即座に近くの小屋へシノーによって運ばれた。シノーは衝突の状態からイリンの回復は絶望と感じながら、気がつくと小屋まで運んでいた。薄暗い小屋内には粗末な藁敷があるだけで、あとは数人がいるだけだった。突然シノーがイリンを担いで中に入ると、彼らも状況を理解したようだったが、同時に次の事も想像していた。シノーは藁敷の上にイリンの身体を寝かせた。衝突からこれまで呼吸をするのを忘れていたようで、シノーは一気に咽出した。しかし、次の瞬間、一定間隔で微かに動くイリンの複数の指の動きがシノーから確認できた。もしかして…。

-もしかして助かるのか?シノーは一瞬そう思った。

「よし、戻ってこい、戻ってくるんだイリン!」


シノーはイリンに話かけ始めた。昨日も握りしめたもみじのような手は今は砂にまみれ、シノーはじゃりじゃりとした感覚を覚えながらその手を両手で強く握りしめた。その度にイリンの指は微かに反応した。

「そうだ、その調子だ。おい、水だ!誰か水を持ってきてくれ!早く!」

数分後、周囲にいた一人が、井戸から僅かなからの水を木桶に汲んできた。

「ほら、水だぞ。」

水を口に含ませた所で助からないかもしれないのは何となくわかる…。しかし、イリンなら奇跡が起こるかもしれない。だって、自分の弟なんだから。再びシノーはイリンの左手を握った。先ほどからイリンの反応が弱くなっていると感じた。

「そっちに行くな、行っちゃだめだ、こっちに戻ってくるんだ。」

上唇にあった水滴は歯間を通じて、イリンの口に入っていった。同時に、イリンが微笑んだように感じた。

「そうだ、その調子だ。このあとキャッチボールをしよう、お前が投げる藁玉を兄さんにぶつけてくれ、それからあれだ、お前の好きなお星様のお話もしよう。それから、明日は一緒にお勉強だ。兄さんにお勉強を教えておくれ。少し位仕事なんか休んだっていいんだ。」

無茶苦茶な事を言っているのは自分でも分かっていたが、自身の口からどんどん言葉が発せられた。周囲の人は無言で二人のやりとりを聞いていた。

「お願いだ、お前まで行かないでくれ。兄さんを一人にしないでくれ。」

しばらくして、馬車の持ち主がその小屋にやって来た。


(十) トンネル

「心境が変わったら、この住所までお越しください。」

イリンの家庭教師だった女は、そう言うとシノーの作業場を後にした。作業終了後、シノーはとぼとぼと宿舎へ向かった。空は雨雲で覆われ、今にも雨が降り出しそうである。頭の中の話題は、その女の事だった。エセンス家の計らいで、シノーを幹部養成予備学校に推薦する、というものだった。その女はその予備学校で講師をしているそうだ。作業時間は夕方までとなりそこから数時間の間、予備学校で学ぶ事ができるというものだった。それは通常では考えられない事態であったが、シノーは乗り気ではなかった。イリンまでいなくなってしまった今、本当はずっと一人で悲しんでいたい。そこに、イリンと同じ位の子供が、母親と思われる女性と手をつないで、シノーとすれ違った。

「今日の晩御飯は何かな?」

「今日はお前の大好きなシィースープよ。お肉を入れてね。」

「やった~!母さん、今日は学校でね…。」

それ以上の会話は聞き取れなかった。日々の仕事で忘れているふりをしているだけなのだ。イリンを荼毘にふしてから、約1月が経過した。本当は仕事などせずに四六時中イリンの事を考えて哀しんでいたいんだよ。母親の時もそうだった。節目ってなんだよ?十年経ったから何なんだ?俺にとっては七年でも六年でも一緒だよ。一年に一回で良い。会いたい。声が聞きたい。自分はこんなに悲しんでいるのに、当たり前のように世の中は回っているんだ。シノーは、自分のポケットに手を入れていた、イリンに向けたサクイルからの手紙を開いた。

サクイルからの手紙にはこう書いてあった。

イリンへ

急にこの家を発つことになってしまい、残念です。時間がないので、私のイリンの将来年表を書きます。イリンはいつも言っていたわね、正義は必ず勝つって。であれば、法律を学んで社会を良くしてほしいと思っています。

六歳(現在):シノーお兄さんが選抜試験に合格し、インペリアルスクールに復学

十一歳:優秀な成績でインペリアルスクール卒業、

十五歳:国立大学入学、同時にスカラーシップ取得、弁護士を目指す

二十一歳:弁護士資格取得、社会で活躍

二十五歳:結婚

イリンなら、大丈夫。どんな困難にも立ち向かえます。たまには遊びにきてね。

サクイル

この手紙をイリンに渡すんじゃなかった。どうしても読みたいというから渡してしまった。結果的に馬車事故のきっかけとなった。本当は二人で手垢が付くほど一緒に読みたかった。シノーは、イリンの墓にその手紙を入れることも考えたが、結局は自分の元に置いておくことにした。それから何度も何度もその手紙を開きながら宿舎・作業場間を往復した。手紙の端は既にボロボロになっている。

「ねぇ、弁護士ってどういう人なの?」

「ああ、弁護士というのは、簡単に言うと法律を専門に扱う人で、弱い人達を法律を通じて助けてあげる人だね。その資格と取るのは難しいんだけど、イリンならなれると書いてあるね。」

ああ、あんな会話をしていたから、夕暮れになってしまったんだ。もっと宿舎までの早く行くべきだった。シノーは自身を責めた。シノーお兄さんが選抜試験に合格し、インペリアルスクールに復学、か。今更選抜試験に合格したって、肝心のイリンがいないんだ。

 宿舎まで徒歩であと数分という時だった。突然、雷鳴が鳴り出し、スコールが発生した。シノーは雨具を持っておらず、これまでもそのような時は駆け足で宿舎へ行くか、途中にある小屋で雨宿りしていた。シノーはここから走れば、そんなに濡れずに宿舎に到着できると判断し、走り出した。走る先に宿舎の門が見えたときだった。足元にある泥濘に右足を取られた。次の瞬間、またあのスローモーションが襲ってきた。

-またこの感覚だ。何故か今回はこれまでとは違って、何だか心に余裕がある。この後転ぶのだな。

次の瞬間、確かにシノーは転んで体中が泥だらけになった。スコールは引き続き地面をたたき続けている。立ち上がり再び走り出そうとした時だった。右の視界にキラキラした乗物が停まっていた。これは過去にも見たことがある。この前は夢の中だったが、今は現にこの目で見ている。誰か乗っているようだ。…声を掛けてみるか?シノーは迷った。泥だらけでずぶ濡れであり、もうどうにでもなれ、という感覚だった。シノーはその乗物に近づいた。その乗物には窓のようなものがあり、ノックをするとこれまで聞いたことがないようなコツコツという音がした。次の瞬間、「入りなさい」という声が聞こえた。


(十一) 意外

シノーは恐る恐るその乗物の中に入った。中には見たこともないような機械類があり、目をパチパチさせ、その中を見た。

「君はシノー君だな。」

「あ、はいそうですが、あなたはどなたでしょうか?」

「私の名はリキッドである。この時代の近未来から来た者だ。お前が声を掛けなければそのまま未来に帰る所だった。」

「近未来?」

「ああ、そうだ。正確に言うと一万二千年未来だ。更に言うと、私は近未来から来た指南役でもある。我々の時代よりも過去の者に種々ヒントを与え発展に寄与することを目的にしているのだ。これから暫く一緒に過ごすから宜しくな。」

…??。シノーは訳が分からなかった。一体このリキッドという人は何を言っているのだろう。いきなり一緒に過ごす、だなんて。しかもこんな目立つ乗物は一体どうするんだろう。宿舎前に停まっているので只でさえ目立っており、門番達は不審に思っているはずだ。

「お前は今、私がいきなり自分と一緒に過ごすなんて突拍子もない発言に戸惑い、この乗り物に対して宿舎門番が怪しんでいる、と考えていたな。」

…一体この人は何者なのだろう。シノーは気味が悪くなり、早くこの乗物から出たくなった。

「あの、ちょっと待ってください。私はそこにある宿舎で集団生活をしているんです。だからあなたを宿舎に入れる訳にはいきませんよ。」

シノーは、これは尤もらしい発言だと自分ながらに思った。確かに、こんなキラキラした乗物に乗った人物が宿舎に乗りこんできたら、一発で不審者扱いである。

「その辺も大丈夫である。私はお前の思考、つまり頭の中に入りこんでいる。だから、周りの者に私は見えない。」

「本当ですか??であれば良いですが。」

シノーは半信半疑であった。自分が降りた感覚もないまま、そのキラキラした乗物は何処かに消えていた。

 雨はいつの間にか小降りになっていた。シノーは宿舎門までやってきた。門番が二人立っている。門番は顔を正面を向いたままチラリとシノーを一瞥しただけだった。シノーは、ふぅと息をついた。そして、宿舎内に入った時でであった。

-ほら、大丈夫だったろ?

いきなり、シノーの頭内で言葉が聞こえた。

-うぁ!何ですか、いきなり私の頭の中で声を発せないでくださいよ、びっくりするじゃないですか。

-ああ、すまんすまん。二人のルールはお前の就寝時間に決めることにしよう。

 本日は沐浴の日ではなかったが、スコールでずぶ濡れということで特別に許可された。沐浴中に隣の者に先程の事を言おうかと思ったが、やめておいた。食事中もそうだった。恐らくリキッドという人が自分の思考を把握している。そして、この今の思考も。


 やっと就寝時間になった。シノーは、心の中で今大丈夫ですと呟いた。

-さっきはすまなかった。確かに自分の頭の中でいきなり声掛けられたらびっくりするな。

-はい。結構疲れていますので、手短にお願い致します。

-分かった、ルールは単純だ。私はお前の指南役であり、何か助けが必要な時以外は沈黙している、それだけだ。

-はい、分かりました。でもそもそもの疑問なんですが、どうして私なんかの指南役になってくれるんですか?

-聞きたいか?

-はい。

-それは、小さな一歩を踏み出したからだよ。

-と言いますと?言われている意味が良く分かりません。

-お前はずぶ濡れの中、私に声を掛けた。声を掛けないという選択肢もあったにも関わらずだ。声を掛けずにそのまま宿舎に入っていたら、この会話はなかったであろう。いいか、お前は意識していないかもしれないが、自然と一歩踏み出しているんだよ。人生はその積み重ねだ。今、お前は幹部養成予備学校で学べるという絶好のチャンスが転がり込んでいる、という状況にあるのだ。以上、話はここまでだ。

-あの、すいません。

シノーの発言に対するリキッドからの返事はなかった。シノーは何時もの疲労から、意識を失っていた。


(十二) 再起

シノーは翌日夕方、幹部養成予備学校の前に立っていた。ドアをノックして教室へ入っていくと、そこには十数人の者が机に向かっていた。そこに誰も知り合いがいないシノーであったが、すぐに例の女性教師と目が合った。彼女はささっとシノーに近づいてきた。

「まぁ、早速来てくれたのね。」

「はい。何時までも殻に籠っていてはいけないと思い、思い切って遣ってきました。」

「そう。前回はイリン君の事があったから試験を受ける事ができなかったけど、半年後にまたチャンスがあるわ。それまでにはそれなりの時間があるから、しっかり準備しましょう。」

「有難うございます。最初は不慣れな為種々教えて頂くことになると思いますが、宜しくお願い致します。」

 シノーはこの日から予備学校に通う事になった。初日は夕方から夜までの時間割とその講義内容の説明、試験が近づくと模擬面談試験があるというものだった。シノーはこれまでそういった所謂学校というものに行った事がなかった為、全ての事が新鮮であった。

 宿舎に戻ると、シノーは予備学校の事を誰かに話したくなって仕方なかった。しかし、それは自制した。この宿舎にいる圧倒的多数の者は、朝四時に起床して夜まで働いているのだ。そうだ、リキッドには話そう。沐浴中、シノーの頭の中には様々な情景が浮かんでは消えていた。

 寝床に入った。他の者達は既に寝息を立てている。

-今日は初めて予備学校という所に行ってきました。これまで体験した事がないことばかりでやや興奮しています。

-そうか、それは良かったな。

-はい。明日からも楽しみです。だって、明日からは本格的な授業を受けさせてくれるみたいなんですよ。テキストは予備学校にあるので持ち出しは出来ないのですが、私の知らない文章や単語が目白押しで、大変興奮しました。

-良かったじゃないか。

シノーは自分の言葉を発した後に、イリンの姿を思い出した。イリンも興味がある事については、一気に話していた。兄弟というのは似るのかなとシノーは思った。

-そんなに楽しかったのか。だが、それはまだまだ序の口だぞ。そうだ、私が一つ面白い話をしてやろう。お前には想像が出来ないかもしれないが、今の時代では性別というものが存在しないのだ。

-性別ですか?それは男と女というその性別ですか?

-そうだ。簡単に言うとだな、男には性染色体でX染色体とY染色体が一つずつ、女にはX染色体が二つ存在していた。しかし、今の現代にはY染色体というものは存在しない。元からY染色体というのは小さな染色体であったのだが、世代を繰り返す度に加速度的に小さくなり、ある時期に消滅してしまった。今から三千年前だ。ややこしいんだが、お前の時代から九千年後にはY染色体は無くなっている。三千年前から一千年前までは女性のみが存在していたらしく、どうやって子孫を残すのかという課題があった。しかし、女性だけの社会は生殖という問題を見事に克服した。頭脳の完全デジタル化だ。それにより、クリック一つで脳の複製、つまりは個体の複製が可能となった。それが三大欲の一つである性欲との決別でもあった。また、食欲の克服もそうだ。食べなくても良いという選択肢の幅が拡がったのだ。つまり、脳へ栄養を供給するシステムが構築された。睡眠に関してもそうだ。クリック一つで、スイッチオン、シャットダウンが可能である。しかも、脳以外の個体を持たない選択肢もあるから、疲労という概念がない。それによって最も進歩した領域が宇宙開発だ。宇宙船での移動には時間を要する。只、そういう性急な発展は、弊害ももたらす。これら欲が無くってしまった以上、人間は他の事で欲求を満たそうとする。それが精神世界であり、思想的満足感だ。

リキッドは一気に話した。これから数千年経つだけで、物凄い未来が待っているという事を想像してほしかったのだ。

-余り簡単な説明ではないような気もしなくはないですが、何となくは分かりました。ということは、あなたは男でも女でもないということですかね。

-ああ、そうだ。それからミクロの話もしようか。今、お前のベッドの脇に木の葉が落ちているが、これはミクロの分子というもので構成されているのだ。

-分子ですか、それはどういったものでしょうか。

-簡単に言うと、モノの最小単位だな。これらが組み合わさってお前の身体も出来ている。試しにこの葉の最小単位の画を見てみよう。

リキッドは分子構造図を、シノーの頭に転送した。

-何やら丸いものが並んでいます。おお、しかも整然と並んでいるんですね。

シノーは、自分の眼に見えないミクロの世界が身近な所に存在している事に驚愕した。

-そうだな。これら分子構造は我々から見られるという意識や感覚は無いはずであるが、いつもこのような形を見せてくれている。

-なるほど、という事は自然は人間と違って、サボるということを知らないのかもしれませんね。

-そうかもしれない。これらびっちりと配置されている恐らく次の世代の葉の構造は前世代のものとほぼ一緒であろう。恐らく見分けるのは不可能に近い。人間社会でも一緒かもしれない。皆同じ行動をしていても、一部のものは異なる行動を取る。大抵は弾きだされるが、それが変化を生む場合もある。ええ、それから…。

シノーはリキッドの話に夢中になり、時間を忘れていた。そして、外では小鳥が囀り始め、薄明るくなってきた。

-あ、どうしてくれるんですか、あなたは寝なくても良いかもしれないですが、あとちょっとで起床時間ですよ!

シノーの口調は強いものではあったが、何か嬉しい感覚も含んでいた。


(十三) 錯綜

 シノーはほぼ毎夜、リキッドから「仮想講義」を受けた。それに伴い得られた知識を試してみたいという感覚になった。周囲にいる者達は日々の労働に追われている。そうだ、今日は予備学校の女講師はどうだろう。将来的に男女の区別はないことを言ってみて、どういう反応を示すか見てみよう。それに今日は選抜試験の模擬面談もある。そこで面接官に自分の知識を披露すれば、恐らく驚嘆するだろう。シノーは何だか毎日が楽しくなっていた。

 ある日の予備学校でのことである。例の女講師の授業は二コマあったが、一コマ目が終了し休憩時間となった。シノーは黒板板書を消しているその女講師に近づき声を掛けた。

「先生、少々宜しいでしょうか。」

女教師はシノーの声に気づくと、チョーク粉に目を顰めながらゆっくりと振り返った。

「何でしょうか。今の授業内容の質問ですか?」

「いえ、先生は人間の三大欲についてどう思われますでしょうか。」

女教師は、突然の質問にやや戸惑いながらも冷静を装った。そして、

「三大欲というのは、食欲、睡眠欲、性欲の三つですね、常識です。」

と抑揚なく答えた。

「では、これらが将来的にどうなるかご存じでしょうか。」

「さあ、どうでしょうね。このまま続くんじゃないですか。だって物を食べないと体力を維持できないし、眠らなければ体力が持たないし、人口が増えないと社会が維持できないでしょう。」

「はい、今はそうですね。しかし、近い将来にはそれらが無くなっているんですよ。」

女教師は、一瞬シノーが日々の労働、初めての学校通いから感覚がおかしくなったのではないかと感じた。学校という所に来るのは初めてだとも聞いている。慣れない環境に精神状態がややおかしくなっているのであろう。しかし、それを指摘するのは良くないと自分に言い聞かせた。一方で、シノーの断定的な物言いにやや苛立った。

「ああ、そうなんですね。ではどういう風に無くなるか説明してもらえますか?」

「先生、性染色体というのをご存じでしょうか。男はX染色体とY染色体を一つずつ、女はX染色体を2本持っています。ところが、将来的には男が持っているY染色体は消滅し、X染色体だけを持った女だけの世界になります。」

シノーは待ち構えたかのように、定型文的に話した。

「あの、今、センショクタイと言いましたが、それはそもそも何なのですか?将来的に女だけの世界になるということだけは聞き取れましたが。」

染色体という概念が出てくるのは、シノー達の時代から数百年後である。その時代はDNAという言葉すらない。シノーはそんなことはお構いなしに、話を続けた。

二コマ目、シノーは女教師の授業内容を殆ど聞いていなかった。次はどんな知識で女教師を困惑させてやろうか、そればかり考えていた。

 二コマ目が終了し、シノーは意気揚々と次の模擬面接の時間を待った。あの女講師の目をまん丸とした表情が忘れられなかった。

 間もなくして模擬面談が始まった。

「ええ、ではこれから模擬面談試験を行う。時間は約十五分だ。」

面接官は四名であり、シノーの正面に対峙した。

「ええ、先ずは一般教養からだ。」

ええが口癖の進行役も兼ねる面接官は、シノーに向かって種々質問を始めた。

「本セリョージャ部隊を構成する、上位三組織は何であるか?」

「統括卿殿を含みます場合は、無論統括卿殿、財務管轄部、整備部隊となります。恐縮ながら統括卿殿を含まない場合ですと、財務管轄部、整備部隊、諜報部隊となります。」

「ええ、次。本セリョージャ部隊がこれまでに従えた部族の数とその名前を述べよ。」

「はい。これまでに従えました部族は八でありまして、アワーザン、イシシューゲツ、ミイバンショウ、ヤバキハン、セノセショウ、ヒボセツ、カサキヤ、カラクガン、でございます。」

一見すると、陳腐な内容の質疑が続いた。しかし、ここはセリョージャ卿の組織である。時間はあっという間に半分程が経過した。

「ええ、では自分の意見や考えを述べる時間を二分与えるので、自由に述べよ。」

進行役も兼ねる面接官の言葉に、シノーは戸惑った。何を話せばよいだろう。あ、そうだ。リキッドに習った事を言えば良いんだ。

「はい、先ず我々が住んでいる星は恒星の周りを回っています。この地球も例外ではありません。地球は太陽の周りを回っているんです。空には月と太陽が見えますが、太陽は月や太陽とは比べものにならない程の大きさでありまして、その寿命は約百億年となります。」シノーが話を続けようとすると、

進行役の面接官は、すっと手を挙げてシノーの言葉を制した。そして、苦虫を嚙み潰したような顔をした。

「待て。ああ、お前、頭は大丈夫か。自分の意見や考えを述べよというのは、無論我部隊に対する組織の在り方に対する意見である。何訳の分からない事を言っているんだ?」

気まずい空気が漂いかけたとき、次の一言がそれを浚った。

「では、月の満ち欠けはどう説明するのだ?」

それは、一人の面接官であるメディアンであった。シノーは面接が始まる前から誰かは認識していたが、突然の質問に驚いた。

「早く答えよ。月の満ち欠けをどう説明するのだ。」

進行役面接官は、やや慌て気味にメディアンに顔を向けた。

「メディアン様、このような者が言っている事は真に受けず無視されたらよいかと存じますが…。」

「いや、私は専門機関で物理学を収めている。今この者が言った内容は、地球が太陽の周りを回っている事とどう関係するのか?」

-まずい。

これはリキッドに寝床で聞いた表面的な内容であり、シノーはつい自慢げに話してしまった事を後悔した。

「もう一度聞く。私の質問に早く答えよ。」

メディアンは怒涛の如くシノーに迫った。

「…」

その時、シノーの頭に文章が降ってきた。

-私が言う事を以下を輪唱せよ。月の満ち欠けと、天動説・地動説は直接の関係はございません。

「私が言う、ああ、いえ、違います。月の満ち欠けと、天動説・地動説は直接の関係はございません。」

シノーの口から抑揚のない文章が発せられた。

「ほう、そうなのか。今、私が聞いた事のない言葉を言ったな。そもそも天動説、地動説とは何なのだ?」

メディアンはシノーの予想外の回答に鼻をピクリとさせ、更に発言を続けた。

-今こちらでは地球の周りを太陽を含む星が回っているという天動説が主流のようでございますが、それは間違っております。これから数百年後にそれは間違いであると判明します。一方、今申しました通り、月の満ち欠けと天動説、地動説は直接の関係はございません。

「…は、早い、もっとゆっくり。」

「早いだと?何が早いのだ?」

「いえ、すいません。何でもございません。天動説と申しますのは…」

メディアン以外の面接官は顔を見合わせ、互いに何も発しなかった。残りの時間は完全にメディアン対シノーの一対一の構図となり、模擬面談試験は終了した。


(十四) 気づき

「お前さんの弟の事は聞いたよ、気の毒だったな。」

作業場での昼休み時である。初老のT二二八は、大石に座りながら言った。シノーは立ながら足で地面に絵を描いていた。

「はい、あれから早いもので半年程経ちました。最初は大変落ち込み、何もする気が起きませんでした。」

「しかし今は予備学校に通っているそうじゃないか、噂では聞いているぞ。」

「そうですね。今は大変充実しています。でも、今の境遇は弟が死んでいなければ実現していない状況でもあり、複雑ではあります。」

「そうか、確かにそうだな。只、自分の運命としてそれを受け止められるか、それが肝要だな。」

確かにそうなのだ。今は予備学校に通い、幹部選抜試験を来週に控えている。こんな恵まれた状況はそうそうない。しかもリキッドがほぼ毎晩講義をしてくれている。

「幹部になれたら、もうここにはいないのかい?」

「いえ、それは分かりません。大きな組織ですので、どの部隊に配属かはわかりませんので。ああ、既に合格後の事なんて話しても仕方ないですね。」

「いやいや、そんなことはない。俺はもう先が長くないから、お前さんみたいな若い人材には頑張ってほしいと思っているよ。そしてこうも思うよ。恐らくお前さんは次回の選抜試験を突破するだろう。しかし、欲を言えば自分自身でその枠組みや仕組みを作る立場になってほしいね。例えば、俺たちは毎日レンガを作っているのだろ。決められた枠に決められた配合の原材料を流し込み、成型する。その枠組みは過去に誰かが作った、その誰かにお前さんはなってほしいね。」

T二二八は、周囲に転がっているレンガ作製枠を指さした。

「枠組みは物だけじゃない。社会ルールや思想にしてもそうだと思うよ。現在のその枠を変えるイメージだ。先ずはどんな小さな事でも良い、動いてみることだ。お前さんがやりたい、こうなったらいいなという思想が社会の主流になるようにすればいいんだよ。それって、最高じゃないか。限られた時間の中で、生きているって感じるじゃないか。ただし、それはかなり困難であることも認識しておいたほうが良い。何かを変える、それは最初は受け入れられない事が圧倒的だ。既得権益で生きている者もいる。彼らの立場も分からないではない。彼らにも家族があり、養っていかなくてはいけない。急速な変化は必ず歪を生じさせる。だから、ゆっくりでいいんだ。ただし、それを継続することが最も重要なんだよ。万が一試験に落ちても兎に角思い続け、行動を継続するのだ。あ、最後は蛇足だったかな。不吉な事言っちまった。」

シノーは自身の身体の中に、T二二八の一言一句が沁み込んでいく感覚を覚えた。そうだ、そうだよ。自分で社会を変えればいいんだ。それには知識が要る。この前の模擬面談のような薄っぺらい知識では駄目なのだ。そうだ、知識と言えばリキッドに習った未来の事を話してみよう。シノーは自然にそう思った。

「あの、ちょっと良いですか。これから変なお話をするかもしれませんが、宜しいでしょうか。」

「ああ、もちろんだ。若い人との会話は楽しいからね。」

T二二八は、大石上で姿勢を変えた。その後、シノーはその場から半歩下がって口を開いた。

「はい。今の時代から近未来、どの程度の時間かは分からないんですが、物凄い技術が出現するみたいなんです。例えば、今我々が住んでいる星以外にも生き物はいるみたいで、未来では一緒に仕事をしているです。最初に見つかった生き物はアリより小さな目にも見えないものなのですが、我々がそれらを改良していったんです。また、病気になっても悪くなったものを取り換えることが出来て、将来的には脳みそだけの世界が広がるみたいなんですよ。そして、人間は好きなときにスイッチ一つで起きて寝ている生活をしているんです。」

シノーは、二つ目の脳みその話題をし始めた時、先日の模擬面談試験の情景が頭に浮かんで、また馬鹿にされると思い話し続けるのに躊躇した。だが、それまでの高揚感がそれに勝り一気に話した。そして、T二二八の反応をやや緊張気味に待った。T二二八は、軽く腕組みをした。

「そんな未来が待っているのか。人間がそんな凄い技術を持っているなら、これからわしが言うことも実現可能なのかね。」

「はい、それは何でしょうか。」

「うん、それは時間という概念だ。時間は有限、或いは無限なのか。そして、時間の進みは一方通行なのか。それとも巻き戻すことができる、つまり過去に行くことが可能なのか、だね。」

シノーはしばらく思案した。そして、一気に一つの考えに達した。もし一方通行ではないのなら、あの幹線道路の場面までリキッドに巻き戻してもらえないだろうか??そうすれば今もここにイリンがいるということになるじゃないか。どうして今迄それに気づかなったんだ、そうだ、今日はそれをリキッドに聞いてみよう。

「すいません、明日にはその答えが出ますので、待っていて下さい!」

二人の背後に、監視員の足音が聞こえた。

「お、もう休憩は終了か。悪いな、折角の休憩時間にこんな話に付き合せてしまって。」

T二二八は、最後まで誰からその話を聞いたかは質問しなかった。


(十五)

-お聞きしたい事があります。

-何だ、そんなに改まって。

-はい。これまで色々講義してもらっていましたが、特に聞きたい事があります。それは時間についてです。時間は一方通行なんでしょうか。つまり、カウントアップという状態しか続かないのでしょうか。

-何故そのような事を聞くのだ。

-今日作業場である人とお話をしたのですが、人間は技術が発達すれば過去にも行けるのかなと思ったんです。そうすれば弟に会える。いや、その他の死んでしまった人達にも会えるんじゃないかって。よく考えてみると、そもそもあなたは、未来から来ているのですよね。であれば、裏を返せば、今はあなたにとっては過去になる。

-時間については、触れたくないのだ。

…??シノーはリキッドの予想外の返答に何と答えてよいか分からなった。その口ぶりでは、もしかして過去にも行けるのか??淡い期待感がシノーを包みかけたとき、シノーは何故か別の話題で口を開いた。

-あなたは、ずっと私の傍にいてくれるんでしょうか。

-それは分からない。明日いなくなるかもしれないし、ずっといるかもしれない。

-それはどういうことでしょうか。それは、私の行動次第ということでしょうか。

-それもあるが、過去に行く事は時間法で禁止されている。

…あ。リキッドはしまったと思った。

-これで講義は終了だ、たぶん。

リキッドの突然の発言に、シノーは訳が分からなくなった。

-ちょ、ちょっと待ってください。たぶんって何ですか??


(十六)

身体を軽く揺さぶられ、シノーの視界がぼんやりとした。

「やっと目が覚めたのね、シノー。」

「…ん、ん?」

「早く起きなさい、シノー。」

シノーの顔上に微笑む女性が立っていた。

「か、母さんかい?そうだよね?」

「何当り前の事言っているの。もう父さんは畑に出ているよ、早く支度しないと。」

シノーはしばらくボーっとした。これまでの出来事は何だったんだ…?と言っても殆ど記憶にはない。

「食事の用意は出来ているから、早くテーブルまでいらっしゃい。お前が捕ったお野菜もありますよ。」

母のパステルは、シノーの次の子を身籠っている。シノーは目をこすりながら、母親のお腹に視線を向けた。腹の膨らみで、エプロンが盛り上がっている。

「ねえ母さん、お腹の子は女の子、男の子どっちかな?」

すると、パステルは優しい笑みを浮かべ、自分の手を腹にあてた。

「さぁ、それは生まれてみないと母さんにも分からないわね。でもいきなり何でそんな事聞くの?シノーはどっちがいいの?」

「男の子が良いよ、そうだったら名前はイリンにしようよ。」

シノーはやや語気を強め即答した。

「まぁ、イリンというのは初めて聞くけど、感じの良い綺麗な名前ね。イリンなら女の子でも合う良い名前ね。」

その時、外から声が聞こえた。

「お~い、シノーはもう起きたかぁ?早く手伝ってほしいんだが。」

ベッドから立ち上がろうとすると、おもちゃのラッパと積み木が転がっていた。九歳のシノーであった。


デジタル刑務所の研修室には二つの装置が置かれて、テレパシーでのやりとりが始まった。

「囚人である事に気づかれませんでしたね?」

「はい、恐らく。」

「今回の研修プログラムはこれで終了です。プログラム開始前に幾つかの約束事をしているはずですが、問題なかったですね。それと、今回の対象者の夢の記憶は完全に消去してきたでしょうね?」

「はい、もちろんです。」

「そうですか。では、もうこれで結構です、通常刑期に戻ってください。あなたの研修内容は全て記録されていますので、これから精査されることになります。」

刑務官は無機質に言った。リキッドは時間法違反によりデジタル刑務所の囚人の身であり、死ぬ事、即ち意識喪失は許されない。刑期はあと三百年である。


以下、デジタル刑務所再生プログラムに関するルール

(一):対象者に対し、自分が囚人である事、或いはその可能性がある事伝達厳禁

(二):対象者に対し、自己の努力以外による助けの伝達厳禁

(三):対象者に対し、過去に行ける事、或いはその可能性がある事伝達厳禁

(四):対象者の夢中内容に対し、完全にその内容を残存させる事厳禁

(五):上記内容全て侵した時点で、プログラム終了

(六):上記内容一つでも侵した者、刑期延長必然


(一)以外はバレたか。永遠の無を渇望するリキッドは、更なる刑期延長を覚悟した。



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