77 ワーナー男爵
スティーブはオーロラからの呼び出しがあり、彼女の居城を訪れていた。本来であれば格下のオーロラがスティーブのところに出向くべきであるが、アーチボルト領には貴族が宿泊できるような宿が無い。日帰りをするには距離があるし、オーロラをアーチボルト家に泊めるとなると、やはり色々と大変なのでスティーブが彼女のもとを訪れるのは今までと変わらない。
いつものようにオーロラの隣にはハリーが控えており、スティーブと三人での密談となる。
「ソーウェル卿の美しさは年月とともに磨きがかかったようで、以前お目にかかった時よりも美しさが増しておりますね」
「やあね。増したのはしわくらいなものよ。貴方の魔法でしわを消せないかしら」
「それは母にも同じことを言われました。残念ながら僕に出来ることはそれほど多くないのです」
常に若くありたいというのは女性の永遠のテーマ。アビゲイルも非常識な息子なら、時の流れという常識に逆らえるのではないかと期待しているが、今のところそんな魔法はない。
「それで、僕をしわ除去のために呼んだわけではないですよね」
「もちろんよ。今日は閣下に依頼したいことがあって、ご足労いただきましたのよ。西部派閥のワーナー男爵は知っているわよね」
「ええ。何度か式典や会合などでお会いしていますから」
ワーナー男爵は西部派閥に所属する貴族である。領地は西北部にあり、フォレスト王国ではなくパインベイ王国という国と国境を接している。スティーブはワーナー男爵とは何度か顔をあわせており、面識はあった。年齢はブライアンと同じくらいで二人の姉妹がいる。年齢はシェリーよりも少し上だとか。
前回男爵と会話したときには、いまだに独身で結婚相手が決まっておらず、スティーブにどうかということを言われた。勿論断ったが。
「よかったわ。知らないと言われたらそこからの説明だったし、西部派閥の一員としてもっと他の貴族のことを知ってもらう機会をつくらないといけなかったから」
「お気遣いなく。そうした行事は父が行っておりますので、僕が貴族の顔を覚えていなくとも、問題は無いでしょう」
「大有りなんだけど、今はそこについてはいいわ。それで、そのワーナー男爵には二人の娘がいて、姉の方が魔法使いなの」
「それは初耳ですね」
スティーブはワーナー男爵との会話の中では娘が魔法使いという情報が無かった。
「表舞台には出せない存在だから知らなくて当然ね」
「表舞台に出せない事情を訊いても?」
「ええ、勿論よ。それが今回の依頼だもの」
「まさか、呪いの類でそれを何とかしろというのではないでしょうね」
スティーブは冗談でそう言ったが、オーロラは頷いた。
「よくわかったわね。そのとおりよ」
「え、本当に?」
「そうね。呪いではないけれども、本人にとっては呪いみたいなものね。彼女、魔法が暴走して他人を傷つけるの。それで、そんな自分が怖くなって引きこもっているのよね。呪いみたいなものでしょう。何とかしてきてほしいの」
オーロラからの依頼は魔法が暴走して人前には出られない、ワーナー男爵の長女エリカを何とかしてほしいというものだった。
エリカは氷の魔法使いであり、触れたものが凍ってしまうという厄介な状況にあった。
ワーナー男爵としては、妹のアシュリーが婿を取って領地を継いでくれてもよいと考えていたが、そうなった場合でも引きこもっている姉の存在を何とかしなければならない。どうにかならないかとオーロラに相談したところ、オーロラがスティーブに依頼しようと提案したのだった。
理由はスティーブも魔法使いなのでなんとかできるだろうという程度の考えであったが。
オーロラがワーナー男爵の相談を聞いたのは、西部地域の後継者問題だったからである。ワーナー男爵の領地の跡継ぎがいないとなれば、そこを狙って騒動が起きる可能性があり、その可能性の芽を未然に摘んでおきたかったのだ。
「すごく難しそうな話ですが、期限と報酬をきいておきましょうか。我が家も無料で動くほどの余裕がないので、報酬しだいではお断りしますけど」
「期限は相手を見てから半年くらいでどうかしら。メルダ王国の王都と唯一の港町をつなぐ鉄道の建設でどうかしら。物資と整地はお願いするにしても、レールを敷設するのはこちらで人を用意するわ」
「蒸気機関車はどうするつもりですか?」
「それは無理だから人力よ」
オーロラが提案したのはメルダ王国での鉄道建設だった。
現在はレミントン辺境伯が所有する港―― スティーブが最初に制圧した港 ――から、メルダ王国の王都へとつながっている鉄道がある。そこでは蒸気機関車が走っていた。今のところは物資の輸送目的であるが、メルダ王国に反乱の意図ありとなれば、港から大量の兵士を送り込むために使用する。
現在は物資の輸送に使われており、主にカスケード王国にとっての富を生んでいた。そこで、メルダ王国に残された唯一の港と王都をつなぐ鉄道を作り、トロッコによる輸送をさせようというのがオーロラの計画である。
もちろんこんな提案をするのには、オーロラにも利益をもたらすからというのがあった。駅周辺の開発は儲かるというのを国が証明してくれたので、カスケード王国の利権がまだないメルダ王国に鉄道網をつくって、自分が利益を得ようというわけである。
蒸気機関車はいまだその機関部は国家機密となっており、いかにオーロラといえどもメルダ王国に自分で敷設する鉄道には使えない。なのでトロッコを使うつもりなのだ。
そして、レールやトロッコ、それに整地についてはスティーブに依頼してお金を支払うというのだ。
「それって、僕がワーナー男爵のところに行かなくても同じでは?」
「いいえ。鉄道事業は赤字の可能性もあるから、こちらとしても賭けになるの。メルダ王国では銀行や証券会社で十分利益が出ているから、鉄道が無くてもいいのよ。赤字は全てこちらで被ることになるんだけどね」
オーロラの言うように鉄道事業は必ず黒字になるとは限らない。しかし、スティーブが魔法で作る部材はオーロラから代金を受け取れるので赤字は無い。
スティーブにとっては悪い話ではないのだ。
「言われてみればそうですね。リスクはソーウェル卿が引き取ってくれるなら悪い話ではないです。ただ、解決できる保証は無いですけどね」
「そこは仕方ないわ。ワーナー男爵の方にも伝えておくわよ」
「お願いします。では来週にでも伺いましょう」
「くれぐれも、依頼以外はしないでね」
「僕が毎回余計なことをしているみたいではないですか」
「だからよ」
オーロラはスティーブにしか今回のことは解決できないだろうとは思っていたが、毎回なんらかの想定外のトラブルに巻き込まれるため、今回もそうではないかという予感はしていたのだった。しかし、悪い方向には転ばず、頭を使える機会が増えるので、本当に嫌でもない。
今回はどんなことになるだろうという若干の期待を込めてスティーブに依頼することにしたのだった。
こうしてスティーブはオーロラの依頼を受けることにした。
スティーブが依頼を受けることが決まり、オーロラからワーナー男爵にそのことを伝える書簡が届く。ワーナー男爵とその妻は、引きこもっている娘をどうにかできるのではないかと喜んだ。
「ついに竜頭勲章アーチボルト閣下がエリカのところに来てくれることになった」
「閣下、これであの子も楽になるでしょうか」
「そうだな。アーチボルト閣下は稀代の魔法使い。エリカのこともきっと解決してくれることだろう」
この夫婦の会話を扉越しに聞いていたのは妹のアシュリーだった。
アシュリーはスティーブが自分の家にやってきて、エリカのことを始末するのだと勘違いする。この時親に反論すれば誤解だと気づけたのだが、エリカの始末を依頼した親を説得は出来ないと考え、エリカの引きこもる部屋へと走っていった。
アシュリーは扉越しにエリカに話しかける。
「エリカ、アーチボルト閣下がエリカを殺しに来るってお父様が言っているのを聞いたわ。早くこの屋敷から逃げて」
「アシュリー、それは本当なの?」
「本当だよ。エリカを楽にするって言ってた。だから逃げて山に隠れていて。閣下が諦めて帰ったら連絡しにいくから」
「わかった」
エリカはアシュリーの話を聞くと、その日の夜にこっそり屋敷から抜け出して、国境沿いの山へと逃げた。さすがに夜中に山道を歩くのは無理なので、日が出るまでは山の周辺で過ごす。そして、日の出とともに山に入っていった。
ワーナー男爵の領地はパインベイ王国とは山を挟んだ土地となっており、外敵の侵入に備えるために町と山の間に屋敷があった。なので、エリカは町の人に見つかることもなく山に入ることが出来たのである。
エリカはまだ引きこもる前は、アシュリーと一緒によくこの山で遊んでいた。久しぶりに来てはみたが、山は昔と変わってはいなかった。
「この木に登って降りられなくなったアシュリーが泣いたっけ」
木登りをした木の幹に手を当てて昔を思い出し、クスクスと笑う。その時はエリカが魔法で氷の階段を作って、アシュリーはそれを使って降りてきたのだった。
その後、エリカの魔法が暴走するようになり、一緒に遊んでいたアシュリーが氷の魔法で死にかけたということがあって、エリカは引きこもってしまったのだ。
今でもエリカはアシュリーと一緒に遊びたいと思っているが、もうあんな怖い思いをしたくないので、それをずっと我慢していた。
そうした昔のことを思い出してばかりもいられない。しばらくはこの山で暮らすことになるので、生活の拠点を作らなければならないのだ。エリカは更に山の奥へと入っていき、屋敷からは完全に見えない場所へとたどり着く。
「まずは家を作ってしまわないとね」
エリカはそういうと、魔法で氷の城を作り出した。
目の前に氷の城が出来上がる。エリカは魔力量が多く、大量の氷を作り出すことが出来た。
氷の城は太陽の光を反射してキラキラと光る。エリカは城の出来に満足していた。絵本に出てくるお姫様が住む豪華なお城を氷で再現したのだ。自分もお姫様の気分になって、城の中を歩いて見てまわる。
「次は兵隊ね」
そういうと、今度は氷でゴーレムを作り出した。エリカは引きこもっているあいだ、ゴーレムを作り出す魔法を完成させていた。遊び相手が欲しかったからという理由なのだが、ゴーレムというロスト魔法を独自に習得してしまっていたのだ。
本人にはロスト魔法を習得したというつもりはなかった。そもそもゴーレムがロスト魔法とは知らないし、誰にも見せていないので、気付く人もいなかったのである。
出来上がったゴーレムにエリカは話しかける。
「さあ、木の実を集めてきて。おなかがすいてきちゃったんだもの」
ゴーレムはエリカの命令を受けて、木の実を探しに行った。
ゴーレムが城の外に木の実を探しに行く後姿を見ながら、エリカはぽつりとつぶやく。
「アシュリーと一緒にここに住めないかしら」