幸運な男
幸運な男がいた。いや、本人は自分がそうだとは確信を持っていなかったが
少なくとも人からはそう思われ、呼ばれてもいた。
なぜなら彼は幾度となく、不運から逃れていたのだから。
それも命を落としかねない大きな不運から……。
初めはバス事故であった。
彼が乗る予定のバスが橋から落ち、乗客、運転手全員が死亡したが
彼はバスに乗り損ね、難を逃れることができたのだ。
お次は飛行機事故。彼はそれも偶然、乗り損ねることにより命を拾った。
そればかりではない。時には実際に事故に遭いもした。
登山中の滑落。そして遭難。しかし、彼は無事、生還した。
雪山もそうだ。吹雪く中、体調を崩しテントの中で縮こまり意識が遠のき
俺の命もここまでか……と彼は思った。しかし翌朝、天気も体力も全快。
しかも、それだけでなく闇雲に歩いていたと思っていたのに
もう、目と鼻の先に登山道があった。
海の話もある。船が転覆。溺れ、もう駄目かと思い目を閉じた。
しかし、目を覚ましてみればそこは砂浜。運よく流れ着いていたのだ。
車の事故も彼は無事だった。
雷に打たれても彼は回復した。
柄の悪い男たちに絡まれても不思議と争いにはならなかった。
密林、秘境、魔境。いずれも生還。
と、その度に彼の名がニュースに出るなどして
このような話が徐々に広まり、彼は幸運な男と呼ばれるようになったのだ。
しかし、その彼自身はというと冒頭の通り、どうもスッキリしない気持ちであった。
先程、しつこいほどに挙げた実例。
そう、こんなに酷い目に遭うこと自体、不運なのではないか?
いや、確かにこれが偶然か否か幸運か不運か試すように旅行やら何やら
時に自ら危険を求めにいったそのせいでもあるが……。
しかし結果、わからない。生きてはいるが、つらい思いはした。
ギャンブルも試したがそこそこの結果。大きく勝ちもしないが大きく負けもしない。
ううむ、と唸るも金にはそれほど困っていないから残念には思わない。
そこそこ有名になり、テレビに出て本や講演会。まあまあの収入を得ていたのだ。
ついでに女性にモテもした。が、友人や恋人もそこそこの関係。
一緒に旅行でもしようものなら、どんな目に遭うかわからない。
そう苦笑いで言われ、強く否定もできない。
しかし、非難もできない。彼は助かっても自分は……と考えるのは自然な事。
それに彼自身も恐れていた。もし自分がやはり不運なら……
結婚後、妻が子供がどんな目に遭うか……。
自分は不運か幸運か。取り憑いているのは天使か悪魔か。
悩み考え、夜道を歩く彼は思い付きで指でコインを弾いて飛ばした。
表か裏か。さあ、どちらだ。
しかし、コインは転がり道路脇の排水溝の中へ落ちた。
彼は途端、見えない何か、視線を感じぶるりと震えあがった。
自分如き人間が推し量っては駄目なのではないか、神を試してはならない……と。
そこそこの暮らし。たまに思いついたように冒険に出る。
悩み、時に怯え、時に前向きになり、躁と鬱のシーソー。
そんな彼の寿命もそこそこであった。
ゆえに彼は最期の瞬間、病院のベッドでこう思い、息を引き取る。
結果、俺は平凡な男だったのでは……? と。
「逝きました……ね」
「ああ、間違いない。今が夜で良かった。だが手早くやろう。人が来ないうちにな」
「ええ、しかし、感慨深いですね。はぁー! 我々の苦労がようやく……」
「ああ、長い、長い時間だった……。彼を見守り続け、ようやくここまできた」
「ほんっと、もうね、こいつは……。あ、これで……よしと。無事、採取できました」
「完全な抗体持ち……これでみんな、救われるな」
「ふぅー……数値が出るまで少し待ってくださいね。
……でも、上手く行きますかね。いよいよとなるとつい不安に……」
「わかるよその気持ちは。だが、コンピューターに間違いはない。いや、あってたまるか。
途方もない数の墓をひっくり返し、骨を分析してやっと見つけたんだ。
彼は間違いなく抗体を持っている。
この先の未来、いや、すでにこの時代でも牙を剥きつつある伝染病のな」
「彼を救い続けてきた、その苦労がようやく報われるんですね。
この野郎が手間かけさせやがってチクショウが……。
と、でも、やっぱり早々に死んでもらっていた方が楽に。せめて、もう少し早くても……」
「仕方ない。それもコンピューターの計算の上。
より完璧で強力な抗体を彼の中でそう、熟成させる必要があったんだ。
お、数値が出たじゃないか。ふふっ、はははは! これは予想以上だ!
彼があちこち行ったおかげで強力なものになったんじゃないか?」
「ふふっ。ま、そう思っておきましょうか。では……」
「ああ、帰ろう。未来へ!」
二人の未来人は腕についた装置をいじると病室からスゥーと姿を消した。
悩み、不安もあった人生を送った彼自身が幸運な男だったか否かはわからないが
彼は間違いなく、多くの人に幸せを齎したのだった。