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70 割れたグラス

 スティーブたちはエドワード・ヘス・レミントン辺境伯の招きにより、カスケード王国南部を訪れていた。南部にも鉄道の敷設がなされており、領都レミントンラントまでは快適な鉄道の旅だった。

 今回なぜ招かれたかというと、スティーブの作った高級グラスの納品があるからだ。オクレール商会が納品することがほとんどであるが、今回はレミントン辺境伯がどうしてもというので、スティーブが直接運ぶことになったのである。もちろん旅費は辺境伯もちであった。

 どうしてこのようなことになったかといえば、レミントン辺境伯としては西部と北部の発展を見て、スティーブとの関係を持つことにしたかったのである。いまだにスティーブを敵視しているクレーマン辺境伯とはちがい、レミントン辺境伯はスティーブの恩恵を取り入れたいと思っていた。

 南部は大部分が海に面しており、陸続きの外国は無い。

 カスケード王国も含めて大規模な兵士を輸送する船を持っておらず、海外領土という考え方は薄かった。ただ、開発中の蒸気船は優先的に南部に配備される予定であり、その試作についてもレミントン辺境伯が保有する港で行われていた。

 なので、クレーマン辺境伯ほど割を食う状態ではない。

 スティーブにしても折角のお誘いならばというくらいの気持ちで出かけていた。今回同行しているのはクリスティーナ、ベラ、ナンシーにシェリーである。

 ナンシーは念のため髪の毛を赤く染めていた。カスケード王国では面が割れていないが、大きな港のあるレミントン辺境伯領では、外国でナンシーとの面識がある人物がいないとも限らないためだ。

 ナンシーをアーチボルト領に残そうかという意見もあったが、スティーブが居ないときに魔法が解けでもしたら大事なので、スティーブと一緒に旅をすることになった。国王にも許可を得てのことである。

 それとシェリーが同行しているのは、美味しいものが食べられるかもしれないという理由であった。家に残っていても、アビゲイルによる厳しい花嫁修業が待っているので、逃げ出せるならばという思いもあったが。

 鉄道は西部と南部は直接つながってはおらず、一度王都で乗り換えることになる。この時すでに王都のイエロー帝国の間諜網は無くなっており、ナンシーは気兼ねなく旅を楽しめた。

 シェリーは車窓から見える景色を楽しみながら


「馬車と違ってお尻が痛くならないのがいいわね」


 と感想を述べる。

 クリスティーナがそのことでスティーブを自慢する。


「スティーブ様がこうして鉄道を作ってくださったからこそですね」

「僕はアイデアと部品だけだよ。実際には王立研究所の成果だし、僕だけだったらここまでは無理だったろうね」

「そうご謙遜なさらなくとも」


 クリスティーナにそう言われるが、実際のところスティーブは学校で習う程度の仕組みを知っているだけで、細かい部分については王立研究所の天才たちの手によって実現できている。

 そのため、スティーブは自分が考えたと言いふらすようなことはしていなかった。クリスティーナとしてはもっとスティーブが功績をアピールしてもよいと思っていたが、スティーブがそれでよいというのならとそれ以上は言わない。


 快適な鉄道の旅もレミントンラントに到着して終わりを迎える。レミントンラントの駅は海の近くにあり、駅に到着すると潮のにおいが鼻をくすぐった。スティーブとクリスティーナはそのにおいを経験済みだったが、ベラとナンシーは初めての経験にはしゃいだ。シェリーはにおいになれず眉間にしわを寄せて鼻にハンカチを当てている。


「においが違う」

「旦那様、何ですかこのにおいは?」

「海のにおいっていうやつだね。潮風っていうやつで、海から塩を運んでくるんだ。鉄が錆びたり、植物がかれたりするから厄介だけど、このにおいで海の近くに来たなって感じるんだよ」

「へええ」


 ベラは護身用に持っている武器の錆を気にしてすぐに見てみたが、流石にそんな速度で錆が出るわけもなく、ほっと一安心するのであった。

 駅のホームに降りると、レミントン辺境伯の使いの者が待っており、そこからは辺境伯が用意した馬車で彼の居城に案内された。

 途中市場を通過するとき、たいそうな賑わいが見えた。


「観光は辺境伯に納品した後だね」


 スティーブがそういうと、クリスティーナは頷いた。


「仕事を終えてからでないと楽しめませんからね。特に、スティーブ様はなにかとトラブルに巻き込まれますから」

「ここでは何もない予定なんだけどなあ」


 スティーブは苦笑する。

 洗濯ばさみを届けに行っただけのマッキントッシュ伯爵家のところでも、思わぬ事件に巻き込まれただけに否定はできない。

 そんなスティーブであったが、レミントン辺境伯の居城まではなんの事件もなく到着した。

 レミントン辺境伯に出迎えられると挨拶もそこそこに、さっそく納品に来たグラスを取り出し、辺境伯に確認をしてもらう。

 形はワイングラスで、色は瑠璃色。表面には幾何学模様が刻まれていた。

 江戸切子にヒントを得たガラスのグラスは貴族社会のステータスであり、長らくの順番待ちとなっていたものだ。情報の伝達速度の遅いこの世界で、レミントン辺境伯がその存在を知ったのはかなり後だった。

 受注は爵位にかかわらず順番となっており、やっと辺境伯の順番が回ってきたのである。

 辺境伯はスティーブからグラスを受け取ると、それを光にかざしてみた。


「おお、これは素晴らしい」


 スティーブの魔法により幾何学模様が刻まれたコップは、光を反射して輝いていた。レミントン辺境伯はうっとりしながらその光とグラスを眺める。

 素手で触るのをためらい、手とグラスの間に絹布を挟むくらい丁寧に扱っていた。

 ひとしきり眺めまわしたあと、レミントン辺境伯はスティーブたちを食事に誘った。早速グラスを使ってみようというわけである。芸術品であるが、使ってこその道具という考えで、高級グラスで飲むワインはさぞかし美味いだろうと、人前でなければ舌なめずりしているところである。

 スティーブたちも長いテーブルの用意された部屋に案内される。正直、肩の凝る食事など遠慮したかったが、辺境伯の誘いとあっては断ることはできなかった。

 最上級のワインがあけられ、それがスティーブたちとレミントン辺境伯のグラスに注がれた。

 レミントン辺境伯はワインを一口飲む。


「美味い」


 そう言ってグラスを眺める。

 ワインの味がワンランク上がったのは気分であるが、それこそが料理での器の役割。

 スティーブは気に入ってもらえて良かったと安心した。

 しかし、やはりスティーブがいると事件は起こる。食前酒を飲んだところで料理が運ばれてきたが、辺境伯のところに皿を置こうとした若いメイドの手から、皿がつるりと滑ってグラスを直撃した。


「あっ!」


 全員がそう叫ぶ。

 グラスは音を立てて割れてしまった。

 しばらくは固まっていたレミントン辺境伯だったが、烈火のごとく怒りメイドを怒鳴る。


「貴様!何をしでかしたのかわかっているのか!」

「申し訳ございません」


 メイドはその場で土下座してレミントン辺境伯に詫びる。メイドも当然レミントン辺境伯が今日を楽しみにしていたのを知っている。そのグラスを割ってしまい、生きた心地はしなかった。というか、死を予感していた。


「誰か!この女を牢に連れて行け!大切なアーチボルト閣下の作品を台無しにした罰、後ほど受けさせる!」


 その指示ですぐに兵士がメイドの両脇を抱えた。なおもメイドは泣きながら許しを請う。


「申し訳ございません。なにとぞ」


 その姿にスティーブは前世を思い出していた。社員の一人が工場で金型を乗せたパレットをフォークリフトで持ち上げた時に、金型がパレットから滑り落ちて地面にぶつかった衝撃で壊れてしまったのである。

 社員は平謝りするも、ベテランの職人が激怒したのだった。

 やっと作り上げた納品直前の金型である。

 金額的な損失はもちろんだが、職人が怒ったのは自分の作業が台無しにされたからである。その時、スティーブは取引先に頭を下げることになったが、結局落とした社員はいづらくなって会社を辞めてしまった。

 職人が怒るのもわかるのだが、自分には何が出来たのだろうとしばらく考えていたのであった。

 そこには怒りよりも後悔があったのだ。

 そんな過去があって、スティーブはレミントン辺境伯に提案する。


「レミントン卿、グラスはまだ代金を受け取っておりませんから、こちらの責任で作り直しをさせていただきましょう」

「閣下、そんなことをしていただけるのですか」


 スティーブはそういうと信じられないといった表情のレミントン辺境伯の目の前で、壊れたグラスを手に取って、もう一度魔法でガラスを作り足した。割れた個所がわからなくなるほど見事にグラスは再生される。


「デザインを決めるのと、魔力を大量に消費するので、納品には時間がかかるのですけどね。デザインは既にできていますから、作り直しは僕の魔力だけの話です。ただ、あまりこの話が広まると、壊れたグラスの修理依頼が大量に来ますから、ご内密に」

「わかった」


 直ったグラスを手に取るレミントン辺境伯。グラスが直れば怒りも収まる。


「客人の前でみっともなく怒鳴ってしまったな。壊れたグラスが直ったのだから、その者の罪は無かったものとする」


 辺境伯のその宣言により、室内にホッとした空気が流れた。メイド本人は当然ながら、連行しようとしていた兵士や、他のメイドたちもホッとしたのである。

 グラスが直って機嫌のよくなった辺境伯から、スティーブは明日領都を自由に見学する権利を貰った。竜頭勲章という肩書なしに、お忍びで領都の雰囲気を感じてみようという希望が叶ったのだ。

 グラスを割ってしまったメイドは床の絨毯に額をこすり付けずっとスティーブに感謝の気持ちを伝えるのだったが、スティーブとしては恥ずかしくてもういいからと言うのだったが、九死に一生を得たメイドはいつまでもそうしていた。

 スティーブとしては、単に自分が魔力で作っただけのもので、人の命が失われなくてよかったというだけのこと。こんなことなら、大量生産してばら撒けばよかったなと思うのであった。

 今更そんなことをしたら、既に高値で買っている貴族から恨まれるので出来ないが。


 とんだアクシデントがあったが、その後は美味しい食事を食べて終わる。

 レミントン辺境伯に用意された部屋で寝ることになったが、そこで女性たちの話題はグラスを割ってしまったメイドのことだった。

 部屋には大きなベッドが一つしかなく、全員がそこで寝ることになった。

 レミントン辺境伯からしてみたら、今回スティーブについてきたのは全員が妻候補という認識であったが、そこにシェリーが含まれているのは完全に辺境伯側の落ち度である。

 が、スティーブたちもそのことに気づいていなかった。女性たちはなんだかんだで仲が良いので、誰も不思議に思わなかったのである。

 そんなベッドの上に全員が座って、今日の出来事を振り返っているのだ。

 クリスティーナがスティーブをジト目で見ながら言う。


「あのメイド、スティーブ様に恋してましたわね」

「我が弟のとどまることのない女性の好意を集めるのを、姉として申し訳なく思うわ」


 シェリーもジト目でスティーブを見る。


「それこそが旦那様の度量のなせるわざ」

「スティーブだから仕方がない」


 ナンシーとベラは肯定的に捉える。


「目の前で処刑が決まるのは気分が良いものではありませんが、辺境伯閣下はスティーブ様があのメイドに気があるのではないかと思ったのではないでしょうか。貴族の立場からしたら、グラスとメイドの命では釣り合いがとれませんもの」


 クリスティーナが言うのは、勿論メイドの命よりもグラスの方が重いということである。


「今夜ここにあのメイドが裸で訪れることもあるか。その時の旦那様の顔が見物だが」


 ナンシーはそう言ってクスクスと笑う。

 クリスティーナは何が面白いのかと立腹であるが、その可能性が頭をよぎって不安になる。


「スティーブ様、そうなったらそのメイドを領地まで連れて帰るのですか?」

「そんなことはしないよ」

「でも、辺境伯閣下はそのメイドをスティーブにくれると決めていたら、解雇しちゃってるんじゃない?」

「姉上、怖いことを言わないでください。そうなったら見捨てるのも可哀想じゃないですか」

「ほら、連れて帰る気満々じゃない」


 シェリーの仮定の話に返答すると、メイドを見捨てられないスティーブの行動が露見し、クリスティーナの心配が的中する。


「やっぱり」

「いや、だから裸で来るのがおかしい。レミントン卿は婚約者のクリスがいるところに、そんなメイドを送ってくるような非常識ではないと信じているよ」

「非常識だったらどうするの?」

「ベラ、そこは頷いておいて欲しかったよ」


 スティーブはベラが余計な質問をしたことに焦る。クリスティーナはベラの質問にスティーブがどうこたえるのかをドキドキしながら待っている。

 答えに窮したスティーブは布団を頭からかぶって寝るのであった。

 その後も女性たちの会話は続くが、スティーブは耳を塞いで寝た。


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