54 勘違いの決闘
スティーブ一行は久しぶりに馬車の旅をしていた。目的地はケアード子爵とウォール子爵の領地だ。
旅の一行の顔ぶれは、スティーブとクリスティーナとベラ、それにエマニュエルとシリルとアイラの六人だ。
旅といっても、通過する領地の領主に挨拶するところだけ馬車に乗り、挨拶が終わると視界から消えたあたりで転移して、一気に距離を稼いでいるのだが。夜は家に帰ることも出来るのだが、クリスティーナが旅の気分を味わいたいというので、宿や招待された領主の館に泊っている。
流石に、宿が無い場所だったり、治安が悪い所はスティーブの転移でやり過ごすので、旅の途中では問題は起きなかった。
そしていよいよ最初の訪問先であるケアード子爵の領地に入る。
御者台に座るエマニュエルが、ケアード子爵の領地に入ったことを告げる。
「ここからがケアード子爵の領地となります」
そう言われたのでスティーブが外を見ると、牧草地が一面に広がっていた。
「人間が食べる食糧を生産するのにも苦労するうちとはえらい違いだねえ」
とスティーブは感想を漏らした。
「この辺は気候が穏やかで降水量もありますので、緑が豊かになるのでしょう」
シリルがそう説明をしてくれる。
「あそこに牛が居ます」
同じく外を見ていたクリスティーナが、放牧されている牛を発見して指をさした。
クリスティーナも本物の牛を見るのは初めてであり、少し興奮気味であった。
牛たちはスティーブたちの馬車には興味を示さず、地面に寝そべっていたり、草を食べたりしていた。時折風に乗って鼻に届く牛糞の臭いに、スティーブは前世を思い出していた。いわゆる田舎の香水というやつである。
そんな臭いにおいは、家畜を飼う余裕のないアーチボルト領では、嗅ぐ機会がなかったのである。
暫く長閑な田園風景を眺めながら進んでいると、突然一人の若者が馬車の前に飛び出してきた。たいした速度も出ていなかったので、エマニュエルは慌てずに馬車を停止させる。
馬車が止まると若者が叫んだ。
「アーチボルト閣下の馬車とお見受けするが」
「いかにも」
とエマニュエルがこたえた。
外のやり取りに気づいたスティーブが外に出る。どんな輩が出て来たのかわからないので、クリスティーナ達は馬車の中に残した。ベラはクリスティーナの横で彼女を守っている。
若者を見たスティーブは、彼に鬼気迫るものを感じ取った。
「僕がそのアーチボルトだけど、どんなご用件かな?」
スティーブがそう名乗ると、若者は突然土下座した。
「ルーシーの事は諦めて貰えませんでしょうか」
「何それ?」
突然のお願いにスティーブは戸惑った。ルーシーというのは女性の名前だと思うが、全くもって心当たりがない。
「あの、まずは名前を名乗ってもらいましょうか」
スティーブにそう言われると、土下座のまま若者は名前を名乗る。
「ミッチェル・ケアードです。ここの領主であるケアード子爵の嫡男です」
「なるほど。で、その嫡男であるミッチェル殿が、僕にルーシーを諦めてくれというお願いをしに来たわけだ。だけど、僕はそのルーシーがどこの誰だかわからない」
「とぼけないでください!あなたの元に嫁ぐことになっているルーシー・ウォールですよ!」
嫁ぐことになっているという言葉に、クリスティーナとベラは我慢できずに馬車から出て来た。そして、アイラも野次馬根性まる出しでその後に続く。そうなると、シリルも外に出てきて、全員が馬車の外に出た。
「スティーブ様、私以外にも婚約者がいるとは初耳ですが」
クリスティーナは静かにそういうが、目の奥には嫉妬の焔が静かに燃えていた。ベラはどちらの味方をすべきか悩んでいる。そして、アイラは他人の修羅場にわくわくしていた。
「僕も初耳です。父上からは何も言われていません」
「あの、ルーシー・ウォール様はケアード子爵の後に伺うウォール子爵の一人娘であらせられます」
名前に心当たりのあったエマニュエルがみんなに説明する。それを聞いたミッチェルは頷いた。
「知っているではないですか!いくら竜翼勲章閣下といえども、ルーシーは渡しはしません。どうしても白を切るというのであれば決闘です」
そう言ってミッチェルは手袋をスティーブに投げつけた。カスケード王国の決闘申し込みの作法である。
「正式に決闘を申し込まれてしまったので、これを断る事は出来ないけど、ウォール子爵からは婚約や結婚の申し込みは来ていないのは事実だよ。誰から聞いた話なのか教えてもらえないかな」
「ルーシー本人です!」
「えええっっっ!!??」
どういった経緯か知らないが、どうもルーシーという女性はスティーブと結婚すると思っているらしく、ミッチェルはそれを止めてもらうべく現れたようだった。
「多分それは勘違いなんだけど、どうして本人はそう思ったのかねえ」
「親から言われたそうです」
「ウォール子爵が?僕にはここにいるクリスティーナという婚約者がいる。クリスティーナはマッキントッシュ伯爵家の令嬢だから、そこに勝手に婚約者として娘を送ろうとすれば、マッキントッシュ伯爵と揉める事になるよ。とてもそんな事をするとは思えないけど」
ウォール子爵には特に悪い噂は無かった。なので、マッキントッシュ伯爵と揉めてまで、自分の娘をスティーブのところに嫁がせるような野心もないとスティーブは思っていた。
「第二夫人でも、第三夫人でもいいから嫁がせて、牛皮の取引を成功させたいというのが子爵の狙いだ。閣下もそのつもりでここに来たのでしょう?」
「牛皮の取引が目的なんだけど、ケアード子爵とウォール子爵の両方から買うつもりで来たんだよね。仕入れ先のルートは複数確保しておきたいじゃない。だから、別に娘が嫁ぐ嫁がないは取引の前提条件にはならないんだけど。それに、本当にそうならわざわざ先にケアード子爵の領地に来ないよ。ウォール子爵の所にだけ行って、こちらには書簡でお断りの連絡をするだけだから」
スティーブに言われて、ミッチェルは自分が早とちりしたかもしれないと思い始めた。そして、決闘の申し込みをしたことを激しく後悔する。
「本当に本当ですか?」
「勿論。ところで、どうしてそのルーシーの為にミッチェルが僕のところに来たの?」
「スティーブ様、そこは察してください」
クリスティーナはスティーブの鈍感さにくらくらとなって、自分の額に手を当てた。
ベラとアイラがうんうんと頷く。
ミッチェルもスティーブの察しの悪さに気が付き、自分とルーシーの関係を話す。
「私とルーシーはお互い一人っ子です。領地は隣同士ですが、過去の因縁から行き来するような事はありませんでした。ところが、ある貴族のデビュタントで出会って、お互い一目惚れし、親に隠れてこっそりと会うようになったのです」
ケアード子爵とウォール子爵の領主館は結構近い。なので、夜中にミッチェルが家を抜け出して、ルーシーのところに行って、朝までに戻ってくるくらいの事は出来た。
「貴族の跡取りであれば、今の年齢であれば結婚相手も決まっているのでは?」
クリスティーナがミッチェルに訊いた。
「たしかに一般的にはそうなのですが、私たちはお互いに一人っ子であり、親が少しでも良い条件をと慎重になっているのです。そして、それを利用してこの相手じゃここが悪いとか心配だとか親に言って、婚約を見送るように動いているのです」
ケアード子爵もウォール子爵も子供が一人しかいないがゆえに、その結婚相手選びともなれば、慎重に慎重をかさねている。だからこそ、相手の小さな瑕疵が気になってしまい、結婚の決断が下せないのだ。
また、そうなるようにミッチェルとルーシーが動いているようだった。
「そこまでするなら、隣の領地の相手と結婚したいと正直に伝えればいいのに」
そうスティーブがいうと、ミッチェルはとんでもないと否定する。
「過去に何度も領地を巡って争っており、とてもそのような事を言い出せる環境ではないのです。特に百年前の衝突では、多くの人が亡くなっておりますから、和解などむりでしょう」
「でも、それなら結局二人は結婚できないじゃない」
「それは諦める事が出来ず、こうして時間を稼ぎながら妙案が浮かぶのを待っているのです」
「その割には、なんで焦って決闘を申し込んだの?」
「それは、閣下は今までのルーシーのお相手候補みたいな瑕疵が無いからです。閣下のどこを貶める事が出来るといえましょうか」
面と向かって褒められると恥ずかしいスティーブは、ミッチェルを直視できずに顔をそむけた。
そして、その恥ずかしさから顔を背けたのを隠すため、背けた方向のクリスティーナに訊く。
「僕って瑕疵がないかな?」
「落ち着きと、恋愛についての配慮がありませんが、外からはそれが見えないのでしょう」
クリスティーナは自分はミッチェルと比べて、スティーブのこうした内面も知っているというのをアピールした。なんの勝負なんだかと思ったアイラはクスっと笑う。それで我に返ったクリスティーナは、自分の発言に顔を赤くした。
それから何も発言しなくなったクリスティーナの代わりに、ベラがスティーブの肩をポンとたたく。
「牛皮の取引を丸く収めるためには、スティーブが二人の結婚を上手くとりなすことね」
「うーん、思っていたよりも面倒な事になってきたね。僕は二人の子爵を説得して両方から牛皮を買うことが出来ればそれでよかったんだけど」
「それなら、申し込まれた決闘を今ここでやる?ミッチェルが死ねばケアード子爵もルーシーも色々と諦めると思うよ」
ベラに睨まれたミッチェルは青くなった。勢いで決闘を申し込んでしまったものの、冷静になるとフォレスト王国の王都に単身乗り込んで生還しているスティーブと戦って、生き残れる自信は無かった。
出来る事ならば決闘の申し込みを取り消したいが、それはスティーブだけの権利なので、ミッチェルにはどうする事も出来なかった。
もう一度ここで土下座をすればひょっとしたらと淡い期待を抱いたが、それはスティーブの言葉によって打ち砕かれた。
「そうだね。決闘でミッチェルが死んでしまえば、みんな諦めがつくのか」
スティーブが一人で納得してそう言うと、ミッチェルはこの世の終わりのような顔になった。そして、必死でスティーブに縋る。
「それは思いなおしていただけますでしょうか。私が死んでしまっては、ルーシーと結ばれるという夢も潰えますし、ルーシーもどうなるかわかったものではありません」
「そうだねえ。だからこそみんな諦めがつくんだよ。今のままでは中途半端で事態は何も動かない。ケアード子爵とウォール子爵を殺して、ミッチェルとルーシーが実権を握るか、それと同等のことをしないとね」
「親殺しは重罪ですので、家を相続する事は出来ません」
とクリスティーナがスティーブの案に訂正を入れる。
「となれば、二つの領地で戦争をさせて、二人とも戦死に見せかける必要があるのか」
「父を殺す選択肢は無しにしていただきたいのですが」
そうミッチェルがうったえる。
「じゃあやっぱり、決闘でミッチェルが死ぬしかないじゃない」
スティーブの言い方に、一緒に来たメンバーはなにやら妙案が浮かんだなと感じ取ったが、初対面のミッチェルにはそれがわからなかった。なので、ここにいる誰かしらに決闘を止めてもらいたかったのだが、誰ひとりとしてそのような素振りはなかった。
「まあ、あんまり到着が遅くなるとケアード子爵に怪しまれるから、今のところはここまでにして、今夜ルーシーって人に会いに行ってみようかな。案内してもらえますよね」
「わかりました」
九死に一生を得たミッチェルは、スティーブたちをルーシーの所に案内する事を承知した。ただ、それは決闘を後ろ倒しにしただけで、本質的な解決にはなっていないということで、完全に気が晴れたというわけではない。
そんなミッチェルと対照的に、他のメンバーは二人の恋の行方がどうなるのかと言う事に、演劇の観客のような気分で臨んでいた。劇のテーマとしては、対立する二つの家の子供同士の恋愛という、喜劇にも悲劇にもなりそうな素材であり、それを観客席よりも近いところで見られるということにワクワクが止まらなかった。