91 イノの決意
ジョセフはイノと宿のいつもの部屋にいた。
イノは苦虫を嚙み潰したような顔である。
「町じゃ竜頭勲章がスートナイツの三人を倒して東部を救い、帝国東部の軍を壊滅させたと盛り上がってるな。何が面白いんだか」
「帝国に勝ったんだから盛り上がりもするだろうさ。こちらは追加の資金が入ってこなくて困ることになったがな」
淡々とした態度のジョセフにイノは腹が立ち、テーブルを強くたたいた。
「お前は帝国が負けたというのに悔しくないのかよ!」
「悔しいさ。だけど商売は感情的になったら損をすると決まっている。俺は目の前の商売をどう成功させるかを考えているんだよ。それが帝国に報いることになるからな。それにしても、お前さんは意外と愛国者なんだな」
「意外とは余計だよ。愛国者でもなければこんな汚れ仕事はやらねえよ」
「そりゃすまなかった。恋人もこちらで作っているし、あまり帝国に未練がないように思えたのでね」
イノはソーウェルラントに恋人がいた。それはジョセフも知っており、結婚の話も出ていると聞いていたので、カスケード王国に根を下ろすつもりだと思っていた。そして、それは帝国に対しての執着がないからだと勘違いしていたのである。
「恋人は仕事だからだよ。地元の女と付き合っていた方がなにかと都合がいいだろ。愛情なんてねえよ。帝国の女と比べたら、ここの女は質が落ちる」
「そんなもんかね。俺の目からしたらどこの女も大差はないように思えるが」
「そりゃ、恋愛経験が少ないからだよ。恋をしてみな」
「もうすぐ墓に入る老人の、老いらくの恋は面白いかもしれんな。今は相場が恋人みたいなもんだが。これだけわがままな女もそうそうおらんぞ」
「そうだ。それで、相場はどうなんだ?」
「資金が止まって苦しい。普通の相場ならここで売り抜けて利益を確定すればよいが、今回はギャレット将軍の指示で高値を維持しなければならない。アーチボルトが勝利した話が出てからというもの、どうも売りが息を吹き返してきた。あと三日で取引最終日だが、このままの価格と建玉を維持すれば勝てるのだがな。お前さんが調べてくれた情報では、もう受け渡し日までにこの建玉の現渡しを出来るような現物はない。あとは先物を売り崩して、こちらに決済させるくらいしか手はないはずだ。それをしのぎ切れたら勝てる」
杉の先物は既に建玉が通常の3倍まで膨れ上がり、西部だけではなく近隣の現物を全て集めても受け渡しには足りないことを把握していた。利益が目的ではなく、カスケード王国の損失が目的なので、このままの建玉で受け渡し日を迎えたいところだが、最終取引日を目前にして帝国からの資金供給が止まってしまい、売り崩される可能性が出てきたのだ。
「足りるかわからねえが、俺たちの工作資金を使ってくれ」
「いいのか?」
「これも工作活動の一環だろ。問題ねえよ。それに、監視の目がきつくなってきて、新しい工作をするにもすぐには無理だ」
イノは町の中の警備が厳しくなっているのを肌で感じていた。脅している商人への接触も出来ていない。しかし、不思議とその商人たちの建玉について当局からの横やりは入らなかった。約定した正規の注文としてのままなのである。
イノはそれが引っ掛かっていた。
「気に入らねえのは、建玉についてなにもしてこねえってことだな。こちらの動きはばれていて、注文に協力させた商人からジョセフのところまでは調べがついていそうなもんだが、何もしてこねえ」
「それは、この先物市場のルールを曲げたくないんだろうな。買い注文は俺の指示だが、売り注文を出した相手にも取り消しの話を承知させなきゃならん。差金狙いの投機家ならよいが、現物を売ろうっていう商人なら、それも容易ではないだろう。問題は、こちらの動きを放置したままで勝てるという見込みの根拠か」
「調べてやりてえところだが、あいにくとさっき言ったように監視の目が厳しい。間諜網の再構築中でまた潰されるとどうにもならねえな。親も潰されたし」
イノが言う親とは東部軍区のことである。東部軍区壊滅の話は町の噂だけではなく、工作員の情報網でもまわっていた。組織の立て直しまでは支援は来ないと思ってくれと言われている。なので、増員など望めない。諜報活動での失敗は許されない状況になっていた。
「あと三日だけしのげたらそれでいいんだ。何とかしてみせるよ。さて、今日も値動きを見に行ってくるか」
「気をつけてな」
イノとジョセフは部屋から出て別れる。イノは彼女のところに行き、ジョセフは先物取引所を見に行く。
ジョセフが街を歩いていると、声をかけられた。
「ジョセフ・フロベールさんですね」
「そうだが、この街に知り合いはいなかったはずだが」
気が付けば四人の男がジョセフを取り囲んでいた。ジョセフは領主か国が動いたのかと直感する。男たちが一般人とは思えない体格をしていたからだ。
正面に立った男が同行を求めてくる。
「同行願えますか?」
「どちらにですかな?」
「この先にレストランがありますので、そちらまで」
「拒否した場合は?」
「手荒なことはするなと言われておりますので、素直に同行してもらいたいものですが」
「ま、私も抵抗できるとは思っておらんよ」
ジョセフは指示に従い、男たちについていく。
連れていかれたのはソーウェルラントの高級レストラン。貴族が使用する格式高い店で、ジョセフは入ったことはなかった。
そこに案内されると場違い感があり、とても居心地が悪い。
店内で案内された席には、母子かと思う年齢差の女性と男児がいた。身なりが良いので貴族だろうと判断する。
女性の方が口を開く。
「ようこそ、ジョセフ・フロベール。私はオーロラ・テス・ソーウェルと言えばわかるかしら」
「これはこれは、お会いできて光栄です、閣下」
ジョセフは相手がこの町の支配者であるオーロラであると知り、頭を下げる。
「こちらはアーチボルト閣下。今日は二人でお願いがあって来たの」
オーロラが紹介したのは彼女の子供ではなく、竜頭勲章であるスティーブ・アーチボルトであることを知り、ジョセフは驚いた。子供だとはきいていたが、本当に子供であったのだ。
「さて、どのようなお願いでしょうか」
「今更手を引いてほしいとは言わないけど、建玉を本尊の貴方に一本化してもらえないかしら。このままだと買いが失敗してもあなたに責任が行かないじゃない。せいぜいが証拠金を失うくらいよ。ここまで荒らしてくれたんだもの、借金を背負ってもらいたいじゃない。貴方に特別に仲買人の資格を与えるわ。残りの取引日は自分で好きなようにやりなさい。ポジションを解消して帰ってくれるのが一番良いのだけど」
オーロラの真っ赤な唇の端が吊り上がる。ジョセフの政商としての経験が、ここは引き際だと告げるが、この程度の圧力なら大丈夫かという考えが頭の片隅に残る。
相手の狙いはジョセフに借金の可能性を持たせて、その圧力で手仕舞させようというものかとわかり、相手もそれだけ追い込まれているのだとわかって、ジョセフは自然と笑みがこぼれていた。
「格別のご高配を賜りありがとうございます。ありがたく仲買人を拝命し、残りの取引日を全うさせていただきましょう」
「引く気は無いか」
スティーブはため息をついた。
「カスケード王国において高名なバルリエ商会に相場で勝てるチャンスですからね。こちらからも一つお願いがあるとすれば、今後取引の無効の宣言や、証拠金の出金拒否などはしないと約束していただきたい」
「もちろんよ。こちらも泣き言を言わせるつもりは無いわ。背負った借金は綺麗にしてから出国してもらうことになるわよ」
ジョセフはオーロラの言葉もはったりであると思って、臆することは無かった。
「さて、話はここで終わり。食べていくでしょう?」
「せっかくのお心遣いですが、この後相場を張るのに満腹では思考が鈍りますので遠慮いたします」
「残念ね。取引所には伝えておくから、存分に腕を振るいなさい」
「失礼いたします」
ジョセフは解放される。レストランから出ると、どっと汗が噴き出した。スティーブはともかく、オーロラの圧が凄まじかったのである。
しかし、これでやり過ごしたという達成感はあった。取引所に到着すると仲買人としての扱いをするという話が伝わっており、脅迫していた商人たちの建玉と証拠金が全てジョセフ名義となっていた。
スティーブが転移で先回りして、取引所の職員に仲買人とするオーロラの命令を伝えていたので、すんなりといった。
取引所では特に大きなトラブルもなく、売り買いの注文を自分で出していくことに快感を覚えてその日は終わった。
宿に帰ってそのことをイノに話す。
「相手は俺のことまで調べがついたうえで、手を出してこなかった。しかし、圧力以外に何も手はないだろう。国内の杉の殆どは東部に送られている。それが国王の命令だからな。結局のところあと二日のうちに殆ど買い戻すはめになるだろう。買い戻さない方がいいけどな」
現渡し出来なければ相手の信頼は地に落ちる。それがバルリエ商会ではなくて、ソーウェル辺境伯と竜頭勲章となれば、帝国敗戦の結果に一矢報いることが出来る。
そして、その資金を使って翌月も買い占めが出来るというもの。ただ、翌月についてはオーロラが許可してくれるかどうかはわかってはいないが。
「資金は足りそうか?」
活動資金を渡してあったイノは、ジョセフに確認をする。
「大丈夫だ。自分だけで買うのなら足りないが、今日も俺が買ったのを見て、提灯をつける連中が多かった。盛り上がりを時々見せて、他の奴らの資金で買いを作っていくさ」
「期待しているぜ。それにしても、ここも調べられているとなると、俺も宿を引き払う必要があるか」
イノは今後のことを考えた。すでに本国の支援は期待できない。その中で何が出来るかを。
「一緒に帝国に帰ろう。相手が身の保証をしてくれたんだ」
「それは俺じゃねえだろ」
イノはジョセフの話が反故にされる可能性を考えていたのと、商人であるジョセフと工作員である自分では、カスケード王国の扱いも違うだろうと思っていた。工作員である自分をこのまま見逃してくれるとは思えなかったのである。ただ、今は考えても良い案が浮かばず、酒を飲むことにした。
その姿を一匹の虫が壁から見ていた。
一方そのころ、スティーブとオーロラはジョセフを監視しながら、今後の対応を話していた。
「相手はこちらが圧力をかけるしかないと思ってくれていますね」
「狙い通りね。では、残り二日で思いっきり売って、相手のポジションを膨らませましょうか」
東部地域から借りてきた杉の現物は、建玉よりもまだまだ多かった。なので、ジョセフにもっと建玉を作らせて、損失を膨らませようと画策したのである。
その一つがレストランでの面会であった。
あそこでジョセフが怖気づいて撤退するならそれもよし。こちらに策がないと思ってくれるならそれもよしであった。
結果、ジョセフは被害の大きい方を選んだ。
翌日から、ジョセフの思惑とは違い、バルリエ商会によるさらなる売りましがある。取引所にはオーロラの姿もあり、売り方も勢いづいた。
その日は売りが優勢になり、前日よりも5%下落して取引を終えた。
さらに翌日の最終日は、売り一色となる。ジョセフはスティーブたちが現物を用意できないと思っており、あえてポジションを減らすようなことはしなかった。ただし、証拠金も尽きて買い増しも出来なかったが。
取引最終日を終えて、ジョセフはイノと酒を飲んでいた。
「終わったな。本来なら追証が支払えず強制決済だが、取引最終日を過ぎればどのみち強制決済だ。後は相手が現渡し出来なければこちらの勝利。現引きする余力もないが、売り方が現物を用意するのが先っていうルールだから、勝利は確定だ」
「帝国の勝利に乾杯!」
イノは上機嫌でグラスを掲げた。
負けが続いていた帝国の久しぶりの勝利である。その日、二人は深夜まで酒を酌み交わした。
その後、受け渡し日前日になると、ジョセフはスティーブから呼び出される。証拠金は建玉に拘束されたままであり、特にやることもないのでその呼び出しに従う。
ここにきての約定取り消しの可能性もあったが、そうであれば相場師としてはジョセフの勝利であり、相手の名声が下がるだろうと思って出向く。
場所は倉庫だった。
そこにはあふれんばかりの杉が積まれていた。杉の香りが倉庫内に充満している。
「やあ、フロベール。これが明日現渡しする杉なんだ。こちらが現渡し出来ないと思って現引きの資金を用意しないなんていうことが無いように、先に見せておこうと思ってね」
笑顔でスティーブが自慢する。
ジョセフもそこは商人である。確認もせずに相手の言うことを鵜吞みにはしない。
「閣下、確認してもよろしいでしょうか?」
「もちろんだよ」
ジョセフは積みあがっている杉を確認していくが、全て本物であった。さすがに倉庫全部を確認することは出来ないが、おそらくは全て本物であろうと思った。
「本物でしょ」
「はい。しかし、驚きました。どうやってこの量を調達されたのですか?」
「これは人々の思いだよ。東部の人たちが復興を遅らせてまで帝国に勝ってほしいっていう好意だね。いや、執念かな。たとえ土の上で寝ることになっても、帝国に勝たせるわけにはいかないっていうね。ま、これを現引きされてしまったら、どうにもならないけど」
スティーブはジョセフの資金量を確認したうえでそう言った。
「やれやれ、レストランで会ったときは圧力で撤退させるくらいかと思いましたが、現物を用意されていましたか。しかし、我々もソーウェルラントに流入する木材は監視しておりましたが、よくそれをかいくぐって運べましたね」
「それは企業秘密です」
「それがわかれば行商も楽なのですけどね」
「通行税とか?」
「ええ。帝国でも通行税は高いのですよ。それが頭痛の種でして」
「ま、その頭痛の種もなくなるかもね」
「どういうことでしょうか?」
「帝国東部で独立派勢力が動き出したんだ。東部軍区が崩壊して、被征服民の押さえつけが出来なくなったからね」
スティーブは忌々しそうにそう言った。
「閣下の仕業ではないのですか?」
「僕じゃないよ。ただ、帝国が弱ることが国益だと思う人がいてね。僕にそれを止めることは出来ないんだ。それで、フロベールの商会も目の敵っていうわけ。もう商売は出来ないだろうね」
ジョセフは目の前が真っ暗になった。先物では借金を負うことが確定し、本業は略奪にあって商売が不能となっていることで、再起は出来ないという事実に打ちひしがれたのだ。
スティーブはそれ以上ジョセフと話すことはなく、ジョセフはふらふらと宿に帰った。
そして、そこでイノに今日のことを打ち明ける。
「やられたよ。杉の現物の山が倉庫にあった。現引きできるような資金もないし、完全にこちらの負けだ」
「なんだと!どこから持ってきやがった。それに、本物か」
「東部から持ってきたと言っていた。ここに運び込んだ方法はわからんがな。それに、確認したのは全部本物だった。おそらくは全部本物だろう。負けたよ」
ジョセフは天を仰いだ。
そんなジョセフとは違い、イノは考えることをやめなかった。そして一つの結論に至る。
「倉庫の場所を教えてくれ」
「そりゃあかまわないが、どうするつもりだ?」
「火をつけて燃やす。明日現物が無ければこっちの勝ちだろう」
「そうだが、おそらくは警備は厳重だぞ。相手が放火のことを考えないとは思えない」
「そうかもしれねえが、相手の売り玉も逃げられねえんだろ。勝つ方法が目の前にあるなら、それに賭けてみるのも悪くねえ」
ジョセフはイノの案に気乗りしなかった。
「どうしてそこまでするんだ?」
「帝国が負けっぱなしでいいわけねえだろ。俺たちは帝国民じゃないのか。相手が愛国心で杉を用意したっていうのなら、それを燃やすのがこっちの愛国心だろ」
「それはそうだが、放火は重罪だ。捕まれば死罪だぞ」
「何もしないで明日を迎えたら、一生後悔して生きることになる。それが俺の選択だ。無理強いはしねえ。一人で行くさ」
ジョセフはイノを止めることは出来ず、スティーブに案内された倉庫の場所を教えた。
「幸運を祈っているよ」
「すまねえな」
そういうと、イノは下見に出掛けた。
ジョセフから聞いた倉庫には警備の兵士が複数おり、中を確認することは出来なかった。しかし、その警備の物々しさが中の重要性を物語っていた。
「やるなら深夜か」
イノはそうつぶやくと、日が落ちるのを待った。
夜になるとイノは火をつけるために倉庫に忍び込む。昼の物々しさは消えて、二人の警備兵が周囲を警戒するだけだった。広い倉庫を二人では死角も多く、イノは苦も無く倉庫に忍び込む。
静まり返った倉庫の中に、虫の鳴き声だけが響き渡った。
「暗くて何も見えねえが、火をつければ明るくなるか」
「そうだね」
「誰だ!」
独り言を言ったつもりが相づちがはいり、イノは周囲を見回した。暗闇で何も見えないと思った直後、倉庫内に明かりがともる。
イノを待ち構えていたスティーブが火の魔法で倉庫内の松明に火をつけたのだ。
明るくなった倉庫の中には松明と虫以外には何もない。
「ようこそ。帝国の工作員イノ。僕はスティーブ・アーチボルト。宿でジョセフと話をしていたのを聞いたから、待っていたんだ。万が一にも燃やされると困るから、杉は安全な場所に隔離したよ」
安全な場所とはスティーブの収納魔法による亜空間だ。そこならば放火の心配はない。
スティーブは直ぐに魔法でイノを拘束した。
イノは舌打ちする。
「随分と大物がお出ましで。全て筒抜けだっていうわけですかい」
「当然。それにしても、大した愛国心だ。逃げるっていう選択肢もあったろうに」
「逃がしてくれましたか?」
「少なくとも僕は追うつもりはなかったよ。ここに火をつけるっていうから待ち構えていただけで」
それはスティーブの本心だった。ただ、オーロラは逃亡を見逃さなかっただろうが。
イノは観念してスティーブにお願いを申し出た。
「俺がお願いする立場じゃねえのはわかってますが、二つだけお願いがある。閣下なら何とかできるでしょう」
「聞こうか」
「まず、俺の彼女は無関係だ。俺が工作員だっていうのも知らないから、彼女を連座させるのはしないでほしい」
「それは理解している。ソーウェル卿にも伝えておこう。彼女を罪に問うことはしない。しかし、不思議なものだな。仕事のために利用していた女だろう」
「ありがとうございます。いくら仕事のためとはいえ、付き合っていれば情もわくでしょう。閣下はどうか知りませんが」
イノに言われてスティーブはナンシーと重ねる。
「いや、痛いほどわかる」
「本当ですか?」
「帝国の工作員なのに、クィーン・オブ・ソードの話を知らないの?」
「あっ」
スティーブに言われてイノはクィーン・オブ・ソードの話を思い出した。魔法で操られていたクィーン・オブ・ソードにスティーブが情が湧いたとしても不思議ではない。
イノもそのことに気づいたのである。
「すいません」
「謝らなくていいよ。次は?」
「俺が処刑されたら骨を帝国に届けてはくれませんか?最後は帝国に帰りたいんでね」
「処刑されるかどうかはわからない。ずっと牢に入れられて僕の方が先に死んだら約束は守れないからね。そうだ、放火未遂は見なかったことにしておくから、フロベールと一緒に帝国に帰りなよ」
スティーブの話にイノは目を丸くする。
「ジョセフが帝国に帰れるってんですか。莫大な借金があるのに逃がしてくれないでしょう」
「ま、そこはもう話がついているんだよ。フロベールをここに置いておいても銅貨一枚にもならないからね。帝国でもう一度商売をして、今回の借金を返してもらうことになったの」
スティーブはイノが出た後の宿も監視していた。そこではオーロラの使いがジョセフを連れ出し、再びあの高級レストランに招待したのだ。
そこで、オーロラはジョセフに再び帝国で商売をさせることを承諾させた。帝国に対して足がかりを作ろうというわけである。どのみち、カスケード王国の国内にとどめておいたとしても、借金を返せる見込みもないので、資金を出して帝国で商売をさせることにしたのである。
「陸路は難しいから船を手配してあるよ」
「罠じゃねえんですか?」
「何のために?殺すなら今この場で出来るのに、わざわざ船に乗せたりしないよ」
「それもそうですね。ありがたく帰国させてもらいますよ。帰ったところで、もう工作員の仕事も出来ないので転職ですがね」
工作員として面が割れたイノの使い道は無い。帝国も解雇するしかないのだ。カスケード王国にとどまっても、本国の混乱から転職となるだろう。結局イノの工作員としての仕事はここで終わりなのだ。
なお、スティーブがイノの身柄を勝手に出来るのは、オーロラがイノは好きにしろと言ったからだった。もっとも、スティーブが何もしなければ、オーロラが始末していたことになっていた。
イノの愛国心を聞いて、スティーブが情けをかけたのが今の状況である。
こうして、杉の先物は受け渡し日に現引き出来ず決済事故となって終了した。
いつも誤字報告ありがとうございます。