71 キャメロン親子
翌日、スティーブたちはレミントン辺境伯の許可を得て、レミントンラントを散策していた。天気は晴れて風も弱く穏やか。絶好の散策日和であった。
全員が平民の格好をして歩いているのだが、スティーブ一人に対して女性四人という構成は目立つ。しかも、それが美女、美少女とあってはなおさらだ。
周囲の好奇の目線を感じつつも、スティーブたちは市場を見て回る。内陸のアーチボルト領ではお目にかかれない魚が多数陳列されており、スティーブがここぞとばかりに購入してはこっそり収納魔法で亜空間に収納していた。
さらに、スティーブがうれしくなったのは王立研究所で開発したハンドリフトが市場の至る所で使用されていたことだった。木製のパレットに乗せられた荷物を、ハンドリフトで運んでいるのは開発冥利につきるというものである。
油圧でパレットを浮かせて重量物を引っ張ることが出来るのは便利であり、港湾や市場での作業に重宝されて、瞬く間に国内に普及していたのであったが、スティーブは中々それを自分の目で見る機会がなかったのだ。
「レミントンラントにもハンドリフトが普及しているみたいだね」
「あれは便利だからねえ」
シェリーもハンドリフトを引く様子をみてそういった。アーチボルト領のハンドリフトはスティーブの魔法で作ったものなので、こちらの技術で作ったものよりも性能が良い。
なお、日本の工場でもありがちだが、ハンドリフトをキックボードのように使って遊んでいたりもする。
シェリーの便利はどちらかといえばそちら寄りであり、本来の使い方からは逸脱していた。
そのまま楽しく市場をまわるだけで終わらないのがスティーブの運命であり、しばらく歩いていると人だかりにぶつかった。人だかりといっても、かなり距離を取って遠巻きに見ているだけであった。
スティーブたちはその人たちの間を通り前の方に出る。
すると、そこには豪華な貴族のものと思われる馬車が止まっており、高価な服を着た太った若い男と、護衛と思われる兵士4名、それに太った男につかまれている若い女性と、地面に倒れている若い男がいる。
太った男は豚が服を着たという表現がぴったりな感じである。
「平民が無礼を働いたか?」
ナンシーは状況からそう判断した。
「ちょっと様子を見てみようか」
スティーブは厄介ごとの予感がしたので、様子を見ることにした。
平民が貴族に無礼を働いたのであれば、スティーブが口出しする余地はない。心情的には平民を助けてあげたいところだが、絶対的な身分の差についてはスティーブがどうこうできるようなものでもなかった。
地面に倒れている男はよく見ると傷だらけだったが、太った男に頭を下げて女性を返すように懇願している。
「お願いします。マリアを返してください」
「貴様が馬車の前に出てきたことで馬が驚き、暴れたことで運んでいた壺が割れてしまったではないか。先祖代々の由緒ある壺を弁償させたいところであるが、平民の貴様にどれほどの金があるというのか。この女では足りぬがせめてもの償いとしてもらっていく」
太った男の言い分を聞いてスティーブは状況を理解した。
その男が持っている壺の破片はどうみても安物。しかし、それは平民にはわからないこと。それをいいことにふっかけて女性を連れて行こうという場面だったわけだ。
壺が本当に今割れたのかも怪しい。
クリスティーナも壺が安物であることを見抜き、スティーブの袖を引っ張って耳打ちする。
「なんとかなりませんか?あの壺は安物で由緒ある訳がありません」
「そうだね。ちょっとあれはやりすぎだね。お灸を据えてやらないとね」
スティーブはそういうと太った男の前に進み出た。クリスティーナたちもそれに続く。
「ちょっといいかな」
「なんだ貴様らは?」
太った男はスティーブを睨んだ。
スティーブは挑発するようにその睨みを鼻で笑う。
「ふふ、名乗るほどでも」
スティーブのそのセリフに太った男は何を勘違いしたのか笑い出す。
「平民、このビリー・キャメロン様が怖くなって名前を名乗ることが出来ぬのだな。家族に迷惑はかけたくないものなあ」
「家族に迷惑はかからないとおもうけど」
「いいや、キャメロン子爵家の嫡男である俺様にそんな態度をしたのだ。この場で殺すには十分な理由だろう。そして家族も同罪だ」
スティーブは、どうも目の前のビリーという男はスティーブが家族も同罪で罰せられるから名乗れないのだと勘違いしているようだと理解した。
本当のところは、ここで自分が名乗ると後々面倒になるから名乗らないだけであった。
スティーブが黙っているとビリーは益々調子に乗る。
「貴様の連れている女たちは見ればみな、平民とは思えぬ顔立ち。特別に俺が可愛がってやろう」
ビリーはそういって舌なめずりする姿を見せる。
それを見せられた女性たちは嫌悪感をあらわにした。
「気持ち悪い」
「うへぇ」
「斬っていい?」
「旦那様、斬らせてくれ」
とは、クリスティーナ、シェリー、ベラ、ナンシーの言葉である。
特にベラとナンシーは今にも斬りかからんとする勢いで、スティーブはまずいなと感じた。
「今すぐその女性を解放すればこの場は不問とするが、拒否するならばこちらも実力行使せざるを得ない。そんな安物の壺が由緒あるというのなら、家名を汚すだけだ」
スティーブの言葉にビリーはカチンときた。目が血走っており、怒っているのがよくわかる。図星だっただけに怒って誤魔化すしかないのだが、怒ったふりではなくて、実際に怒ってしまっているのがビリーの幼稚さをあらわしていた。
「平民風情に何がわかるというのだ。お前ら、そのガキの手足を切り刻んで、女たちを連れてこい」
ビリーの命令に兵士たちがスティーブに近づいてくる。
誰一人うしろめたさを見せる様子が無く、スティーブはこの連中も同類かとため息をついた。
その後、一瞬で兵士たちを殴りとばした。
「んなぁああ」
ビリーは驚きのあまり叫び声をあげる。
「うるさい」
スティーブは叫び声をあげているビリーの左の頬に拳を叩き込んだ。
「ぎゃふん」
殴られて倒れるビリーの手から女性を救い出すと、その女性を倒れている男のところに返した。
その後、ビリーを踏みつけて睥睨する。
「これに懲りて二度と悪さをするな」
「お前なんかパパが来たらどうなるかわかっているんだろうな!」
ビリーは転がされ、踏みつけられて睥睨されながらも改心する様子を見せない。
その態度にスティーブは父親も含めて再教育しなければならないなと考え、兵士たちに命令する。
「さて、そのパパとやらを呼んで来い。大切な息子が殴られていると言ってな。時間がたつたびに殴る回数が増えるぞ」
スティーブに言われて兵士は全員がどこかへと走っていった。
そんなスティーブの様子を見て話しかけてきたのは倒れていた男である。
「助かったよ。しかし、あんたも逃げないとひどい目にあうぜ。いくら強いっていっても子爵の兵隊にはかなわないぜ」
スティーブのことを心から心配してくれる男に対して回復魔法を使ってあげたかったが、ここで回復魔法を使うと色々と騒ぎになりそうなので、命に別状はなさそうだと判断し、男の治療は見送った。
そんな男にスティーブは言う。
「心配ありがとう。でも、諸悪の根源は叩いておかないとね。さっきの兵士もこいつもどうも手馴れていて、今回が初めてだとは思えないんだ。子爵もそれに嚙んでいるとなれば、なおのこと放置できないよ」
「しかし、平民がいくら頑張ったところで貴族には」
それを聞いたビリーが地面に這いつくばったままぐふふと笑う。
「そうだ。貴様ら平民など虫みたいに踏みつぶしてくれる」
「偉そうなことを言っても、今の自分の姿を見れば、どっちが虫だかわかりそうなもんだけどな」
スティーブはビリーに憐憫の眼差しをむける。
そんなやり取りをしていると、先ほどまであった人だかりは消えていた。
みな、巻き込まれては困るということで、立ち去ったのである。
スティーブが助けた男女も、後ろ髪を引かれる思いではあるが、スティーブのところから離れた。
そうこうしているうちに、高級そうな馬車と20人ほどの兵士がやってきた。
馬車から降りてきたのは、これまた豚みたいに太った中年男性。その男を見るなりビリーが歓喜する。
男はキャメロン子爵であった。
「親豚」
「ぷっ」
ぼそっとベラが言った言葉に、スティーブは思わずふきだす。
そんなやり取りなど耳に入らず、ビリーは父親を呼んだ。
「パパ!」
「ビリー!お前平民に殴られたと聞いていたが、踏まれておるではないか。今助けてやるぞ。お前たち早く息子を助けるんだ」
子爵の命令で兵士が近づいてくるが、先にスティーブがビリーから足をはなし、自由にしてやった。
ビリーは直ぐに父親のもとに走っていく。
安全圏に逃れたという安心感もあって、ビリーはぐふぐふと笑った。
「パパ、あいつを殺して女どもを連れて行こう。僕もう我慢できないよ」
「そうだな。でも、パパにはあの子をくれ」
キャメロン子爵が指をさしたのはクリスティーナだった。ギラギラとした目でクリスティーナを見るキャメロン子爵にスティーブは嫌悪感を覚える。
それを見てスティーブはこの親にしてこの子ありだなと納得した。
「彼女に手を出すのはやめた方がいい。親が黙っていない」
スティーブがそう忠告するが、キャメロン子爵とビリーは聞く耳を持たない。
「親がなんだというのだ。そいつの親など切り刻んでくれる」
子爵は威勢よくスティーブに言い返した。もちろん、クリスティーナの父親が誰なのかわかっていない。
「へえ。じゃあそれを楽しみにしていようかな」
「ごちゃごちゃ五月蠅い!お前らあいつを黙らせろ!」
ビリーの命令で兵士が再びスティーブに近づく。
しかし、武器が届こうという直前で全員がその場から動けなくなった。スティーブの魔法で作られた土の鎖が兵士たちを拘束したのである。
「魔法使い!?」
子爵親子が驚く。その二人の脂肪に覆われた腹に、スティーブが魔法で作り出した石の柱がめり込んだ。
「ぐえええ」
「いてえええええ」
二人は痛みに声を上げる。
それでもなんとか痛みをこらえ、キャメロン子爵がスティーブを睨みつける。
「魔法使い風情が貴族に攻撃してただで済むと思っているのか?」
「じゃあ戦争しますか?」
「魔法使い一人で子爵であるわしの軍と戦うというのか」
「いいえ。僕も軍を動かしますよ。まずは僕の婚約者を手籠めにしようとしたことを義父であるマッキントッシュ卿に報告します。北部から10万の軍勢を送ってもらいますね。それと、ソーウェル卿にもお願いして5万くらいを西部からこちらに送ってもらいます。実家からも軍を送らせましょうか」
スティーブが口にした名前は当然キャメロン子爵も知っている。そして、大貴族に爵位もつけないで呼ぶスティーブの態度に疑問を持った。
よくよくスティーブを見れば、どこかで見た記憶がある。
その記憶を辿り、子爵は青くなった。
「マッキントッシュ侯爵のご令嬢と婚約している魔法使いといえば、竜頭勲章閣下のはずだが?」
「よくご存じですね。もっとも、二度の戦勝式典で僕の顔は見ているはずですよね」
それでキャメロン子爵は確信した、目の前の子供がスティーブ・アーチボルトであるということを。
事情を吞み込めていないビリーは父親に問う。
「パパ、こいつなんなのさ」
「馬鹿者!このお方は竜頭勲章アーチボルト閣下だ!」
キャメロン子爵は息子を怒鳴りつけ、無理やり頭を地面に擦り付けさせた。
それでもビリーは状況がわからず訊いた。
「偉い人なの?」
「王族を除けば貴族で一番偉い。それに、一緒におわすのはマッキントッシュ侯爵令嬢だ」
「えええええ」
この説明でビリーは自分の置かれた状況を理解した。
さらには、遠巻きに見ていた人々もスティーブが偉い貴族であるとわかる。
最初は子供がキャメロン子爵に殺されると思っていたが、それが子爵よりも上らしいということで安堵したのと同時に、キャメロン子爵よりもひどいことをされたらどうしようという不安もあった。
その最たる人物が先ほど助けられた男であった。
スティーブのところから離れはしたが、やはり心配で隠れて様子をうかがっていたのである。
「知らぬこととはいえ、先ほどは申し訳ございませんでした」
「何が?」
いきなり謝られてスティーブは戸惑う。
「閣下のことを平民と勘違いしたことです」
「ああ、別にそのことでは怒ってないよ」
「しかし、子爵に対してはひどくお怒りの様子で」
「それはね、貴族という地位を使って無茶をしているからだよ。別に平民扱いされたからっていうわけじゃないから。それに子爵が爵位を持ち出してきたから、それに対抗するために侯爵や辺境伯の名前を使っただけ。権力を笠に着るやつには権力で黙らせるにかぎるよね」
「それでは俺は?」
「どうもしない。彼女とお幸せにとしか。あっ!」
スティーブはその時いいことを思い付いたとばかりに笑顔を浮かべ、ビリーを指さす。
「迷惑料をいくらもらいたい?好きな額をいいなよ。僕が責任をもって取り立てるから」
スティーブの提案に男は困惑した。
「しかし、貴族様から取るわけには」
男が遠慮をしていると、後ろからマリアと呼ばれていた女性がやってきた。
「ジル、折角そう言ってもらっているんだから、貰っておきなさいよ」
「マリア、でも」
「でもじゃない。じゃあ私が言うわ。金貨10枚でお願いします」
そのやり取りを見てスティーブは苦笑する。将来ジルは尻に敷かれることが容易に想像できた。
「わかった。今は僕が立て替えておくから」
「ありがとうございます」
マリアは嬉々としてスティーブから金貨を受け取った。
それを見ていた人々からは自然と拍手がおこった。拍手がやんだタイミングで騒ぎを聞きつけた衛兵が駆けつけてきて、最初は見るからに貴族のキャメロン子爵たちが傷ついているのでスティーブたちを疑ってきたが、スティーブが身分を明かすとキャメロン子爵が拘束されることになった。
「まだまだ余罪がありそうだから、確認しておかないとね」
「スティーブのそういうところがトラブルに巻き込まれることになるのよ」
シェリーは呆れるが、反対はしなかった。