55 ルーシー
スティーブたち一行は予定通りケアード子爵の屋敷に到着し、そこで歓待を受ける。
ケアード子爵は息子のミッチェルとよく似ており、ミッチェルがあと20年したらこうなるであろうという予想図みたいなものであった。
子爵は贅の限りを尽くした料理でもてなした。そして、その中にはアーチボルト領で取れたそば粉を使った蕎麦もあった。ケアード子爵からしてみれば、こうやってアーチボルト領の特産品も仕入れておりますので、なにとぞこちらの牛皮もよろしくお願いしますというメッセージを送ったつもりだった。しかし、それがあっても無くても、スティーブはウォール子爵からと半々で仕入れるつもりであり、心を動かすには至らなかった。
そして、ケアード子爵の隣には息子であると紹介されたミッチェルがいた。それにより、スティーブたちはミッチェルが本当に子爵の息子であったと確認できた。
ミッチェルは内心、スティーブにいままでの行いをばらされたらどうしようとハラハラしていたが、そんなことをするつもりはないスティーブの口からは、一切土下座や決闘の申し込みについては出てこなかった。
食事が終わるといよいよ牛皮の商談に入る。
「こちらにある牛皮が当領で生産しておるものになります」
スティーブは自信満々にケアード子爵が持ってきた牛皮を手に取り、その品定めをする。ケアード子爵からしてみれば、スティーブに牛皮の品質の事はわからないだろうと思っていたが、スティーブは事前にエマニュエルからその見極め方を教わっており、一通り商人と同等の知識で見極める事が出来る。
「素晴らしい本革ですね」
スティーブがこれで本格的な革靴を作るのであれば、この本革は是非ともほしいと思ったが、むしろ銀無しの床革であるほうが、靴職人と住み分けが出来て良いと思っていた。それでも良いものを勧めてくるケアード子爵にそうは言いづらく、言葉にすることが出来なかった。
それに、アーチボルト領の工場の作業者は別として、職人たちが物を粗末にするとは思えず、安全靴も手入れをしながら長く使うのだろうと思っていたので、本革であってもよいかと考えていた。
本来安全靴は定期的に交換した方がよいのだが、今はまだカスケード王国に大量生産、大量消費という文化が無く、使えるものは長く使うというのが一般的な考えであり、無理にそれを変えるつもりもなかったのである。
スティーブに褒められて気をよくしたケアード子爵は、これでもかと自分の領地の本革を売り込む。そして、遂にはウォール子爵のところの製品にケチをつけはじめた。
「隣の領地の牛皮は、なめしが不完全でこちらの本革よりも品質が劣るのです。あのようなものを使われては、閣下の名に疵をつけることになるでしょう」
「へえ、国内ではケアード子爵とウォール子爵のところの革製品はどちらも名産と言われていますけど」
「それは革をよく知らぬものの評価なのです。玄人の目から見たら、その違いは明らかであり、王都の有名な工房でも、我が領地のものが選ばれておるのです」
実際にはケアード子爵の領地の方が優れているなどという事は無く、王都の有名無名を併せた工房での使用率も変わらないものである。子爵はスティーブにはそういったことはわからないだろうと高をくくり、大袈裟に話を盛っていた。
「なるほど。でも、気になるのはお値段ですよね」
と、テレビショッピングのアシスタントのようなスティーブの台詞に、ケアード子爵の眉毛がピクリと動いた。高く吹っ掛けて逃げられても困るが、今まで散々高品質を宣伝してきたのに、ここで安い値段を提示してしまえば、その高品質の話が台無しになる。
品質で押せばよいと思っていた所に値段の不意打ちを喰らい、答えに窮してしまった。
スティーブの目的はケアード子爵をやり込める事ではないので、これ以上は追及する必要はないと決め、会話をそこで終わらせることにした。
「まあ、大きな取引ですから、この場で即決という訳にもいきません。我々も長旅の疲れもありますので、本日の所はこれまでといたしましょうか。取引についてはエマニュエルに一任しておりますし」
スティーブに言われてケアード子爵はホッとした。その気の緩みから、スティーブがミッチェルにアイコンタクトをしたのに気づけなかったのだ。
夜になると、ミッチェルがこっそりとスティーブの部屋を訪れる。極力音を立てないようにドアを閉めたミッチェルが、室内に視線を向けるとそこにはエマニュエル以外の全員が揃っていた。
いくらなんでも秘密裏に移動するには人が多すぎる。
ミッチェルはそう思ってそれを言うと、スティーブは問題ないと言った。
「全員で行くとなると、家を出る時も、ルーシーの家についた時も目立ちます」
「いいえ、それは心配しなくても大丈夫ですよ」
スティーブはそういうと転移の魔法を使って、全員をケアード子爵の屋敷から遠く離れた場所へと連れていった。
ミッチェルは突然目の前の景色が変わったことに吃驚す。そして、辺りをきょろきょろと見回して、見慣れた場所であることに安堵した。
「屋敷から少し離れた場所ですか」
「そう。これで誰にも気づかれずに外出出来たでしょ」
スティーブはいたずらが成功した子供のように笑った。ミッチェルを驚かせようと思っており、それが成功したので、非常に満足だったのである。
ミッチェルの方もこんな魔法が使えるのかと驚いたが、スティーブが竜翼勲章を叙勲されているのはこういう事かと納得した。そして、道案内をすることを申し出た。
「それではここからは私が先導いたします」
「よろしくね」
ミッチェルに道案内を任せたスティーブであったが、夜行性のフクロウを使役して、周囲の警戒は怠らなかった。ただその備えが役に立つことはなく、何の問題も起こらないままウォール子爵の屋敷に到着した。
時刻は深夜0時をまわっており、夜警の兵士も少なくなっていて、屋敷の警備は非常に手薄だった。スティーブはそれを見て心配になる。
「随分と警備が手薄だけど」
「盗賊が出るような事も無いので、この地域は夜の警備はこんなものです。うちも似たようなものですよ」
ミッチェルは治安が良いことに胸を張る。治安のよいおかげで二人が深夜の密会を出来る訳で、下手に警備が強化されるような盗賊騒ぎが起きてくれるなと、ミッチェルもルーシーも祈っていた。
ウォール子爵の屋敷は平屋の大邸宅であり、ルーシーは自分専用の部屋で寝ているという事だった。ただ、ミッチェルが毎日のように訪ねてくるので、この時間でも起きているはずだとミッチェルは言う。
そして、ルーシーをここまで連れてくるといって、屋敷の方へと走っていった。
10分ほど待っていると、ミッチェルが金髪の美女を連れてくる。
「閣下、ルーシーを連れてきました」
「お初にお目にかかります、閣下」
ルーシーが挨拶すると、スティーブも返す。
「初めまして。スティーブ・アーチボルトです」
「御高名な閣下にお会いできて感激です」
「うん、まあ噂には尾ひれがつくものですから」
褒められて嬉しそうなスティーブの脇腹をベラが肘で突く。鼻の下が伸びているという警告だった。そして、スティーブはクリスティーナから殺気のような怨念のような気配を感じる。振り向くことが怖くなって、ルーシーを見ながら会話を続けた。
「こちらのミッチェルから話を聞きましたが、僕と結婚するという話があるそうですね。詳しく教えていただけますでしょうか」
「はい。父が閣下が牛皮を求めていると聞いて、牛皮の取引の拡大の為、私を閣下の元に嫁がせようと企んだのです」
「うちの父上にもそんな話は来ていなかったと思うけど」
「はい。父は私を見せれば閣下が一目で気に入ると言っておりました」
親の欲目というやつで、ルーシーは確かに美人であったが、スティーブが一目惚れするような相手ではなかった。完成度でいえば、クリスティーナやオーロラの方が上である。それは上級貴族であるがゆえに、金に糸目を付けぬことが出来たからともいえる。素材の良さに加えて金の力が美しさを引き上げていたのだ。
ゆえに、子爵家の息子であるミッチェルならば一目惚れさせるような外見であったが、その上を見慣れているスティーブに対しては、美貌が通用しなかったのだ。
そして、スティーブについてきた女性三人は後ろの方でひそひそ話をする。
「親が言っているといいながら、自分もまんざらじゃない感じで、美人を鼻にかけていますね」
「にじみ出る性格の悪さがスティーブ様には不向き」
「なんかムカつく」
三人の中ではルーシーの評価は低かった。それは、男性に好かれる仕草の裏にある、計算された行動を見抜く目、同性が異性を狙っているのを感じ取る嗅覚であったのかもしれない。
そんな三人は、スティーブが篭絡されないか不安であったが、当のスティーブはルーシーをそうした目では見ていなかった。純粋に、ミッチェルと結ばれたらいいとだけ思っていたのである。
ここでルーシー本人から聞いた情報は、ミッチェルが言っていたのと同じであり、どうもルーシーの結婚については、ウォール子爵の先走りであるという事が判明した。
「さて、僕としては両家から均等に仕入れが出来ればいいんだけど、それをする為には二人が結婚してくれるのが最短ルートだと確認できた。問題は、長年にわたって対立してきた両家を、どうやって仲直りさせるかということか。僕が口で言ったところで、それは真の和解とはならないし大きなきっかけを作る必要があるねえ」
スティーブはにこにこしながらミッチェルを見た。月明りに照らされたスティーブの笑顔を見たミッチェルは、真夜中に枕元に悪魔が立ったらこういう感じなのかと恐怖する。それは笑顔であって、笑顔ではない。笑顔の裏の悪巧みがはっきりと見えていたのだった。
「スティーブ様、もうシナリオは出来ているのでしょう。もったいぶらずに教えていただけますでしょうか」
クリスティーナがそう訊くも、スティーブが首肯する事は無かった。
「演劇を見ている途中で、最後の結末を先に知らされるほど興ざめなことはないじゃない。前のオクレール商会の株取引の時みたいに、クリスティーナが演者側ならそうしたかもしれないけどね」
「確かにそうですわね」
「明日はオペラグラスでも用意しておいてもらいましょうか」
「そのような高級品はスティーブ様が用意してくださるものかと」
スティーブは遠眼鏡と同じ原理でオペラグラスも販売していた。真鍮やステンレスに加えてクロムメッキ鋼板を使って複雑な意匠の側をつけたものを、貴族相手に高値で売り付けていたのである。
勿論軍事転用可能な技術なので、販売に関しては王家が絡む。王の許可証を持った貴族のみが購入できるという付加価値により、製造コストは魔力のみなのに、金貨数百枚という値がついているのだ。
クリスティーナが言った事の裏にはそうした背景があった。
スティーブの婚約者であるクリスティーナには、国王の許可なしでオペラグラスを渡すことができる。ただ、クリスティーナから誰かへの譲渡には制限が掛かることになるが。
「それが必要ないくらいの特等席で見られるよ」
「嬉しいですわ。どのような脚本に仕上がったのか、楽しみで今夜は眠れそうにありません」
「肝心なところで寝ないようにね」
クリスティーナとの会話が終わると、スティーブはルーシーの方を向いた。
「今夜ここで会ったことは秘密です。次にお会いするときは、初対面というていでお願いしますね」
「承知いたしました。次回を楽しみにしておりますわ」
こうしてルーシーとの会話は終わり、彼女は自分の部屋へと戻っていった。
「さて、僕たちもかえりましょうか」
「わかりました。ではまた私が先導いたしますので、ついて来て下さい」
「いや、帰りは魔法で帰ろうか」
そういうと、スティーブは全員を自分の部屋へと転移させた。
「子供の体に夜更かしはこたえるからね。今夜はもう寝たい」
そう言うと、ミッチェルにウインクしてみせた。