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53 牛皮の名産地

 第二工場は未完成であったが、屋根が出来るとスティーブとシリルとニックは靴づくりの工程をつくりはじめた。

 まずは、革を裁断するときの型紙をつくると、その型紙に合わせて抜き型を魔法で作り出した。今回はその抜き型をセットするハンドクリッカーも魔法で作り出している。そのハンドルは長さを調整できるように、ねじが切ってあり、脱着が容易にできる。

 なお、ハンドルが長すぎる場合、大人が思いっきり体重をかけてハンドルを引くと、鉄製のハンドルでも簡単に曲がったり、折れたりする。

 そのハンドクリッカーに抜き型と牛皮をセットして、出来栄えを三人で確認する。

 ハンドクリッカーを扱うのはニックだ。何度か牛皮を抜いてみて、その感想を言う。


「随分と簡単に抜けるもんですね」

「当て木を使ってハンマーでたたくやり方もあるけど、音がうるさいし、一日中ハンマーをふるうことを考えたら、ハンドクリッカーの方が良いよね」

「ま、そうでしょうな。どっかの誰かさんみたいに、化け物じみた体力と集中力があれば、一日中同じ作業をしていられるんでしょうが」

「化け物じみた誰かさんって誰の事?」


 ニックに自分のことを言われているとわかっていながら、スティーブは敢えてとぼけてみせた。そんな2人のやり取りにシリルが吹き出す。

 笑いが収まったところでシリルがスティーブに話しかけた。


「それで、FMEAについてはいつやりますか?」

「抜き型はこれでよさそうだし、この後やろうか」

「あー、ありゃあ苦手なんですが」


 FMEAと聞いてニックはしり込みする。

 FMEAとは日本語で言えば故障モード影響解析となる。英語のFailure Mode and Effect Analysisの頭文字を取ってFMEAと呼ばれている、潜在的な故障の体系的な分析方法である。

 簡単に言えば、ミスをしそうなことを事前に予測し、そのミスによる影響度が大きければ優先的に対策をしましょうということである。

 安全靴づくりで言えば、最初の牛皮の抜きについては、工程飛びした場合は後工程は加工が出来ないため、その対策の優先度は低くなるが、鉄板の入れ忘れや、縫い針が刺さったままの出荷などは、怪我の可能性もあるし、確実にミスを発見できるものでもない。

 なので優先的に対応をするべきとなるのである。

 体を使う事は好きだが、頭を使う事は苦手なニックは、このFMEAが大の苦手だったのである。

 なお、この手法についてはシリルが王立研究所に報告済みであり、カスケード王国として正式なやり方が決まっていた。ただ、なじみが無いので実用化されているのはアーチボルト領くらいである。

 今は軍に転用できないかと、研究が進められているのだった。

 そんなしり込みするニックを見て、スティーブは呆れた態度を見せる。


「そんな事じゃ重大不具合が市場に流出しちゃうよ。そうなったらニックの給料も減額だねえ」

「そりゃあ困りますよ。給料が減ったらうちの奴にこっぴどく怒られちまう」


 日本ではありえないが、カスケード王国では給料が簡単に減額出来る。教育や民度の差といえばそれまでだが、失敗しても給料が減らないとなれば、極端に手を抜く国民性だ。

 ニックは職人としてのプライドがあるから、自分で物を作る事には手を抜かないが、管理業務については手を抜こうとすることもある。なので、スティーブはこうして減額というペナルティをちらつかせて、その手抜きを防止しているという訳だ。

 ただし、一般的には減額のみしかないのだが、スティーブはニックに対して工場の業績連動で、好業績の場合には給料を増額して支給している。信賞必罰、飴とムチでニックを管理していた。

 恐妻家のニックは、給料が減ると妻からきつく怒られるので、それを防ごうと必死なのだ。


「どうせやる事になるんだから、最初にそんな嫌そうな態度を見せるだけ損だよ」

「まあそうなんですが、もしかして若様がやらなくていいよって言ってくれるかもしれねえじゃねえですか」

「そんなことはな――――」


 そんなことはないと言おうとして、スティーブは途中でその言葉を呑み込んだ。


「ニックの代わりにFMEAを出来る人間を育てればいいんだよ」

「ははあ、なるほど。それなら俺が出るまでもねえってわけですね。そいつは誰をいつまでに育ててもらえるんですかい?」

「何で僕が育てなきゃならないのさ。作業者の教育は工場長の仕事だよ」

「そうは言われましてもね、俺がFMEAを教えられると思いますか?」

「だったら教えられるようになってもらわないとね」


 スティーブの微笑みが、ニックには悪魔の笑みに見えた気がした。

 結局、ここで真面目にFMEAに取り組んでおいて、覚えた知識を誰かに教えて次回はお願いしようと思うニックであった。


 それから数日後、移住計画についてはブライアンに任せており、移住者が来るまでの準備は終わっているスティーブは、家の庭でベラとアベルを鍛えていた。アベルは既に成人しており、正式に従士となってアーチボルト家に雇われている。

 今はアベルとお互いに木剣を持っての模擬戦をしているが、近衛騎士団長と同じ動きをするスティーブは、アベルが敵う相手ではなかった。

 圧倒的な力量差から、アベルの攻撃は全て空を切ってしまう。

 今のアベルはフェイントを使うような技量は無いため、単調な力任せの攻撃を続けていたら息が上がってしまった。


「筋肉がついてきたから剣速はあがったけど、攻撃が単調すぎるんだよ」

「そんなこと言ったって、難しいんだよ。そんなの達人の域だろ」

「ベラが出来るんだから、アベルにだって出来るよ」


 スティーブがいうとおり、ベラは既にフェイントを使えるようになっていた。流石にスティーブには通用しないが、アベルであればそのフェイントに見事にひっかかり、ベラの一撃を貰ってしまうのだった。


「おかしいなあ。3年前は俺が一番強かったのに」


 昔を思い出して悔しがるアベル。そんなアベルの所にベラが歩いていくと、アベルの体を手で押した。


「邪魔。次は私がスティーブとやるの」

「口で言えって」


 アベルはそう言いながらもベラに場所を譲った。

 アベルとしても、ベラがスティーブと訓練を直ぐにでもやりたいのはわかっていた。そして、出来る事なら自分がスティーブに稽古をつけられる時は、ベラが任務か休暇でいない時がいいと思っていた。

 何故ならば、恋人同士のデートにその友人がついて来ているようなもので、とても居心地が悪かったのである。

 ただ、残念なことにスティーブがそういった感覚を絶望的に持ち合わせておらず、昔の幼馴染で遊んでいたころのままの感覚でアベルを呼ぶのだ。遊びであれば断る事も出来るが、従士としての訓練ともなれば、正当な理由もなく断るわけにもゆかず、こうして三人での訓練に参加しているのだった。

 訓練に来た時に、ベラからなんで来るのよという視線が飛んできたのがとても痛かった。

 アベルが退くと、ベラはスティーブに向かって攻撃をはじめる。好きな男とはいえ、そこは手を抜かずに全力で攻撃をした。スティーブの実力をわかっているからこそであるが、知らない人間がみたら、主人に対して本気で攻撃している反逆者のようにしか見えない。

 木剣の攻撃の間に足による攻撃を織り交ぜたり、木剣の軌道をスティーブの視線を遮るように繰り出したりと、なんとかして当てようと試みる。とうぜんそこにはフェイントも入っていた。

 スティーブはそんな攻撃をにこにこしながら捌く。


「神速の剣を使う前のダフニーくらいにはなってきたね」

「それって強いの?」

「騎士の中だと中の上だね。まあ、体格の差があるから攻撃はどうしても軽くなるけど、真剣だったら刃が当たれば同じだからね」


 ダフニー程体格の良くないベラは、その一撃一撃は軽いものだが、スティーブはそれを考慮してベラにはよく切れる剣を与えていた。カスケード王国の剣は斬撃というよりも打撃に近く、鉄の棒で殴るという感覚に近い。近衛騎士団長のような技量があれば、綺麗に斬るような剣でもよいのだが、敵が金属鎧を身に着けているのならば、一般的には斬るよりも叩くほうが効果がある。

 しかし、鈍器はどうしても重量が重たくなる。未成年の少女であるベラでは、そういった武器は扱えない。だが、彼女は人並外れた動体視力と反射神経があった。なので、斬れる剣で防具の隙間を突くような攻撃が出来るのである。

 そのベラであるが、ダフニーとは彼女の結婚の時に知り合っており、結婚しても近衛騎士団長を目指す彼女はベラの追いこすべき目標だと思っていた。それに、気を抜けばスティーブも持っていかれると警戒もしていた。

 だから、ダフニーよりも強くなって、彼女にスティーブを取られないようになろうと俄然張り切る。


「それなら直ぐに今のダフニーに追いついて見せる!」


 そう言うと気合一閃、鋭い攻撃がスティーブの顔を襲った。スティーブはそれを首を傾けるだけで、紙一重で躱す。


「ベラは神速の剣を使うには、まだまだ体が出来ていないからね。今やろうとすれば関節を壊しちゃうよ」

「スティーブの方が子供じゃない」

「僕は身体強化出来るからね」

「じゃあ、私にもそれやってよ」


 スティーブの作業標準書の魔法は、効果はパッシブであり、一度作業標準書を作成してしまえば、その効果は永続する。だから、特に意識して魔力を消費して身体強化をして神速の剣を使っているわけではない。ただし、その作業標準書の効果はスティーブ本人だけであり、他人に対して使用する事は出来ない。

 それでも作業の急所やポイントと言われる重要な事は、スティーブが理解しているので、指導は常に適切になる。だから、指導されるがわは覚えやすい、わかりやすいと感じるのだ。

 ベラに自分にも身体強化をして欲しいと言われ、スティーブもそうすればよかったかと気づいた。


「じゃあ、模擬戦はここで終わりにして、神速の剣を使ってみようか」

「うん」


 ベラが笑顔で頷いたところで、来客があった。

 エマニュエルである。


「閣下、お久しぶりでございます」


 庭に入って来たエマニュエルはスティーブに頭を下げた。


「あれ、今日はどうしたの?納品だけならいつもの人達で十分でしょう。会頭自ら出向いてきたっていうことは、何か重要なことかな」

「ご明察恐れ入ります。実は牛皮の仕入れでちょっと問題が起こりまして」

「エマニュエルが自分で解決できずに、僕の所に来るって言う事はかなりの厄介ごとだね。貴族がらみか犯罪ギルドがらみでしょ」

「まさしくその通りでございます。仕入れ先の貴族から圧力を受けておりまして、どうしても閣下のお力が必要になりました」


 エマニュエルは西部地域では押しも押されもしない大商人の地位を確立している。商売仲間はバックにいるアーチボルト家と揉めたくは無いので、エマニュエル商会にちょっかいを出すような事はしない。最近では、商隊を襲う盗賊団ですら、エマニュエル商会の荷馬車は襲わないのである。

 何故なら、それがアーチボルト家の依頼品である可能性が高く、それを奪った場合はスティーブが出陣してくる。あっという間に討伐されるのが目に見えているので、よっぽどの新人で盗賊稼業に疎い者でもなければ、エマニュエル商会には手を出さないのだ。

 そんなエマニュエルが解決できない問題となれば、アーチボルト家のことを気にしない貴族か、貴族の暗殺でも請け負うような犯罪ギルドかが関係していると推測するのは簡単だった。

 今まさに神速の剣を使えると思っていたベラは、流石にスティーブの仕事を邪魔してまでやってほしいとお願いは出来ず、口から出かかったその願望をかろうじて吞み込んだ。

 しかし、機嫌は悪かったので、その不満をアベルにぶつける事にしたのである。


「アベル、私たちはスティーブの仕事の邪魔を出来ないから、ここで残って訓練をしよう」

「げっ」


 付き合いの長いアベルは、ベラの不機嫌を一発で見抜いた。そして、憂さ晴らしにボコボコにされる自分の未来も見えたのだ。

 そして、その未来は現実のものとなる。

 スティーブとエマニュエルが室内に移動すると、アベルはベラにボコボコにされて、地面に大の字になって空を見たのだった。


 一方、室内のサロンでスティーブとエマニュエルはその問題について話す。


「牛皮の名産地ということで、ケアード子爵とウォール子爵の所に買い付けに行ったのですが、お二人とも全数自分の領地から買うようにと言うのです。私としては、どちらかだけと取引をしてしまうと、取引しなかった方に恨まれますので、そうはしたくないのです。それに、調達の安定を考えれば、両方から仕入れるのがよろしいかと」

「ケアード子爵とウォール子爵って確か領地が隣同士だったよね」

「はい」


 ケアード子爵とウォール子爵の領地は隣り合っており、気候もにていることから、どちらも畜産に適した土地だった。ここの牛皮はカスケード王国でも有名であり、国内各地に出荷されているのである。

 ただ、隣り合っている事からたびたび領地の境界の問題でぶつかっており、百年前には大規模な戦闘も起こっていた。そのため代々仲が悪いのだ。

 なので、どちらか一方に肩入れすれば、反対側から目の仇になるのはわかりきっている。


「それで、両方から仕入れられるように、僕が説得すればいいのかな?」

「いえ、そうではなくてお二人は閣下と直接お話がしたいとのこと。格からしたら向こうが閣下の所に出向いてくる事になりますので、私にその段取りを依頼してきたのです」


 そう言われたスティーブは暫く考え込む。


「折角だし、僕も現地で牛皮を確認しようか。隣り合っている領地なら、移動も面倒じゃないし」

「魔法で転移されるのではないのですか?」

「一応それは秘密扱いだからね。ここから通過する領地の領主に通行許可願いを出しておかないとか。それに、クリスもベラもたまには遠出したいだろうしね」


 こうしてスティーブは牛皮の名産地を訪れる事になった。

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― 新着の感想 ―
[一言] ベラとアベルが付き合えば良いのに。 初恋は実らないっていうし、大抵は身分違いで憧れは憧れだと身をひくところだろうけど、下手に距離が近いから諦めきれないんだろうな。
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