49 踏み上げ
オーロラ主催のパーティー翌日、株式相場の注目はオクレール商会に集まった。元からバルリエが買い集めしているのを皆が知っていたが、今日は各仲買人に買い注文が殺到し、それがみな貴族からの注文であったため、他の銘柄を後回しにしてでもオクレール商会を買おうという話になったのである。
ほぼすべての仲買人が大きな取引に興奮する中、エマニュエル商会、サリエリ商会、ドローネ商会だけはそうではなかった。
ただ、その内容は違う。
エマニュエル商会は今回はサポート役に徹しており、手張りの枚数も無い。スティーブに言われた株価をあげずに買い戻すのに徹していたため、手数料の利益のみが入っているだけなので、興奮するようなものでもなかった。
サリエリ商会については、オーロラの指示でロストワックスに使う材料を扱う商会の銘柄を仕込んでおり、今回のオクレール商会の株を買えなかった連中が、連想買いをするように仕向けなくてはならないため、この熱気をうまく利用しなければという緊張感があった。
ドローネ商会は買い戻し注文が通らずどうしようと青い顔であった。
三者三様である。
本日、スティーブはクリスティーナと一緒に証券取引所に来ていた。エマニュエルも同行している。
証券取引所はアリーナのような作りになっており、一階の広いフロアで取引が行われ、二階の観客席のようなところからその様子を見学できる。
大きなボードには各銘柄の株価が書かれているが、オクレール商会の株価は本日は未記入であった。
買い注文が多すぎて取引が成立しないのである。
スティーブたちはそれを観客席から眺めていた。
「まずは計画通りの値動き、おめでとうございます」
エマニュエルがそう言うと、スティーブは首を振った。
「売り抜けるまでは安心できないよ。値がついたら即座に売り注文を出して欲しい」
「承知いたしました。バルリエ殿がどこまで売り出さないかですが、この様子であれば明日も取引は成立しないでしょうね」
スティーブは今度はエマニュエルの言葉に頷いた。そして、隣のクリスティーナの方を見る。
「今回はクリスの働きも大きかったね。助かったよ」
「いえ、妻になるものとして当然のことをしたまでです。ただ、社交界で笑顔の裏で他人を堕とそうとするのは、ちょっと難しいかなって思いました」
「ま、閣下みたいに性格の悪いクリスは見たくないしね」
「聞かなかった事にしておきます」
クスクスと笑うクリスティーナと、なんていうことに巻き込むんですかというエマニュエルの顔が対称的であった。
エマニュエルはきょろきょろと周囲を見回して、今の会話を聞いていた人物がいないか確認をした。これがもしオーロラの耳にでも入ったら、貴族ではないエマニュエルはどうなるかわかったものではないからだ。
一方その頃サリエリ商会はロストワックス関連銘柄の上昇を演出して、徐々にオーロラの含み益を伸ばしていた。オクレール商会の株が取引成立するまでは、代替品としての需要があるので株価は上昇しやすい。
これについてはスティーブは前から関わるつもりも無かったので、サリエリ商会のお手並み拝見という観戦モードであった。
そして、スティーブがここにやって来た本来の目的。ドローネ商会の方は市場外取引に応じてくれる仲買人を必死に探していた。
しかし、筆頭株主のオクレールから株を調達してしまい、それをドローネ商会に吸収されてしまった今となっては、加えて、買いが多すぎて取引が成立しない状況では、ドローネ商会に株を売ってくれる者などいなかった。
同時刻、トンプソン男爵はオクレール商会の株を嵌め込んだ貴族たちに、まだ持っているようなら売ってくれという書簡を書いていた。
だが、そちらについても初期の段階でバルリエが買い取っていたので、無駄な努力である。ただ、トンプソン男爵がその事実を知らないだけだったのだ。
嵌め込まれた貴族たちも、その書簡を見る事で少しは気も晴れることであろう。
「ま、持っていれば儲かったのにっていう気持ちの方が強いだろうけどね」
と、蜘蛛を通じてトンプソン男爵を監視していたスティーブは、その様子をクリスティーナとエマニュエルに話した。
「お義兄様みたいに、ドローネ商会に株を貸していれば儲かったのでしょうけどね」
「そうだね。だけど、義兄殿みたいに助ける理由もないから、そこは仕方ない事だよ。何名かはドローネに株を貸したみたいだから、その人たちは笑っている事だろうね」
「それで、妻になるものとして気になるのは、今回の我が家の利益なのですが」
クリスティーナはスティーブから今回の利益についてきいていなかったので、この機会に質問をしてみた。
「閣下からの依頼で金貨一万枚と追加移住者の許可。これに株式の売却益が加わるけど、そちらはそんなに多くはならないだろうね。それに、閣下からの依頼金はバルリエの経費にもあてているから、トータルで考えたら、金貨八千枚くらいがいいところかな」
「バルリエ商会の経費とはどのようなものがあるのですか?」
「ドローネに嵌め込まれた貴族たちから株を集めるのに、手ぶらで行くわけにもいかないよね。今回は僕からバルリエに持ちかけた話だから、その辺の経費はこちらで負担したんだ。それに、バルリエが土産をけちって失敗されても困るしね。それと、ニックと一緒にロストワックスの試作を繰り返したから、その分の費用も入ってくるね。全体からしたら微々たる比率だけど」
スティーブとニックが行ったロストワックスの試作は、カスケード王国の一般的な工法であり、現代日本のようなロウ型を作るための高価な金型を作るわけではない。だから、そこまで金額はかからないのだ。
これが金型の作成となった場合は、大きさにも比例するが百万円は超えてくることだろう。ドラゴンの像のサイズともなれば、それこそ一千万円でも収まらないはずだ。
今回、スティーブは別にそこまでの物を作る必要は無くて、ロストワックスでドラゴンの像を作る事が出来るのかを確認するだけで良かった。相手を騙すにあたり、話に現実味がある必要があり、その検証をしたかったのだ。
「大掛かりな準備をしたけれど、利益としては銅相場の方が大きかったというわけですね」
「ま、あの時は僕が自分でやっていたっていうのがあるからね。銅も閣下に買ってもらっていたし。今回は表の主役であるバルリエが、その利益の多くを持って行くから仕方が無いよ」
スティーブは肩をすくめるジェスチャーをしてみせた。
銅相場の時は、スティーブの魔法で作り出した銅に高値がついた。元手が掛かっていないから儲けも大きかったのだ。
それに、取引量を無限に作り出すことが出来た。
それに対して株式取引では、発行済み株式数という上限がある。ドローネの空売りにしても、株を借りてきて売っているので、売る事が出来る上限はある。
バルリエがどこまで株価を吊り上げて売り抜けるかにもよるが、良いところ底値から30倍程度であり、自身の売りで株価が下がることを考慮すると、まるまるの利益とはいかない。
それでも、トンプソン男爵とドローネにとっては再起不能となるような痛打なのだが、それが利益を増やせない原因でもあった。カーシュ子爵と比べて二人の資産が少ないため、がっぷり四つに組んだ仕手戦とならなかったのである。
二人の資産があれば、スティーブとバルリエは自分達の株をさらに担保に入れて、それをドローネたちに売らせたはずだ。
オーロラの目的は自分の名前を使った者への制裁。中途半端な損失ではそれは達成できない。しかし、損失金額も人それぞれであり、例えば今スティーブが金貨10万枚の損を出したとしても、再起不能になるようなことは無い。
しかし、トンプソン男爵とドローネはその損失が出ると致命的なのである。
「さて、これですんなり幕引きとなるといいけどねえ」
「まだ何か、相手に逆転の手段があるのでしょうか?」
「あるよ。バルリエを誘拐して、自分達の売り値以下で株を売り渡す約束をするまで監禁して、痛めつけるとかね」
「そのようなことが……」
驚くクリスティーナだったが、エマニュエルは当然のリスクであり、驚くことなく頷いていた。
その日はそこまでで、証券取引所を後にする。
翌日も値がつかない状況となって、いよいよトンプソン男爵は焦っていた。
彼は執務室に領軍の幹部を呼び出していた。ソーウェルラントでの男爵の護衛が主な任務であるが、時には裏の仕事もこなす男である。
姓はロナガン。屈強な体格で、一目でその実力がわかる。
「ロナガン、ひとつまた仕事を頼みたいのだが」
「承知いたしました。何なりとお申し付けください」
「うむ。実は今ドローネのやつに騙されて、株取引で大損をしそうなのだ。
「それでは、ドローネを痛めつければよろしいのでしょうか?」
「いや、ドローネを痛めつけたところで損は消えぬ。俺に損を与えている原因の、バルリエ商会の会頭の身柄を拘束して、こちらの損を取り消しにするような交渉をしたいのだ」
バルリエ商会と聞いてロナガンの目つきが険しくなる。
「あの辺境伯家の飼い犬であるバルリエですか?」
「そうだ。なので身柄を拘束するにあたり、完璧を期したいのだ」
「ふむ、かなり危険な仕事ですね。となると、監禁場所もここではなくて、別の場所ということですか」
「万全を期してだな。仮に逃げ出されたとしても、誰が犯人なのかわからなければ問題は無い。開放するにしても同じだ。女狐に察知されては面倒だ」
女狐とはオーロラのことである。
トンプソン男爵はここが監視されているとは思わず、いつも通りオーロラを卑下して呼ぶ。それを蜘蛛を介して見ていたスティーブは面白いことを考え付いた。
そんなことになっているとは夢にも思わず、トンプソン男爵はロナガンに命令を出した。
「すぐに取り掛かれるか?」
「今から下見をしまして、今夜にでも実行いたします。裏仕事の為にソーウェルラントにいくつか拠点がありますので、そちらのうち一番良いところを使いましょう」
ロナガンもたかが商人ひとりをさらうのに、大した困難もないだろうと思っていた。ただ、背後にオーロラがいるので、バレないようにだけ気をつければと思っていたのである。
さて、それを見ていたスティーブも彼らを待ち受けることになった。バルリエに直ぐに事情を伝え、自宅に同行してロナガンを待つ。
バルリエ邸は低い壁に囲まれており、門を抜けると庭があって、その先に二階建ての家屋がある。特に門番はおらず、バルリエの家族と三人の使用人が住んでいた。
「しかし、随分と思い切った行動にでましたね」
バルリエはスティーブと向かい合ったテーブルで、椅子に掛けてそう言うとお茶を飲んだ。
「それだけ必死なんでしょ。閣下にばれた時のリスクを考えたら、普通はバルリエを襲撃しようなんて考えないよ」
「そうでしょうな。いくら覆面をしていようが、私を誘拐して株の売り出しを要求すれば、犯人は直ぐにわかりそうなものですが、その判断も出来ないほど追い込まれておりますか」
「知っているくせに。相手の資金の把握は仕手戦の基本。今のトンプソン男爵とドローネの苦しさはわかっているでしょ」
スティーブはバルリエに笑顔を向けると、ティーカップを手に取ってお茶を飲んだ。
「ここまで値がつかなければ焦りもしますなあ。私もそうやって監視されていたのでしょう」
「あの時は閣下がそうした情報の把握をやっていたから、僕はバルリエがどれくらい追い込まれているかは細かくは把握していなかったよ。当時は探る手段が無かったからね」
銅相場の時は、スティーブはまだ偵察を出来る魔法を使えなかった。加えて、誰かに調査を依頼するようなお金も無かったので、全てオーロラにお膳立てしてもらっての仕手戦だったのだ。
バルリエはどうにもそれが信じられなかったので、スティーブが理由があって真実を隠していると思っていた。が、それならばそれで良いと考え、それ以上は何も聞かなかった。
「しかし、こうしてこちら側に国内最強の魔法使いである閣下が護衛についていただけるのは心強い。これなら相手は家族に指の一本も触れられないことでしょう」
「それは本当の本尊である僕の代わりに、本尊として前面に出てくれたバルリエに迷惑はかけられないからね」
「そうですな。そして、それが私自身が本尊となる事が出来ない理由でもありますな。貴族相手の仕手戦となれば、守備することが出来ませんので」
「ソーウェル辺境伯という看板があるじゃないか」
とスティーブがバルリエに言うと、バルリエは首を強く振った。
「やはり、自分だけの力でもう一度大きなことを成したいのですよ。どこかの貴族の力のお陰で大きくなれたと言われず、バルリエは実力があったから大きくなれたと言われたい気持ちがあるのです」
「その気持ちはよくわかるよ」
スティーブも前世では大企業との取引があった。すると、同業者からあそこの工場は大手と付き合っているから仕事があるんだとかいうやっかみがある。そうではなくて、実力があるから大手が仕事を依頼してきたんだと認められたいと常に思っていた。
量産部品も受注するが、独自設計の治具・設備も製作出来て、だから大手と付き合えるんだと一目置かれるような会社になりたかったのである。
気持ちのこもったスティーブの相づちに、バルリエはフッと笑った。
「本当に閣下が未成年だというのは信じられませんな」
「この外見は偽りのものではないんだけどねえ」
「今の年齢で既にこの高みにおられるのでは、成人されたらどこまでのぼられるのかわかりませんな」
「ここで頭打ちかもしれないよ」
「そうだとしても、常人の域を脱しておりますが」
「どうだろうねえ。世の中は広いよ。カスケード王国の普通が、外国では普通じゃないかもしれないからね」
まさか転生したおかげで、知識が底上げされているとは言えず、スティーブは適当に誤魔化した。
その後、バルリエは家族が心配しないように普通の生活をし、スティーブはバルリエが用意した一室で、ロナガンの襲撃を待った。
深夜12時を回ったころ、ロナガンと二人の部下、合計三人がバルリエ邸に来襲してきた。三人とも黒ずくめの服装で、顔も布で覆っており誰なのかはわからない。
スティーブはそれを感覚を共有した猫の目を介して見ていた。