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57 ガラスの靴

 稼働してひと月が経った第二工場を視察しているスティーブは、隣のニックから報告を受ける。


「第二工場の稼働は順調です。やはり、第一工場のベテラン作業者をこちらに配置転換し、新人を教育させながらラインの悪だしをしたのがよかったようですね」

「まあ、その分第一工場の生産数が落ちているんだけどね。それでも報告されている不良率は、新人配置前とくらべても変化が無いから成功といえるかな。後は慣れてくれたらそれでいいんだよ」


 スティーブは第二工場には第一工場から作業者を割いて配置した。そこに新人を入れて教育、いわゆるOJTを実施していた。

 新規のラインにはトラブルが付きものであり、そこに新人作業者のみでは対処も出来ない。ニックへの仕事の負担が集中してしまって、まともに稼働出来ないだろうという判断から、既に生産が安定している第一工場のラインにも新人を投入し、その分そこのベテラン作業者を第二工場に配置転換したわけだ。

 そして、その狙いは当たった。

 第二工場ではやはり最初は標準作業の変更が何度も入って、予定通りにはいかなかったが、問題が発生するたびにベテラン作業者がそれを解決する案を出した。ニックはその報告を受け取るのみという事の方が多く、自分から動くという事はほとんど無かったのである。

 ただ、その犠牲となったのが第一工場の生産数であり、新人作業者が入った分だけ作業時間が伸びてしまったのだ。


「第一工場の立ち上げの時はひでえもんでしたからね。みんな初心者で農作業しかしたことねえもんだから、木を削るなんてやったことねえんですよ。それを教育しろって言われた俺の苦労といったら」

「あの時よりも楽なら、給料を下げようか」

「そこは面倒を見る人数が増えてますんで、上げてもらいてえんですがね」

「利益次第だよ」


 スティーブに言われるとニックは胸を張った。


「安全靴の国軍への納入も決まった事だし、生産がさらに安定すれば上げてもらえるってことでいいですね」


 安全靴は当初自分の工場以外では、工房を相手に売るつもりであった。しかし、それに対して国軍からの注文が入ったことで、予想外の売上見通しがたった。

 国軍は徴兵した国民に対しては武器を与える事は少ない。そして、防具ならさらにその数は減る。

 金のない国民は、裸足で行軍するなんていうことも普通に見られる光景であった。

 当然罠だったり悪路だったりで足を怪我することもあり、行軍速度が落ちる事が悩みの種だったのである。

 そこで、安価な安全靴ならば購入できるとなったのである。これはエマニュエルのファインプレーで、仕入れた安全靴を国軍の役職者の所に売り込みに行った成果であった。

 さて、ではこれからの生産計画の話をしようかという時に、ベラがスティーブのところにやって来た。


「本村からの連絡で、ソーウェル辺境伯閣下がスティーブの事を呼んでいるって」

「あー、遂に来たか」

「心当たりがあるの?」


 不思議そうな顔をするベラにスティーブはこたえる。


「ケアード子爵とウォール子爵の仲直りについての報告をしていないからね。その件で結果は伝わっているだろうけど、経緯を説明しろっていう事だと思うよ」

「ついていきたいんだけど」

「危険はないから、今回は待っていて。どのみち閣下との面会は同席できないだろうし」

「むぅ」


 ベラはオーロラの許可がおりないという事をわかっており、不満はあったがスティーブに同行することを諦めた。


「そういうわけでニック、増産についてはまたこんどね」

「承知しやした」


 スティーブはそう言うと、ソーウェルラントに転移した。

 そして、直ぐにオーロラとの面会となる。いつものように、スティーブ、オーロラ、ハリーの三人が、オーロラの執務室に集まった。


「お呼びでしょうか、閣下」

「何故呼ばれたかわかっているわよね」

「単なる報告を求めている訳ではないという事は」


 スティーブはオーロラの質問に言葉を濁す。


「ウォール卿の娘に靴を送ったそうじゃない」

「はい。よくご存じで」

「そりゃそうよ。ウォール卿がこれでもかと自慢するものだから、今なら外国にまで聞こえているでしょうね。なにせ、この世に一つしかないガラスの靴だもの」


 オーロラの言うように、スティーブはルーシーにガラスの靴を送っていたのである。表向きは結婚祝いという事だった。


「あれは特別な契約によるものですが、その契約内容についてはご存じですか?」

「ええ、ご存じ無いから貴方を呼んだのよ」

「ではご説明いたしましょう。まず、ケアード子爵とウォール子爵の対立を収めた僕とミッチェル・ケアードの決闘ですが、こちらは幻惑の魔法によるものでした。そして、幻惑の魔法はもう一つ使っていたのです。本来は幻惑の魔法の対象外であるミッチェルに対してですね」

「それを聞きたかったのよ」


 オーロラが早く次をとせかすが、スティーブはここでお茶を口にして渇きをいやす。


「実は、ミッチェルが決闘で死亡した幻を見せている時に、ルーシーが僕に責任を取って自分を娶るように言ってきたのですよ。彼女には細かいことを伝えていませんでしたので、彼女もまた、ミッチェルが死亡したと思っていたのです。僕の予定では彼女が恋人の元で泣き崩れるというものでしたが、なんと彼女はそうはせずに、僕に乗り換えようとしてきたのです」

「随分と逞しいわね。見習いたいわ」


 閣下の方が逞しいですよと言いたかったスティーブであったが、その言葉をかろうじて呑み込んだ。そして説明を続ける。

 そして、この時クリスティーナたちもルーシーの言動には気づいていなかった。スティーブとルーシーだけの秘密というわけである。


「ここで本来のシナリオはミッチェルが親たちの動きを見る予定でしたが、こんなルーシーを見せたら話が拗れます。なので、ミッチェルにもルーシーが悲しんで後を追う幻をみせたのです」

「それとガラスの靴がどうつながるのかしら?」

「はい。僕はルーシーの足を測定して、それにぴったりと合うガラスの靴を魔法で作りました。そして彼女に言ったのです。『この靴は10年以内にミッチェルの子供を産まなければ壊れてしまう魔法の靴です。ミッチェルは死んではいません。死んだという幻覚をみんなに見せているだけです。この靴を受け取りますか?貴女が受け取っても受け取らなくても、僕は貴女とは結婚しません』って」


 ルーシーはミッチェルが死んだとみるやいなや、ターゲットをスティーブに切り替えた。ミッチェルとの一目惚れには嘘は無かったが、目の前にスティーブという超優良物件が現れたので、そちらに乗り換えるのも悪くないと思ったのである。

 クリスティーナたちが感じた、女の直感というのは馬鹿にできないもので、見事にルーシーの本質を見抜いていたわけである。

 本来はルーシーが悲しむ姿をウォール子爵に見せるはずだったのだが、予定が狂ってしまったスティーブは咄嗟にガラスの靴という条件を出したのだった。そして、ミッチェルには事実を見せるわけにはゆかず、悲しむルーシーという幻を見せる事になってしまったのだった。

 ここでオーロラは大方の事情を理解した。


「それで、ガラスの靴で妥協したわけね。でも、それなら産んでから渡す約束でも良かったじゃない」

「閣下、人間というのは諦める事もあるのです。なので、途中で子供を諦めてしまうのを防ぐために、最初に報酬を渡しておき、目標が達成できなければそれを取り上げるというのが、一番頑張れるのです」

「なるほど。一度手にしたものは失いたくはないという気持ちを利用するのね」

「はい。ご聡明な閣下ならご理解いただけると思っておりました。なお、この件は私とルーシーしか知らぬことで、他言無用でお願いします。特に、我が家の女性たちに伝わってしまうと、色々と面倒な事になりますので」


 人間というのは一度手に入れたものを失いたくないという気持ちが強いのだ。

 賞与を例にすれば、業績が良かったら多く出すと言われたところで、途中で頑張らなくてそこそこの賞与でいいやと諦める者も、最初に好業績だった前提の賞与を与えられ、実際の業績が決算によって確定した時に、その差額を回収するといわれると、何とかして好業績にしようと頑張るのだ。


「それにしても、悲劇でもハッピーエンドでもなく、救いようのない話だったわね」

「それを上手くまとめるには大変でしたよ。あとはこの秘密をルーシーが墓場まで持って行ってくれる事を願うばかりです」


 スティーブは思い出して大きなため息をついた。


「それで、本当に10年後にガラスの靴は壊れるのかしら?」

「そんな便利な魔法はありませんよ。恨まれたくもないので、10年経っても子供が出来なかった場合には、こっそり忍び込んで、靴を壊してこないとなりませんね。嘘だったのとか言われるのは勘弁です」

「私としても、西部地域で貴族同士の争いが無くなるのは歓迎だから、若い二人には是非とも頑張って貰いたいわね。ところで――――」


 と言って、オーロラはスティーブを睨んだ。


「何でございましょうか?」

「子爵の娘が持っているものを、私が持っていないというのはどうかと思うのよ」

「それでは閣下も10年以内に出産されますか?」


 スティーブの冗談に、ハリーが盛大に噴き出してしまい、オーロラに睨まれてしまった。


「勿論ただでとは言わないわ。うちの領軍の予算から、安全靴を購入する事にするわよ。それも毎月定期的にね。どうせ靴なんて消耗品なんだから、兵役の義務についた連中に支給するわ。サイズと数は追って連絡でいいかしら?情勢にもよるけど、10年は購入する契約でいきましょう」

「日頃お世話になっている閣下ならば、取引条件など不要でしたが、いただけるのであれば遠慮なくいただきましょう」

「じゃあ、次に何かあればその時はありがたく、日頃のお世話の分を返して貰おうかしら」


 こうして新たな契約が結ばれることになったが、これによりニックの忙しさが倍増する事になるのを、今はまだニックは知らない。

 新規契約の提示を受けて、スティーブはオーロラの為にガラスの靴を作ることにした。


 後日、ケアード子爵とウォール子爵の結婚式では、ガラスの靴を履いた新婦のルーシーと、ガラスの靴を履いて出席したオーロラが話題になる。

 両家の仲直りの象徴としてのガラスの靴だと思っていたら、無関係のオーロラも同じガラスの靴を履いていたことで、他の貴族の夫人たちも欲しいと言い出し、ステンレス製の像と同じだろうとの思い込みから、オクレール商会に注文が殺到して、オクレールが困ってスティーブに泣きつく事になるのであった。

 ただ、こちらはあまり作りすぎると価値が落ちて、ルーシーのモチベーション低下につながるので、販売するつもりはなかったので、泣きついてきたオクレールには我慢してもらうしかなかった。ただ、オーロラの許可をもらい、店頭にガラスの靴はオーロラによって販売禁止となっているとの張り紙を貼ったのだった。

 効果はてきめんで、それ以降ガラスの靴の依頼は無くなった。

 そして、オクレールはスティーブが何か新しいものをつくるたびにこうなるのかと頭痛がするのであった。

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