40 結婚
戦勝式典も終了し、王都でのあれやこれも解決したので、スティーブは家に戻ることになった。シリルとアイラは結婚までの間、王都でやる事があるというのでしばらくは残ることになった。
シリルがアーチボルト領にいない事で、王立研究所への報告は滞る事になるが、そうなっても構わない位に、スティーブが色々と研究対象を置いてきたので、研究所としてもシリルの休暇はすんなりと許可した。
スティーブが領地に戻った途端にオーロラからの呼び出しがある。ブライアンに呼ばれて執務室に出向いた。そこには家族とコーディとベラがいた。
スティーブには、その目的はおおよそ見当が付いていた。
「閣下からの呼び出しですか」
「うむ。直ぐにとのことだが、心当たりはあるか?」
ブライアンに訊かれてスティーブは頷く。
「マジックミラーかトロッコの事でしょう。王立研究所も研究員不足で全ては研究出来ませんから、閣下が先にその手柄を欲しいのではないでしょうか」
息子の意見にアビゲイルが残念そうな顔をした。
「スティーブちゃんは本当に女心がわかってないわね」
その言葉にシェリーとクリスティーナとベラが頷いた。
「母上は閣下の目的がわかるのですか?」
「勿論よ。目的はシールズ家のお嬢様の結婚についてのことよ。彼女、スティーブちゃんのことを狙っていたでしょう」
「狙ってましたっけ?」
クリスティーナがいるので、そこは敢えて知らないふりをするスティーブ。それはそれとして、ダフニーのことを訊かれるとは思ってもいなかった。
「クリスちゃんには悪いけど、うちの子はもてるわねえ。そして、鈍いのが問題。鈍くなかったらもっと女性を泣かせているかもしれないけど」
「その辺は父上から教育されませんでしたからね。まあ、女性を泣かせるのは騎士道に反するとは言われていますが」
「ああ、可哀想なクリスちゃん。うちの子にはこういった事もしっかりと教育しないとね」
アビゲイルの言葉にシェリーとクリスティーナが強く頷く。ベラはスティーブが何人夫人を娶ってもいいと思っているので、女性事情には寛大であった。
「閣下をあまり待たせる訳にもいかないので、今から行ってきます」
状況が思わしくないので、スティーブは逃げるようにソーウェルラントに転移した。そこでエマニュエルの商会に顔を出したかったが、オーロラの呼び出しを優先してそちらに向かった。
尚、今回の転移先はソーウェルラントにあるアーチボルト家のタウンハウスである。時折顔を出してタウンハウスの様子を見るようにとブライアンに言われていた。こうすることで、使用人達に緊張感が生まれるというのである。
突然出現したスティーブであったが、使用人達も慣れたもので驚きはしなかった。いつものように挨拶をして、食事や風呂の用意についてうかがう。それが不要だとわかると日常業務に戻った。
スティーブはそこからオーロラの居城に転移するのではなく、町を歩きながら観察した。
町は戦勝と金融改革で好景気に沸いており、物が飛ぶように売れていた。
「不味いなあ。このままだと反動で不景気がやってくるかな」
スティーブは独り言ちる。
戦争に勝って賠償金も入ってくるし、雰囲気的にも財布のひもが緩みやすい。そうして人々がお金をバンバン使うと、需要を先食いしてしまうので不景気がやってくる。さらに悪いのは需要の先食いをわからずに、設備投資してしまう事。
需要と供給が逆転すれば、今度は安売り合戦になってしまう。
一見、安売りは良い事のようにも思えるが、デフレは経済を縮小させていく。アーチボルト領の工場は生活必需品を作っている訳ではないので、不景気になれば真っ先に購入を削られるのは明白。
ましてや、好景気で子供用のおもちゃは飛ぶように売れている。次なる商品で需要を喚起するしかない。そして、それは数年後に確実にやってくるのだ。
そんな風に市場の雰囲気を感じながら歩き、オーロラの居城に到着した。門番にオーロラからの呼び出しであることを告げ、取り次いでもらう。
暫くしてハリーが迎えに来た。
「ようこそおいでくださいました。見た所馬車でも魔法でもなく、徒歩のようですが」
「ええ。事情がありまして徒歩で来ました。何か問題でも?」
「はい。竜翼勲章殿を歩かせたとあっては、主人が他人から何を言われるかわかりません。そのような噂で事が動くのが貴族社会ですから」
「面倒なものですね」
「全くです」
ハリーとしては、竜翼勲章のスティーブをぞんざいに扱ったことが醜聞として広がる事を懸念していた。いつものように転移してくるものだとばかり思っていたが、まさか徒歩で来るとは想像もしていなかったので、徒歩はご遠慮くださいという注意をしていなかったのである。
スティーブはそんな面倒な貴族社会とは関わり合いになりたくないと思っていたが、実際には父親の昇爵によって、より深く関わっていくことになる。
そして、ハリーに案内されたのはサロンであった。
「いつもの執務室ではないのですね」
「人目を気にしてですな。ご自身の立場を考えれば当然のことですが」
「話す内容が変わるわけではないんですけどねえ」
再び面倒な事だと思いながらため息をつく。
そうして案内されて中に入ると、そこにはオーロラが待っていた。
「ようこそ竜翼勲章殿」
「閣下におかれましてはご機嫌麗しく、というか、閣下に竜翼勲章殿と言われるのはこそばゆい限りですね。出来れば他の呼び方が良いのですが」
「あら、それなら他の誰かにも竜翼勲章を受勲してもらう事ね。そうすればどちらを指すのかわからないから、そうした呼び方はされなくなるわ」
「候補をご存知ならご教示いただけますと幸いです。出来れば私よりも先に寿命を迎えては困るので、年下で」
「そんな非常識な人物がいると思う?未成年で竜翼勲章だなんて」
「非常識と言われるのは心外ですね」
スティーブとしては非常識といわれるのは心外であった。常識を打ち破る形での受勲ではあったが、それを非常識といわれると、ニュアンスが違う気がしたのである。
「それについてはまた今度ということで。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「近衛騎士団長の娘の結婚についてよ。こちらの情報では彼女は貴方に好意を寄せており、本人はずっと自分よりも強い相手としか結婚しないと言っていた。それが突然意見を変えたとなれば、何かあったわけよね。何か知っているのでしょう?」
「何かというほどでもありませんがね」
スティーブが言葉を濁すと、オーロラの目つきが険しくなった。
スティーブにしてみれば、これから結婚するダフニーの噂も、スカーレットの襲撃も広まるのを防ぎたかったので、誰にも話したくはなかった。オーロラとの駆け引きの危険度を考慮しても、それは変わらなかったのだ。
それと同時に、アビゲイルの予想が当たったのにも驚いた。スティーブはまさかこんな話題で呼び出されるとは思ってもいなかったのである。
「片方は鏡、片方はガラスなんていうものを陛下に献上して、女性騎士の引退のルールを変えるくらいが何でもないわけはないわよね」
「よくご存じですね」
「私、よく見える目とよく聞こえる耳を持っているの」
とオーロラは諜報機関の優秀さを自慢する。これでは話すしかないかとスティーブも諦めた。正確な情報を与える事で、間違った情報を流されなければよいかと判断したのである。
「そうすると、さしずめ僕は良くしゃべる口となるわけですね。本当に大したことではありませんが、お話しましょう」
こうしてスティーブはダフニーのことをオーロラに話した。
一通りのあらましを聞いたオーロラは呆れる。
「それで、クレーマン辺境伯の雇っている魔法使いは約束だけで帰したと。もったいないわね。とても有効なカードだったのに」
「僕としては彼女に瑕疵のある結婚は望まないので」
「そもそもクレーマン辺境伯の娘と婚約破棄している時点で瑕疵はあるわよ」
「そうでした。これ以上の瑕疵を望まないというべきでしたね。まあ実際にこうした面白くもなんともない話はここだけに留めておいていただきたいものです」
スティーブのお願いに、オーロラはフフっと笑った。
「面白くならなかったのは私の情報のお陰だと思わない?」
「それについては感謝しております。閣下のお陰で大きな陰謀に発展し、巻き込まれなかったわけですから」
「そうよねえ。でね、私、子供には感謝は形にするべきだと教えているの」
オーロラはここにきて情報料をスティーブに要求した。スティーブとしても、オーロラの情報があったからこそダフニーを警戒することも出来たし、自分との結婚を諦めさせることも出来た。
それについては感謝をしているのだが、謝礼と言われると何を送るべきか悩む。
「失礼を承知で伺いますが、何をお望みですか?」
「そうねえ、陛下に献上した不思議な鏡を私にもいただけないかしら。魔法を使わなくても相手の本心を覗けそうじゃない」
「承知いたしました。ではサイズが決まり次第ご連絡を下さい。そのサイズで納品いたします」
スティーブはオーロラがマジックミラーの使い方を見抜いていたのを知り、流石は西部地域を取りまとめる領袖だなと感心した。
「それと」
「まだ何かあるんですか」
要求がエスカレートしそうな雰囲気に、スティーブは警戒感をあらわにする。
が、オーロラはそんな様子を気にも留めない。
「服を貸したお礼がまだじゃない」
「その節は大変お世話になりました」
「そうでしょう。あれだけの貴族が集まる場で、みすぼらしい恰好をしていて後ろ指を指されたら可哀想だとおもったのよ」
芝居がかった仕草をスティーブに見せるオーロラ。
それを見せられたスティーブはため息をついた。
「それで、ご要求は?」
「話が早くて助かるわ。聞くところによると、王立研究所は研究対象が増えすぎて、手付かずの研究があるそうじゃない。そのうちのどれか一つをいただけないかしら」
「そういうことでしたら、マジックミラーの製法についてを差し上げましょう」
「あら、魔法じゃなくても作れるのかしら?」
オーロラはマジックミラーは魔法で作るものだと思っていた。
確かに今はスティーブの魔法で作ってはいるが、原理自体は科学である。光の透過率を面によって変える事で、マジックミラーとなっているのだ。
鏡は100%の光を反射してしまい透過率は0となるが、そうではない鏡を作ればマジックミラーとなる。
だが、現在王立研究所ではその研究の優先度は低く、手が付いていないのが現状だ。
「まあ、シリル殿も結婚の準備で忙しいので、合間を縫って報告書のようなものを作ってもらいます。それを閣下にお渡しするのでよろしいでしょうか」
「ええ、十分だわ」
といったところで、スティーブがもう一つ思いついた。
「そうだ、閣下にもクラゲをプレゼントいたしましょう」
「クラゲ?あの海にいる生き物かしら」
「はい。それを畑にまくことで、収穫高が増える可能性があるのです」
「それなら自分のところで使うのが筋でしょう。私にくれるというのは何か裏があるからじゃない」
「ご慧眼恐れ入ります。実際にその通りなのですが、実験をするにも場所が足りないため、閣下にも実験に協力をお願いできたらと思いまして」
クラゲを使った土壌改良の実験は、王立研究所とアーチボルト領で行っている。アーチボルト領では元々収穫量が少ないため、これで失敗した時のダメージが大きく、どうしても小規模な実験に留まっている。
そこで、農作物の収穫量の多いオーロラに手伝ってもらおうという訳だ。
「見返りは?」
「現在クラゲの肥料を作成するのは魔法を使わなければなりません。なので、うちの領地で作った肥料を優先的に閣下にお売りしましょう」
「売るのね」
「そこは仕入れにコストがかかるものですから」
「まあいいわ。上手くいったならこちらにもメリットがある話だし。それに、エアハート侯爵のところの結婚式と、スチュアート公爵のところの結婚式に呼ばれていてお金がかかるの。収入は少しでも増やさないとね。だれかさんのせいで、ご祝儀で破産しそうよ」
オーロラは二つの結婚に関わっているスティーブを見て笑った。