88 別れ
クレーマン辺境伯は窮地に立たされていた。次男と三男はすでにクリプトメリア王国、イエロー帝国連合軍との戦いで戦死していた。数で劣る連合軍に負けてしまったのである。
二人の息子を討ち取ったのはエース・オブ・ソードであった。ただでさえ士気の低かったクレーマン辺境伯軍はこのことによりさらに士気が低下する。それを数で補おうと各地で徴兵を実施しようとしたが、災害復旧に携わる男手を奪われたら生活が成り立たないと、徴兵拒否が相次いだ。それでも強制的に徴兵しようとしたので、領民たちは反乱を起こした。
連合軍と領民の両方を相手にしなければならなくなったクレーマン辺境伯は、領都クレーマンラントに籠城を決め込む。この状況では恥も外聞もないと、ここにきて初めて国王に支援を要請した。現在は籠城しながら国軍の到達を待っている状態である。
クレーマン辺境伯はまともな精神状態ではいられず、常に酒を飲んで嫌なことを忘れるようになっていた。一緒に籠城する息子のアルバートは、そんな父を見てクレーマン辺境伯家はどうなってしまうのだろうと心配になった。しかし、アルバートはイヴリンのように自ら考えて動くことはせず、父の指示を待つだけだった。一見優等生に見えるが、それはこうした緊急時には無能が露見する。
家臣たちも当主と次期当主のこのざまに不安が募っていた。
一方そのころ、スティーブはナンシーにエース・オブ・ソードとキング・オブ・ソードのことを聞いていた。
「ナンシー、エース・オブ・ソードとキング・オブ・ソードってどんな能力を持っているの?」
「エースは魔法を打ち消す魔法を使います。精神に作用する魔法は当然として、火や水も魔法で作り出したものは打ち消されてしまいます。キングは命令を強制する魔法を使います。どんな命令も逆らうことが出来ずに実行させます。そして、二人とも剣術は帝国東部最強です。魔法が無くても百人を相手に負けることはないでしょう」
「魔法を打ち消されるのは厄介だなあ。勝てる気がしない」
スティーブがそういうと、ナンシーは意を決してスティーブにお願いする。
「旦那様、どうか私を連れて行ってはくださいませんか。エースとキングを一人で相手をするのは無理です。ベラを連れて行ったとしても、支援魔法が無効化されてしまっては、かえって足手まといになるかと。私であれば勝てないまでも、隙を作るくらいはできます」
「うーん」
スティーブは返答に困った。ナンシーが生きているのは秘密にしておきたかったからだ。元同僚のエースとキングならば、髪の毛の色を変えた程度の変装は見破るだろう。そうなったときに、ナンシーの扱いが難しくなる。国王からは殺せと言われるかもしれないし、裏切ったナンシーに対して刺客を送りこまれるかもしれない。
なので、ナンシーを同行させたくはなかったのである。
しかし、相手の力量を考えれば連れて行きたくもあった。
悩んだ挙句、ナンシーの同行を許可した。そして、ベラも一緒に行きたいというのを断れなくなった。
「ナンシーが行くなら私も行く」
「ベラはもう少し強くなってからで」
「相手の剣が体に刺されば動きが止まる。そうすればスティーブが攻撃できる隙が生まれる」
「そういう戦い方はしたくないよ」
「それは最後の手段だけど、その二人以外にも敵はいるんでしょ。スティーブとナンシーがそいつらを相手している間に、私が他の敵と戦う」
「そうだよなあ」
ナンシーだけを許可するとベラは感情的になるかと思ったが、同行する見事な理由を言われてしまったのだ。
結局三人でクレーマンラントに転移することになった。イヴリンとスカーレットは王都の屋敷で留守番である。さすがにそこまでは敵も進軍する準備が出来ていないので安全なのだ。
一方そのころ、ジョーとイーサンはクレーマンラントの目前まで迫っていた。道がところどころ寸断されていたのと、反乱を起こしている住民が辺境伯軍と勘違いして襲ってきたりして、思うように進めていなかったのだが、やっとクレーマンラントに一日というところまでやってきたのだった。
ジョーはイーサンに話しかける。
「なあ、この戦争はどこまで行ったら終わるんだ?」
「さあ。ただ、クリプトメリア王国の指揮官は王都まで攻め込むのが目的だって言っているがな」
「そこまでは付き合いきれんだろう。それに、後方からの部隊も来ていないのだから、回り込まれたら敵国の中で孤立するぞ」
「そんときゃあ転移の魔法で帰ればいい」
「俺たちはな。他の者たちはどうなる」
「どうにもできねえなあ。ま、そうなる前に切り上げたいところだが」
二人の会話にあるように、クリプトメリア王国としてはイエロー帝国のスートナイツがいるうちに、極力王都付近まで攻め込みたかった。他の貴族の領地を目指さず、クレーマンラントに向かっているのも、弱小貴族を相手にするよりも、イエロー帝国の気が変わらぬうちにクレーマン辺境伯を倒しておきたかったからである。
しかし、攻城兵器を持ってきておらず、クレーマンラントを攻撃する際にはジョーとイーサンの二人が城壁を登り、城内に侵入して内側から城門をあけるくらいしか手段がない。
そうしたクリプトメリア王国側の考えが見えてきたので、ジョーとイーサンは戦争に嫌気がさしていたのだった。
そんなジョーとイーサンの前にスティーブが現れた。もちろんナンシーを伴って。
二人はナンシーを見たとたんに声が出た。
「ナンシー!!!」
「やはり生きていたのか」
そんな二人にナンシーは冷たい視線を向けた。
「どこのどなたかは存じませぬが、死んでいただきます」
「何を言っているんだ」
「髪の毛の色を変えたってわかるぞ。冗談はよせ」
「冗談ではありません。旦那様の邪魔になりますので、ここで排除させてもらいます」
やはり髪の毛の色を変えた程度では二人の目は誤魔化せなかった。しかし、今のナンシーはスティーブの魅了の影響下にある。かつての同僚を斬るのにも躊躇は無かった。
ナンシーが剣を向けると二人は驚くが、すぐにイーサンは事情を察知した。
「ナンシー、誰かに操られているんだろう。今すぐ俺の魔法でそれを解除してやる」
そういうと、ナンシーに向かって魔法を使った。
精神系の魔法は術者の魔力量によって上書き出来るかどうかが決まる。スティーブの魔力量に及ばないイーサンの魔法は、ナンシーの魅了を上書きすることは出来なかった。
そして、その命令を強制する魔法は、スティーブの作業標準書の魔法によってしっかり記録される。
ナンシーに魔法が効かなかったとわかっていないイーサンは不用意にナンシーに近づこうとした。そこにスティーブが覚えたばかりの命令を強制させる魔法を使う。
「死ね」
魔法の発動にイーサンも気付き、スティーブの方を向いた。ジョーはその時イーサンが魔法にかかったことを察知。慌ててそれを打ち消そうとしたが間に合わなかった。
イーサンは自分の剣を首に突き立ててしまい絶命した。
「まずはひとり」
魔法を使ったスティーブの額にはうっすらと汗が滲む。本来なら殺さずに捕らえたかったが、ジョーの魔法をナンシーから聞いていたので、そうする余裕がなかった。ジョーもイーサンも魔法だけでなく、剣の達人だけあって隙がない。相手がさほど警戒してないうちに、どちらかを始末しておきたかったのである。
「貴様も命令の魔法を使えるのか」
ジョーは慌てて打ち消しの魔法を使う。自分の周囲の魔法を無効化するために。しかし、それはスティーブの作業標準書を追加させた。
スティーブは打ち消しの魔法がどんなものであるか、作業標準書を読んで知る。
「なるほどね。やりようはあるか」
ジョーの攻略方法が思い付いた。
そして、ここでジョー以外の敵兵を魔法で作った土の鎖で拘束する。
仲間が拘束されたのを見て、ジョーは目の前の相手がカスケード王国の竜頭勲章であることを知る。帝国でそのやり口は散々聞いていた。
千を越える兵士を一瞬で魔法で拘束するなど、竜頭勲章しかあり得ないのだ。
「やはり、竜頭勲章が出てきたか」
そう言うが、スティーブはそれを無視してベラに指示を出した。
「ベラ、取りこぼした敵がいないか見てきてほしい」
「わかった」
ベラに魔法で拘束するのが出来ていない敵兵の確認を指示する。ベラもこの場に自分がいては足手まといになることがわかっているので、素直に指示をきいた。
すぐに周囲の敵兵を確認するため走っていく。
スティーブはそれを確認すると、ジョーに向かって土魔法を連発する。土で出来た円錐形の杭が同時に何本も出来ては、ジョーの魔法によって消される。
最初は無駄なことをと思っていたジョーだったが、次第に焦り始めた。それをスティーブも察知する。
「魔法なんて打ち消せると思っていたのでしょうけど、打ち消しの魔法を使うにしても、魔力を消費しますからね。どこまで魔力がもつか試させてもらいます」
スティーブはそう言うと、攻撃の密度を上げた。
打ち消しの魔法がその効果を発揮するたびに魔力を消費するのは、作業標準書の情報から得ていた。一度発動したらずっと打ち消しの効果があるわけではない。ゲームでよくあるスキル、魔力を消費してダメージを無効化するようなもので、魔法の威力に応じて魔力を消費するのである。ならば、ジョーが魔力切れになるまで魔法を連発して攻撃すればよいという攻略法を思い付いたのだ。
「兵士を全員拘束して、尚且つこの魔法を使えるとか、化け物か」
「魔力が尽きる前に降参したらどうですか?」
「冗談を」
スティーブの降伏勧告を一蹴するジョー。しかし、自身の魔力は尽きかけており、それを理解していた。
なので、攻撃にうつることにした。
縮地と呼ばれる技術で、相手との距離を一瞬で詰める。一気に剣の間合いとなった。それはつまり、スティーブは魔法が全て打ち消されるエリアに入ったということ。転移で逃げることも出来なければ、作業標準書の魔法も使えなくなる。
作業標準書が無くとも、すでに体が動きを覚えてはいるが、それでもジョーほどの達人の動きではない。今のスティーブでは、ジョーには勝てないのである。
絶体絶命。
このピンチを救ったのはナンシーだった。ジョーの縮地の予備動作を見て、すぐに飛び出していた。なので、紙一重のところで間に合う。ジョーの剣がスティーブに届く前に、その剣を自らの剣で弾いた。
初見のスティーブとの差である。
ジョーがナンシーの攻撃に戸惑い動きが止まったので、スティーブはその隙にすぐに距離を取った。
これで再び魔法が使えるようになる。それに、縮地の作業標準書も出来ていた。打ち消しの範囲外の時に完成していたのである。
これで同じ攻撃は二度と食らわない。
再び土の杭がジョーに襲いかかる。元々魔力が尽きかけていたジョーは最初の数発は消したが、その後は身を翻して躱そうとした。しかし、あまりにもスティーブの攻撃の密度が高く、ついには杭がジョーの腹に突き刺さった。
一本刺されば動きが止まる。すると、たちまち他の杭が続けて刺さった。ジョーの身体から杭を伝って血が地面に滴る。
辛うじて息のあるジョーにスティーブが攻撃を止めて質問した。
「転移の魔法で逃げられるかと思いましたが」
「ナンシーを目の前にして、俺だけ逃げられるかよ」
と答えてジョーは動かなくなる。
スティーブはジョーが死んだのを確認すると、ナンシーに話しかけた。
「助かりました」
そう言われたナンシーには笑顔も安堵も無かった。
「魅了の魔法が解けた。今からクィーン・オブ・ソードとして戦いを申し込む」
ナンシーはジョーの魔法の効果範囲に入ったことで、魅了の魔法が解けたのだった。魔法の打ち消しは上書きとは違うため、スティーブの魔力量に関係なく、魅了の効果を打ち消せたのだ。
長らくかかっていた魅了の効果が無くなったことで、ナンシーはスティーブに剣を向けた。
「僕は戦いたくないんですけど」
「それは私も同じこと。魔法を使われて心を操られていた時の記憶が残っていますが、とても幸せな時間でした」
「それなら、これからもそのままでいいじゃない」
スティーブの説得にナンシーは首を横に振った。
「帝国のスートナイツとしてのけじめはつけます」
「どうしてもそう在りたいというなら、帝国に帰ればいい。何も戦う必要なんかない。戦えば負けるのはわかっているでしょ」
「はい。それに帰ったところで帝国の間諜網をばらしたことで、重い処罰を受けることになるでしょう。おそらくは生かしてもらえなくなります。だからこそ、ここで戦って散りたいのです」
スティーブがナンシーを見逃して帝国に帰らせるというのは断腸の思いである。国王の命令を覆させてまで助命したナンシーが帝国に逃げたとなれば、その責任は重い。それ以上にナンシーとわかれるのが辛いという理由があった。
「それではまた魔力で私の心を縛りますか?でも、貴方は今の私にそんなことは出来ないはず。出来るならこんな会話などしてませんよね」
ナンシーに指摘されスティーブは言い返せなかった。もう一度魅了の魔法を使うなり、命令強制の魔力を使うなりすればナンシーと戦わずに済む。しかし、まだナンシーに対してなんとも思っていなかった最初の頃と違い、これほどの時を過ごしてきたナンシーに対しては、スティーブは精神を操る魔法は使いたくなかったのである。ナンシーにそれを見抜かれていた。
「あの時、アーチボルト領の駅で私の正体を見破ったときに殺しておくべきでしたね。そうすれば今こうして悩むことも無かったでしょう。いつも完璧な人なのに、珍しくミスしましたね」
「完璧なんかじゃないよ。常に失敗の繰り返しだから。他人より魔力が多いだけで、それ以外は普通だよ」
「それは嫌味にしか聞こえませんよ。どれだけの功績を残してきたと思っているのですか。他の人は同じだけの魔力を持っていたとしても、ここまでの功績を残せてはいないでしょう。だから、汚点とならないためにも、私と戦ってください」
「出来ないよ!好きな人を殺せるもんか!」
「嬉しいですね。軍に入って訓練に明け暮れ、恋愛などというものは無縁だと思っておりましたが、虜囚となったのにもこれ程良くされ、好きだとまで言ってもらえるなどとは思ってもみませんでした」
ナンシーの悲観にあふれた笑顔がスティーブには痛かった。どうやれば説得できるかと必死に考えるが、良い案が浮かんでこない。
「さて、おしゃべりもここまでにしましょう。私も決意が鈍りそうです」
ナンシーはそう言うと、大地を蹴ってスティーブとの距離を詰めた。持っていた剣を振りかぶり、遠慮のない一撃をスティーブに放つ。
スティーブは横に動いてそれを躱すと、収納していた剣を取り出し、隙の出来ていたナンシーの腹に突き立てた。そして、剣を引き抜くと真っ赤な血が飛び散る。
地面に仰向けに倒れたナンシーは傷口に手を当てた。スティーブはすぐさま彼女の横に膝立ちとなる。
ナンシーは弱々しくスティーブを見た。
「剣に迷いがありましたね。そのお陰で即死ではなくこうして痛い思いをしたじゃないですか」
「今すぐに治癒するから」
といって魔法を使おうとしたスティーブをナンシーは止めた。
「治癒はいりません。また戦うだけですから。好きだと言われてとても嬉しかった。こんな私のために泣いてくれるのですね」
ナンシーに指摘されて、スティーブは自分が泣いていることに気づいた。
「もし、次に生まれ変わることがあればその時は――――」
そこまで言ってナンシーは力尽きる。
「ナンシー!」
呼び掛けても反応しないナンシーに、スティーブは死をさとる。
敵兵の確認を終えて、こちらに戻ってきたベラはその一部始終を見ていた。そして、彼女もナンシーの死を見て自然と涙がこぼれていた。
そんなベラにスティーブは
「ちょっとだけ外す。ナンシーをこんなところには置いておけないから」
と言って、ナンシーの亡骸を抱えて何処かへと転移した。
十数分の後、スティーブが一人で戻ってくる。戻ってきたスティーブの顔は、ベラが初めてみる話しかけられない雰囲気のものだった。