93 団長として
ダフニーは正式に仕事に復帰していた。現在の職務は薔薇騎士団の騎士団長である。薔薇騎士団は女性王族の警護を任務としていた女性騎士を主体として、王族警護のために再編された騎士団であった。主な任務は女性王族の警護なのは変わらないが、かつての警護のみだった権限が拡大され、強力な捜査権が与えられている。
例えば暗殺未遂が起こったときなどは、その捜査を担うことになるのだ。訓練についても近衛騎士団と遜色ない厳しいものとなっており、名誉職などではなかった。
本日は城外での任務は無く、そのため護衛任務は少人数で済んだ。警護の仕事のないダフニーは団員の訓練を指導していた。
神速の剣の手本を部下たちに見せる。
「地面を蹴る足から始まり、それぞれの関節で加速させ、その積み重ねが剣に伝わり神速となる。このように」
ダフニーの振るう剣が訓練場に立っている丸太を目にもとまらぬ速さで斬った。
おおっとういう歓声があがる。
「この速度を出すためには筋肉が必要なのは当然だが、加速させるタイミングが重要となる。いくら筋肉があったとしても、このタイミングを掴めなければ到達できぬ領域。近衛騎士団でも神速の剣の使い手はただ一人のみ。しかし、これが使えるようになれば、あのクィーン・オブ・ソードの領域までたどり着くのも夢ではない」
ダフニーはそう言って団員を鼓舞した。
実際には神速の剣だけではナンシーに勝てないのだが、悲劇の女騎士であるクィーン・オブ・ソードの知名度を利用したのである。
薔薇騎士団の騎士は並みの男性よりも筋力があるが、近衛騎士たちと比べるとやはり劣る。それを補うのが技であり、ダフニーが教えられる中では神速の剣が一番だったのである。
近衛騎士でも習得が困難な神速の剣であるが、一度コツをつかんでしまえば何度でも再現できる。団員をそこまで引き上げたかったのだ。
実演の後は関節を使って加速させる技術の指導をしていく。一朝一夕で出来るようなものではないので、団員がそのコツを掴めなくとも怒るようなことはしない。ただ、スティーブだったらどうやって教えるだろうかとは考えていた。
自分がすぐに習得できたのはスティーブの指導があってこそであり、同じくスティーブの指導を受けたナンシーはあっさり目の前で神速の剣を使ってみせたのだ。そのことで、ダフニーは自分の能力が特別なのではなく、スティーブの指導が特別なのだと思っていた。
実際には能力と指導の両方が特別なのであるが、ダフニーはそのことに気づいていない。
訓練が終わると、団員たちとのおしゃべりが始まる。一人の団員がダフニーに質問した。
「もし、団長とクィーン・オブ・ソードが戦ったらどちらが強いのでしょうか?」
武を好むものの性として、強者二人を並べて戦わせたらどちらが勝つかということを考えたがる。ダフニーとナンシーの関係を知らない団員は無邪気に聞いたのだった。
「そうね、今なら私が勝てるかもね」
「自信がありますね」
「今だからよ」
ダフニーはそう念を押した。実は今ナンシーはスティーブの子供を身籠っており、激しく動くことを避けていた。だからこそ、今戦うならという条件であればダフニーが勝てるのである。
今でこそそうしたナンシーの事情を知っているダフニーだったが、ナンシーの死亡偽装については知らず、ナンシーの死亡のニュースを聞いて、本当にスティーブの手によって殺されたと思って三日ほど泣いて食事が喉に通らなかったのである。
すべてが終わって結婚したという報告をしに屋敷を訪れた時は、怒りと嬉しさからまた泣いて、スティーブがなだめるのに苦労したのだった。
そして、今は妊娠中のナンシーが指導出来ないため、スティーブが幻惑の魔法でナンシーを作り出して、それとダフニーが戦っているのである。通常の訓練と違って、実際の剣を持った感覚で戦えるので、リアルな実戦経験が出来る。
エース・オブ・ソードの動きを作業標準書により再現できるスティーブがダフニーを指導したが、エースの動きをダフニーが再現できず、ナンシーから教えられた体さばきで戦うので、勝敗は五分五分だった。幻のナンシーもダフニーの神速の剣を知っているデータで作られており、必殺技が躱されることも多かった。
これは訓練の弊害であり、ナンシーがエースの予備動作を見てスティーブの危機を救ったのと同じである。
団員たちはそうした背景もわからず、クィーン・オブ・ソードに勝てるという自信をもっているダフニーに憧れの眼差しを向けるのだった。
仕事が終わり家に帰ると、ダフニーは母親の顔になる。長男と今日はどんな教育を受けたかという会話をして、それを褒めた。まだ幼くてうまく会話はできないが、アーチボルト領で作られた知育玩具のブロックをもって、赤とか青とか色をダフニーに教えてくれるのである。ダフニーはその時間がとても楽しかった。
次期公爵夫人としての振る舞いについては、家族の理解を得て騎士を優先するので後回しにしていたが、母親としてのつとめは後回しにするつもりはなかった。
子供の教育、躾、面倒は乳母や教育係に任せ、子供よりも社交界を優先する夫人も多い中で、ダフニーは珍しい存在であった。
子供との時間を過ごした後で、翌日の国王夫妻による恩賜動物園視察時の警護計画を頭の中に入れる。
駅周辺施設として、国立の動物園を作ったのだが、明日は国王夫妻がそれを視察することになっており、近衛騎士団と薔薇騎士団が合同で警護に当たることになっている。
その警護担当者が国王側は近衛騎士団長のオリヴァーであり、王妃側はダフニーであった。国王夫妻が一緒にいる場合は近衛騎士団の命令が優先されるが、王妃がトイレに行く場合などは、王妃の警護については薔薇騎士団の命令が優先されることとなっている。
恩賜動物園の見取り図を見ながらあれこれと考えているうちに睡魔に襲われ、その日は眠りについた。
翌日登城し午後の視察に備える。
国王夫妻は王城からは馬車で駅周辺まで移動となった。王都は既に多くの人がおり、鉄道を王城まで敷設するには手遅れであり、お召列車を用意したとしても、国王夫妻が馬車で移動する距離は長い。なお、本日の視察は始発駅周辺なのでお召列車に乗ることはなかった。
恩賜動物園に到着してからは、国王夫妻は動物の展示を見て回る。ダフニーたち薔薇騎士団も近衛騎士団と一緒に国王夫妻について警護をしいていた。
事件は虎の檻の前で起こった。
国王たちを遠巻きに見る人たちの中で、突然炎が吹き上がったのだ。
そちらに国王も騎士たちも視線が向く。
刹那、二人の男が国王夫妻の近くに出現した。転移の魔法である。一人はオリヴァーよりも一回り大きい男であり、手には大剣を握っていた。もう一人はひょろっとした中年男性である。痩せている方が魔法使いであり、彼の魔法でこの場に転移してきたのだ。
それに最初に反応したのはオリヴァーとダフニーだった。二人は同時に剣の柄を握る。
大剣を手にした男は剣を抜こうとしていたオリヴァーの腕を斬り落とした。
ダフニーは剣を抜くことが出来、ひょろっとした方の男の首を神速の剣で斬り落とした。
オリヴァーは片腕となったが、目の前の男に体当たりを喰らわせて、国王夫妻からの距離を取ろうとする。しかし、男は剣でオリヴァーの右足を貫き、その動きを止めた。
男がオリヴァーに剣を突き刺したことで動きが止まったので、ダフニーは後ろから男の首を斬り落とす。
1分にも満たない時間で国王夫妻襲撃犯は倒された。
「陛下たちを安全な場所へ!」
ダフニーが叫ぶと、同行していたカスケード王国所属の転移の魔法使いが国王夫妻を王城へと転移させる。
これでもしも他にも襲撃犯がいたとしても、国王夫妻は安全だとダフニーは安心した。
そして、視線を父であるオリヴァーに移す。
「今、止血します。誰か止血の道具を持ってこい!それと、この場を封鎖する。入場者は退園させるように」
その指示で薔薇騎士団の騎士がダフニーのところに包帯を持ってきた。他の者は入場者の誘導である。
犯人の捜査は近衛騎士団が担うことになっており、副団長がその指揮をとった。
止血作業をしていると、出血により顔が白くなったオリヴァーがダフニーに話しかける。
「死ぬ前に孫の顔を見られて良かった」
「何を弱気なことを」
「それに、強くなったな。ライアンなど足元にも及ばぬだろう」
ライアンとは近衛騎士団副団長のライアン・ソーンダイクのことである。
「それに、俺よりも強くなった」
「私などまだ父上に及びません」
「いや、今の動きは見事だった。俺は結局敵を倒せなかったしな。それに利き腕もなくなったから、生きていたとしてもどのみち引退だ」
オリヴァーの言葉にダフニーは返す言葉が無かった。利き腕が無い騎士など役には立たない。それは近衛騎士団長である父も例外ではない。地面に落ちた腕はもうくっつけることは出来ない。
近衛騎士団の騎士たちも不安そうにシールズ親子を見ていたが、副団長のライアンに怒鳴られて捜査に戻る。
重苦しい雰囲気が現場を包んだ。
その時である、近衛騎士の一人がダフニーの背中の方向で大きな声をあげた。
「ここは立ち入り禁止だ。早く恩賜動物園から出るように」
「まあまあ。怪我人がいるようだし治療してからでもいいよね」
若い男の声がダフニーの耳に届いた。
それはとても聞き覚えのある声だった。すぐに振り返る。
「閣下」
「お邪魔するよ」
ダフニーの目の前にスティーブが現れた。平民の服装をしており、全く貴族らしさが感じられない。なので、近衛騎士がスティーブだとわからなかったのも無理はない。
そして、その隣には若い女性がいた。そのことで、ダフニーの心がチクリと痛む。
「アーチボルト閣下だ。通せ」
「失礼いたしました!」
近衛騎士は謝るとスティーブを通した。
「さて」
そういうと、スティーブはオリヴァーに治癒魔法を使う。失った腕が再生し、足の傷口もふさがった。
「失った血は回復できないから、しばらくは急激な運動は控えてね。あ、元の腕は持って帰る?それなら氷漬けにするけど」
今までの重苦しかった雰囲気など知らぬとばかりに、スティーブは軽い口調でそう言った。実際には炎が上がったときに直ぐ鳥を使って状況を確認しており、だからこそ、このタイミングでやってこられたのだ。
スティーブが気づいた時には既にダフニーが敵を倒した後だったので、転移の魔法を使わなかっただけである。
「ありがとうございます、閣下。引退を覚悟しておりましたが、腕が生えてくるとは思いませんでした。もう少しだけ仕事が出来そうです」
オリヴァーが立ち上がってスティーブに頭を下げた。
元通りになった父親を見て、ダフニーの目尻に水がたまりはじめるが、こぼれる前にそれは止まった。
そして、気になっていた女性のことを訊く。
「閣下、この人は?」
「うちの工場のデザイナーのエリー」
「エリーです」
紹介されたエリーはぺこりと頭を下げた。場違いな状況に恐縮しており、まともにダフニーの顔を見ることが出来ず、小刻みに震えていた。
「こんど新しく作る動物のパズルと、それから人形のデザインをスケッチしに来ていたんだけどね。この格好もいつもの格好だとみんなが落ち着かないだろうからって、平民の格好で来たんだ。そのせいでいらない誤解を招くことになったけど」
「そういうことでしたか。申し訳ございませんが、両陛下が狙われる事件があったので、この恩賜動物園は閉鎖させていただきます」
「仕方ないね。また今度出直してくるよ。仕事の邪魔をしても悪いしね」
スティーブがそう言うと、エリーが心配する。
「社長、納期が」
「ああ、そうか。じゃあ帰ったら僕がエリーに魔法で動物を見せてあげるよ。それを見てデザインして」
「よくわかりませんが、社長が大丈夫と思うのなら」
スティーブは幻惑の魔法で動物をエリーに見せようと考えた。前世も含めてみてきた動物を思い出して、幻を作るつもりである。
そう言って帰ろうとしたスティーブをオリヴァーが引き留めた。
「閣下は襲撃をご覧になっておりましたか?」
「いや。魔力を感知して、その方向を見たら炎があがっていたのが見えたけど、それだけだよ。近衛騎士団と薔薇騎士団が警護しているのに、どうやってここまで接近を許したのか不思議だね」
「実は、炎があがったときに、我々もそちらを向いたのです。その時突如として目の前に敵が二人現れました」
それを聞いてスティーブは推理する。
「転移の魔法なんだろうけど、それにしてはタイミングが良すぎる。炎を出したのも仲間だろうね。目的は二つ。警護の注意を引くのと、陛下の座標を知らせること。おそらくだけど、事前に下見をしていて転移する座標を決めていたんだと思う。それで、陛下がその場所に差し掛かったら炎の魔法を使う。それを合図に仲間が転移の魔法でここにやって来るっていう計画だったんじゃないかな。炎の魔法を使った魔法使いは拘束出来きずに、自害をされてしまったようだけど」
「よくご存じで」
状況を見ていたスティーブは、炎を使った魔法使いが死んでいるのも確認していた。即効性の毒を飲んだので、捕まえて自白させることが出来なくなっていたのである。
スティーブは推理した考えをなおも続けて話す。
「炎の魔法使いと転移の魔法を使って、なおかつ近衛騎士団長よりも強い刺客を用意できる相手なんて限られているんじゃないかな。しかも、使い捨てみたいな感じで貴重な魔法使いを使ってくるとなると、大勢の魔法使いを抱えているはず。国内の貴族でそんなことが出来る家はないから、外国の勢力だと思う。暗殺が成功したら軍事行動に移るつもりで、兵士を動員する準備をしていると思うよ。それか、大切な手札だけど、それを使い切っても陛下を殺すのが目的だったのかもね。そうとう恨みがあって。ま、誰でも考えつきそうなことしか考えられないよ」
「いやいや、貴重なご意見ありがとうございます。ただ、閣下の推察どおりに外国の勢力だとしたら、我々に捜査する権限がありませんからお手上げとなるでしょうな」
「こちらにお鉢が回ってくるのだけは勘弁してもらいたいね。どうにも僕が外国に行くと、みんなの寿命が縮まるらしく、色々な人からお説教されるので」
「閣下が勝ちすぎるのですよ。想定外に」
「狡兎死して走狗烹らる。あまり勝ちすぎるのも考えものか。人が大勢死ぬよりはいいと思うんだけど、最後は僕が排除の対象になるか」
スティーブの懸念は、敵がいなくなった時に国王がスティーブの排除を画策すること。敵がいなくなれば制御できない戦力など邪魔でしかない。
司馬懿は諸葛亮という存在があったからこそ生き残り、西晋という国が生まれることとなった。
もし仮に、司馬懿が諸葛亮を早い段階で倒していたならば、曹叡に排除され西晋が建国されることはなかったかもしれない。
「閣下を排除するものが存在するとは思えませんがね」
「やりようはいくらでもあるさ。家族を人質にとるとかね」
「虎の尾を踏むようなものですがね。たとえ私が陛下からそのような命令を受けたとしても、成功するとは答えられませんな」
「ダフニーならどうかな」
「ふむ。たしかに私よりも強いですからな。娘ならばその刃が閣下に届くかもしれません」
「何を言っているのですか、ふたりとも!」
ダフニーが怒ったところで笑いがおこり、仕事の邪魔にならないようにとスティーブは領地に帰った。
後日、オリヴァーは近衛騎士団長の職を辞し、ダフニーにその座を譲ることになる。国王夫妻襲撃事件での犯人を倒した実績から、反対する者はごく一部の保守派のみであり、国王の決定を覆すほどの声とはならなかったのである。
いつも誤字報告ありがとうございます。