90 愛国心
いったん自分の家に戻ったスティーブはクリスティーナにオーロラからの呼び出しの内容を報告する。
「ソーウェル卿からの呼び出しは、帝国の商人がソーウェルラントに入り込んで、杉先物の価格を吊り上げているのを何とかしてほしいっていうことだったよ」
「それは急ぎの案件でしたか?」
「そうだね。バルリエとエマニュエルが売り崩そうとして失敗。今は多額の損を抱えている状態だよ。ここからどうやって巻き返そうかっていう相談だった。取引最終日まであんまり期日が無いから、結構大変なんだよねえ」
「急ぎの案件を止めていて問題になりませんでしたか?」
「知ったところで戦争中だったからどうにもできなかったよ。クリスの判断が正解だったね」
帝国の東部軍区を潰して回っている最中に、今回のことを聞いたからといって、スティーブに何が出来たわけでもない。余計な心配をしなくて済んだので、クリスティーナの判断は正しかったのだ。
それを聞いてクリスティーナはホッとした。
「それで、何か手の打ちようはあるのでしょうか?」
「うーん、どうかなあ。僕だけでは解決出来る問題でもないんだよねえ」
「どなたかの助けが必要だと?」
「そう。やるとしたら杉の現物をかき集めてこないとならないんだけど、うちの領地だけじゃどうやっても足りないからね」
「では、実家の父にお願いしてみましょうか」
「そうだね。お願いしてみたいけど、すぐに必要数はあつまらな――――」
といったところで、スティーブの頭の中で何かがつながった。
「クリス、マッキントッシュ侯爵を説得できる?」
「それがスティーブ様のお役に立てるのであれば、父の前で自分の喉にナイフを突き立ててでも説得してみせます」
「いや、そこまでしなくても」
「そうですか。でも、すぐに必要なのですよね?」
「取引最終日と受け渡し日は別なんだよね。正確には受け渡し日までに物があればいい。で、それは国内で一番現物が集まっている東部の杉を借りてこようかなと思っているんだ。それで、現渡しにはその杉を使って、杉を返すのはマッキントッシュ侯爵領からの杉を返せばいいかなと思って。これって実質的な空売りだから」
スティーブの考えたのは東部に集まる杉を借り受けて、先物の現渡し用の現物として使う。相手は全ての杉を現引きできなければ、そのペナルティを支払うことになる。一部の先物取引業者は現引き出来るだろうが、本尊に現引きさせなければスティーブの勝利となる。そして、一部現引きされた杉の代わりに、マッキントッシュ侯爵から借りた時以下の価格で仕入れることが出来れば、それがスティーブの利益となるのだ。
しかし、それには問題もあった。
「問題はイヴリンが杉を貸してくれるかだねえ」
現在クレーマン辺境伯家はイヴリンが実権を握っていた。連合軍撃退後に実家に帰ったイヴリンに対し、クレーマン辺境伯はスティーブの力を借りたことを非難した。そして、イヴリンを勘当して家から追い出そうとしたのだが、その命令に従う者は誰一人いなかった。
クレーマンラントに籠城し、敗北を覚悟した家臣たちは、その窮地を救うためにスティーブに頭を下げて力を借りたイヴリンに味方し、クレーマン辺境伯と長男のアルバートを部屋に軟禁してしまったのである。
最初はそのことに戸惑ったイヴリンであったが、この期に及んでもなおスティーブを敵視して反省をしない父と、それを諌めることも出来ない兄を見て、このままでは本当にクレーマン辺境伯家は終わってしまうと考え、自分がクレーマン辺境伯家の実権を握って、東部地域の復興を指揮することを決意したのである。
家臣もイヴリンが動いて他の貴族の領地が復興に向かっていることを知っており、反対するものはいなかった。
こうしてクレーマン辺境伯家はイヴリンの指揮のもとに、復興事業を行っていたのだ。
「どうしてそのようなことを心配されるのでしょうか?東部はスティーブ様のおかげで危機を乗り切ったわけですから、返すとわかっている物を貸さないなどという恩知らずなことはしないでしょう」
「それが、実はクリプトメリア王国の国王を捕虜にした後で、イヴリンに告白されたのを断ったんだよねえ」
「まあ、そんなことが」
イエロー帝国の問題は残っていたが、東部一帯の問題が解決したときに、イヴリンはスティーブに結婚してほしいと告白したのだった。しかし、スティーブはそれを断る。クリスティーナのこともあったし、ナンシーのこともあったし、そもそもイヴリンをそうした対象として見てはいなかったので、結婚を申し込まれても心が動かなかったのである。
それをクリスティーナに伝えれば心配されるか、嫉妬されるかであろうとおもって黙っていたのだが、ここにきて言わないといけない状況になってしまったので、やっと伝えたのである。
時間が経ってしまった分だけ、なお印象は悪くなるというのに。
クリスティーナに何を言われるかと心配していたスティーブだったが、クリスティーナは落ち着いていた。
「断るところがスティーブ様らしいです。その申し出を受けていれば東部一の領地が手に入ったというのに」
「女性も領地もこれ以上はいらないよ」
「その言葉信じてもよろしいですよね?」
「はい」
「では、私もクレーマン辺境伯家に一緒に行きます」
「はい」
クリスティーナの勢いに押されて返事をするスティーブであった。その後、オーロラから相手の資金量や建玉についての資料を貰って、それに目を通してからクレーマンラントに行くことになった。
スティーブはクリスティーナと一緒にイヴリンの元を訪ねた。東部地域の救世主であるスティーブの来訪ということで、すぐにイヴリンとの面会は叶う。今までクレーマン辺境伯が座っていた椅子にイヴリンが座り、その横にスカーレットが控えている。
スティーブが来たということだが、イヴリンは仕事の最中であった。しかし、格上のスティーブが入室すると、椅子から立って頭を下げる。
「ようこそお越しくださいました。本日はどのようなご用件でしょうか?隣の令嬢が関係することでしょうか?」
イヴリンの挨拶に棘を感じたクリスティーナが挨拶をする。
「初めまして、クレーマン辺境伯令嬢。スティーブ様の婚約者、クリスティーナ・ギス・マッキントッシュですわ」
「わざわざ丁寧なご挨拶ありがとうございます。一つ訂正するなら、クレーマン辺境伯代行で、領内の全権を代行しておりますの。それで、本日は私も婚約者としていただけるので、それをもう一人の婚約者に紹介されるとかでしょうか?」
いきなりクリスティーナとイヴリンがやりあうので、胃が痛くなるスティーブであった。
このまま帰りたいと思ったが、それでは本来の目的が達成できないので、イヴリンに来訪の目的を告げる。
「実は帝国の策略の一環で、西部地域の杉の先物が異様な高値となっているのです。国内の杉の価格を吊り上げて、復興にかかる予算を増やそうというのが狙い。それを失敗させるために、東部に集まった杉を一時的にお借りしたいと思いまして」
「帝国の策略と聞いては黙っておれませんね。東部がこのような事態になったのは父の不手際が原因ですが、その一因は帝国にあります。手放しで協力したいところですが、他の領主の許可も得なければなりませんので、ご一緒願えますか?」
他地域から送られてくる支援物資は、いったんクレーマン辺境伯領に集められ、そこでイヴリンによって分配が決められていた。
しかし、イヴリンの一存でその分配を止める権限はなく、物資を待つ領主に許可を得る必要があった。スティーブもそこは無理強いできない。
「もちろんです」
「そちらの、婚約者の方もですよね?」
「はい、そのつもりです」
ここまできてクリスティーナを残していく理由もなく、スカーレットを入れた四人で東部貴族の説得に動くことにした。
あまり時間がないというと、イヴリンは全ての予定をキャンセルして、説得に付き合ってくれることになった。
四人が最初に訪れたのはグリフィス子爵の居城である。グリフィス子爵は恩人であるスティーブの来訪ということで快く迎えてくれた。
そして、その目的を話すと是非とも協力させてほしいと願い出た。
「帝国に一泡吹かせられるのなら、復興が何年遅れようとも皆納得するでしょう。我が領地は平民にいたるまで今回の帝国の悪辣なやり方に腹を立てております。それにさらに新たな策略となれば、たとえ土を食むことになったとしても、喜んで協力することでしょう。是非ともご協力させてください。今まだ手つかずの杉もお渡しいたしましょう」
「いや、こちらがお願いする立場ですから、そこまでは」
グリフィス子爵の熱の入りように、スティーブは恐縮してしまった。今回のことで東部の復興は少なからず遅れることになるのだが、そうとわかっていても嫌な顔一つせずに協力してくれるというのである。それどころか、一旦分配された杉を持ち帰ってもよいとまで言ってくれたのである。
遠慮するスティーブにグリフィス子爵は言う。
「東部の人間は受けた恩を忘れるような恩知らずではございません。閣下が帝国の策略で窮地だというのであれば、それを救助することに嫌な顔をするものはおりません。それに、地域ごとでの対抗心はあるにしても、我々はカスケード王国の国民です。帝国の思い通りになってよいなどという者はおりません」
グリフィス子爵の愛国心にスティーブは心を打たれ、その申し出をありがたく受けた。他の貴族たちもグリフィス子爵と同じ思いであり、帝国の利益になるくらいなら復興は後回しでもよいと杉を貸すことを許可してくれたのである。
すべての領主の許可を得てクレーマンラントに戻ると、イヴリンはスティーブに微笑む。
「東部に恩知らずがいなくてホッとしました。しかし、閣下であれば杉を貸せとお命じになるだけでも良かったのでは?」
「東部の惨状を見てそれは出来ないよ。仮設住宅は土の魔法で作ったから、地面に寝ているのと変わりないじゃない。そんな人たちにもう少しその生活をしろなんて言えないよ」
「父に閣下のような民を思いやる心があればもう少し違った結果になっていたのでしょうけど」
「僕のやり方が正解かどうかはわからないけどね。もし、今回みんなに反対されていたら、帝国の思う壺だった。そうなるくらいなら強権的に杉を徴発するのが正解になるから」
それを聞いてイヴリンから微笑みが消える。
「そうなっていた場合、閣下ならどういう判断をされていましたか?」
「別の方法を探すだろうね。今回で言えば、先物の約定をなかったことにするかな。でも、それをやったら非難囂々だろうけどね。誰であろうがルールに則って約定した注文を取り消すなんて、せっかく作り上げてきた先物市場の信頼が台無しになる。でも、東部の復興を無理やり遅らせるよりはましかな」
「閣下が非難を一人で受けることになりますが」
「それも仕方ないよ。僕がソーウェル卿に言われて首を突っ込んだ責任だから」
「その優しさは、時に弱点となりませんか」
「反論出来ないかな」
イヴリンは質問を通じてスティーブの人の好さを再認識した。ただ、それが自分が惚れたところでもあるが、当主代行となった今は、それが欠点に見えてしまったのだ。
その雰囲気を察知したクリスティーナがスティーブのことをフォローする。
「そうならないのがスティーブ様の素晴らしいところです。今日皆様に許可いただいたのも、今までの行為の積み重ねがあってのこと。東部に対しての無償の助力が今回のことにつながっているのです」
「確かにその通りですわね。逃がした魚は大きかったということですか」
クリスティーナの言葉にイヴリンはどこか吹っ切れた様子で笑う。
「それでは閣下、どうぞ杉をお持ち帰りください。借用書は後ほど届けさせます」
「ありがとう」
「必ず帝国に勝利くださいませ」
「もちろんだよ」
こうしてスティーブは東部の杉を借り受けることに成功した。杉を収納魔法で収納して転移したスティーブを見送ったイヴリンとスカーレット。二人きりになった部屋でスカーレットはイヴリンに質問した。
「イヴリン様、本当に諦めてよろしかったのですか?今回の借用の条件に婚約を入れてしまえば、アーチボルト閣下は断れなかったでしょう」
「スカーレット、そんなことをしてもあの方は振り向いてはくださらないわ。これで二度目の失恋ね」
「お言葉ですが、悲しんでいるようには見えませんが」
「そうね。悲しんでいる暇なんてないわ。あの方以上の男性なんて見つからないと思うもの。だから私はクレーマン辺境伯領と結婚することにしたわ。生涯をこの領地と添い遂げるの」
イヴリンの決意にスカーレットは目を丸くした。
婚約を破棄されて毎日泣いていたイヴリンが、スティーブに振られたら領地と結婚すると言い出したのだ。弱々しさが消え、クレーマン辺境伯よりも野心的に思えた。
「まずは手始めに、西部に人を派遣して杉の先物に売りを入れなさい」
「それはアーチボルト閣下の援護でしょうか?」
「違うわよ。東部の復興にはお金がかかるでしょう。だから先物取引でお金を作っておきたいのよ。アーチボルト閣下が杉の現物を手に入れたっていうことは、売りが勝つ目途がたったのよ。でも、手元の現物を貸してしまったから、売るのは期先にしなさい。期近が崩壊すれば期先も値崩れするわ。仮に値崩れしなかったとしても、来月には現物も返ってくることでしょう。何の問題も無いわ」
スカーレットが野心的と思ったのは正解だった。
イヴリンは直ぐに失恋から気持ちを切り替えて、領地復興のための資金を作る策を思い付いたのである。
値崩れする前に注文を出す必要があったので、派遣を命令された者は旅の準備をする間もなく蒸気機関車に乗せられた。着替えその他は後で送ると言われて。
こうして何者かになりたいと思っていたイヴリンは、オーロラのようなよく言えばやりて、悪く言えば怪物になっていくのであった。
いつも誤字報告ありがとうございます。