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83 東部大洪水

 スティーブはニックと一緒に工場の工作部を確認していた。

 工作部は量産品の生産をするのではなく、工場で使用する治具を作成したり、木型や金型を製作する部門である。作業者の中でも技術のある者たちにそうした一品ものの作成をさせているのだ。

 部門長はララの父親であるライリー。工作機械とは水があっていたようで、工場では一番の成長株だった。


「現在は王都やソーウェルラントからの木型や金型の受注も増えてきて、もう少し部門を強化したいところですね」

「そうは言うけど、量産ラインからこれ以上人を抜けないよ」

「子供らが成長するのにも時間がかかるし、若様がまたどっかから人を引っ張ってこれねえんですか?」

「どこの領地も好景気で人手不足。メルダ王国でも人件費高騰で頭が痛いって。景気が良いと子供の生まれる数は増えやすいんだけど、それが労働力になるのは10年以上先だからねえ」


 現在アーチボルト領では他の領地からの依頼で型を製作している。精密な加工はスティーブの作り出した工作機械があれば可能だが、作ったものが寸法通りかどうかを測定する手段がない。

 キャリパーはスティーブの作ったものを王立研究所で再現したことで、0.1ミリ単位での測定は出来る。しかし、それはキャリパーで測定出来る形状に限る。

 それに対してスティーブの測定の魔法なら、どんな形状でも寸法を測定できるし、検査用のガバリやゲージを魔法で作ることが出来るので、型の寸法がきちんと保証されているのだ。

 こうしたことが競争力となって、受注が増えてきている。なお、設計者用のレンタルオフィスも領内に設置してある。鋳造やへら絞り、プレスなどの生産設備も備えてあり、型の試しが可能なのだ。

 ここで狙い通りにならなかった場合は、すぐに設計し直しをして注文が出来るようになっている。

 そんな型の作成の仕事が増えてきて収入も増えていたが、それに比例してバックオーダーが溜まっているのだ。


「金型の注文の図面を見せて。少し手伝うよ」

「そうしてもらえると助かります。木型じゃ魔法は使えませんからね」

「こんどはそういう魔法を覚えたいねえ」

「またどっかでトラブルに巻き込まれるつもりですか?」

「ははは」


 作業標準書が増えるには、他の魔法使いの魔法を見なければならない。それはつまり、何らかのトラブルに巻き込まれるということで、今までを思い出してスティーブから乾いた笑いが出た。


 この時、カスケード王国東部は長雨に見舞われており、東部を流れる大河、ハイス川の水位は危険なところまで上昇していた。それに、天候不順で農作物の育成も悪く、他の地域からの食糧輸入が増えていたのである。

 ハイス川は過去にも大規模な氾濫を起こしていたことが何度もあり、そのたびに家も農地も流されて大きな被害をもたらしてきたのである。

 ただ、ここ三十年はそうした氾濫は起こっておらず、人々の記憶から風化していた。

 クレーマン辺境伯も自分の治世では氾濫を経験しておらず、長雨がもたらす脅威については想定できていなかった。

 窓からそとを見て、


「食糧輸入が増えるし、税収は減るし、アーチボルトと一緒で忌々しい雨め」


 とつぶやく程度であった。

 しかしその三日後、ハイス川の堤防が決壊し、東部地域が広く水没することになる。濁流が家も畑も押し流し、そして人も流された。

 この事態を受けて、被害のあった領地を持つ貴族はクレーマン辺境伯に支援を要請する。しかし、クレーマン辺境伯も自身の領地に大きな被害が出ており、派閥の寄り子たちを救う余力はなかった。にも拘わらず、プライドが邪魔をして国に支援を要請することが出来ず、被害が拡大していった。

 この様子を見ていたのがイエロー帝国と東部地域と国境を接するクリプトメリア王国であった。

 イエロー帝国は再構築中のカスケード王国諜報網から、東部大洪水の連絡を受けると、帝国東部軍区を管轄するギャレット将軍はすぐさまクリプトメリア王国と連絡を取った。

 内容は合同軍事演習を実施したいというもので、場所はクリプトメリア王国西部。カスケード王国東部との国境沿いであった。帝国から派遣するのはソード騎士団のエースとキングのジョーとイーサン、それに兵士千人。

 当然この目的は国境を緊張させることでカスケード王国東部の兵士を国境沿いに集め、河川氾濫の復興を遅らせるというものであった。

 クリプトメリア王国もこの申し出を快諾し、合同軍事演習が実施されることとなる。

 ジョーたちは帝国の港を出発して、カスケード王国とメルダ王国の間の海を通ってクリプトメリア王国へ行くことになった。

 その壮行会の時、エース・オブ・ソードのジョーはギャレット将軍に今回の合同軍事演習に乗り気でないことを伝えた。


「将軍、今回の合同軍事演習は正直あまり乗り気ではありません」

「不満か?」

「ええ。軍人ですから命令には従いますが、今回はカスケード王国の平民に多大な被害が出ることになるでしょう。これが栄えあるスートナイツの仕事なのでしょうか」


 ジョーとしては、自分は敵兵と戦うための存在であり、一般人と戦うために騎士団に所属しているわけではないと自負していた。その気持ちはイーサンも同様であり、別に自分たちが行くようなことでもないだろうと思っていたのである。

 しかし、ギャレット将軍としては相手の軍を極力復興にあてさせたくないため、今回の移動について航海ルートを事前にカスケード王国に通知していたのである。万が一にもスートナイツの乗船する船に攻撃をしないようにと、二人の乗船がわかるかたちでだ。

 当然この情報はカスケード王国の国王からクレーマン辺境伯に伝えられる。被害の復旧途中ではあるが、国境沿いの軍事演習に備えるため大量の兵士が必要になった。これも国に援助要請を行わず、各地から徴兵した兵士で対応することにした。

 その結果、復旧作業が出来なくなった平民からの不満が募る。一部では反乱がおこり、その鎮圧でまた兵士が必要になるという悪循環となった。

 東部地域の貴族も、被害地域を中心に不満が高まっていた。

 このようにギャレット将軍の狙いは成功していたが、こちらも部下の不満をつのらせる結果となっている。

 ギャレット将軍はその気持ちがわかったが、自国の被害を出さずに敵国に被害を出させる好機であったので、ジョーの不満も我慢させることにした。


「そもそも、我々は合同軍事演習を行うのだ。戦争をすると言っているわけじゃない。だから、必要以上に国境沿いに兵士を集めるのはカスケード王国の勝手。本当に相手の平民の被害を考えないのであれば、軍事演習ではなくて攻め込んでいる」

「それは詭弁です。帝国が同じような状況に置かれた時、我らも国境沿いに派遣されることでしょう」

「そうだろうが、その時はエース・オブ・ソードがいれば十分だろう。他の兵士たちは復旧作業に従事できる。カスケード王国がそうしないのは、エース・オブ・ソードに匹敵する人材を用意出来なかったからだ」


 ジョーは将軍にそう言われると、それもそうかと思った。結局のところ敵国にどう対応するかは国の仕事であり、今回についてはカスケード王国がそれを怠った結果なのだと。

 ギャレット将軍との会話でジョーの気持ちは少し軽くなった。

 そして、クリプトメリア王国へと赴くことになる。

 ギャレット将軍は壮行会の後で、ジョセフ・フロベールを呼んだ。この男は帝国東部を拠点とする政商であり、軍への納入も多額のものを手掛けていた。

 将軍の執務室で禿げ上がった頭と贅肉のついた巨躯の初老の男性が話し合うが、これがジョセフ・フロベール本人であった。


「将軍、本日お呼びのご用件はどのようなことでございましょうか?」

「復興の物資を買い上げてもらいたい」

「はて、東部地域で復興するような場所はございましょうか。それとも、どちらかへお売りになるおつもりでも?」


 ジョセフ・フロベールは復興の物資と言われてその目的がわからなかった。現在手元にある情報ではカスケード王国が大規模な洪水に見舞われているということであるが、他国のために復興の物資を買って送るということも考えられない。とんと、検討がつかなかったのだ。


「買い上げるのは帝国国内ではない。カスケード王国で買い上げるのだ」

「かの国は洪水でかなりの被害が出ていると聞いております」

「流石、耳が早いな」

「商人にとっての武器ですから当然でございます。して、物資を買い上げて如何するおつもりでしょうか」

「奴らの復興に多額の金を使わせたい。国庫がひっ迫すれば軍事費も削られる事態となろう。物資については高値で売りつけるもよし、使えなくするでもよし。資金としては東部軍区の工作予算も回す。出来るか?」

「ふーむ」


 ジョセフはギャレット将軍の依頼について考えた。

 他国であるというのがネックであるが、相場を吊り上げる仕手戦の依頼である。カスケード王国にはシャルル・バルリエという凄腕の相場師がいると聞いていた。自分ならそのバルリエを越える能力を持っていると思っていたのであるが、中々対決するような機会を持てなかったのである。

 自分がカスケード王国で相場を吊り上げれば、名うての相場師であれば相場に参加してくるだろうという予想はついた。

 もうこれから先長くはない人生の締めくくりとして、勝利の花を手にしておきたいという気持ちが高まっていたのである。

 が、隣国でもない国でそう簡単に出来るものなのかわからず即答が出来なかった。


「やるとすれば、木材の価格つり上げでしょうが、かの国では相場参加者は仲買人を通すことになっております。その仲買人も許可制なので、外国人の私の大量注文を受けるとは思えません。そこがネックです」

「わかった。注文を出せる商人はこちらで用意しよう。そいつをうまく操ってくれればいい」

「承知いたしました。それでは私がカスケード王国に入国するための、偽の身分証明書の作成もお願いします。ここからでは常日頃の値動きを監視できませんからな」

「すぐにでも準備させよう」


 この日からジョセフはイエロー帝国の自然災害と木材の価格の関係を調べ始める。先物という制度はなかったが、過去の帳面を見返しながら、災害の規模と木材の需要を暗記していくのであった。

 ただ、ジョセフがライバル視しているバルリエは、スティーブの隠れ蓑にされていただけで、本当の本尊はスティーブであるのをジョセフは知らない。


 一方、イエロー帝国に合同軍事演習を申し込まれたクリプトメリア王国はその申し出に歓喜していた。

 国王カイン・ミル・クリプトメリアは西北南と領土を拡大したカスケード王国が次に狙うのは当然東の自分の国だと思っていた。

 カスケード王国に潜ませている間諜からは、クレーマン辺境伯が他の辺境伯に差をつけられたことを悔しがっており、隙あらば領土を拡大しようと狙っているという報告を得ていた。いつ攻められてもおかしくない状況であったが、ここにきて長雨と洪水。クリプトメリア王国にとって幸運だったのは、ハイス川の決壊した堤防がカスケード王国側であり、クリプトメリア王国には被害が無かったことである。

 そして、間諜からの報告ではクレーマン辺境伯は国に借りを作りたくないため、支援要請を行っていないということだった。それで乗り切れるかと思えば、寄り子を救援することも出来ない有様。

 これならば、しばらくは侵攻してくることもないだろうと安堵したところにイエロー帝国からの誘いである。

 国境沿いでの軍事演習となれば、偶発的な衝突が起こりかねないが、そこにイエロー帝国が兵士を派遣してくれるとなれば、カスケード王国対クリプトメリア王国・イエロー帝国連合軍の戦争となる。

 いかに、飛ぶ鳥を落とす勢いのカスケード王国といえども、二正面作戦となれば怖くはない。

 さらに、衝突しなかったところで、クレーマン辺境伯は国境に軍を派遣することになるであろうから、復旧作業が遅れることになる。願ってもない申し出であった。


 こうして状況はカスケード王国にとって厳しいものとなっていった。



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― 新着の感想 ―
[一言] うわあ 東部辺境伯だけ やけに無能に見える というか 国境防衛が辺境伯の最大の任務なのに プライドから国煮支援要請しないとか 辺境伯が他の貴族にすげ替えになるような 大失態じゃないのかな?
[良い点] シェリーの応援が、トムさんのチームに賭けていたから、というところで吹き出しました。 さすがです。 [一言] こういう閑話いいですね。 たまにでいいのでまた色々なモブキャラ視点のをぜひ! ブ…
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