89 杉先物
クリプトメリア王国イエロー帝国の連合軍を打ち破った後、スティーブはすぐさまクリプトメリア王国の王城を襲撃する。
いつもと違って東部地域に占領のための兵士を出す余力がないため、直接敵の本拠地を叩くことにしたのだ。転移の途中でいくつかの出撃準備をする部隊を見かけたが、それらの兵士を相手にすることはなく、食糧だけを収納魔法でかっさらうだけにしておいた。こうすることで、敵の出撃を遅らせることが出来た。
イエロー帝国のスートナイツの力を借りて、快進撃を続ける自軍の報告に気をよくしていたクリプトメリア王国国王は、スティーブによる王城攻撃など夢にも思ってなかったのであるが、今現在は魔法で拘束されて動けなくなっていた。
「何者だ?」
拘束されながらも、クリプトメリア王国国王カイン・ミル・クリプトメリアはスティーブを睨んだ。
スティーブはそんな国王を睨み返す。
「カスケード王国竜頭勲章、スティーブ・アーチボルト。今回の戦争を終結させるために、本拠地を攻撃しに来た」
「貴様があの竜頭勲章か」
「如何にも。さて、ここにお集まりのお歴々には我が国にお越しいただこうか」
そう言うと、スティーブはクリプトメリア王国の国王をはじめとして、重臣たちをカスケード王国の王城に転移させた。カスケード王国側では、スティーブが動いた時からこうなることを予感しており、さして混乱することなく、クリプトメリア王国側の要人を捕虜として受け入れた。
その後、スティーブはナイト・オブ・ソードについて転移したイエロー帝国の東部軍区の司令部に転移する。ソード騎士団のトップが居なくなった司令部には、スティーブを止められるものは無く、あっという間に制圧された。
その場にいたギャレット将軍も捕虜となり、カスケード王国に送られることとなる。
ギャレット将軍はスティーブの襲撃で拘束された際に、スティーブに訊ねた。
「鮮やかな手口で速やかな制圧をする子供。貴殿がアーチボルト殿か?」
「そうだ」
「やはりか。貴殿がここに来たということは、クリプトメリア王国に送った部下たちは倒されたか」
襲撃してきた相手がスティーブだとわかると、ギャレット将軍は部下の敗北を知る。戦闘になったのは報告を受けていたが、通信手段の限られるこの世界では、その後の情報が届くにはまだ時間がかかった。
なので、スートナイツの三人、エースとキングに加えて行方不明だったクィーンがスティーブに敗北した情報は知らなかったのである。
戦闘になったことと、スティーブがここを襲撃した事から導き出された答えは、スートナイツの敗北。ギャレット将軍はため息をついた。
「戦闘をする予定は無かったし、誰が来ても勝てるようにあの二人を送ったのだがな」
「戦闘は偶発的だったし、それに僕一人では負けていたでしょうね。勝てたのはナンシーのお陰ですよ」
「ナンシーだと?それはまさかクィーン・オブ・ソードか?」
「ええ」
「生きていたのか」
「僕が魔法で味方にしていました。尤も、そちらのエースの魔法でそれも解けましたが。結局僕の手で倒すことになりました」
スティーブの話にギャレット将軍は愕然とした。年端も行かぬ子供に、東部軍区最強の三人がひとつの戦場で倒されたのである。そして、諦めた。
「帝国はこれで東部を手放すことになるか。私の命運も尽きたな」
スティーブを止められる戦力はなく、東部軍区が蹂躙されるのは目に見えていた。そして、自身はここで殺されるか、捕虜となった後に解放されて帝国に責任を取らされて殺されるかの運命だとさとる。
「ここでは殺しませんよ。その後は僕の判断ではないのでわかりませんが。では、同行願いましょうか」
こうしてギャレット将軍をはじめ、指令部の兵士たちはカスケード王国に転移させられた。
ついで、スティーブは司令部で入手した他の駐屯地や軍事拠点の位置情報を使って、東部軍区の主要な駐屯地と拠点を全て攻撃。反撃開始から一週間でイエロー帝国の東部軍区はその機能を失ったのである。
一緒にいたベラはスティーブの姿を見ながら疑問に思うことがあった。ナンシーを失ったことを忘れるためにいつもよりも苛烈に動いているのかと思ったのだが、どうも、スティーブにはそうした怒りや喪失感が感じられなかったのである。事務的といえばそうなのだが、幼馴染としてこうしたときにスティーブが感情を表さない、抑えている感じもしないことが不思議であった。
しかし、それを口にしてスティーブに訊ねることはしなかった。ベラはスティーブがしたいようにすればいいと思っていたのである。
クリプトメリア王国とイエロー帝国の戦力を無力化したスティーブは、久し振りにアーチボルト領に戻ってゆったりする時間が取れると思っていた。
しかし、それは実現しない。
クリスティーナがスティーブにオーロラからの呼び出しがあったことを告げる。
「実はソーウェル閣下からご連絡がありました。顔を出してほしいとのことです」
「いつの話?」
「三日前に連絡がありましたが、スティーブ様が取り込み中でしたので、私の判断でご報告いたしませんでした。余計なことでしたでしょうか?」
「いや、心遣いありがとう。どのみち顔を出せなかっただろうし、聞いていたらそれが頭の端っこに引っ掛かって、戦争に集中することが出来なかったとおもうよ」
スティーブはクリスティーナの心遣いに感謝した。相手の態勢が整う前に叩いておく必要があり、いかにオーロラの呼び出しといえど、結局後回しにすることになっていただろう。しかし、それが気になっては戦闘にどんな影響が出るかはわからない。
結局知らないのが一番だった。
クリスティーナはこの呼び出しが緊急かつ重要なものであった場合、自分が責任を取ればよいとの覚悟でスティーブへの報告を止めていた。スティーブももちろんその覚悟を理解した上での感謝である。
「それにしても、ソーウェル卿はいったいどんな用件なのかな」
「用件は来た時に話すとのこと。連日光通信で連絡はありましたが、用件についてはありませんでした」
「まあ、見ることができる通信だから、光を見ればその内容もわかるだろうしね」
暗号化してはいるが、それは変換表について何個ずらすかという単純な暗号だ。平文に毛が生えた程度の暗号のため、光を見ながら文章を並べれば、意味の通じるように変換するのも難しくはない。そのため、機密性の高い内容については光通信を使うのは避けられている。
暗号についてもまだまだ研究が始まったばかりであり、それを現場の運用レベルに落とすには時間がかかっている。
「あまり待たせて要求が上がるのも困るし、ちょっと行ってくるよ」
「お気を付けて」
スティーブはベラを伴いオーロラのところに転移することにした。
ベラにそのことを告げると、ベラはスティーブに忠告をする。
「あんまりクリスを相手しないと捨てられるかもね」
「気にはしているんだよ。でも、中々状況が許してくれなくてね」
スティーブが前世で独身だったのは、忙しくて女性と知り合う暇がなかったというのもある。今世ではクリスティーナと早々に知り合って婚約することが出来たが、忙しい状況は変わっていない。
貴族の結婚が家と家のつながりというのはあるにしても、今クリスティーナがスティーブに好感をもってくれているのも事実。心が離れる前にケアした方が良いとは思ってはいた。
ベラに忠告されたことで改めて、そうしなければと決意する。
「ソーウェル卿の話が終わったら、クリスティーナとの時間を作ってみるよ」
「誰もいなくなっても最後まで私はいるから」
「そうなる未来が来ないようにするよ」
スティーブはそう言うと、ベラと一緒にオーロラのところに転移した。
すぐにオーロラとの面会となり、いつものようにスティーブとオーロラとハリーの三人での話し合いとなる。
「会いたかったわ。ずっと顔を見せないから、どこかほかで良い相手を見つけたかと思って嫉妬していたのよ」
「愛する女性と別れたばかりでそれは無いですよ」
「その件についてはご愁傷様。閣下がどれほどクィーン・オブ・ソードを愛していたかなんて、他の貴族は知りもしないから、一度にスートナイツを三人倒したなんてはしゃいでいるけど」
東部でスティーブがエース、キング、クィーンの三人のスートナイツを倒したのは国内で知られるところとなり、当然オーロラもその情報を掴んでいた。
スティーブの足取りを探していたところ、東部地域の復旧作業の手伝いから、クリプトメリア王国とイエロー帝国の連合軍との戦いに国王の命令で参加していることを知り、その後、ソード騎士団のトップ3をクレーマンラントの目前で倒したという話を入手した。
クィーンについてはスティーブが国王の命令を覆させてまで助命した経緯があり、その後の扱いを見ればどういう位置付けなのかはオーロラでなくても察せるところであった。そのクィーンをスティーブ自らの手で葬ったとなれば、その心中を察することも出来る。
そして、あえてその状況で揺さぶりをかけてみようというのはオーロラの悪い癖だった。
「それで、僕に戦況報告をさせるために呼んだわけではないですよね」
「そうなんだけど、実はもう一人今日この場に来てもらいたい人物がいるのよ」
「誰ですか?」
「バルリエ」
「バルリエですか」
オーロラの口から思ってもみなかった名前が出たのでスティーブは驚いた。スティーブが来訪したことで、オーロラは急いでバルリエを連れてくるように指示を出し、今はバルリエの到着を待っている状態である。
「到着するまでに時間がかかるから、私の方から状態を説明するわ。今回のイエロー帝国の狙いは東部への圧力行為だけじゃなくて、カスケード王国内の杉価格の吊り上げもあったの。西部の杉価格を吊り上げることで、東部の復興を遅らせるのと、復興予算を通常よりもかけさせることが狙い。そこで目を付けたのがここの杉先物の買い。最初は小さな商会が手を組んで買い占めをはじめたと思っていたんだけど、その資金となっていたのが帝国だったわけ。気づいたときにはバルリエも巨額の建玉となっていて、買い戻しをしたら一気に価格が高騰することになるわ。かといって、現渡しするほどの杉も無い」
「結構苦しそうな状況ですね」
「他人事じゃないわよ。閣下の工場だって原材料で木を沢山使っているでしょう。エマニュエル商会も先物価格を下げようとして、売りをいれたけど担がれている状況よ。つぶれることはないでしょうけど、アーチボルト領にも影響が出ると思うの」
どこか他人事のようにいうスティーブに対し、オーロラはスティーブも当事者だと言う。
工場の杉の仕入れ価格についてはスティーブにとって頭の痛い問題だった。農業生産が向上したとはいえ、工場が稼ぐお金で領地が回っているのは変わらない。その工場が赤字となれば領地経営は苦しくなる。
しかも、スティーブが稼いだお金で無税を約束していたが、シェリーに頼まれてメルダ王国の賠償金にそれを充ててしまったので、工場が黒字でも結構苦しいのだ。赤字は絶対に避けねばならなかった。
そうしているうちに、バルリエが到着してバルリエからの報告となる。
「話は聞いたよ。随分と安易に売ったようだけど」
「申し訳ございません、閣下。最初は四人の商人が結託していると思っていたのですが、別の商人が後から入ってきまして、こちらが本尊の資金をいれた商会でした」
イノが用意した商人は四人だけではなかった。最初の受け渡し日には五人目は登場していない。バルリエが四人を調べてその資金量を把握して売りを入れてきたときに、五人目が買いをいれて一気に担ぎ上げたのだ。
エマニュエル商会もバルリエに提灯をつけており、一緒に担がれている。
これはジョセフの作戦だった。単純に買っても価格を吊り上げることは出来たが、より効果的なのは売り方を踏ませることによる踏み上げ相場。価格がオーバーシュートしてより上がることになる。
しかも、五人目の資金は別の相場で作っており、帝国から持ち込んだ時よりも増えていた。
オーロラが四人を調査した結果、帝国の工作員の影を掴んだが、その時は既に踏み上げが始まっていた。バルリエとエマニュエルは踏むことはしなかったが、他の提灯筋が堪えられずに踏むことで、杉価格は倍にまで上昇。こうなると、バルリエもエマニュエルも追加で証拠金を差し入れる必要が出てきた。この時建玉は増えており、西部地域の杉をかき集めても現渡し出来ないほどとなっていたのである。
かといって、建玉を手仕舞えばさらに価格は上昇する。
オーロラが相手の本尊の情報をスティーブに伝える。
「相手の本尊はジョセフ・フロベール。イエロー帝国の東部地域を活動拠点とする政商よ。今は偽名でソーウェルラントの宿に宿泊しているわ」
「いやー、敵もうまいね。帝国から乗り込んできてバルリエを手玉にとるなんて。だけど、そこまで調べがついているなら捕まえて建玉も解け合いにすれば」
「それも考えましたが、相場で敗れた事実は消せません。それに、為政者にとって都合の悪い値動きは無効になるという前例を作ってしまえば、参加者はみな萎縮することでしょう。ここは相場で打ち破るのが良いかと思いまして、ソーウェル閣下にご相談したわけです」
「そういうことよ。力でねじ伏せるのは最後の手段。そこでどうにかできないかという相談をしたかったわけ」
スティーブは大体の状況を把握した。スティーブとしても市場の価格というのは市場参加者が決めるべきであり、公が決めるべきではないと思っていた。そうであるならば、先物市場など作らずに、毎日領主なり国王なりが価格を公表すればよいのである。
実際に共産主義国などではそうした取り組みもある。
しかし、カスケード王国は自由経済であり、それこそが発展をさせていくとスティーブは考えていた。過度な管理は経済を委縮させる。であれば、今回も売りで買い方を打ち破るのが最良。
「建玉と西部地域内で調達可能な杉の現物を教えてほしい。どうにかできるかの判断はそれからになるかな」
「承知いたしました。すぐに他の商会にもあたって現物を確保するようにいたします」
「僕の手元資金が乏しいから、売り崩しは手伝えないけどね」
「資金ならいくらでも貸すわよ」
「利子が高そうなので止めておきます」
「私と閣下の仲ですもの。格安に決まっているじゃない」
どこまで本気かわからないオーロラの申し出を断り、スティーブは相場をどうしようかと考えるのであった。
いつも誤字報告ありがとうございます。