46 価格破壊の尻拭い
スティーブは工業ギルドの長、アルフォンソ・シモンチーニと会談するために、エマニュエル商会で相手が来るのを待っていた。
会談の内容はエマニュエル商会が販売しているアーチボルト製の格安家具について。既存の家具のように、職人が各家庭に合うように一つ一つ作っていくのではなく、決められた規格で大量生産することで価格を安く抑えている。
安い家具には需要があり、売れ行きも好調ではあったが、それは裏を返せば家具職人の仕事が減ったということである。組合員を守るべく、ギルドが動くのも当然のことであった。
会談をするにあたり、スティーブはエマニュエル商会を指定した。ソーウェルラントの工業ギルドなので、アーチボルト領まで来てもらうには遠く、相手のところに出向くのでは交渉の主導権を握られる可能性が高いので、エマニュエル商会を指定したのだった。
スティーブとエマニュエルはいつもの小部屋ではなく、本日は応接室で相手を待っていた。
「しかし、正直会談をセッティングするように指示が出るのは意外でした。相手は平民ですから、アーチボルト家が取り合わないという選択肢もあったかと思いますが」
シモンチーニを待つ間、エマニュエルは疑問だったことをスティーブに訊いた。
平民の陳情など相手にしない貴族が多いのに、スティーブがこうして話をする機会を作ったことが意外だったのだ。
スティーブとしては、前世で散々安い海外企業の参入に苦しめられたので、相手側の気持ちもわかるから話位は聞いてもいいと思っていた。ただ、価格カルテルによって守られている産業はいずれ衰退するので、その考えを改めさせるつもりでいた。
例を挙げれば、1000円カットの登場で昔ながらの床屋が窮地に追い込まれたことであろうか。
床屋も組合があって、そこで値段を決めて一律としていた。しかし、そこに組合に属さない格安の店舗が登場したことで、一気に苦しくなったのだ。
逆に関税をかけていない自動車については、常に海外との戦いを強いられた結果、強いところのみが生き残る事になった。農業などは安い海外産に押されていたが、付加価値を付けて逆に海外への輸出を伸ばしたものもある。
そうした経験から、工業ギルドは甘えていると考えているのだ。
「共栄は難しいかもしれないけど、共存する道くらいは示してあげようと思ってね。それに、足元の産業がガタガタになるのは、閣下も望んではいないでしょう。今はまだ目をつけられるのは避けたいからね」
「その発言は、将来的には目をつけられても構わないと聞こえますが」
エマニュエルはスティーブを見て意味深にほほ笑む。
「アーチボルト家が伸びていけば、どうしても目は付けられるだろうからね。閣下からしたら、お金はどれだけあってもいいんだろうけど、軍隊が充実したらどうなるだろうかねえ」
「危険な発言ですな」
「密告する?」
「まさか。私がここまでになれたのも竜翼勲章閣下のおかげですよ。むしろ、そこまで大きくなる将来を見据えているのであれば、今後とも良いお付き合いをしたいのです」
最初は頼りなかった商人のエマニュエルも、商会規模が大きくなるにつれて考えも大商人らしくなってきた。
ここでは口には出さないが、期待を裏切る様であれば、いつでもオーロラの方に乗り換えるという意味を含ませた物言いとなっている。
そんな会話をしていたら、従業員がシモンチーニの到着を告げに来た。
エマニュエルが入室を許可すると、髪の毛一本も無い初老の男性が入ってきた。シモンチーニである。
元々木工職人であり、年齢を理由に引退をしたが、現役当時についた筋肉は衰えておらず、素手で野犬くらいは殺してしまいそうな体つきをしていた。
「竜翼勲章閣下をお待たせしてしまい申し訳ございません」
「いや、約束の時間より早く来たのはこちらの責任だから、そこは問題ない」
スティーブはいつものように丁寧な言い方はしない。あくまでも貴族と平民という身分の差があることを示す。
スティーブは挨拶もそこそこに、シモンチーニを椅子に座るように促し、話し合いを始める事にした。
「それでは本題に入ろうか。こちらで作っている家具の価格について、安すぎるという事らしいが、それで間違いはないか?」
スティーブは直ぐに本題に入った。特に腹の探り合いをするような相手では無いため、余計な時間を掛けたくなかったのである。
「ええ、その通りでございます。我々の家具に対しておよそ2割程度の価格で販売されては、仕事を奪われてしまいます」
「それはそちらの都合であって、価格は客の需要によって決まる。うちがエマニュエル商会に卸している家具は、職人の手作りと違って各家庭の事情に合わせて作るような事はしない。それに、安くするために作りも簡素化している。丸と四角の単純な形状で、とてもじゃないが貴族が家に置くような代物じゃあない。百年後でも使われるような代物じゃないんだ。それと職人の作った家具が同じ値段でいいわけないだろう」
スティーブの前世、曾祖母が嫁入り道具で持ってきた桐の箪笥は、百年後でも使われていた。しっくりとした組み合わせの為、抽斗を押すと、別の引き出しが飛び出してくる。それでいて、抽斗を押すのは重たくはない。
今の量販店ではそういった箪笥をみかけることはない。
あれこそが職人の仕事だといえよう、とスティーブは考えていた。自分達の作る家具は、粗悪品ではないが、所詮は工業製品であり、寸法公差を満たしていれば良品というものであり、個々の部品のばらつきを調整して完璧なものを作っているのとは違う。
だから、そこに家具職人の生き残る道があると言いたかったのだ。
「おっしゃることはわかります。しかし、腕の良くないものもおります」
「それこそ、買う側への冒涜だろう。腕が悪いけど値段は他と一緒で我慢しろというのか?職人の中にも少し金がはいれば酒や博打と遊びに現を抜かし、技術の研鑽をおろそかにする者もいるだろう。それを良しとするのが工業ギルドなのか?」
シモンチーニはしまったと後悔した。
腕の悪い連中をかばおうとした発言で、スティーブの雰囲気が変わってしまった。怒りの感情を隠すことなくぶつけてきたのである。
目の前の子供が年齢相応であれば、シモンチーニも慌てる事無く対応したであろうが、相手は竜翼勲章。権力も武力も兼ね揃えた存在である。
何も口に出せなくなったシモンチーニを見て、スティーブが今交渉をしているテーブルを指さした。ロココ調の優雅で繊細な曲線のテーブルである。
「ギルド長、このテーブルの出来はどう思う?」
突然話が変わって戸惑うが、なんにせよ話題が変わったことにシモンチーニは安堵した。
「とても良い出来です。これほどまでの良品を購入されたのは、流石勢いのあるエマニュエル商会だと。王都の一流の職人の仕事でしょうな」
シモンチーニの回答にスティーブは満足そうな笑顔を浮かべた。
シモンチーニはそれを見て、正解だったと思った。しかし、次の瞬間それは打ち砕かれた。
「これ、僕が作ったんだよね」
「は?お戯れを。これほどの仕事となれば相当の修行を積まねばなりません」
「そうだよ。だから王都の職人に弟子入りして、作り方を覚えたんだ。テーブルの下を見てごらんよ。竜翼の紋章が刻んであるでしょ。僕の作品だという証拠だよ。家具作りに参入するにあたり、既存の家具の作り方を学ぶのは当然じゃない」
スティーブは家具製作をするにあたり、王都で家具職人の工房を見学していた。その時、作業標準書の魔法で作り方を記録していたのである。そして、身体強化魔法で能力を底上げして作ったのが、このテーブルという訳だ。
シモンチーニが戯れと判断するのも仕方のないことであった。
「信じる信じないはいいけど、僕が本気を出せばこういう家具を作る事が出来るんだよ。ただ、それをしてしまえば、ソーウェルラントの家具職人は完全に職を失うから、そこには手を出していない。ギルド側が今後も努力もせずに価格を維持しようとするなら、こういった家具にも進出して客を奪うこともするがどうする?」
ここにいたっては完全にスティーブのはったりであった。スティーブはこうした家具を苦も無く作る事が出来るが、工場の作業者では無理であった。
ただ、仕事に対して甘えのあるギルドに対して発破をかけたかったので、こうしたはったりを見せたのだ。
ここにいたってシモンチーニは悩んだ。
スティーブの言い分には理があり、ギルドに守られた職人の怠慢は一部目に余るところがある。
悩んで黙っているシモンチーニに対して、スティーブは譲歩を見せた。
「それに、安い家具に参入するというのなら、うちの工場を見学すればいい。僻地の我が領地ではどうしても距離分の費用がかさむ。仕入れにしても、売るにしてもね」
「よろしいのですか?商売敵ですが」
「どうせ作り方なんていうものはそのうち広まってしまうからね。ただ、どの程度の公差で作っているかは秘密だけど。うちだって家具のぐらつきの許容範囲は事前に試作して、市場で評価してもらっている。そこは自分達でなんとかしてほしい」
「安い家具は職人のプライドもあるから難しいでしょうが、高級路線ならば納得する者もいるでしょう」
「うちのメイン商品である玩具も、最近では高級品に参入してきた工房があって、売り上げを食われているんだよねえ。だからといって、こちらはそれに圧力をかける様な事はしていない。住み分けだね。ま、ギルド員の説得はよろしく頼んだよ」
「はあ……」
スティーブの言うように高級玩具の出現で、アーチボルト領の玩具の売り上げは食われる部分もあった。しかし、それについては最初から想定しており、だからこその商品の多角化を目指しているのである。
そうした事実を突きつけられて、シモンチーニは反論することが出来なかった。そして、ギルド員の説得を約束させられた。
シモンチーニ自身は腕の良い職人であり、スティーブに見せられたロココ調のテーブルで、もう一度家具を作ってみたいという気持ちが湧いてきた。
そこに、ギルド長としての仕事が課せられ、気持ちはとても重たかった。もう一度職人としてやってみたいが、ギルド員の説得を投げ出すのは責任感が強いシモンチーニには許せなかった。
結局その日、シモンチーニはスティーブにギルドの要求を通せず帰路についた。
工業ギルドに戻ったシモンチーニを、多くのギルド員が待っていた。
その光景にシモンチーニは驚く。
「これはどうしたことだ?」
「ギルド長がお貴族様に痛めつけられるんじゃないかって心配で、みんな待っていたんですよ。少しでも痛めつけられていたら乗り込もうって話をしていたんですが」
一人の職人がそう言いながら、シモンチーニの体を眺めた。
「御覧の通り、怪我なんかさせられちゃあいない。いや、むしろそうされていたほうが何倍も気楽だったな」
「どうしたってんですか?」
「実はな――――」
シモンチーニはエマニュエル商会でスティーブに言われた事をギルド員に話した。その場に居たギルド員たちは、思いもよらぬスティーブからの説教のような言葉に反論できずに黙ってしまう。
「そういうわけで、高価格でいくか、低価格でいくかは強制しないが、どちらも選ばないならば他の職を選んでもらう事になるだろうな」
「耳が痛いことばですね」
「それをずっと聞いていた俺の気持ちがわかっただろう。殴られた方がよっぽど楽だったよ」
こうして工業ギルドからのクレームは解決した。一部の不真面目な職人はこれにより職を変えることになったが、ギルド員たちも彼らの素行を良く知っていたので、スティーブを恨むような事はしなかった。
そして、やる気のある一部の職人たちはスティーブに仕返ししようと、知育玩具に参入することになった。
後にそれをシモンチーニから聞いたスティーブは、商売敵が増えたにもかかわらず、嬉しそうにしたのであった。