82 とある兵士の思い
メルダ王国の元兵士であるトム・ポートマンは現在闘球チームのキャプテンを務めていた。
闘球とはほぼラグビーのルールで行われる球技であり、駅の近くに建設されたスタジアムで試合が行われていた。
その闘球の選手になるまでのトムの人生はメルダ王国の敗戦によって大きく変わった。
メルダ王国がカスケード王国に敗れた時、トムは捕虜となってカスケード王国にいた。その後の敗戦交渉で捕虜の全員帰還が決まり、無事に帰国となった。
捕虜としてカスケード王国に移送されるときも、帰還するときも転移の魔法で一瞬のことであり、さらに言えば捕虜になったときもスティーブの魔法で一瞬の出来事であった。
敗戦が決まるまでがあまりにもスピーディーで、負けたという実感がなかったくらいだ。
しかし、帰国するとその実感がわいてくる。国土は1/3を奪われて、カスケード王国の領土となった方面への兵士の配置は禁止された。そのため兵士を大量に解雇する話が出た。さらには、国王がカスケード王国に幽閉となり、エイベル王子が国王に即位することになる。しかもその妻、王妃はメルダ王国をほぼ一人で滅ぼしたスティーブ・アーチボルトの姉だというのだ。とても祝福する気にはなれなかった。
トムは30人をまとめる隊長であり、能力を評価されて残留するように求められたが、部下たちが解雇される中で自分だけが残るわけにはいかないと、その要求を固辞した。
30歳になるトムには二人の息子と妻がおり、トムも妻も王都で生まれ育っているため、農民に転向しようにも耕すための農地が無い。かといって商売をするにも知識がない。兵士時代の貯えが底をつきそうな時、国が大規模な護岸工事を行うというのでそれに応募した。
採用されて工事現場に着いてみると、そこにはかつての部下や仲間たちが大勢いた。
「隊長もですか」
「お前たちもか」
部下の一人から声をかけられて懐かしくなった。やはりみな日雇いの仕事などで食いつないでいたと聞く。
「あと少しで野盗になるところでしたよ」
「冗談じゃないところは、こちらも同じだよ」
冗談ではなくもう少しで野盗とならねば生きていけない者たちばかり。そこは国王も王妃も理解しており、公共事業でもおこなって雇用を作らねばという状況に追い込まれていた。
賠償金の支払いでお金のなかった王家は、王妃の結婚記念で実家から送られたガラス製のグラスを売りに出して、その費用を工事費に充てたのである。
当然そんなことを知らないトムたちは王家への不満を口にした。
「まったく、俺たちみたいな平民だけが仕事が無くて困っているわけじゃなくて、敗戦で貴族も軍を持つのを禁止されて、税も軍も国が管理するようになったっていうのに、王家だけはかわらない権力を握ったままだろ」
「北部の貴族はそもそも貴族じゃなくなってますしね。あっちは鉄道の建設で景気がいいみたいですよ。俺も移住したいけど、国を越えて移住するには許可がいりますからね。今じゃ逃げ出す国民を抑え込むのに移住の許可は出さねえって話です」
「国王は王妃に操られているんじゃないか?」
「力関係を考えたらそうなりますね」
「そのうち地方で反乱でも起きなきゃいいけどな」
「そんときゃあ傭兵としての仕事もあるんじゃないですかい」
トムはこの時本当に反乱がおきるだろうと思っていた。
それだけ国内の不満が大きかったのである。多くの平民にとっては増税もなければ、兵役などの負担も追加されることが無く、たんに閉塞感だけであったがそれが大きな問題であった。そして、地位を失った北部の貴族や、権限を削減されたその他の貴族、職を失った兵士たちは大きな不満があった。貴族や軍の仕事をしていたものを加えれば、その数は社会不安としては十分すぎる程であった。
しかし、トムの思いを裏切るように、反乱はいつまでたっても起こらなかった。
それどころか、農業生産は向上して以前よりも農産物の価格は下がり、生活はどんどん楽になっていった。これはシェリーがスティーブを真似て、クラゲチップを生産して肥料として国内に配布したことが大きい。メルダ王国にも分離の魔法使いがおり、水揚げされたクラゲを肥料として生まれ変わらせたのだ。ただ、海岸線の多くを割譲してしまったので、自国生産分はごくわずかで、その多くはスティーブから供給を受けたものであった。スティーブがカスケード王国国内向けに生産しているクラゲチップを、少しずつメルダ王国に横流ししたのである。横流しといっても、クラゲはアーチボルト家で購入したものであり、それをクラゲチップに加工して使用するも、販売するもアーチボルト家の自由なので、横流しという表現は不適切かもしれないが。
そのほかにも無償の教育も段階的に開始された。平民にも教育の機会が与えられ、貴族や商人の子供がなるのが常識だった役人の職が、一般に開放されることとなったのだ。
それでも今はまだ教育の普及が進んでいないので、家庭教師をつけられるような裕福な元貴族や商人の子供たちが採用されてはいるが、数年後にはそのアドバンテージを失うことになると町では話題になっていた。
トムの息子二人も居住地域に国営の学校が建設されたことにより、教育対象として選ばれた。勉強など面倒なものだとトムは思っていたが、学校から帰ってきた息子たちは勉強が楽しいという。しかも、教師は王妃自らつとめているというのだ。
トムはそのことに驚いたが、それにはメルダ王国の事情があった。そもそも教員としての教育を受けた人間がおらず、シェリーが実家から持ってきた教材を使った教育方法を見せて覚えさせ、教員を養成しなければならなかったのである。
この教材は既に国王の命令で工房で生産されて一般販売されていた。カスケード王国で実績がある教材ということで、購入する余裕のある家庭は購入していたのだが、トムの家は家計が苦しいため購入することは出来なかった。なので息子たちは初めてみる教材であった。
数字や文字が書いてある木のブロックを使い、級友と競争しながら覚えていくという、遊びを取り入れた教育はメルダ王国の子供たちの心を掴む。文字と数字はカスケード王国と共通のため、シェリーが持ってきたものがそのまま受け入れられた。
ただし、これはスティーブが初期に行っていた教育方法であり、カスケード王国ではそこからさらに教育についての研究が進んでいた。子供の発達段階と教育内容を考慮し、基礎的な教育を行った後には、もう少し高度な教育をほどこし、さらに優秀な人材をつくるための研究である。シェリーはその研究内容をスティーブに教えてほしいとお願いしたが、それは既にスティーブの手を離れていたので、スティーブにもわからず断られてしまった。
結果、メルダ王国ではそこまでのレベルを目指すための下地が無く、シェリーはここがスタートであるとわかっていた。自分が見せた教育方法で満足せずに、ここからどうしていけばよいかを研究してもらいたかったのである。
この時、もう少し領地の経営を見ておけばよかったと後悔していた。
そして、国庫が尽きかけてもいた。
徐々にシェリーのことを国民が認め、王妃はメルダ王国の味方であると思い始めた矢先のことであった。当然、トムも公共事業が終わった後も国が仕事を作ってくれると期待をしており、シェリーの悩みなどはつゆほども考えてはいなかった。
その時、銀行を通じてオーロラから提案されたのが鉄道事業だった。
シェリーは夫のエイベル国王に相談する。
「鉄道の利権を売り渡すことになるけど、この子が生まれてすぐに国が破綻するよりはましだと思うの」
その時シェリーの妊娠が発覚しており、エイベル国王は跡継ぎの誕生に期待を寄せていた。しかし、国の財政はとてもではないが子供に継がせられるような状況ではない。
そんな時に目の前に提示された条件は選択肢が無いものであった。
鉄道の開発はソーウェル家が行い費用を負担するというもので、次の公共事業に国家の予算を割かなくてすむ。その代わり、鉄道の利益は一切入ってこないし、競合をつくることも禁止される。カスケード王国の鉄道事業を見れば、それがどれだけの利益を生むのかは一目瞭然だった。
勿論、オーロラもそれをわかっており、メルダ王国の財政難を察知して断れないような提案をしてきたのである。
「そうだな。後は義弟殿にお願いして、少しでもこの契約が永続ではなくなるようにするくらいか」
「ええ。ソーウェル辺境伯の機嫌を損ねない程度にしてもらわないとならないけど」
夫婦のそんな会話があったのを知らないスティーブは、鉄道用のレールやトロッコの部品をオーロラが買ってくれるということに喜んでいた。アーチボルト家もメルダ王国の賠償金の一部を肩代わりしており、財政は火の車となっていた。
結局アーチボルト家もメルダ王国もオーロラの手のひらの上でいいように転がされていたのである。
とにもかくにも、こうしてメルダ王国には鉄道事業という大規模公共事業が始まることになった。そこからは空前の好景気である。賃金を得た労働者が金を使うので、商店や酒場の売り上げが上がる。当然仕入れも増えるので生産者の収入も増える。
トムも建設現場の仕事が安定してあった。それどころか、どこの現場も人の取り合いで、賃金は上昇していたのである。
このまま建設業で暮らしていこうかという時、昔の部下であるライナーから新しく創設される競技団体への誘いがあった。
「隊長」
「もう隊長じゃねえよ。どうした?」
「今建設中のスタジアムで行われる競技の選手を募集しているってんですが、俺は応募してみようと思うんです。隊長も一緒にどうですか」
「競技?」
「なんでも、二つのチームに分かれて球を相手の陣地まで運ぶっていう競技らしいんですが、これが軍隊の経験があったものを優先的に募集しているんですよ。給料も良いですしね」
「なんでまた軍隊経験者を優先しているんだ?」
「体を使うからじゃねえですか」
ライナーはそう想像していたが、実際には別の事情があった。
兵士を解雇されてから、中々職を見つけられないものがかなりの数いたのである。そうした者たちが社会不安の原因になりそうだということで、ボクシングや闘球の選手として雇用してしまおうというものであった。
表向きの理由は戦うことに慣れているからというものであるが。
「物は試しだな。行くだけ行ってみるか」
トムからしてみれば、行って確認した結果駄目ならまた建設の仕事をすればいいだけで、特に損をするようなことはないので、軽い気持ちで一緒に行くことを承知したのだった。
そして面接当日、その日も多くの応募者でスタジアムは溢れていた。運営側は口で説明したよりも見てもらった方が早いということで、既に応募して採用された選手の練習風景を見せる。
トムと元部下はまずはボクシングを見た。ヘッドギアとグローブは地球のものに近い。練習をしているのも元々は兵士であり、鍛えられた肉体であるのはよくわかった。サンドバッグを殴る者や、スパーリングをしている者たちを見て、大体の競技の内容はわかった。
「グローブとヘッドギアがあれば、殴られても痛くはないか。これなら余裕だろ」
応募者の一人がそう言うと、案内をしていた係りの者がにこにことした笑顔で
「やってみますか?我々としても採用してみて、いざ練習となったら辞められるのがこまりますので」
と挑発するように言う。
「見ているだけじゃつまらねえと思っていたところだ」
応募者もそうこたえた。そして、スパーリングをしていた二人に話しかけて、一人が交代することになった。予備のグローブとヘッドギアをつけて、応募者が今までスパーリングをしていた選手と戦う。
応募者も兵士としての経験があり、いきなりではあったがよい勝負を見せる。しかし、時間がたつにつれ疲労の色が濃くなった。ペース配分が出来ずに思いっきり殴りかかったせいで、体力がもたなかったのである。
そこに一発クリーンヒットがでると、リングの上に倒れた。
他の応募者からはおおっという驚きの声が上がる。
案内の係りは笑顔を崩さずに応募者に言う。
「死ぬ可能性は低いですが、このように相応のダメージはあります。この競技は相手にヒットした手数の多さを競うものとなっておりますが、こうしてダウンさせて10秒のうちに起き上がることが出来なければ、試合続行不可能ということで勝敗が決定します」
それを聞いたトムとライナーはこの競技に興味を持った。
「隊長、面白そうじゃないですか」
「そうだな。勝った方は無駄な動きをせずに相手が疲れるのを待った。単なる殴り合いじゃなくて、相当な技術が必要だ。相手を殺さなくてもいいっていうのも良いな。これをやってみたい」
そう言ったものの、他も見てから決定してもよいかということで、次の競技を見に行く。
次に案内されたのは闘球と呼ばれるラグビーのようなもの。動物の革でつくられたボールを奪い合い、相手の陣地に到達したら得点になるというものだった。ラグビーと同じくボールは前に投げられない。タックルをしてよいのはボールを持った相手だけ。違うのはキックによる得点がないのと、トライでも1点ということ。
丁度練習試合をやっており、15人のチーム同士が戦っていた。
応募者は建設中のスタンドから、芝でつくられたグラウンドを見下ろす。そこからは両チームの選手の動きがよく見えた。
トムはそこで衝撃を受ける。
単にボールを持って走る、それを追いかけるだけではなく、15人がそれぞれどう動くかで得点出来たり阻止出来たりするのだ。基礎体力があればよいというだけの競技ではない。その時、自然と昔自分が率いていた部隊のメンバーだったらどう動かすかということを考えていた。
「ライナー、俺はこれをやってみたい。一緒にやるか?」
「チームで戦うなら、隊長と一緒がいいですね」
「それと、昔の部下たちに連絡はつくか?」
「多少は。でも、まさか一緒にやろうっていうんですか?」
「そうだ。見た感じでは戦略が重要になる。グラウンドで常に変化する状況なら、気心の知れた連中のほうが連携がうまくいくとは思わんか」
「そりゃそうですが、今から全員に声をかけるとなると」
「一人でやれとは言わんよ。知っているやつを教えてくれたら俺も誘ってみる。それに、誘ったやつが他の奴も知っている可能性もあるからな」
トムは闘球の選手として採用されることが決まった。なお、トムの考えるような昔の仲間とチームを作りたいというのは、他の選手たちも考えたことであり、多くのチームは過去の所属で選手同士がつながっていた。
こうして昔の仲間とチームを組んだトムは、過去の役職と実力からキャプテンとなったのである。
スタジアムが完成して本格的に客を呼び始めると、闘球は人気の競技となった。トムのチームの勝率は6割くらいとなり、ファンもついてきた。時には家族にチケットを渡して自分の試合を見に来てもらったこともある。
今では息子も闘球の選手になりたいというが、それがうれしくもあったが、危険も伴うので親としては勉強の道に進んでほしいとも思っていた。
そしてついに、国王夫妻が闘球を観戦に来る天覧試合のチームにトムたちが選ばれることになった。試合前の国歌斉唱の時、トムは初めてシェリーを見た。
そして、戦争からの人生を思い返す。
敗戦を迎え、敵国の貴族の娘が王妃となったとき、この国は終わったと思っていたが、外国人である王妃は誰よりもこの国のことを考えていた。
失業対策の公共事業のために私財を売却したり、人材不足のため自ら教鞭を取ったり、カスケード王国と交渉して鉄道事業を引っ張ってきたりというのは、王城に残って兵士を続けている元同僚から聞いて知った。そしてなにより、身分の固定されていたメルダ王国に、努力をすれば報われるという風土をつくった。
あのままメルダ王国がカスケード王国と戦わずに今を迎えていたら、きっと自分の人生も子供たちの人生も変わらぬままだったであろうと。兵士でも平民がたどり着けるのは部隊長くらいなもので、それ以上の指揮官ともなれば貴族の子弟でなければなれない。ろくに戦えもしない連中に命を左右されて終わりだ。役人だって平民がなれる可能性は低いし、なれたところで出世は望めない。
しかし、今は全て実力主義となっている。
それに、実力主義といいながらも、なるべく多くの人が脱落しないようになっている。兵士としての生き方しか知らない自分たちに、こうした仕事を作ってくれた。それに、国営の工場の稼働も始まっており、失業者は目に見えて減っていた。
また、子供のいる未亡人でも働けるように、託児所も国が運営している。
王妃が来る前よりも、確実に国が良くなっているのだ。
だから、自分は敬愛する王妃に、最高のプレーをご覧に入れたいと意気込んでいたのだ。
試合開始後、トムが得点をしてボールを高々と頭上に掲げると、喜んで拍手を送るシェリーの姿が見えた。トムは喜んでくれる王妃の姿を見てうれしくなり、さらに得点を重ねようと果敢に攻める。
トムは知らないが、この時シェリーはトムのチームが勝つ方に賭けており、プレーの内容ではなく、得点が入ったことに喜んでいたのだ。王妃本人が投票券を買いに行くわけにもゆかず、それはお付きのものが代行して購入したので、エイベル国王とお付きのものたち以外は知らないことだった。