78 氷の城
スティーブがワーナー男爵の屋敷に到着した。今回はスティーブの一人旅である。エリカの魔法の暴走が危険なものであるのでクリスティーナは連れてこれない。かといって、戦争をするわけでもないので護衛のベラは必要ない。ナンシーについてはあまり人目に触れさせたくない。こうした事情での一人旅だった。
スティーブを出迎えるのはワーナー男爵夫妻と妹のアシュリーだった。
すぐにワーナー男爵は土下座をして謝罪する。
「閣下にご足労いただきましたが、娘が屋敷から逃げ出してしまいました。申し訳ございません」
「ええ、どういった事情ですか?」
スティーブは引きこもっていた娘が突然家出したという情報に目を丸くする。
「それが、私どもにも事情が分からないのです。もう何年も部屋からも出てこなかった娘が、突如として家から出て行ってしまうなど」
「見張りはつけていなかったのですか?」
「はい。特に暴れるとかでもないものですから」
ワーナー男爵は額を床にこすり付けたままスティーブに返事をした。
スティーブは落ち着きを取り戻すと、流石にそこまで謝られなくともよいと思い、ワーナー男爵に土下座をしなくてもよいと告げる。
「ワーナー卿、土下座をする必要はありません。何か事情があってのことでしょうから。まあ、その事情は僕の来訪だとは思いますが。本人にも伝えてありましたか?」
「いえ、それを知らせてはおりません」
「うーん、それ以外にいつもと違うようなことってないですよね」
「はい。しかし、使用人にもエリカに閣下の来訪を知らせるなと言っておきましたので」
ワーナー男爵はスティーブが来るということをエリカに知らせないようにしていた。変に勘違いして自棄を起こされても困ると考えたからである。どのみち引きこもっていて、部屋からは出ない娘なので、いつスティーブが来ても面会させられるはずだったのだ。
青くなっているワーナー男爵に娘のアシュリーが提案する。
「父上、アーチボルト閣下にご足労いただきましたが、姉がいないのではここに滞在していただくのも申し訳ないのではございませんか?」
「それはそうなのだが、ソーウェル辺境伯閣下にお願いして、エリカの魔法の暴走を改善できるかもしれないということでアーチボルト閣下に来訪していただいたのだ。このままあの子を一生部屋に閉じ込めておくのはしのびない。この機会に何とかしてあげたいのだ」
この時アシュリーは自分がとんでもない勘違いをしていることに気づいた。
「父上、アーチボルト閣下はエリカを始末しに来たのではないのですか?」
「何を言っておるのだ。どうして私が自分の娘を殺してくれと閣下に依頼しなければならんのだ?」
ワーナー男爵はアシュリーの言っている意味が解らなかった。
ここでアシュリーは隠しきれないと思って、自分が勘違いをしてエリカに逃げるように指示したことを報告した。
アシュリーは自分の早とちりを泣いて詫びた。
「私が、私がエリカが殺されると思って逃げるように言ってしまったのです」
「なんということを!」
ワーナー男爵は怒ってアシュリーの頬を叩こうとした。スティーブは慌ててその手を掴んで止める。
「まあまあ、ワーナー卿。勘違いとはいえ美しい家族愛ではありませんか。姉のことを思えばこその行動ですし、僕は怒っていませんから。では今からエリカ嬢を呼びに行こうではありませんか。どちらに?」
スティーブが怒っていないことがわかると、ワーナー男爵も怒りをおさめた。そして、自身も娘にエリカの所在を問う。
「アシュリー、エリカの居場所をしっているのか?」
「はい。山に逃げるように言いました」
アシュリーは泣きながらそう告げる。
「何日も山で過ごしているんですか?」
スティーブが不思議に思って聞くと、アシュリーは頷く。
「エリカは魔法で家を作ることが出来るんです。だから、大丈夫だとおもって」
「食べるものも必要でしょう」
「子供のころ遊んだ場所だから、食べられる木の実はわかっています」
山は豊かな自然を有しており、食べられる木の実は沢山あった。子供のころから遊んでいるので、どれが食べられるかなどはエリカも把握しているのである。家があって食べ物があれば生きていくのは問題ない。だからこそアシュリーはエリカに山に逃げるように言ったのだ。
「では、さっそく山に探しに行きましょうか」
スティーブたちは山にエリカを探しに行くことにした。
一方そのころ、エリカは氷の城でアシュリーが呼びに来るのを待っていた。予定通りであれば、今日スティーブが屋敷に到着して、エリカがいないから諦めて帰るはずなので、そうなればアシュリーが呼びに来てくれると思っていたのである。
そんなエリカのところに門番のゴーレムが来客を告げに来た。
「あら、もうアシュリーが来たのね。このお城の中で一緒に遊ぶことは出来ないけれど、氷の城門ごしなら久しぶりにアシュリーの顔がみられるかしら」
エリカの足取りは軽く、急いで城門の方へと移動した。
しかし、来客はアシュリーではなかった。会話が出来ないゴーレムだからこその、エリカの勘違いであった。
氷の城門の向こう側には若い金髪の男がいた。外のゴーレムの隣に立って、こちらを見ている。
「どなたかしら?」
エリカは怪訝そうに男を見る。
「私の名前はオークレイ。この城の城主に面会を申し込みたい」
男はオークレイと名乗る。
「城主は私よ。どんなご用件かしら?」
「実はパインベイ王国側から山を越えてきたのだけど、休むところを探していたらこの城を見つけた。ぜひとも一晩とめてはいただけないだろうか」
オークレイから宿泊の許可をもとめられたエリカは悩んだ。若い男を城に入れて、一晩を共に過ごしてもよいものかと。
「ちょっと考えさせて」
「わかった」
即答できないエリカは考える時間を貰うことにした。オークレイもそれに納得する。実はこの時オークレイにも葛藤があった。こんな山の奥にある氷の城に住んでいる人物がまともである確率は低いだろうと。そして、対応してくれている女性がその城主であるとわかり、さらに普通ではないと感じていたのだ。そんなところに泊めてもらい、寝込みを襲われて喰われる可能性もあるだろうと。
しかし、オークレイがパインベイ王国側から山を越えてやってきたのは事実。もうすでにへとへとでこれ以上歩く体力もなかった。そして、休むにしても野生動物に襲われる危険のある外よりは、氷の城の中の方がよいのではないかと思ったのであった。
エリカがまだ決断を出せないうちに、城壁の外側が騒がしくなる。
「いたぞ!こっちだ!」
オークレイとは別の男が現れて、そう叫んだのである。たちまち叫んだ男の仲間が出現して、オークレイは取り囲まれてしまった。
「オークレイ王子、お命を頂戴します。おっと、その前に宝玉をこちらにください」
リーダー格と思われる男は剣をオークレイに突き付ける。
(オークレイ王子?)
エリカは目の前の若い男が王子と呼ばれたのが不思議だった。もっと不思議なのは王子に剣を突き付けている連中だ。盗賊のような下品さはなく、正規兵のようにみえたのだ。
直感ではあったが、オークレイ王子を助けなければと思い、エリカはゴーレムに取り囲む男たちを排除するように命令した。
「なんだ、この氷の人形は」
「隊長、剣で切れません」
「くそう、いったん戻って魔法使いを連れてくるぞ」
氷のゴーレムに攻撃が効かないとわかった兵士たちは来た道を戻っていった。
敵がいなくなったところでエリカは城門を開けてオークレイ王子を招き入れた。
「ようこそ私の城へ。オークレイ王子」
エリカはオークレイ王子に挨拶をした。
「どうやら私の身分はばれてしまったようだね。私はパインベイ王国の第一王子、オークレイ・パインベイ。危ないところを助けていただきありがとうございました。ところで貴女のお名前は?」
「私はここの領主の娘、エリカ・ワーナーです」
「領主の娘?では、この城に領主殿がおられるのではないか?」
「いいえ。ここには私だけ」
エリカはオークレイにどうしてここにいるのか事情を打ち明けた。
「なるほど。アーチボルト閣下の話は私も聞いたことがある。そんな武人がエリカ殿を始末しに乗り込んできたのか」
「はい。でも妹が追い返してくれているはずです。なので、今日でここのお城とはお別れなんです」
「では、家に戻るときに私も連れて行ってはくれないか」
「どうして王子が家に?」
オークレイとしてもそれには事情があった。それをエリカに話す。
「実は今我が国では弟による王位簒奪の動きがある。国王である父が落馬して大怪我を追って意識がもどらない。だから、もうこの先長くないだろうとなったのだが、その時弟である第二王子を擁する貴族たちが、私の命を狙って攻撃を仕掛けてきたのだ。部下たちに守られながらここまで逃げてきたが、ついには最後の一人も私を逃がすために囮になって誰もいなくなってしまったのだ」
「そんなことが。でも、どうして我が家に?」
「エリカ殿の父上は領主であろう。ならば、そこからこの国の国王に取り次いでもらいたいのだ。実は先ほどの連中も私の命と同時に、私が持ち出した宝玉を狙っている。これは正統な王位継承者が持つもの。パインベイ王国の法律では、王はこの宝玉を持っていなくてはならないのだ。職務を代行する際に、私がこれを所持したのだが、弟が王位継承をするにはこれがないと駄目なのだ。それをこの国の国王に差し出し、パインベイ王国の反乱を鎮めるための兵を借りようと思う」
パインベイ王国ではよくあるお家騒動が起こっていた。現在の国王の意識が戻らず、この先がないと分かったときに、第二王子の派閥が武力による王位簒奪をはかったのだ。不意を突かれたオークレイ側はなんとかオークレイを王都から逃がすことに成功したが、その後も第二王子派閥の追及は執拗で、ついには国境までおいつめられてしまった。
そして、今は各地でそれぞれの派閥による紛争が起こっている。オークレイはそれを鎮めたかったのだ。
そうしたお家騒動とは縁遠いエリカは、思った疑問をオークレイにぶつけた。
「弟が王位を継いではだめなの?私は妹がいるけど、妹が家を継いでもいいと思っているけど」
「弟が有能ならばそれでもいい。しかし、幼い弟は傀儡となることは明白。場合によってはどこかで殺されてしまうかもしれない。だから今回の簒奪を計画した貴族を排除しなければだめなんだ」
オークレイの弟である第二王子はまだ未成年。だからこそ担ぎやすいというのがある。担いでいるのは現国王の実弟である公爵だった。オークレイを排除し、後々第二王子も始末してしまえば、王位は自分のものとなる。そうした狙いがあっての行動だった。
ただ、そうした事情はエリカにとっては想像もつかないことであり、
「大変ですね」
としか言えなかった。
その時オークレイのお腹がなる。
「あ、レディーの前で失礼した。逃げている間なにも食べられなかったので」
追手から必死に逃げている間は、食事をする余裕などなかった。そして、そもそも食べるものを持っていなかった。
そんなオークレイにエリカは果実を差し出す。真っ赤なリンゴであった。
「これは?」
「甘くておいしいのよ。そのまま食べるんだけど、王子様からしてみたらはしたないかしら?」
「いや、そんなことはない。いただこう」
そういってエリカが差し出したリンゴに、オークレイが手を伸ばした時、エリカが声をあげた。
「あっ!」
それに驚いてオークレイが手を止める。
「何か?」
「私っていつも魔法が暴走するの。私に触るとオークレイ王子もきっと酷いことになる」
エリカはそう言ったが、オークレイは空腹に堪えられず、エリカの手からリンゴを受け取った。エリカは不安そうにオークレイを見るが、外見には変化がなかった。
「いや、なんともないが、これから何か起きるのかな?」
「そんなことはないわ。本当になんともないの?」
「ない。それではいただこうか」
オークレイはそういうとリンゴを齧る。
「美味しいな」
「そうでしょ。これをジャムにしてパンに乗せるととっても美味しいのよ」
「今度食べてみたいな」
「じゃあ、家に行ったら用意するようにお願いしてみるわ」
ふたりはそう言うと自然と笑顔になった。
そこにまたゴーレムが来客を告げにやってくる。
「今度こそ妹のアシュリーだと思うわ」
「そうか。じゃあ僕も挨拶をしないとかな」
そういうと二人で城門のところに向かう。
そして、城門のところにはアシュリーがいた。ただ、他にもワーナー男爵とスティーブ、それに兵士たちも一緒だった。