47 ドローネとトンプソン男爵の空売り
オクレール商会の仕手戦はバルリエが名前を出したことで、提灯筋にも動きが出てきた。バルリエがオーロラの手下となっていることは公然の秘密であり、そのバルリエがオクレール商会を仕掛けているのであれば、何か大きな材料があるのだと考えて、バルリエに提灯をつける者が出てきた。
その買いに売りをぶつけているのが、ドローネ商会であった。ドローネ商会は仲買人であったが、売り注文はどうやら手張りらしいという噂が広まり、こちらにも提灯がついた。
ドローネ商会が調達した空売り用の株は、バルリエに売らなかった貴族のものであり、そこにはスティーブの義兄であるパーカー準男爵の持ち株も含まれていた。
空売りといっても無い株を無限に売るネイキッドショートは出来ない。それが出来てしまうと株主名簿がぐちゃぐちゃになるためである。売る側と買う側が無限に資金があった場合、ネイキッドショートが実行されると株主が発行済み株式数以上になってしまう。そうなると、経営権は誰のものかというのが問題になる。そこが先物取引と違うところだ。
なので、ドローネ商会も空売りするための株は、株主から借りてくる必要があった。
ドローネはトンプソン男爵が保有するソーウェルラントのタウンハウスで男爵と密会していた。
「閣下が仕入れて来た、オクレール商会が辺境伯閣下との取引を開始する事はないという情報のお陰で、株価は頭打ち。バルリエとその提灯が買い支えているようですが、本尊のバルリエが資金難でサリエリ商会やエマニュエル商会に金を借りている状況ですからな。で、担保にオクレール商会の株を差し入れるも、両商会がそれを市場で売ってしまっているので、買い支える株は減らない状況です」
「サリエリ商会が売りに回っているのが何よりの証拠だな。まあ、辺境伯閣下にも探りを入れたが、そのような動きは無いときっぱりと否定された。ここいらで、更に空売りを入れたいと思うが、株の調達は可能か?」
トンプソン男爵は色気を出して更に売り増ししようと考えていた。
ドローネは頷く。
「オクレール商会の会頭に話をつけてあります。彼としても今の株価は異常で、直ぐに下がると思っているので、5%の金利をちらつかせたら直ぐに頷きました。なにせ、持ち株を自分で売れば、経営権が更に薄まりますから、表立って売ろうとはしないのでしょう」
市場に出回る株が少なくなってきたので、ドローネは筆頭株主のオクレール商会の会頭から株を調達することを画策していた。
トンプソン男爵に言われなければ、自分で売ろうと思っていたのである。
「経営者も売ろうとする株を買い支えるとは、バルリエも引き際を誤ったな」
「同じ銘柄でこちら以上の成功をされては、今後の商売にも関わります。派手に失敗して欲しいものですな」
「そうなれば、こちらの利益も跳ね上がると」
「ええ」
トンプソン男爵とドローネは、バルリエの失敗で利益も得られるし名誉も守られると思っていた。
この時既に、ドローネが嵌め込みをした時の倍まで株価が上昇しており、このままバルリエに利食いされてしまっては、面目丸つぶれとなる。
その思いがオクレール商会の会頭からの貸株調達へと突き動かした。
ドローネはグフフと笑う。
「バルリエは一度銅の相場で失敗しております。ここで再起を図りたいと焦ったのでしょうな。本来売り抜けるべきところで買い増しなどとは」
「カーシュ子爵のところから辺境伯閣下に寝返って、その後大きな手柄も無かったことだし、焦りはあったであろうな」
ドローネの言葉にトンプソン男爵も大きく頷いた。
オーロラの温情で仲買人の地位は継続しているものの、何の役にも立たないのであれば、オーロラに見捨てられると考えるのは当然。
これはドローネやトンプソン男爵でなくても思っていた事であった。
だからこそ、この相場を成功させると考えている者もいるし、無理しすぎているから成功しないと考えている者もいた。
「一先ず貸借契約は二か月間となっておりますので、それまでに破産してくれるとよいのですが」
「そういえば三週間後に辺境伯閣下主催のパーティーがあったな。そこでわしが皆に伝わるように辺境伯閣下の言質を取って見せよう。そうすれば、直ぐにその噂は広まり、売りにつながるであろう」
「では、それまでに値を崩さぬように高値で売るようにいたしましょう。バルリエには精々買い支えてもらいませんと、空売りをしても値幅がとれませんからな」
二人の会話はやはり室内の蜘蛛によってスティーブに筒抜けであった。
スティーブはその情報を持ってバルリエを訪ねる。
「ドローネはオクレール商会の会頭から株を調達したようだね」
「ええ、会頭からそのように聞いております」
「会頭も隠さずに伝えてくれるところを見ると、裏切るつもりはないようだね」
「閣下のことですから、オクレール商会の会頭も監視されているのでしょう?」
バルリエはスティーブが関係者を監視していると考えていた。だから、スティーブが言っているのは全て把握してのことだと思っていた。
そして、それはその通りであった。
「ま、監視というか保護のためだね。相手が株価を下げるために、オクレール商会の会頭を襲撃する可能性だってあるじゃない」
「そうですな。私以外にも襲われたら株価が下がる人物でした」
バルリエは手のひらで額をぺちぺちと叩いてみせた。
「それと、貸借期間は二か月間だっていうのも伝わっているだろうけど、奴らは三週間後の閣下のパーティーで、新規の商会との取引をしないつもりだと、公衆の面前で言質を取るつもりらしい。それまでに全部株を売るつもりだ」
「それを買い切るだけの資金はありませんが」
「無担保で僕が融資するよ。ついでに、僕もバルリエに提灯をつける形で株を買っていく。サリエリ商会とエマニュエル商会にも、担保の株を買い戻すように伝えておくよ。ただ、一気に買い戻すと相手も気付くだろうから、細かくだけどね。でも、それで相手が値を崩さずに高値で空売りを出来ていると勘違いしてくれたらいいね」
ニコニコしながら話すスティーブに、バルリエは目を細めた。
「閣下のことですから、相手が勘違いするように仕向けるのも簡単でしょう」
「相場に簡単なんてないよ。簡単ならそれを本業にしているから。工場を経営している方がよっぽど楽だ」
そう言ってスティーブは少し考える。
「いや、どっちも楽ではないな」
「楽ではないでしょうが、閣下を見ているとどちらも楽しんでおられる」
「そうかなあ」
それはスティーブ自身が気づかぬことであった。
しかし、バルリエの言っている事は正しい。前世では工場の立て直し途中で息を引き取り、楽しいという感覚は無かった。
それが今は領地の立て直しが順調に進んでおり、やりがいを感じているのと同時に嬉しさもあったのだ。
「私は若い頃から商人しか知りませんので、工場の経営というのはわかりませんが、利益を出そうとするのは商人も工場も同じこと。利益が出ている時は楽しいものです」
「言われてみるとそうかもね。これで赤字経営になると、なんでこんなことを始めたのかって悩むんだろうなあ」
「その時投げ出すかどうかで人の本質が出るのだと思いますよ。逃げてしまえばもう二度と同じ商売は出来ません。私が言うのもなんですが、商売は信頼で成り立っていますからね」
「それは実感しているよ」
スティーブは前世の債権者のことを思い出していた。銀行や親戚からお金を借りており、商売をたたんで自己破産してしまえばその人たちに顔向け出来ないと思っていた。
法律上は問題なくとも、人の心は法律だけで動くわけではない。
合法だからといって、債務の返済免除を納得してくれる人などほとんどいないのだ。
「若いうちから苦労していると、老けるのが早いですよ」
スティーブの前世を知らぬバルリエは、スティーブが今悩んでいるのだと勘違いしてそうアドバイスをした。
「僕が早めに禿げたら、クリスが悲しむかな」
「閣下ほどの人物であれば、髪の毛の有無など関係ないでしょう」
「だといいけどね。今度聞いてみよう」
最後は髪の毛の話となり、スティーブはバルリエ商会を後にした。
続いてスティーブがやって来たのはエマニュエル商会。
ここで会頭のエマニュエルが出迎えてくれる。
「本日はどのようなご用件でしょうか」
「あれの件できた」
「承知いたしました。それではこちらに」
あれという伏せた言葉でエマニュエルは重要な話だと理解し、いつもの小部屋にスティーブを案内する。
「今あれというのであれば、オクレール商会のことでしょうか」
「正解。いよいよドローネがオクレール商会の会頭から株を調達して、本格的な売りを仕掛けてくる。エマニュエルはバルリエから差し入れられた担保の株を買い戻してほしい。それと、僕名義でオクレール商会の株を買って。ただ、相手にそれと悟られないように、一気に買うのではなくて、少しずつ買ってほしいんだ。期限は三週間以内。そこで締めくくりだからね」
「承知いたしました。いよいよですか」
「今回はエマニュエルには手数料くらいの儲けしか出させてあげられなくて悪かったね」
「いいえ、利益が出ているので気になさることもございません。ノーリスクで利益が出るのですから、こんなに楽な事はないですよ」
今回エマニュエル商会には銅相場の時のような利益はない。しかし、ドローネとトンプソン男爵を騙すために、サリエリ商会とエマニュエル商会は利益がでるような動きはさせなかったのだ。
利益を増やすためには、ドローネとトンプソン男爵の空売りに、うまく担保の株の買い戻しを合わせるくらいしかない。顧客の大口注文を捌くさいに、自社の利益も確保する証券ディーラーみたいなものである。
「少々気になるのが、サリエリ商会がここ最近鋳物の材料を扱う商会の株を買っていることでしょうか。他にも船会社と服飾関連の商会とかも買っているのですが、どうもそれらは鋳物の商会を買うための目くらましのような気がいたしまして」
「ふーん」
エマニュエルの話を聞いてスティーブはピンときた。
「それは辺境伯閣下の注文だね。それには手を出さない方がいい」
「邪魔をすると罰を受けるのでしょうか?」
オーロラの狙いはスティーブの仕上げに乗じて、自分の利益を最大化すること。しかし、あくまでもメインはスティーブであり、オーロラ自身が相場を仕掛けるような事はしない。
つまり、売り抜けが早いという事だ。
そちらの方もアシストして、スティーブとエマニュエルが売り抜けるようにすることも出来なくはないが、欲は身を亡ぼすと考えていた。
「いいや、閣下の餌になるだけだよ。猿猴月をとる。身の丈に合わない欲は身を亡ぼすからね」
「一度竜翼閣下の身の丈を測ってみたいものですがね。成人前でありながら武功を立て、竜翼勲章を受勲しており、事業も相場も敵なしとなれば、どれほどの身の丈がおありでしょうか」
エマニュエルがスティーブに対しておどけてみせた。
「そうでもないよ。いつだって計画以上の利益は追ってない。臨機応変に対応出来るような能力は無いからね」
「確かに、閣下はいつだって計画通りです。その計画が完成されているものだからという事もありましょうが」
「そうでもないよ。落としどころを決めているだけだって。そこから先は計画外。ならばやらないのが正解でしょ」
スティーブは計画を変更してまで追加の利益を狙わない。それが大きな失敗をしない秘訣であった。仮に、フォレスト王国との戦いで更に領土の拡大を目論んでいれば、広がり過ぎた戦線を維持できずに押し込まれていただろう。なにせ、スティーブ一人が攻撃の駒である。
短期間で王城を占拠して、早期講和が実現したからこその今の繁栄があった。
エマニュエルは自分がスティーブと同じ能力を持っていたとして、あの場で止まる事が出来たかという自問自答に、否の答えを出していた。
大人ですら自制できないのに、目の前の子供は平然とそれをしている事への畏怖。常にそれがあるのである。
「人間中々欲を自制出来ないものです。特に、損をした時よりも儲けそこなった時の方が悔しいので、どうしても余計な利益を追求してしまうのです」
「まあそうだろうねえ。だからこそ、値上がった株や商品に飛びつくのだろうし。適度に利食いしていける人が多ければ、そもそも仕手戦なんて成り立たないからね」
「おっしゃる通りです。では、私は明日からドローネとトンプソン男爵の欲望を思いっきり引き出すといたしましょうか」
エマニュエルは目の前の人の心を理解している少年に少しでも近づこうと、そう約束して自分にノルマを課したのであった。
そして、翌日からはサリエリ商会も参加しての買い戻しがはじまる。
本来は大規模な買い戻しで株価も上がる所だが、筆頭株主から株を調達したドローネが、どんどん売ってくるので売りが尽きることは無かった。
そこから三週間、お互いがリミットと決めていたオーロラ主催のパーティーの日まで、オクレール商会の株は大商いが続いたのである。