97 親になる
ルイスの国王との面会が決まって、一人王都に行くことになった。セシリーの同行が認められないのは、転移の魔法使いであるため、王都には入れられないという理由である。セシリーはルイスが一人で行くことに反対したが、ルイスはそれでよいと言って反対を押し切った。
オーロラも身の安全は保障すると約束する。
「私も同行するから、その場で拘束して処刑などはさせないわ。今の立場は私の客人ですもの。それくらいは出来るわよ。それに、まだ帝国からの引き渡し要求もないし、ここに滞在しているのはばれていないでしょ。だから、こちらとしても事前に何かをするようなことはしないから」
「そういうことだ、セシリー。それに、これが罠だとしても、他に手段もないだろう」
「そうですが、殿下に万が一のことがあれば」
「そうなれば、坊やが黙っていないわよ。そのことは陛下もわかっているから」
オーロラはスティーブがセシリーを助けた事を報告してあり、セシリーがナンシーの妹である事も伝えてある。
カスケード王国でもナンシーは死亡したことになってはいるが、国王は当然生存とスティーブとの結婚の情報を掴んでいた。だから、セシリーが怒ったり悲しんだりするような事を軽々に判断しないだろうとなっているのである。
「それであれば、アーチボルト閣下も同行していただけるのでしょうか」
「それは無理でしょうね。すでに姉の出産は聞いていると思うけど、正妻も出産したのよ。今は仕事どころじゃないでしょうね」
オーロラはアーチボルト領の方向を見た。
セシリーの解呪のあと、ナンシーは直ぐに産気づいて女の子を出産。そして、クリスティーナもその直後に男の子を出産したのである。母子ともに健康であったが、スティーブは毎日妻たちに治癒魔法を使っており、子供の様子も目を離さずに見ていた。
あまりにも仕事をしないので、ニックとバーニーがアーチボルトラントまでやってきて、出社するようにお願いしようとしたのだが、家の中に雑菌を入れたくないという理由で面会を拒否したのである。
二人はブライアンに泣きつき、スティーブに話をつけてもらい、やっとのことで工場に顔を出してもらったのである。この時誰もがスティーブ以外にも権限を持たせなければと反省した。
中小企業ではありがちなのだが、権限を持った者が不在の時の代行者が決まっていないというのを、ここでもやってしまったのである。
他にも、スティーブが魔法で作っていた洗濯ばさみや、蒸気機関車の部品なども全て滞った。流石にブライアンも放置しておけないと、スティーブを呼んで説教をしたのである。
というところまで、オーロラは情報を掴んでいた。
なので、いつもであればスティーブの魔法で王都に転移するところであるが、今回は国王が転移の魔法使いをオーロラのところによこして、その魔法使いにより転移することとなっている。
ルイスの存在はまだ公には出来ないため、蒸気機関車による移動は出来ないのだ。
ルイスの謁見の話をしているころ、スティーブは子供のおむつを洗っていた。鼻歌まじりにうんちのついた布おむつに分離の魔法を使い、うんちを除去してから熱湯で洗う。その様子を隣で見ているベラが不思議そうにスティーブを見た。
「楽しいの?」
「とっても楽しいね。子供のおむつを洗っていると親になった実感がわくんだ」
スティーブは分離の魔法と水魔法が使えるので、布おむつを洗う仕事を買って出た。他の誰かが中途半端に洗って汚いおむつを子供に使わせることを嫌ったのである。紙おむつでもあればまた違ったであろうが、残念ながらこの世界にはそうした便利なものは無い。
そんなスティーブをみて、ベラはややあきれ顔となった。
「そういうのって貴族はやらないでしょ」
「他はそうかもしれないけど、僕はやるよ。やっちゃだめっていう決まりもないし。それに、あかちゃんのうんちって臭くないから嫌でもないよ、知ってた?」
「そうね。それを言ったら出産に立ち会ったのも例外だよね。それと、村の子供はたいてい弟や妹の面倒をみさせられるから、うんちが臭くないのは知っている。驚くことでもない」
スティーブは治癒魔法が使えるので、出産に立ち会っている。万が一の場合は母子のどちらかが死ぬ前に、魔法で助けることができるからだ。そんな魔法が使える貴族などいないので、出産に立ち会った貴族はスティーブくらいなもので、他はみな部屋の外で待たされるのであった。
「産道から子供の髪の毛が見えた時は興奮したね」
「あとでクリスから凄い怒られてたのに、反省してないの?」
「恥ずかしいから次は見るなって言われたねえ」
スティーブはナンシーの時も、クリスティーナの時も、産道から出てくる子供の様子を見ていた。本人には悪気はなかったのだが、クリスティーナはとても恥ずかしかったので、出産後に怒られたのである。出産中は怒る余裕もなくて、それどころではなかったのだが。
「これが洗い終わったらアーサーとイザベラの顔を見てくるから」
アーサーがクリスティーナが生んだ長男で、イザベラがナンシーが生んだ長女である。アーサーは髪の毛が黒くてスティーブの髪の色が遺伝したが、イザベラは銀髪でありナンシーの髪の色が遺伝していた。
なお、遺伝子という考え方をスティーブが提唱したが、それを確認するには至っておらず、王立研究所でも研究途上である。
「そろそろまた工場に顔を出さないと、ニックが押しかけてくるんじゃない?」
「育児休暇とろうかなあ」
「社長には育児休暇が設定されてないし、スティーブじゃないと決断できないこともあるでしょう」
「そうなんだよねえ。甘く見ていたよ」
がっくりと肩を落とすスティーブ。
結局まだ代行する権限をどうするか決められておらず、スティーブは仕事にも追われていたのであった。
それに加えて出産祝いの返礼もあった。クリスティーナの妊娠は既に知られており、多くの貴族は出産予定日に向けてそれを準備していた。中央を除いたほぼすべての貴族がスティーブのおかげで領地が広がっており、その子が生まれるとなれば出産祝いを送るのは当然だった。
なので、受け取った目録を作るだけでも大仕事である。スティーブが子育てで手一杯であるため、目録についてはブライアンが作成をしていたが、そのあまりの数に他の業務が滞っていた。
返礼についてはスティーブが魔法で赤と青のガラスのグラスを作って贈ることになっている。経費は送料だけなので、財政が悪化することは無かったが、直筆のお礼を書くのに時間がかかり、中々その仕事も終わらない。
息抜きと称しては子供の顔を見るので、なおのこと進まなかった。
ブライアンにしても、そんなスティーブを注意するといっては孫の顔を見に来るので、二人してアビゲイルに怒られるというのを繰り返している。
そんなことで、本日も二人そろってアビゲイルに怒られた後、ブライアンとスティーブは目録の作成と、それを見ながら返礼の手紙を書きながら親子の会話となる。
「父親になった感想はどうだ?」
「毎日色々あってどう言えばいいのかわかりませんが、僕が抱っこしても泣き止まないのに、母上が抱っこして泣き止むのは親として悔しいですね」
「それはお前も一緒だったぞ。子供っていうのはどうして男と女を見分けているんだろうな?」
「僕もですか?」
「そうだぞ。フレイヤもシェリーもだったがな。乳母を雇う金もなかったから、確認は出来なかったが、アーサーとイザベラが乳母でも泣き止むのを見ると、うちの子もきっと同じだったんだろうな」
「乳母で泣き止むのに、血のつながった父親だと泣き止まないのは悔しいですね」
「そうなんだよなあ。そのくせ、うんちは男女の区別なく飛ばしてくる」
「僕も二回くらいましたね」
うんちを飛ばすとは、おむつを替えるときにあかちゃんが追加でうんちをして、おむつ替えしている親の顔にうんちがつくあれである。スティーブも例にもれず喰らっていた。子育てを自分でしているからこそではあるエピソードである。
「まあ、でも毎日楽しいですよ。あの子たちが成長して領地を継ぐときには、もっと豊かで経営が楽な領地にしておこうというやる気もでますしね」
「それについては、俺は駄目な父親だったな。子供達には金で苦労をかけた」
「別に父上を批判するつもりではなかったのですが」
「わかっているよ。ただなあ、お前が魔法の才能に目覚めてからやっと黒字になったし、あれが無ければ今でもどうなっていたかわからんからな」
ブライアンはスティーブの成長を振り返り、領地への多大な貢献を思い出す。
鋼を魔法で作って売ったり、農具や狩猟道具を鋼でつくったり、そばを見つけてその調理方法を考え出したりしたことから、その後は領地で餓死者が出るようなことは無くなった。
それどころか、今では領民に教育が行き渡り、誰もが計算が出来るようになって貨幣経済が回っている。識字率は国内トップクラスで、役人の採用には事欠かないまでになっていた。
これは経営に成功しているといって間違いない。
そのようなところまで来ているが、ブライアンの目から見てスティーブは満足していないように見えた。先ほどの発言でもあるように、さらに豊かな領地を目指している。工場の商品開発は続けているし、農地についても土壌の改良が出来ないかと、王立研究所を巻き込んで研究をしていた。
竜頭勲章という公爵相当の地位にありながら、それに頼ることなくやっていこうというのもある。
元々オーバーワーク気味だったところに子育てが加わって、今はうまく回っていないのが心配であった。仕事を後回しにして子供のことを優先しているのをしかりはしたが、そもそもの仕事量が多すぎるのもその原因であることがわかっており、父親としてスティーブに対して申し訳なく思っていたのだ。
それはスティーブにしても同じことであり、自分の子供たちが領地を継ぐときに、自分の不手際で苦労はさせたくないと思っていた。
そのため、山の奥に魔法で洞窟をつくり、そこに夜な夜な通ってはステンレス鋼やら、銅を魔法で作って保管していた。埋蔵金のようなものである。
ただ、奥地過ぎて運ぶのが大変なのだが、それはうっかり忘れている。盗まれないようにと人目につかないところを選んで満足してしまった結果だった。
「あとは、孫たちが動けるようになったらまた心配が増えるがな。それに、子供たちはいつまでたっても子供だ。親が心配しなくなることは無い」
「それはわかります。フレイヤ姉上がお金に困った時も、シェリー姉上がお金に困った時も大変でしたからねえ。父上が二人を見捨てなかった裏には大変な苦労があったかと」
「お前もだよ。どれだけ心配したと思っているんだ。まあ、未成年のうちから戦争に巻き込んだ親の責任でもあるがな」
「僕には魔法の素質がありましたからね。それは仕方のないことです」
「じゃあ、アーサーとイザベラに魔法の素質があったら同じことするか?」
「しませんよ。僕に魔法の素質がなかったとしても、二人が未成年ならば戦場には連れて行きません。成人しても戦争には参加させたくありませんが」
「そうだろう。だから、それをした俺は駄目な父親なんだよ。領主としては正しいのかもしれんがな」
ブライアンは自嘲する。
「領地の経営もですが、戦争のない世界を作るのもしないとですかね」
「出来るのか?」
「僕が外交についてなにかを出来るわけではありませんが、国の方針に提案くらいはしていきたいですね。少なくとも、周辺国とは平和な状態を保ちたいです。例えば、大規模経済同盟とかですね。通貨を統一して、地域内での国境を撤廃するとかですね。目的は商業の自由化ですが、戦争抑止の一部にでもなればですかね」
スティーブの考えているのは欧州連合やシェンゲン協定であった。人類史上最も戦争の多い地域での平和を継続させる試みを、この世界でも再現できないかというものだった。
ただ、新型の疫病が流行した際に、シェンゲン協定を無視して各国は国境を封鎖した経緯がある。また、各国の軍については統合することは難しいため、完全な平和が作れるのかという問題はある。
それでも、今のように周辺国が策謀をめぐらし、常に領土拡大を狙っているような状況よりははるかにましである。
「お前は本当に戦争が嫌いだよな」
「大っ嫌いですよ。人が理不尽に死ぬのなんて。軍人だけがどこかに集まって戦うならいざ知らず、平民を巻き込むなんて許せません。それに、多くの兵士は徴兵された平民ですしね」
「次の世代では、平和な時代が訪れるといいな」
「困難ではありますが、それを作るのが大人の役目でしょうね」
そういうスティーブであったが、本人は戦争に巻き込まれていくことになる。
いつも誤字報告ありがとうございます。