51 パーカー準男爵夫妻
オーロラからの報酬と、オクレール商会の株の売却益でスティーブの懐は温かくなった。トンプソン男爵の捕縛翌日に取引が久しぶりに成立し、大商いの中での手仕舞い売りだった。
なお、バルリエは集め過ぎた株を捌ききれず、数日にかけて市場の内外で売り抜けた。売り抜けが終わったことで余裕が出来、本日スティーブとの会合実施となった。
バルリエ商会でふたりは会合を開いている。
「閣下、全て売り抜けが終わりました」
「ごくろうさま。まあ、ドローネも捕まっちゃったし、売り抜けも余裕だったでしょ」
「とんでもございません。ドローネの持ち株の処分の業務を引き継いだ取引所の職員が不慣れで、市場内取引は大混乱でしたよ」
ニコニコ笑うスティーブに対して、バルリエはその苦労を語った。
「まあそれでも、あれだけの株を上手く売り抜けたのはバルリエの手腕だよ」
「そう言っていただけると苦労が報われますな」
「言葉なんか無くても、かなりの利益で十分報われていると思うけど」
「利益だけではないのですよ。職人がその出来栄えを褒められると嬉しいように、大量の株や商品をうまく売り抜く技術を評価されるのは、商人にとって光栄なことなのです」
バルリエの言う事をスティーブは理解出来た。誰でも出来るような仕事ではないのを理解してもらってこそ得られる達成感というのがあるのだ。それは職人も商人も一緒である。
職人出身のスティーブであるからこそ、そこは痛いほど理解できた。
「これで株の仲買人ではトップになったんじゃないかな」
「規模で言えばサリエリ商会には負けますが、実績では私が一番だと自負しております」
「そうだろうね。僕も注文はエマニュエル商会に出すけど、相場で組むならバルリエだね」
「閣下にご指名いただけるとは、栄誉なことですな」
「エマニュエルはまだこういった事には経験が足りないからね」
バルリエはそう言うスティーブを見て、10歳程度の子供に経験が足りないと言われるエマニュエルに同情した。スティーブの要求値が高すぎるのである。いつ自分もこの少年に見限られるかと思うと、気を緩められないなと思いなおす。
一度の成功で評価を得たが、それは一度の失敗で失うという事でもある。
オーロラから独立するには、スティーブと一緒に仕事をすることが近道であり、パートナーとして必要とされねばという思いが強かった。
「そこはやはり年の功でしょうかな」
と、自分の実力をアピールしておく。
スティーブは頷いたあとで、天井を見上げた。
「ドローネもこう言ってはなんだけど、借金に苦しまずに死ねたのは楽だったかもしれないね」
「死罪でしたからな。生きていれば今ごろは金策に奔走していたことでしょう」
「閣下も意外とお優しい。見せしめのためにももっと苦しめる事も出来たはずなのにね。まあ、その分トンプソン男爵が晒し者になっているんだけど」
「ええ。伝え聞くところによると、牢に自決用の短剣を差し入れたものの、自決する決断ができずに鉱山労働を選んだとか」
バルリエが言うように、トンプソン元男爵には自決用の短剣が差し入れられた。勿論、オーロラはトンプソン元男爵が自らの命を絶つ決断が出来ないとわかっていた。そして、貴族の身分から奴隷と同じ鉱山労働者まで堕ちる選択をしたことを、他の貴族たちに見せつけたのである。
そして、他の貴族が嘲笑う様子を本人に伝えるつもりであった。
これは他の貴族への見せしめという意味もあり、場合によってはトンプソン元男爵をパーティー会場に連れてきて、その堕ちた姿を晒し者にするつもりでもあった。
「バルリエの誘拐を計画しなければ、借金で苦しむだけで済んだのにねえ」
「このようになる未来がわかっていれば出来ない選択ですが、人は未来がわからぬものですから。一縷の望みを見出して、最後の大勝負に出たのでしょうな。閣下がこちらについているとも知らずに。そこまで読んでの私が本尊を演じるシナリオだったのですか?」
「んー、まあそうなるかもしれないなあくらいだよ。別に誘拐するように仕向けたわけでもないし」
とこたえるスティーブであったが、襲撃については初期から警戒はしていたのは既述のとおり。ただ、それが不確実であるため、計画には組み込んでいなかった。最悪の結果を招いたのはトンプソン元男爵自身の責任であり、スティーブにはなんら責任は無かった。
「まあ、そちらの方については、私がどうこうするようなものではないですから、相場の影響がどうであったかという興味だけで知りたいだけです。さて、それで今回の利益の分配ですが」
「利益は全部バルリエが取っていいよ。僕は閣下から報酬をもらっているからね。それに、そもそもこれはうちの義兄殿の不始末から始まった話だから、僕としては利益は重要じゃなかったんだ」
「はあ。それではこちらは喜んで頂戴いたしますが、それとは別に私から閣下への日ごろの感謝の気持ちを後程贈らせていただきます」
「気にしなくていいのに」
スティーブはバルリエの義理堅さを理解して、利益を贈り物という形で受け取ることにした。バルリエにしても、後々あの時の利益という風に恩を着せられるのを嫌ったので、どうしてもここでスティーブに受け取ってもらいたかったのである。
「そうはいきません。相場の利益以外にも、ドローネ商会の持っていた商圏は全て私が引き継ぐことになったのも、全ては閣下のお陰ですから」
「その閣下は僕では無くて、辺境伯閣下だと思うよ」
「いえいえ、トンプソン男爵の息のかかった商会ですから、もしトンプソン男爵がそのままであれば、私の所に商圏が来ることは無かったでしょう。トンプソン男爵を排除したのは閣下の功績ですよ」
ドローネ商会は会頭のドローネが死罪となり、全ての活動を停止することになった。しかし、オーロラの命令で迅速にその業務をバルリエ商会が引き継ぐ事となった。
これに対して強引だという声は殆どなく、ドローネが空売りで作った負債が払いきれないため、バルリエに代物弁済する事としたという理由に皆が納得したからである。
これにはトンプソン男爵の利権もくっついており、そちらはオーロラが管理しながら、商取引はバルリエ商会を通すとしたので、トンプソン男爵の血筋からの横やりも無かった。
オーロラの手腕もあるが、スティーブが地ならしをしていたからこその利益であった。
「感謝の気持ちは受け取っておく。さて、バルリエの事にけりがついたし、後は義兄殿か」
「何かあるんですか?」
「貸している金貨5万枚を回収してこないとね」
「そうでしたな。回収の見込みはおありでしょうか?」
「株の損は無くなったはずだから、十分に回収できるはずだよ」
スティーブは義兄のパーカー準男爵に貸し付けした金を回収するつもりであった。株の損は無くなったどころか、利益が出ているはずなので、領地運営のための資金も自己資金で賄えるはずである。
となれば、金のあるうちに回収しておこうというわけだ。
姉のフレイヤが無利子無担保という条件を押しつけてきたので、早いところ回収しておかないとどうなるかわからないというのもあった。
「借金のつけかえでしたらおうけいたしますよ」
「いや、いいよ。無利子無担保での貸し付けだから、つけかえは無理だよ」
「それはまた、随分な条件ですな」
「家族だからね」
「その理由でぽんとお金が出せる方がどれだけいることか。そうだ、オクレールにも話をしておきましょうか。彼も受益者ですからな」
「そっちはうれし泣きと泣き言が同時に来たよ。だから、暫くはそっとしておいてあげて」
オクレール商会にはステンレス像の注文が殺到しており、製作の順番についてで会頭のオクレールの胃に穴が空きそうであった。国中の貴族からの注文があるが、先着順にすれば爵位を理由に変更を迫ってくる貴族がおり、爵位順にしたところで同じ爵位の貴族をどうするかで角が立つ。
スティーブによる莫大な利益とストレスの抱き合わせ販売に、泣き言を言いたかったのである。
「じゃあ、ちょっと資金の回収に行ってくるよ」
「またのお越しをお待ちしております」
バルリエが頭を下げると、スティーブはパーカー準男爵領に転移し、その場から姿を消した。
緊張感から解放されたバルリエは、ドッと疲れが押し寄せて、椅子に座って暫くはその場を動かなかった。
パーカー準男爵領に転移したスティーブは、準男爵の家を訪ねた。
元々が騎士爵であり金に余裕が無かったので、家の大きさは元のアーチボルト家と同程度である。門番はおらず、庭で洗濯物を干していた使用人の女性に身分を伝え、パーカー準男爵かフレイヤへの取り次ぎを頼んだ。
子供がやって来たと思っていた使用人は、相手がスティーブだと知ると慌てて準男爵を呼びに走った。
運よく準男爵もフレイヤも在宅だということで、二人と話すことになった。
案内されて通された応接室で、スティーブは二人と向き合う。
「スティーブちゃん、今日は何しに来たのかしら。突然の来訪だと吃驚するじゃない」
フレイヤはおおよその見当はついていたが、スティーブの口から目的を言わせようとする。スティーブもそれをわかっていて、目的を伝えた。
「ソーウェルラントの方はすべて片付いたので、こちらへの貸し付け金の回収にうかがいました」
「やっぱりそうよねえ。でも、返すお金は無いわ」
フレイヤに言われてスティーブは冗談だと思った。
「姉上、冗談を言っている金額ではないですよ」
「冗談なものですか。どこかの誰かさんが株の損が無くなって、気が大きくなってまた損をしたのよ」
フレイヤの語気は強く、びしっと隣を指さした。フレイヤが指をさした方向にスティーブも首を向ける。
その先にはパーカー準男爵がおり、申し訳なさそうに小さくなっていた。
「姉上、説明をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「このやどろくから、自分の口で説明させるわ」
フレイヤに言われると、パーカー準男爵が事情を説明し始めた。
「ドローネに貸した株は、戻してもらってから直ぐに売ったのですが、他の鋳造関連銘柄がまだ上がるのではないかと思って売却益全てをつぎ込みました。そうしたら下がってしまい、今は損を抱えている状況です。ついでに、素材の先物取引でも失敗して……」
それを聞いたスティーブは手で顔を覆った。
「このままいけば、うちで使いもしない鉄やら銅やらが、受渡期日に大量にやってくるのよ。それに、それを現引きするための現金を作ろうにも、今損を抱えている株を売らなきゃならないし」
「本当ですか?」
スティーブはがっかりして肩を落とした。元々義兄の損を取り戻すために始めた仕手戦だったが、その義兄が仕手戦の結果損を拡大していたのだ。
こくんと頷く義兄に軽蔑の眼差しを向ける。
一方フレイヤは
「そういうわけで、もう一回株価を上げて欲しいの」
「いやいやいや、姉上それは無理ですよ。今回だって何カ月かかったと思っているのですか。それに、閣下を動かすことが出来たからこそ、ここまでの大きな仕掛けが出来たのですよ。もう一度同じことをしろと言われても、出来る保証はありません」
「それじゃあ、借りたお金は返せないわよ」
「それは返してください」
「そんなこと言わないで。今回だって大儲けなんでしょ」
「いいえ。閣下から頂いた報酬と、微々たる売却益だけですよ。とてもではないですが、貸した金額まではいきません」
スティーブは詳細な儲けをフレイヤに説明した。フレイヤはそれを聞くと渋い顔をする。
「そんな利益で動いたの?」
「そうですよ。全ては義兄殿と姉上のためですから。巻き込んだ人達には申し訳なくて、利益は殆ど取らないようにしたんです。自業自得とはいえ、人が死んでいることもあり、僕としては喜ぶべき点などありません」
スティーブは内心かなり怒っていた。トンプソン男爵の没落やドローネの死罪という状況をつくってまで助けようとした義兄が、まさか損失を拡大していたなどとは思ってもみなかった。
そして、出来る事なら縁を切りたいとまで思っていた。
ただ、それについては家長であるブライアンの権限なので、この場でスティーブが縁を切る宣言をすることはしなかっただけだ。
フレイヤも弟の様子から、これ以上はふざけた態度は出来ないと悟る。
「これからは、領地経営のお金は私が管理します。準男爵にはお金を使う権限は与えません。領地の税収から少しずつ返していくわ」
フレイヤにそう言われると、パーカー準男爵は無言で首肯した。
「そこはお任せします。僕としてはお金を返してもらえれば、途中の経緯は問いませんので」
何とも後味の悪い終わり方に、スティーブはむしゃくしゃしながら帰宅した。