67 ナンシー
その日、アーチボルト領に激震が走った。本村の宿に新しく若い女性従業員がやってきたのである。ソフィアと一緒に働くナンシーであった。
年齢は20歳くらい。身長は180cmと大柄であるが体のラインを隠すような大きめの服を着ており、下半身もスカートではなくズボンをはいていた。肌の露出は少なかったが、太陽の光でキラキラと光る綺麗な銀髪と愛嬌のある顔で、すぐに村の男たちの興味を引いたのである。
ナンシーはエマニュエル商会からの紹介で、仕事量が増えたソフィアの補佐として雇うことになったのだ。本村や新村でも二重ポット式冷蔵庫やリバーシの売り上げは継続しており、そこに第三の村に売る農作物の収入が加わり、貨幣経済が完全に普及していた。そのため、村人たちはお金を使える商店兼宿に集まり、ソフィアが激務となっていたのである。
本村の村人でシフトを組んでアルバイトさせたりもしていたが、専属の従業員が欲しいということで、以前からエマニュエルに打診していたのだった。
そんな宿の賑わいを遠くから見ているのが、スティーブとクリスティーナ、シェリーにベラだった。
シェリーはその賑わいを呆れた顔で見る。
「男って本当に単純よね。美人がきたらホイホイ寄っていくんだから」
「姉上、男という大きなくくりにするのは誤解を招くのでやめていただけませんか」
スティーブはクリスティーナを気にしながら、シェリーに苦言を呈す。
「スティーブ様、私に対してなにかやましい事がありますか?」
「ないよ。ほら、姉上の言い方が悪いからクリスが心配するじゃないか」
クリスティーナがハイライトの消えた目でスティーブを見ると、スティーブは更にシェリーに苦言をぶつける。
「だって、スティーブは背の大きなダフニー夫人にも色目を使っていなかった?」
「使っていません。ええ、断じて使っていません」
「向こうがスティーブを狙っていた。私と話したときにそう感じた」
「ベラ、その話詳しく聞かせていただけるかしら?」
ダフニーがスティーブに好意を寄せていた話はクリスティーナも知っているが、ベラがダフニーとどんな会話をしたのかが気になり、ベラに話すようにせがむ。
そこにシェリーも加わって姦しくなったところで、スティーブはナンシーからの視線を感じた。スティーブはその視線に自分の視線を返すと、ナンシーは不意に目をそらした。
その動作になんとなく違和感を感じたが、特にナンシーを追求することはせず、遠くから宿の賑わいを見続けて、女性三人が話に飽きたところで屋敷に戻る。
屋敷に戻ると、ブライアンに宿の状況を話す。
「父上、領民は美人に群がっており、余計に金を使ってくれそうです」
「ふむ、これで売り上げが安定して伸びるようであれば、他の村にも美人の売り子が居る商店を出すか」
「新村と第三の村ならば貨幣経済が根付いておりますから問題ないかと。男爵になったときに加わった旧カーティス男爵領とダービー男爵領だった村はまだ難しいでしょうけど」
ブライアンが男爵になるときに引き受けた、カーティス男爵とダービー男爵の領地にあった村は、従来の農業を続けており、元々のアーチボルト領のような貨幣経済が根付いてはいなかった。収穫高も普通どおりで、食糧不足に悩むこともないため、外から食糧を買うための貨幣が必要ないのだ。
それに、村同士の交流がないため、貨幣経済の恩恵を享受している元々のアーチボルト領の領民の生活を知らない。
そのため、ブライアンとスティーブも無理して貨幣経済を導入しようとは思っていなかった。
「新村には商店が無いから、出店するならそちらが先か」
「まあその時は人選は父上だけでお願いします。クリスが嫉妬しますので」
「アビゲイルが嫉妬しないとでも思っているのか?」
ブライアンの質問に、スティーブは首を横に振った。
アビゲイルも嫉妬心が強く、ブライアンはいらぬ誤解を恐れたのだ。
なお、ブライアンは第二夫人や愛人を作るつもりは全くなかった。アビゲイル一筋なのだがその気持ちはアビゲイルには伝わっていない。
「いっそのこと、姉上に売り子をしてもらいましょうか」
「あれがそんなことをするわけないだろう。それに結婚はどうする」
シェリーのなまけ癖にはブライアンも匙を投げていた。なので、売り子をさせるのは無理だと思っている。
「結婚しますかねえ?」
「当家は特に婚姻により関係を強くしたい相手もいないからな。むりに相手を見つける必要はない。しかし、このままではどこにも行かずに、家でゴロゴロしているだけだ」
シェリーはスティーブの発案した数々のものを使って贅沢を覚えてしまい、今更子爵家程度に嫁げない体になっていた。スプリングマットレスやトロッコ列車での移動。場合によってはスティーブの転移魔法を知ってしまえば、昔の生活には戻れないのが人というもの。
今よりも生活の質が落ちるところに嫁ぐくらいなら、ずっとこのまま実家で暮らしたいという思いが強かった。
ましてや、上の姉フレイヤが夫の尻拭いで苦労している姿を見てしまっては、結婚することにメリットを全く感じられなかったのである。
「まあ、姉上のことはさておき、ナンシーについてはなにか引っかかるものがあるんですよね」
「どんなふうにだ?」
「どこかの間者ではないでしょうか」
「わが領の秘密を探ろうという者は国内外にいるから、その可能性は大いにあるな。しかし、本村にいる限りならば既に広く知れ渡った商品しか作っていないから、隠すようなものもあるまい」
「ええ。勝手に領内を歩き回るようになったら解雇するくらいでしょうか」
「そうだな。しかし、これからはこうした心配も増えていくことだろうな。なにせ、領地の発展とともに人口がふえてきて、さらに今後も移住の受け入れをしていくのだからな」
ブライアンの憂慮は主に外国、フォレスト王国とパスチャー王国の国内事情によるものだった。両国とも敗戦により多くの土地を失った。カスケード王国の支配を嫌い、別の場所に移住した者のせいで失業者が増えて治安が悪化し、それを嫌って逆にカスケード王国へと移住して来る者が後を絶たないのである。
それに加えて、帝国と組んででも領土を奪還すべしという強硬派と、カスケード王国との間で摩擦を起こさずに現状を維持しようという穏健派の対立から、役人なども報復人事などで失業し、国を捨ててカスケード王国に亡命や移住してきたのである。
当然その中には両国の間者も混ざっており、何名かはカスケード王国のチェックをくぐり抜けて国内に入っていた。
そして、そうした間者のうちある程度がアーチボルト領を探る任務に当たっているだろうとも想像がついていた。アーチボルト領で防諜といっても難しいので、機密が沢山ある第三の村だけは出入りを管理するとしているのである。
領民でも無許可で第三の村に入ることは許されないし、第三の村の住民が勝手に村外に出ることも許されない。
「当面はエマニュエルからの紹介ということでも警戒することを進言いたします」
「わかった。コーディに伝えて怪しい動きをしたらすぐに報告するように指示をしておく」
こうしてナンシーを警戒するも、その存在を使って商売はする。本村と新村共同でバーベキュー大会を実施することにしたのだ。会場は宿の前である。これには村の男たちの期待が否が応でもあがった。
バーベキューで焼いた食材は無償で提供するが、前回のお祭り同様に屋台も出して領民に金を使わせる。そして、ナンシー目当ての客を宿に集めて、酒で酔わせて財布のひもをゆるゆるにした。
夜の酒場は大繫盛である。客は全て男だ。全員が店内に入りきらないので、天気も良いことから、急遽外に椅子とテーブルを空いた酒樽でつくって、そこも店舗とする。
「ナンシーちゃん、こっちにお酒のおかわり」
「こっちも」
「こっちには手料理を持って来て」
酔っ払いは言いたい放題であった。
ソフィアの人気が落ちたわけではないが、新顔のナンシーに注文が集中する。二人が酒と料理を運ぶのが忙しいので、裏方でスティーブが料理をしていた。国内貴族の頂点が料理したものを食べられるなど、他では考えられないがここではそうなっている。
ナンシーはその姿に戸惑い、仕事の合間にソフィアにスティーブのことを訪ねた。
「若様って国から勲章をもらったって聞きましたけど、どうして料理をしているんですか?」
「それは、若様が一番料理が上手いからよ」
スティーブの料理の腕は作業標準書のおかげで一流シェフと同等になっている。当然ながら、領内では一番の腕前だ。だからスティーブが料理をするのが当然であるとソフィアは、いや領内の皆がそう思っていた。
常識外れではあるが。
そして、スティーブもそれに対して文句も言わず、率先して料理をしているので違和感を感じない。
他所からやってきて間もないナンシーだけが違和感を感じていたのである。
「そのうち慣れるわよ」
「そういうものなんですね」
ナンシーは納得がいかなかったが、そういうものなのだといわれてそれ以上は聞かなかった。
ただ、賄いとしてスティーブが作ったものを食べた時、そのおいしさからこれならスティーブが料理を作って提供するのは納得できるとは思ったのだった。
バーベキュー大会は盛況のうちに終わり、男連中からはまた開催してほしいという要望が寄せられるが、女性陣からは夫が無駄遣いをしたり、若い女を追いかけたりするからやめてほしいという苦情が寄せられ、ブライアンが頭を悩ませることになった。
また、バーベキュー大会がなくともソフィアとナンシー目当てで商品を買いに来る村人が増え、売り上げは確実に増えていた。
その間、スティーブが心配していたような怪しい行動をとることもなく、平和な時が流れていくのであった。
ナンシーが村に来てから一か月が経ったとき、ナンシーから退職の申し出があった。
今はブライアンとスティーブを前に、退職のお願いの最中である。
「両親から地元に戻って結婚するようにという手紙が届き、どうしても戻らなくてはならなくなりました。母親の体調が悪く、早く帰って花嫁姿を見せるようにというので、明日にでも帰りたいのですが」
申し訳なさそうにナンシーが頭を下げる。そして、これが証拠だと両親からの手紙をブライアンに差し出した。
ブライアンはその手紙の内容を確認してから、スティーブに手渡す。
スティーブもそれを見るが、内容はナンシーの言っていることと一致していた。
「そういう事情なら仕方がないな。こちらは無理に引き留めるようなこともしないので、ご両親のところに帰りなさい。今日までの給金は直ぐに準備しよう」
「明日は僕がトロッコ列車で一緒に駅まで行きますよ。急なチケットの入手となれば、貴族が居たほうがよいでしょう」
「お気遣いいただきありがとうございます。しかし、そこまでしていただかなくても」
スティーブに恐縮して断ろうとするナンシーだったが、スティーブは頑として譲らない。
「いいえ、結婚前のお嬢さんに何かあっては、我が家の名折れ。そうした事態にはしたくないのです。まあ、どうせナンシーの代わりをエマニュエルにお願いしに行かなければなりませんし、同道するのは問題ないのですよ」
息子の言葉にブライアンはおやっと思った。いつものスティーブであれば、エマニュエルのところには転移で移動するはずである。それをナンシーと一緒に蒸気機関車で移動するとなれば、それなりの理由があるということだろうと察した。
「そうだな。息子と一緒に行くがよい。緊張するかもしれんが、旅の安全は保証しよう」
ブライアンにもそういわれると、ナンシーは断り切れずにスティーブと一緒に蒸気機関車に乗ることにした。ナンシーは退職の許可を得たことで屋敷から帰っていった。
彼女が帰ったあとでブライアンはスティーブに訊ねた。
「どうしてナンシーと同道しようと思ったんだ?」
「エマニュエルから聞いてきたナンシーは、普通の家の子だっていうことでしたが、手紙の文字と文章が綺麗なんですよね。これが貴族からの手紙なら違和感を感じなかったでしょうけど、平民がこれを書いたと言われると信じられませんね」
スティーブの指摘を聞いて、ブライアンは納得した。
「そんなわけで、すんなり帰ってくれるのをこの目で確認したかったのです」
スティーブはナンシーが何らかの動きをするのではという予感がしていた。