76 メルダ王国戦勝式典
三度目となる戦勝式典では主役のレミントン辺境伯が笑顔で挨拶をしていた。その笑顔を遠くからスティーブとオーロラが眺めている。クリスティーナは父親のマッキントッシュ侯爵のところに行っており、ここにはスティーブとオーロラだけだ。
ナンシーとベラは貴族ではないので留守番である。
オーロラがスティーブに憐憫の眼差しを向ける。
「何にも得るものが無かったわね」
「元々グラスを納品に行っただけですからね」
「洗濯ばさみやグラスを納品するたびに国土が広がるのはどういうことかしらねえ」
「それは僕のせいではないですね。相手が攻めてくるのが悪いんです」
スティーブの返事を聞いてオーロラがクスクスと笑った。
「そんな間の悪い相手のおかげでうちにも利益があったのは僥倖だったわ」
「ソーウェル卿に迷惑をかけずに済んでよかったですよ」
オーロラが言う利益とは、メルダ王国に出した銀行の支店のことである。
やはり賠償金は一部アーチボルト家が肩代わりすることになり、銀行に預けている預金を引き出そうとしたが、それをされると投資に回している銀行は倒産してしまう。
分割して預金を引き出す代わりに、メルダ王国に支店を出す許可をエイベル国王からもらったのだ。エイベル国王としても、賠償金のあてにしていたアーチボルト家の資産を得られないのは困るので、オーロラに妥協した形になっている。
賠償金の分割の支払いは国王ウィリアムによって承認されることとなった。
そして、大規模な投資案件は銀行が絡むので、支店は大きな利益を上げることが見込まれていた。もちろんその資金もアーチボルト家の資産である。
スティーブもブライアンも一気に預金を引き出す以外の選択肢が得られてほっとしていた。
この裏には国王ウィリアムがあまり無理にことを進めてスティーブの機嫌を損ねるをの嫌ったというのがあったが、スティーブもブライアンもそれには気づかずに、国王に感謝をしていたのだった。
そんなスティーブを見て、オーロラはぬるいわねと思っていた。ただ、そのぬるさのおかげで自身は大きな損失を被らず、逆に利益を得られたのだが。
「メルダ王国王妃もこれから大変ねえ。結婚式は華やかだったけど、結婚なんてそこがピークよ」
「これから結婚を控えている僕に言わないでください。がっかりするじゃないですか」
戦勝式典に先立ち、エイベルの戴冠式と結婚式をウィリアム主催で行っている。これはメルダ王国がカスケード王国の属国になったことを内外に知らせるためのものであったが、エイベルも名より実を取った。
属国となったことで、軍隊をカスケード王国に備えて配備する必要が無くなり、大幅に軍事予算を削減できた。
「それにしても、西部、北部に続いて南部も領土が広がったとなると、東部のクレーマン辺境伯は内心穏やかじゃないでしょうね」
オーロラはそういうと、視線をクレーマン辺境伯の方に移した。彼と彼の周囲に集まっている東部派閥の貴族たちはみな渋い顔をしている。他の地域の貴族がどんどん大きくなっていくのを見るのは三度目。前回までは南部の貴族と不満を言い合っていたが、ついには東部派閥だけで不満を言い合うだけになってしまった。
クレーマン辺境伯としては派閥の不満を解消するためにも、外征の必要性を訴えたが、国王は帝国に対してのそなえに国家のリソースを割くことを優先しており、東部の外征を認めなかった。
それに、急拡大する領土にたいして人材が不足しており、ここで東部も領土が広がれば、その統治に隙が出来るのを嫌ったのである。
「ますます嫌われちゃいますかね」
「逆恨みもいいところよ。別に東部を貶めるために戦争をしたわけじゃないんでしょう」
「そうですね。それに今回は完全に持ち出しですから。これでまた、領地経営に余裕はなくなりましたよ」
「グラスとステンレス製の像があるでしょう」
「あんまり作りすぎると価値が落ちますので、数を作れないんですよ」
高級グラスとステンレス像はいまだにバックオーダーを抱える貴重な収入源であったが、価値を維持するためには市場に出す数は増やせない。
なお、結婚の記念にシェリーとエイベル国王にも高級グラスを贈ったが、シェリーが財政難解決のためにオークションに出品してしまっている。スティーブは何かを飲むよりもよっぽど役に立ったと笑ったが、ブライアンとアビゲイルは娘の変わりように目を丸くしたのであった。
「この国の貴族もそういった貴方の苦労を知らず、アーチボルト家の娘が他国の国王に嫁いで王妃になって羨ましいとしか考えてないのよね」
「うちの父上のところにもそうした話が来ますね。将来の王の祖父ですから、国政を牛耳ることも可能。ならば今のうちに取り入っておいた方が得策だということで」
「アーチボルト卿にそのつもりがあればそれもいいけど、そんな野心はないのでしょう」
「よくご理解いただけているようで良かったです」
ブライアンは将来メルダ王国国王の祖父となるであろうが、本人はまったく野心がなく、現在の男爵という地位に満足していた。それに、領地経営に余裕がなくなってしまったため、そんな将来のことを見る余裕がなく、目の前のことで精一杯であった。
ただ、南部の貴族以外にも、オーロラが利権に食い込んだことで、自分たちにもなにかしら出来るのではないかという期待を持った貴族は大勢いた。そうした貴族がブライアンにすり寄ってきたのである。
そしてもう一人、すり寄ってきた人物がいた。
シェリーの姉、フレイヤである。
パーカー準男爵の相場で作った負債の返済に追われており、妹の結婚で一発逆転を狙っていたのだが、メルダ王国の内情が火の車と知って肩を落としていた。アビゲイルは妹を祝うよりも先に、お金のことですり寄ってくる娘に頭を抱えたのだが、その妹のシェリーも実家のすねをかじる姿勢をみせており、それに頭を抱えていた。
シェリーはニックやジョージといった領地の幹部クラスの人材をメルダ王国に連れていきたいと言ったのである。さすがにそれはブライアンが許可しなかった。
その結果、シェリーが自ら教育機関を立ち上げて指揮することになる。スティーブやジョージが考えた楽しく勉強できる教材を再現し、広く読み書き計算が出来る人材の育成に乗り出した。門前の小僧習わぬ経を読むではないが、スティーブの活動を近くで見ていたシェリーは、その教材なども頭に入っていたので再現することは出来た。
元々頭は良いのだが、怠ける性格のせいでそれがみんなに伝わっていなかっただけで、愛する夫のためならば、その能力を遺憾なく発揮出来るのであった。
実家から持ち出した知育玩具を参考に、メルダ王国の工房で生産が開始されており、裕福な家庭から購入をしていっている。敗戦の功名ともいうか、貴族の勢力が一掃されてしまい、既得権益が無くなったことで中央集権国家を作りやすくなっていた。そこには能力で採用されるというものもあり、元貴族や豪商豪農などは子供の教育に力を入れていた。
この中央集権国家という考え方はスティーブから教えられたものであり、近代国家を目指すのであればそうするべきとシェリーに伝えたのだった。
なお、人材不足から元貴族は知事として軍事権以外の統治を任されている者もいたが、不正が見つかった場合には極刑が待っているため、非常にまじめに政治を行っていた。王妃の実弟が監査に加わる可能性があると示唆することで、みな敗戦の記憶があって緊張しているのである。
こうしてスティーブにおんぶにだっこではあったが、メルダ王国の再建は進んでいる。
「それにしても、陛下もうまくやったわね。貴方への褒美がエイベル国王の助命だけ。どのみち反対なんてできないのに、それで恩を売った形にするのだから」
オーロラの言うように、スティーブが望まないエイベル国王の処刑はウィリアムには決断できなかったはずである。ならばもっとふっかけても良かったのではないかというのがオーロラの意見だった。先ほどもそのことに触れたが、もう一度蒸し返す。
「うちとしても、あまり力をつけて陛下に睨まれるくらいなら、今くらいの方が丁度いいですよ。今ならばうちよりも海外領土を持ったレミントン辺境伯の方が危険だと思うんじゃないでしょうか。監視のために王家もメルダ王国から割譲された領地をもってはいますけどね。戦力の減ったメルダ王国よりもよっぽど脅威でしょう」
「本当なら港は下賜したくはなかったでしょうけど、それをすると他の貴族も王家に不信感を持つことになる。そうはしたくないから、功績としてメルダ王国が持っていた一番大きな港はレミントン辺境伯のものとした。この港から得られる利益がレミントン辺境伯の力を増強させる。すでに西部と北部の貴族の力が王家に迫る状況で、南部の辺境伯もその力が大きくなるとなれば、心中穏やかではないでしょうね」
「戦勝式典とはいいながらも、手放しで喜べないということですね」
「ま、アーチボルト家の力が削げただけでも成果じゃないかしら。あなた達親子ならば、計算が出来ずに反乱をすることもないでしょう」
「まあ、今回そうなりそうだったのが回避できたので、そういうことにしておいてください」
スティーブはもしエイベル国王の処刑の命令が下されていたならば、シェリーとエイベルを逃がすつもりであった。処刑場の全員を幻惑の魔法で騙すことが出来なければ、それこそどうなっていたかはわからない。
オーロラはスティーブの意見を聞いて大袈裟に困ってみせる。
「どちらにつくか悩ませないでほしいものね」
「僕としても、そんな状況は勘弁ですよ」
スティーブが肩をすくめた時に、複数の視線を感じた。東部派閥の貴族たちがスティーブとオーロラの方を見ているのだった。それも恨めし気に。
「あらあら、相当恨まれているみたいね」
「逆恨みもいいところです。でも、僕だけじゃなくてソーウェル卿も今回も利権を得ているので、同罪だと思われているんじゃないですかね」
「どうかしらね。でも、私が陛下の立場なら、彼らの恨みを利用して牽制するでしょうね。同じ国でも足の引っ張り合い。本当に貴族って疲れるわね」
「疲れるような表情ではないですよ」
嬉しそうに言うオーロラを見て、スティーブが忠告した。
「あら、失礼」
全く反省せずにオホホと笑うオーロラ。
そこに疲れ切った顔のブライアンがアビゲイルとともにやってきた。
「まったく、うちに取り入ったところで良いことなんてないのに、そうした考え方の連中の多いこと」
「傍から見れば王妃の父親ですからね」
スティーブが苦笑する。
ブライアンとアビゲイルは今日もなんとかメルダ王国の利権にありつこうという貴族からの挨拶を受けていた。その挨拶をこなして、避難してきたというわけである。
「しかし、あれだけ結婚出来ないと思っていた姉上も、あっさり決まってしまいましたね」
「そうだな。一生家にいると思っていたが。それに、お前よりも驚かされることになるとはな」
いままで散々常識外れな結果を残してきたスティーブであったが、王妃になるというシェリーに比べたら可愛いものであった。
ブライアンとアビゲイルにしてみれば、シェリーにここまで驚かされるのはまさかの事態である。
「これで僕の方が親に迷惑をかけていないということをわかっていただけましたでしょうか」
「フレイヤと比べたら二人とも酷すぎだ。親の苦労がここまでとは思わなかった」
ブライアンがそういうとオーロラが笑う。
「親になると大変なのよね。いつまでたっても子供は子供。親の苦労は死ぬまで尽きないわ。もっとも、竜頭閣下は本当に子供ですけど」
「えー、えー、僕は子供ですよ。親にもいっぱい迷惑をかけてますしね」
スティーブが拗ねたところにクリスティーナが戻ってきた。
「スティーブ様は何を拗ねているのですか?」
丁度スティーブが拗ねたところから会話が聞こえたので、ことの経緯がわかっていない。
「親になると子供のことで苦労するって言われたんだけど、僕の何処が親に苦労をかけたっていうのかわからないよ」
「あら、そんなことで拗ねてらしたのですか」
「そんなことでもないよ」
スティーブはクリスティーナに対してもプイッとした態度を見せた。
しかし、そうした態度をとりながらも、前世で社会人になってからも失敗しては親が尻拭いをしてくれたのを思い出した。
加工を失敗しては作り直しをしてもらったり、不良品を納入した後の対応をやってもらったりと、全て自分だけで乗り越えてきたわけではなく、常に親が面倒をみてくれていた。家族経営の町工場だからこそではあるが、親の気持ちを考えると、スティーブは成人していても、子供だという目でみられていたのだろう。
そう思ったら拗ねていた自分がとても恥ずかしくなり、かといって親に謝るのも出来ずに、スティーブはクリスティーナにごめんと言って謝った。
誤字報告ありがとうございます。