68 ナンシー・クロムウェル
ナンシーはスティーブと一緒にトロッコ列車に乗っていた。向かう先は蒸気機関車の駅だ。
「この領地を離れるとなると寂しいですね」
「そう言ってもらえると嬉しいです。田舎から出られて良かったと言われたら、領主の息子としては心苦しいですから」
ナンシーは見納めとなる景色を見ながら感想を言った。天気は快晴で遠くまで見晴らせる。風もなく穏やかで視界はとてもよかった。
ナンシーと会話をしつつも、このまま何もなく終わってほしいと願うスティーブであったが、運命はスティーブに何もないというルートを進ませない。
途中、第三の村の駅にトロッコ列車が停車したとき、トイレに行きたいからと下車を申し出た。
スティーブは許可を出して、自分も一緒に下車する。
「トイレだけで駅の外に出るのは認めないからね」
スティーブはナンシーに注意をすると、彼女は少し不満そうな表情を見せた。
「承知いたしました。しかし、折角ですからこちらの思い出として少しくらいは許可を頂けないでしょうか」
「それは認められない。駅から出たならば一生この村からは出られない。出れば僕は貴女を殺さなければならないんだ」
「それはこの村に重要な秘密があるからということでしょうか?」
ナンシーの瞳と口調が鋭くなる。それをスティーブは鼻で笑った。
「ふっ。それを知ってどうするつもりですか?」
「単純な好奇心です。国内の発展の原動力となっているものがここにあるなら、知りたくもなるじゃないですか」
ナンシーの言葉を聞いてスティーブは更に笑う。
「ふふふ。馬脚を露すとはこのことですね。ここが国内発展の原動力だなんて知っているのはごく一部の人だけですよ。玩具や生活雑貨を生産する工場としては認知されているかもしれませんが、そうしたものは国内発展への寄与度としてはごくわずかです。殆どの成果物は王立研究所の研究として発表されていますから、平民でそのことを知っているのはおかしいんですよ」
その言葉を聞いてナンシーはしまったという顔を見せた。
それを見て、スティーブはトロッコ列車に出発するように伝える。
「出て!これから戦闘になるかもしれないから、巻き込まれないうちに」
「わかりました」
トロッコ列車が慌てて出発する。ナンシーはスティーブの行動を見て不思議に思い、なんで戦闘になると思ったのかを聞いてみた。
「私がどこかしらの間者だとして、どうして戦闘になると思ったのですか?か弱い女ですが」
「か弱いなどという言い訳が通るとおもっていますか?大き目な服を着て、スカートをはかないのは筋肉を隠すためでしょう。それでも、首の筋肉だったり剣を握ってきた手は隠しきれていませんけどね。貴女はとても強いはず。例えばナイト・オブ・ソードよりもね」
「そこまで察しが付いているとはね。いつから警戒されていたのかしら?」
「それは最初からですね。でも、それってうちの領地は常にそうした可能性があるからっていう程度のものだったわけで、ナイト・オブ・ソードっていうふうにかまをかけてみたけど、見事に引っ掛かりましたね。これで貴女が帝国からやってきたのがわかりました」
「ああっ」
今度はナンシーは悔しがった。見事にスティーブの話術にはまって、帝国の間者であることをばらしてしまったのだ。
「もう、だから私は間諜に向かないって言ったのよ」
「そんな気がします。もっと普通の女性が来ていたら、僕も気付かなかったかもしれませんね」
「ここまでばれたら白状するけど、私はナンシー・クロムウェル。クィーン・オブ・ソードよ」
「随分と正直ですね」
「まあね。貴方がとても危険な存在だっていうのはわかったから、殺すか私の虜にするかどっちかにするからいいの」
ナンシーはそういうと白い歯を見せて笑った。
彼女は帝国のソード騎士団に所属するクィーン・オブ・ソード。その序列は騎士団三位である。
「殺すはわかりますが、虜にするのはよくわかりませんね。僕には婚約者もいますし、貴女に心移りするような軽薄さは持ち合わせておりませんけど」
「そこはお姉さんの色気よ」
「いや、だからそうしたものには惑わされないと」
「冗談よ」
むすっとした表情を見せたスティーブのことをナンシーは笑った。雰囲気としてはこれから殺し合いをするという感じはしない。
「私、貴方のことをここに来る前に調べてきたの。そうしたら、殆ど人を殺してないのがわかったの。捕虜にした方がお金になると思っているのかと思ったけど、お金に執着した行動もないから、人を殺したくないんだろうなって結論になったわ。ローワンが殺されたのが例外中の例外ね。あ、ローワンっていうのはナイト・オブ・ソードの名前」
スティーブは自分が分析されていたと知って、内心舌打ちした。あまり気分の良いものではなかったからである。
「それで、目的はこの村の機密を探りに来たっていうことですか」
「そう。でも、私には難しいことはわからないのよね。産業関係の資料を見たって理解できるわけ無いわよ。ここに来るまでに乗ってきた蒸気機関車だって、あれを見てきて仕組みを報告しろって言われても無理でしょう」
「じゃあどうして送り込まれてきたんですか?」
「それは私の特性と、ローワンを殺した相手を見てみたいっていう好奇心からね。貴方は確かに同年代の子供と比べれば強いでしょうけど、ローワンが後れを取るような相手には見えないわ」
ナンシーはスティーブを今まで観察していて得た感想をぶつけた。スティーブは確かに隙が無いようだったが、それでもローワンが負けるはずがないと判断した。
ただ、ローワンが負けるなにかしらの要素を持っているだろうとは思ったのだが、それを見つけるまでは至っていない。
スティーブは近衛騎士団長から得た危険察知能力や、隙を見せない所作があったが、ローワンに勝ったのは身体強化のおかげであり、それを知らないナンシーは正解にたどり着けていなかったのである。
「僕はそんなに強い訳じゃないですからね。今なら簡単に首をひねることも出来るでしょう」
「そうね。でも、私が貴方にとても興味を持ったの。もっとお話ししたいのよ」
「美人にそう言っていただけると光栄ですね。機密に抵触しない限りはなんでもお答えしますよ」
「嬉しいわ。じゃあ、どうして人を殺さないのかを教えて」
ナンシーはスティーブを警戒しつつも会話を楽しむことにした。それはスティーブも同じである。ナンシーから殺気を感じられないため、会話をすることにした。
「殺したくないからですね。今までの戦いでも僕の方が圧倒的に強かった。殺そうと思えば全員を殺せたかもしれないけど、それは虐殺じゃないですか。そりゃあ、ちょっとは怒りに任せて殺したりもしましたが、何万人も殺さなければならないような怒りっていうのは無いですよ。それでも殺し続けるならば、それは快楽殺人じゃないですか」
「そういう考えなのね。普通は何万人も魔法で拘束出来るような魔力を持っていないけど、持っていたらそういう考えになるのかもしれないわね。私だって楽しんで人を殺してきたわけじゃないし。でも、いつだって命令は敵を倒せなのよ」
「軍人ですからねえ。僕は軍隊には所属していないから、そうした命令もないのですけど」
「じゃあ、どうしてローワンを殺したのかしら?」
ナンシーの顔からは笑顔が消えた。スティーブはそれに気づくも、嘘をつかずに本当のことをこたえる。
「僕の秘密を知られたからですね。あなた方帝国にそれが伝わると非常にまずいからです。ちょうど、この村の秘密を外に持ち出されるようなね」
「あら、じゃあローワンは貴方の核心に迫ったわけね」
「そうです。彼はとても強かった。だからこそ、僕もつい」
そう、スティーブはついローワンの魔法を得られることに喜んで、彼に作業標準書の魔法の効果を見せてしまったのだった。だからこそ、生かしておくわけにはいかなかったのだ。
「じゃあ、私にもそれを見せてくれるのかしら?」
「僕はナンシーを殺したくはないので、ここで手を引いてもらえませんかね」
それはスティーブの本心であった。短い間であったが、領内で生活をしていた相手であり、戦場であいまみえたのとは状況が違う。
「それなら、貴方を私の虜にして連れて帰るわ」
「だからそれは――――」
それは言葉だけでと言いかけた時、スティーブは魔法の発動を感じ取った。
ナンシーから放たれた魔法を受け、スティーブはガクッと膝をつく。
「私、魅了の魔法使いなの。どんな相手も私にぞっこんになるわ。これで貴方を帝国まで連れて帰れば任務は完了。転移の魔法で一気に帝国まで移動するわね」
「はい」
スティーブは目をらんらんと輝かせてナンシーを見つめた。それは恋する少年の瞳であった。
「何も殺すばかりが能じゃないのよね。私がここに送り込まれたのはこの魅了の魔法があるから。技術者のひとりも連れて帰れたらそれでいいと思っていたけど、思わぬ大物が釣れたわ」
ナンシーが使う魔法は魅了であった。これは魔法をかけられた相手は術者に対して魅力を感じる。恋心を抱いて逆らえなくなる魔法であった。剣の腕前もありながら、魅了の魔法で敵を骨抜きにする。それがナンシーの戦い方であった。ただ、今まで魅了をかけられた相手は、その命を差し出す命令に従って、すでにこの世にはいなかった。
因みに、エマニュエルも彼女の魔法で魅了されており、それで素性をよく調べもせずにアーチボルト領に彼女を紹介したのだった。
「それじゃあ一緒に帝国まで行きましょうか。蒸気機関車の旅みたいにはならずに、一瞬だけどね」
ナンシーがスティーブに話しかける。
するとスティーブが返事をした。
「いえ。最初に言ったように貴女はこの村からは出られません」
「えっ!?」
ナンシーは面食らった。なにせ、魅了の魔法の影響下にあるスティーブが、彼女の意に反した意見を言ったからだ。
「魅了の魔法、これは便利ですね。相手を平和裏に自分に従わせる。いや、慕わせるというべきでしょうか。恋人のためならなんでも出来る。たとえ自分の命を投げ出すということでもね」
「そんな!確かに魔法はかかったはず」
先ほどのスティーブがナンシーを見つめる目は、完全に恋に落ちたものだった。あの状態から解呪できることなどない。
「いえいえ、そんなことは無いです。レジストしましたからね。それで、僕も魅了の魔法を使ってみようと思うんですよ」
「ならば、もう一度魅了の魔法で!」
ナンシーは魅了の魔法をもう一度使うも、スティーブには効果が無かった。
効果が無いことに焦るナンシーに対し、スティーブは魅了の魔法を使った。スティーブの時と同じように、ナンシーは一瞬膝を折るが、地面につける前に持ち直した。そして、恋する乙女の瞳でスティーブを見つめる。
「スティーブ様、今までの無礼な態度、申し訳ございません。どうか私を捨てないでください」
「僕がナンシーを捨てるわけないじゃないか。貴女はまだまだ僕に話すべきことがあるでしょう」
「はい。スティーブ様。いや、旦那様と愛を語らうのはこれから」
そういってナンシーが抱き着いてきたのだが、ナンシーの体がスティーブを抱きかかえようとしたところでその姿が消えた。
「え?旦那様が消えた」
「いや、幻惑の魔法を解除したんだ。ナンシーが今まで見ていたのは僕の作り出した幻。魅了の魔法をレジストした直後に、こちらも魔法を使ったんだよ」
スティーブはナンシーの魅了の魔法にレジストすると、すぐに反撃に出た。
幻惑の魔法で魅了された自分の姿を作り出して、それをナンシーに見せていたのである。レジストしたときは魔法の効果はわからなかったが、警戒感の無くなったナンシーは、自分の魔法の効果をぺらぺらと喋ってくれた。
魔法の効果がわかったところで、もう一度使わせるように仕向けて、今度は作業標準書の魔法で魅了の魔法を覚える。そうして、使えるようになった魅了の魔法で早速ナンシーを虜にしたというわけだ。
「流石は旦那様。私などが敵う相手ではございませんでした」
「じゃあ、帝国の情報を知っている限り教えてね」
「はい」
こうして帝国のソード騎士団ナンバー3,クィーン・オブ・ソードのナンシー・クロムウェルはスティーブの手に落ちたのだった。