84 イヴリン・ミス・クレーマン
カスケード王国東部、クレーマン辺境伯の領地には連日派閥所属の寄り子貴族の陳情が来ていた。自分の領地も被害にあっており、その復旧作業が遅れているのに寄り子を助けることが出来る訳もなく、クレーマン辺境伯の苛立ちは頂点を極めていた。
家族そろっての食事の際にも、その怒りを隠そうとはせずに吐き出す。
「今日もグリフィス子爵とテニトン男爵からの陳情だ。あいつら三日とあけずに陳情をしてくるが、今までどんな領地経営をしておったのだ。こちらだって被害を受けているが、誰かを頼ろうなどということはないぞ。それに、奴らの領地からの難民で、こちらも困っておるのだ」
グリフィス子爵とテニトン男爵の領地はハイス川沿いにあり、もろに被害を被っていた。領地のほとんどが水没してしまい、兵士も流された状態で復旧作業が出来ないどころか、治安維持も出来ない有様だった。
当然領民は安全な土地を目指して移動する。
それが難民となって他の領地に向かっているので、周囲の領主はその対応に頭を痛めていた。
その一部がクレーマン辺境伯領にもたどり着いて、領民との間で衝突する事件を引き起こしていたのである。
クレーマン辺境伯の長男、アルバートは父に同調する。
「まったく、貴族としての心得が無いものが我が派閥にいることなど恥」
「そのとおり。お前の代ではそうした者たちを排除していかねば東部の発展はない」
「承知致しました」
そんな親子の会話を聞いて、イヴリンはどうしてお父様は国王に救援要請をしないのだろうと思っていた。ただ、それを女である自分が口にすれば烈火のごとく怒るのが目に見えており、絶対に口に出すことはしなかった。
他の兄たちは、軍の指揮を執るために家から出ていたので、この場にはいない。新たな婚約者も見つからず、かといって女であり軍の指揮も出来ないでここにいるので、とても居づらい気持ちでいっぱいだった。
食事が終わるとイヴリンは従姉妹のスカーレットと会話をして過ごすことにした。
「ねえスカーレット」
「なんでしょうか、イヴリン様」
「私はこのお屋敷から最近は出ていないのだけど、外の様子はどうなの?洪水が起こってみんな困っているというけれど」
スカーレットはその質問をされて、しばらく考える。本当のことを言ってしまえば、心優しいイヴリンはきっと心を痛めることだろう。しかし、イヴリンに何とかしてほしいと言われたところで、自分に出来るようなことはないし、勝手なことをすればクレーマン辺境伯の怒りを買う。
なので、中途半端にこたえることにした。
「大変ではございましょうが、皆が努力をして困難を乗り越えている最中でございます」
しかし、それにイヴリンは納得しなかった。
「努力をして乗り越えているにしては、みんながお父様に救援要請をしているみたいだけど、それって努力をしているといえるのかしら?」
「誰しも努力はいたしますが、限界というものはございましょう」
「だけど、お父様は救援をしないのよ。それって限界ではないということ?」
そういわれてスカーレットはいよいよ答えに窮した。スカーレットの目で見ても、既に各領地の能力の限界を超えている。しかし、それを言ってしまえば辺境伯の批判となる。
結果、スカーレットは沈黙することしか出来なくなった。
「答えられないということは、お父様が間違っているということね」
「いや、決してそのようなことは」
「いいのよ。ここには貴女と私だけしかいないのだから、取り繕う必要は無いわ」
スカーレットはイヴリンの言葉に目を丸くした。スカーレットが知る限り、イヴリンはクレーマン辺境伯の言うとおりに生きてきて、反論することも批判することもなかったのである。
イヴリンは続けて言う。
「本当の状況を教えてちょうだい」
「わかりました。しかし、閣下には私の口から伝えたとはおっしゃらないでください」
「わかっているわ」
スカーレットは正直に東部の状況をイヴリンに伝えた。状況を聞いていくうちにイヴリンの顔はみるみる険しくなっていく。
「そんな状況なのに、陛下に救援要請もしないし、復旧作業を後回しにして国境沿いに兵士を配置しているというの。どうして?」
「簡単に言えば、アーチボルト閣下、父親ではなく子の竜頭勲章閣下への対抗心でしょう」
スカーレットとしても口にしたくない名前であった。それはクレーマン辺境伯も同じであり、イヴリンも胸にチクリという痛みが走る。
かつての婚約者であるアルフレッド・ジス・スチュアートの妻であるダフニーの剣術指導をしていると聞いていた。どうしてもスティーブの名前からアルフレッドのことを思い出してしまう。
イヴリンは気持ちを落ち着かせてから会話を再開した。
「その対抗心から、支援要請が出来ないということね」
「はい。アーチボルト閣下はフォレスト王国、パスチャー王国、メルダ王国との戦争に勝利し領土を獲得しております。最近ではパインベイ王国との同盟にも大きく関与したとか。結果として東部地域だけが領土拡大から取り残された状態で、ここで国に支援を要請すれば閣下の政治手腕を問われる問題になるかと。なので、ここは自力で解決して他人の手助けなど不要というのを見せたいのでしょう。それに、此度の災害については、アーチボルト閣下が使う土魔法なら復興が容易に出来るでしょうから、陛下に支援を要請したならば、アーチボルト閣下が遣わされるのは確実」
「そういうことね」
イヴリンはクレーマン辺境伯の立たされている状況を理解した。国を守る四人の辺境伯のうち、父親だけが領土の拡大を出来ていないのだ。そして、他の辺境伯の助けとなったのがアーチボルト閣下である。父親の性格からしてアーチボルト閣下に頭を下げることは出来ないだろうから、今の状況なのだと。
ただ、実際には他の辺境伯もスティーブに頭を下げたわけではない。オーロラは当時はスティーブに命令する立場であったし、アダムズ辺境伯は戦闘で討ち死にしており、マッキントッシュ侯爵のところにたまたまスティーブがいたおかげで領地を失うのを防げただけだ。レミントン辺境伯についても、たまたまスティーブが訪問したときにメルダ王国の工作が発覚し、命令とかお願いをせずともスティーブが自ら首を突っ込んだ形である。
クレーマン辺境伯もスティーブを敵視しなければ、スティーブが訪問したときにアクシデントが発生し、今頃は領土が増えていたはずである。いや、必ずしもそうなるとは限らないが。
しかしながら、良好な関係にあれば今回の災害の初動でもっと被害を食い止められていたのは確実であった。
「お父様の様子を見れば、もう東部地域は限界に近いと思うの。ねえスカーレット、貴女アーチボルト閣下と連絡は取れないかしら?」
イヴリンの質問にスカーレットはドキッとした。過去の自分とアーチボルト閣下のいきさつを知っているのかと思って寿命が縮まる思いだった。
「面識はございません。しかし、連絡をとってどうされるおつもりですか?」
「面識がないのは残念だわ。私から閣下に支援をお願いしてみようと思うの」
スカーレットはイヴリンが過去のいきさつを知らなかったことにホッとしたが、代わりにアーチボルト閣下に支援をお願いするという話で再び寿命が縮まる。
「それは、相手が承知するかもわかりませんし、承知された場合閣下の知るところとなりましょう」
「私が怒られるだけで、民が救われるなら安いものだと思わない?」
「思いません。私にとってはイヴリン様が全てにおいて優先されます。たとえすべての民が死ぬことになったとしても、イヴリン様が怒られるのを阻止します」
それはスカーレットの偽らぬ本心であった。イヴリンよりも優先するものなどないのだ。
しかし、イヴリンもそれでは引き下がらない。
「全てにおいて優先されるという私の願いがきけないの?」
こう言われてしまっては、スカーレットは返す言葉も無かった。
「アーチボルト閣下に書簡を出したらすぐに王都に向かいます」
「王都にですか」
「そうよ。ここで閣下と会うわけにはいかないもの。王都で閣下の返事を待つの。お父様には次の婚約相手を見つけるために、社交界に顔を出すと言って家を出るわ」
「婚約相手は閣下が決めるというと思いますが」
「その時は別の理由を探すわよ」
スカーレットは初めてとも思える我の強いイヴリンに驚いた。これほどまでに強引に自分の意見を通そうとしたことはいままでなかったはずである。
実はこの時イヴリンには心の変化があった。きっかけはもっと前にさかのぼるが。
親の言うとおり生きてきたイヴリンが、アルフレッドに婚約破棄を言い渡された時に、自分にまったく瑕疵が思いつかなかったのである。アルフレッドに会う頻度も、仕草も礼儀も全て親に言われた通り完璧にこなしていた。しかし、結果はアルフレッドがダフニーを選んで捨てられた。
その時に、親の言うことが必ずしも正しい訳ではないのではないかという疑問を生まれてはじめて持ったのだ。
そして今回の災害である。親を妄信するのではなく、スカーレットからの情報と照らし合わせてみれば、父親であるクレーマン辺境伯が間違っているとわかった。
ただ、それだけではこれほどまで行動的にはならない。そこにもう一つのきっかけがあった。
それがダフニーの存在である。
結婚して出産し、次期公爵夫人の地位が確定しているのに、近衛騎士団長を目指しているという話がイヴリンにも伝わっていたのだ。それを聞いたときに、自分は負けるべくして負けたのだと理解した。
それと同時に自分も何者かになりたいと思ったのだ。その時は漠然とそう考えていただけだったが、今それが出来る時だと閃光が走ったのである。
こうしてスカーレットはイヴリンの指示に従い、アーチボルト閣下に書簡を送る手配をして、イヴリンとともに王都に向かう準備をした。
一方、スティーブはニックとバーニーと三人で頭を突き合わせていた。
「復興に使う杉が高騰するのはわかるけど、柿やアカマツまで値上がりするとはねえ」
「社長、木こりが杉が儲かるというので、他の木を伐るのを後回しにしており、流通量が減ったことで他の木も値上がりしているそうです」
「若様、既に受注した分については契約金を決めてますが、再交渉した方がいいんじゃねえですかい」
「このままいきますと、木型の製作は材料費で赤字になりますね。知育玩具のほうは販売価格を上げれば問題ありませんが」
「嘘だと言って欲しいな、バーニー」
「本当のことです」
復興資材として木材の価格が高騰しており、そのあおりをうけて木型の値段も上がっていた。材料費の高騰を価格転嫁したくとも、エンドユーザー向けの知育玩具は製造したときのコストで販売価格を決められるが、先に契約をしてから加工している木型については、今更価格を上げてほしいというのは言いづらい。
バックオーダーを大量に抱えていることが裏目に出たかたちだ。
「東部はまだ復興に着手出来ていない状況らしいしねえ。まだまだ価格はあがるかな」
「エマニュエル商会から買うのではなく、自領で木を伐るようにいたしますか?」
「乾燥させたりする時間もあるけど、それがいいかな。昔からのアーチボルト領だと木も少ないけど、増えたところの村には木がそこそこあるからね。父上にお願いしてみるよ」
元々のアーチボルト領は土地が瘦せていて木も少なかった。山もうっそうと生い茂るような木々というのはなく、木材は輸入に頼っていたのであるが、加増された領地はそうではない。今までは買う方がトータルで安いという判断だったが、今ならば自分のところで木を伐採した方が安くなる。
方向性の決まったところで鏡による光の通信があり、それがスティーブに伝えられた。
「本村に来客か。行ってくるね。父上のところに顔を出そうと思っていたところだし」
「承知いたしました」
「いってらっしゃい」
スティーブは直ぐに本村の屋敷に転移する。
すると、そこにはイヴリンからの書簡を携えた使者が来ていた。
書簡を受け取り中身を確認すると、王都で会いたいというものだった。部屋にいるブライアンとクリスティーナも書簡をのぞき込む。
「親に内緒で王都で急ぎ会いたいですか」
「スティーブ様、他に何も無いのですが心当たりはありますでしょうか?」
「いや。面識もないしなあ」
クリスティーナとしては未婚の若い女性からスティーブへの誘いであるので、その理由を心配する。スティーブもそれはわかっていた。
「私の婚約者も同席なら承知するとお伝えください」
「承知いたしました」
「じゃあ、今から行きましょうか」
スティーブはそういうと、クリスティーナとナンシーとベラ、それに使者を伴って王都に転移した。使者は直ぐに王都に滞在するイヴリンのもとに報告をしに行く。
そして、同席の許可を得て面会となった。
いつも誤字報告ありがとうございます。