52 安全靴
第二工場の建設状況を確認するため、スティーブはニックとシリルと一緒に、建築現場に来ていた。
シリルは結婚に関わる全てのことを完了させて、アーチボルト領に戻ってきたのである。なお、シリルの家についても建てている最中である。
何年か後には王都に戻るかもしれないが、新婚の貴族夫婦が宿暮らしというという訳にもいかないだろうということで、家を建てる事になったのだ。場所は第三の村となっており、職場から近いのでここにしたのだった。
なお、建設に関しては全てエマニュエル商会が請け負っている。建設の仕事が多いアーチボルト領ではエマニュエル商会から仕事を貰っている大工が住むためのアパートもあった。これは領土拡大前からのことであったので、今大工が足りないということは無いが、西部全体で建設の需要が高まっており、大工も不足して取り合いとなっているのだ。
そして、第二工場は家具を製品として作る予定であるが、一時期苦情のきていた工業ギルドでも、好景気のお陰で高級家具の需要が高まっており、格安家具との住み分けが出来るようになった。
一部、格安家具に進出しようとする者もいたが、大規模な資本投下をしているスティーブには効率でかなわず、勝負にならないからと諦めるのだった。
そんなスティーブだったが、おもちゃを生産するラインで段取り替えをして、家具を作るくらいなら専用ラインを作ろうと思い、第二工場の建設へとなったのである。おもちゃの需要が減少した時は段取り替えをして、第一工場でも家具を生産してもよいし、新規の需要を作るための商品開発部門もつくろうと動いている。
三人で歩いていると、ニックがスティーブに話しかけた。
「今日は嬢ちゃんは連れてねえんですね」
「休暇日だからね。本人はいらないって言うんだけど、これから従士も増えていくので、ベラだけ特別扱いするのも出来なくなってくるだろうね。それに、先輩が休まなかったら後輩も休みづらいでしょ」
ニックが嬢ちゃんと呼ぶのはベラのことだった。ベラはスティーブの護衛として一緒に行動する事が多くなっており、ニックのようにいつも一緒だと思っている人が多い。
中にはスティーブが早くも愛人を作ったと噂する者もいる。ベラの方はスティーブに恋愛感情を抱いているが、スティーブはベラをそうした目では見ていなかった。
スティーブはベラのことを優秀な従士であると思っており、ダフニーよりも先に近衛騎士団長を倒して、その座につかせられるのではないかと思って鍛えている最中だ。町工場も貧しい領地も女性だからという理由で、男と同じ仕事をさせないというのはない。出来る奴には何でもやらせるという考えになっていく。
それはつまり、優秀な人材を沢山集めるのが難しいから、いる人間なら男でも女でも、子供でも老人でも使うという状況故だった。実際にスティーブの前世の会社では、パートのおばちゃんにマシニングセンターを扱わせていた。
彼女は少しくらいなら、プログラムの修正を出来たし、切削油の交換作業なども行っていた。女性だから重たい油を持たせず、検品作業だけやらせてればいいなどというような会社ではなかったので、そうしていたのだ。
「従士も工場も住人も増えて、長閑だったころのアーチボルト領は無くなっちまいますね」
「餓死者が出るような時代には戻したくないよ」
「領主には申し訳ねえが、確かにあの頃には戻りたくはねえですね。不毛の土地にすこし毛が生えた程度だったここが、まともな農業生産が出来そうになってきたんですしねえ。あのクラゲってやつを地面に蒔くだなんて、若様はよく思いつきましたね」
ニックは過去のアーチボルト領を懐かしむと共に、今の発展にも思いを寄せる。
作物の育ちにくかった土地は、やせた土地でも育つ作物と、クラゲチップによる土壌改良の効果によって、収穫高が格段に向上していた。
その副作用で、海の厄介者だったクラゲの取引価格が上昇し、魚ではなくてクラゲを獲ろうとする漁師が出てくる始末。あまりクラゲが高級になってしまうと、費用対効果からしてクラゲチップの需要は落ちるので、スティーブとしてはクラゲの大量発生を望んでいた。
そして、ニックの質問であるが、スティーブとしては非常に答えづらいものであった。なにせ、前世の知識であるので、それを説明する訳にはいかない。
「本に海の生物について書かれているものがあってね。海には大きな魚がいるなら、栄養もあるだろうって思ったんだよ。捨ててるだけのクラゲなら、材料も安く仕入れられるしね」
「蕎麦の時もそうでしたが、みんなが気付かないものに価値を見つけますねえ。婚約者はあんなに価値が高いってわかっている美人を捕まえるのに」
「そっちの出会いは偶然だよ。狙って出来るような事じゃない」
「まあそうでしょうなあ。若様がいないときにクリスティーナ様本人に聞いたけど、そうだとおっしゃってましたから。ま、偶然にしちゃあ出来過ぎなんですけどね」
「親の意向もあるからね。当時僕が近衛騎士団長を倒したのを目の前でみたから、手に入れたいと思ったんでしょ」
スティーブの言うように、マッキントッシュ伯爵はスティーブを手に入れるために娘を婚約者とした。当時スティーブのことをよく知らない貴族たちは、この婚約について色々と憶測をしたものである。結果、スティーブが竜翼勲章を受勲したことで、マッキントッシュ伯爵の先見の明が評価されることになった。
ただ、スティーブは誰であっても近衛騎士団長に勝つような子供なら、何とかして手に入れたいと思うだろうと考え、特段マッキントッシュ伯爵に先見の明があるとは思っていなかった。
裏事情を知っているからこその判断だったが。
「俺は若様がそのままあちらの家に連れていかれなくて良かったと思ってますよ。もしそうなっていたら、アーチボルト領は今も昔と変わらなかったでしょうからな」
「それならあちらの資金を使って、研究成果をここに持ってきていただけだと思うよ」
「それもそうですね。そっちのほうが俺が若様に無茶を言われなくて済んだかあ」
過去の苦労を思い返してニックがそう言うと、それを知っているシリルが笑った。
そのまま過去を思い出しながら上を向きながら歩くニックが叫ぶ。
「いってぇ!」
「どうしたの?」
スティーブがニックを見ると、建築資材の木に足をぶつけたらしく、つま先を手で押さえてぴょんぴょん跳ねていた。
ニックはサンダルを履いており、むき出しになっている指を木にぶつけたのだった。直ぐにスティーブが魔法でニックを治療する。
「若様、ありがとうございます。気をつけねえで歩いているとこれだ」
「サンダルじゃあねえ」
と言った時にスティーブが閃く。
「安全靴をつくろうか」
安全靴とはつま先に鉄などが入っており、上から物が落下しても怪我をしないようになっている靴のことだ。カスケード王国の平民はサンダルが一般的である。工場作業でもサンダル履きなのだが、これでは怪我をする危険がある。
安全靴を作る事によって、怪我をしないような職場にしようと思ったのだ。
「なんですか、その安全靴というのは?」
さっそくシリルが食いついてきた。
「靴の先端、つま先の部分に鉄が入っている靴のことだよ。上から物が落下してきても怪我をしないための靴なんだ。金属鎧の鉄靴だと重たいから、守る部分を限定した靴だと思ってもらえばいいかな」
「しかし、個人の足に合わせて作るとなると、かなりの金額になるので、作業者に履かせるとなると大変でしょう」
「そこは家具と同じで、こちらである程度の規格を用意して、その中で自分にあったものを選んでもらうようにするさ。そうすれば大量生産が可能になるからね。それに、ずっと使うわけじゃなくて、仕事の時だけだから、ぴったりフィットしていなくてもいいんだよ。ただし、安全靴の基準を作らなきゃならないだろうねえ」
基準と言われてシリルが嬉しそうに笑う。
中々にワーカーホリックであった。
「どんな基準にしますか?」
そう訊かれると、スティーブは前世の記憶を手繰り寄せた。
安全靴の規格は、その作業内容に合わせて対衝撃性能が変わる。そして、一定の高さから重りを落として、靴の中にいれた粘土の潰れ具合で評価するのだ。潰れ具合というが、実際には粘土と靴の隙間である。
それを思い出してシリルに伝えた。
「確かに怪我があっては作業に支障がでますし、いい考えですね。サンプルと共に基準の案を王立研究所に報告したいのですが」
「靴なら僕が作れるから、材料を揃えて作ってみるよ」
そういうスティーブにニックはやや呆れた顔で言う。
「若様が靴を作れるとは思いませんでしたが、いつものことで驚くのにも疲れました」
「衣装を作る時に、靴も一緒に作ったからね。ついでだから作業を見学させてもらった」
「見ただけで覚えるんですから、職人からしたら羨ましい限りですぜ」
「物覚えの良い頭で生んでくれた母上には感謝してますよ」
見て覚えろとはよく言うが、一度見ただけで覚えられるような者はいない。力加減のようなやってみないとわからない事は多い。それが必要ないスティーブは、ニックからしたら羨ましかった。
「まあなんにせよ、怪我をしなくなるのはいいことです。師匠には『怪我をするやつが悪い。痛いのは生きている証拠だ』って怒られましたからね。他の工房もみんなそんなかんじですぜ」
「注意力はどうしても散漫になる時があるからね。作ると決めたら早速エマニュエルに頼んで靴の材料を仕入れてくるよ」
「工場の建設の確認はどうするんですかい?」
「靴の方が急ぎだね。作業用の靴なら靴職人と競合しないでしょ。新工場では安全靴を作るのもいいかなと思ってね」
そう言うとスティーブはエマニュエル商会に転移した。
残されたニックとシリルはお互いの顔を見つめ合う。
「相変わらず行動が早くて落ち着きがねえですね」
「まあ、それが竜翼殿の良いところでもありますから。私の方も準備をするとしますかね」
「技官殿、俺は工場に戻りますよ」
「ええ、そうしてください。私の方は先ほどの話を忘れる前にまとめておきたいので」
こうしてこの日の工場建設現場の確認は途中で終わった。
数日後、スティーブがシリルとニックの所に完成した安全靴を持ってくる。
靴のサイズは二人に合わせて、それぞれの分を作って来た。
試作品なので、スティーブが二人の足を測定して、それに合わせてあるので、量産品とは違ってぴったりフィットしている。
安全靴は鉄靴のように複数の金属の板を組み合わせている鉄板がついたものと、鉄板の上に革を貼ったものと二種類あった。シリルの方が鉄靴のようなもので、ニックの方が日本で売られている安全靴のように鉄板の上に革を貼ったものだった。
「鉄という割には軽いですね」
「先端しか鉄が無いからね。戦場で身を守るのとは違って、足首は守る必要ないから。ニック、こっちに足を出して」
「へい」
ニックは言われたとおりに右足を一歩前にだした。スティーブは前に出されたニックの足を勢いよく踏んだ。
「若様、何するんですか!」
「痛くないでしょ」
足を踏まれた事に怒るニックだったが、スティーブに言われて痛くないことに気づいた。
「本当だ」
「これが安全靴の効果だよ」
「これなら確かに怪我はしないですぜ」
「後は作るならどっちがいいかなって話なんだけど。ニックの方が簡単に作れるんだよね」
そう言われたニックは自分の安全靴とシリルの安全靴を見比べた。
シリルの方は鉄の板を何枚も折り重ねるように組むので、その分工数がかかるし、部品点数も多くなるのがわかっているので、ニックは自分の方を選んだ。
「素人がやるんですから、簡単な方が良いでしょう。で、こいつをどうやって量産するんですかい?若様の事だからもう考えているんでしょう」
「まあね。ただ、鉄の部品は今は僕の魔法を使って作り出すつもりだ。将来的にはこれを金型で作れるようにしていきたい」
スティーブが将来的にというのには訳があった。軟鉄がまだ大量生産出来ていないので、塑性加工をすることが出来ないのである。
「それじゃあ、鉄以外は魔法じゃなくても、なんとかなるってことですか?」
「そうだね。まあ、材料を大量に買い付け出来るかどうかはエマニュエル次第なんだけど。牛皮は大量に欲しい。というか、こいつがないと靴づくりが始まらないから」
「糸と針もですぜ。それに、縫うにも時間がかかるから、あのミシンとかいう機械を導入して欲しいんですけど」
「ミシンねえ」
スティーブはちらりとシリルの方を見た。
「あれが出回ると、裁縫職人が失業しそうなので、国王陛下から止められております。現在は王立研究所に試作機があるのみで、取り扱いは絶望的かと」
とシリルは説明した。
ミシンについて、スティーブはシリルとニックとともに、足踏み式のミシンの試作機を王立研究所に送っている。スティーブのなんとなくの記憶から作ったもので、それは不完全なものであったため、王立研究所の技官が改良した物を作ったのだ。
地球の歴史でも、ミシンを作ったバルテルミー・ティモニエが、失業を恐れた仕立て屋によって工場を焼き討ちされている。それをシリルにそうなるかもねという風に伝え、報告書に懸念事項として追記してもらったのだ。
試作だけ付き合ったニックはその経緯を知らないので、先ほどの要求をしているわけだ。
「まあ、仕方が無いから手縫いだね」
「革の裁断もあるっていうのに、どれだけ人が必要だと思ってるんですか」
「革の裁断は抜き型を使うつもりだよ。個人の足に合わせるわけじゃなくて、同じ寸法の物をつくるんだから、そこはそのメリットを工程に反映しないとね」
抜き型と聞いてニックの顔は渋くなる。
抜き型とはクッキーを作る時に使う金型だと思ってもらえばいい。革を打ち抜くのにも使う事がある。革製のベルトの穴あけなどは、まさしく抜き型を使う作業である。
ただ、狙った形に抜けるかどうかは金型を作ってみないとわからないし、それがどれだけのショット数もつのかもわかっていない。
責任者のニックとしては、不安な要素が多かった。
「型を作るのも大変そうですが」
「そこは僕の魔法で作るよ。そのうち抜き型を作る技術も、魔法じゃなくて科学で作れるようにしたいけどね」
ニックの心配をわかっているスティーブは、安全靴については極力魔法を使うようにしていた。元々が急な思いつきからの出発なので、準備に時間を掛けていない。それでも安全は優先したかったので、魔法を使うと決めたのだ。
本来はスティーブが亡くなった後でも継続できる事業を目指すので、魔法を使うような事はしない。
こうして、安全靴づくりが始まった。