38 結婚とキャリア
スティーブはダフニーが家に来ているので、これはもう逃げられないと覚悟を決めて話をすることにした。
サロンに行くと、そこにはアビゲイルとシェリーとクリスティーナにベラ、アイラがいた。アビゲイルがアイラの教育のために、サロンで相手をもてなすことを経験させるためだ。
「お待たせして申し訳ございません」
「いや、私の方が突然おしかけたゆえ、非はこちらにあります。それに、竜翼勲章殿に頭を下げさせては、父に叱られます」
ダフニーは直ぐにスティーブに対して騎士の礼をする。ここでも竜翼勲章という呼び名は恥ずかしかったが、正式にはこう呼ぶべきであろうことはスティーブも理解していたので、敢えてそれを訂正させるようなことはしなかった。
「それに、師匠でもありますし」
ダフニーが神速の剣を使えるようになったのは、スティーブの指導があったからである。それ以来、スティーブの事を師匠だと思っていた。なので、今回久しぶりにスティーブが王都にやって来て、会えるだろうという事を楽しみにしていたというのもあった。
「それで、今日はどんなご用件でしょうか?」
「実は――――」
と言って口ごもる。
スティーブはそのダフニーの気持ちを汲み取って、アビゲイルたちに退室を求めた。
二人きりになった部屋で改めて訊く。
「どのようなご用件で?」
「実は結婚することになりまして」
そう切り出したダフニーだったが、スティーブの顔に驚きが無いことを不思議に思った。
「驚かれないようですが、ご存知でしたか?」
「ええ、そうした噂話を耳にしましたもので」
「それは、ご報告が遅れまして申し訳ございません」
「いや、気にしなくていいです」
スティーブが気にしなくていいと言うと、ダフニーは残念な気持ちが顔に出た。スティーブはそれを見て、言い方を間違ったなと後悔した。
「それで、結婚の報告に来たのですか?」
「いいえ。結婚をどうにかして断れないかという相談でうかがいました」
「相手に不満でもあるのですか?自分よりも強い相手と結婚したいと言ってましたよね」
「そうではありません。お相手はスチュアート公爵家の長男、アルフレッド・ジス・スチュアート様です。特に悪い噂もなく、非の打ち所がないとは伺っております」
アルフレッド・ジス・スチュアートは現在15歳であり、クレーマン辺境伯の娘との婚約を破棄してダフニーに結婚を申し込んでいた。
スチュアート公爵家は現国王の弟が立ち上げた公爵家であり、ミドルネームにジスを名乗る事を許されている名門。その跡取り息子のアルフレッドは中性的な顔立ちに穏やかな性格で、高位貴族の子供たちのような傲慢さもなく、非常に評判が良い。
瑕疵があるとするならば、ダフニーと結婚するために婚約を破棄してしまった事だろうか。
「家柄も人柄もよいというのに、どうして結婚を断ろうと?」
「私は女で初めての近衛騎士団長の座を狙っています。そのために努力もしてきましたし、師匠のお陰で今では神速の剣も使えるようになりました。それなのに結婚して家に入り、子供を生むとなればその夢もかないません。どうしても、結婚をしたくないのです。これで、アルフレッド様が私よりも強ければ諦めもつくのですが、アルフレッド様は武においては優秀ではありますが、近衛騎士団長となるほどではありません」
ダフニーは必死でスティーブに縋りついた。神速の剣が使えるようになってからというもの、次期近衛騎士団長はダフニーではないかという話が上がっており、本人も十分に可能だと思っていたのである。
憧れの父と同じ役職になれるという夢が、すぐそこまで来ていたのに、ふってわいた結婚話にそれを邪魔されたくはなかったのである。
スティーブは結婚によってキャリアを諦める女性としてダフニーを見ていた。
前世のスティーブの会社は小さな町工場であり、キャリアとか総合職みたいなものは無かったが、取引先ではそういった女性がいたのを見ている。そして、結婚で仕事を辞めていくのも。
王宮としては女性の王族の警護が出来るダフニーを重宝していたが、結婚相手がスチュアート公爵家の跡取り息子ともなれば、反対をするのも難しかった。
なので、そんな話を持ってこられてもスティーブも困る。
ただ、結婚をするというのと、近衛騎士団長になる事が両立できないわけではない。そうスティーブは考えた。
「近衛騎士団長になるためだけに結婚をしないというのであれば、それは結婚をしてもいいんじゃないですかね。だって、既婚女性が近衛騎士団長になれないなんていう決まりは無いでしょう?」
「それは確かにそうした決まりはありませんが、そんな話は他国でも聞いたことがありません」
スティーブの話にダフニーは期待していたのと違うと焦った。
神速の剣を教えてくれたスティーブならば、自分の結婚に反対して近衛騎士団長の道に賛同してくれると思っていたのである。
それが、結婚して近衛騎士団長を目指せというのでは、味方を失ってしまったも同然。既婚で子供がありながら近衛騎士団長を務めるなど聞いたこともない。
「禁止されていないっていうことは、出来る可能性はあるという事ですよ。それに、禁止されていたとしても、それが人間が作った決まりであれば変更は可能。神事であっても人間の都合による決まりならば、時代とともに変化するものです」
スティーブの中には前世の初七日の事があった。初七日は文字通り死亡後七日目に行われてきたが、近年では葬儀と同日に執り行うのが一般的になってきている。仏様のお考えが変わった訳ではなく、完全に人間側の都合でそうなっているのだ。
そして、そうなっているのに仏罰は下らない。
つまり、ルールを破るのは問題だが、ルールを変えるのは問題ないという事だ。それが近衛騎士団長の選定であってもだ。
「しかし、それはとても困難な道ではないですか」
「確かにそうかもしれません。しかし、貴女が結婚して子供を育てながら近衛騎士団長になったとしたら、世の中の結婚で仕事を諦めようとしている女性の希望の星になるのではないでしょうか。とかく世の中、特に都市部は男性が中心に仕事がなされておりますが、女性でもそれが可能というように、既成概念を破壊する事が生まれてきた使命と考えてはいかがでしょうか?」
「使命……ですか」
スティーブに使命と言われたダフニーは考え込む。
カスケード王国に限らず、都市部の重要な仕事は男性が担っていた。役人で女性は女性王族の世話係を除けば皆無であるし、騎士団でも女性はダフニーと幾ばくかの女性王族警護要員だけであった。平民も商人や鍛冶師、医師や薬師などは男の仕事となっている。
それに対して、農村部では男女ともに農作業を行っており、女性が食事を作っている時間に男性が遊ぶようなことはなく、農作業を行っているという平等に近い形だった。それに、狩りや漁も女性が行うと祟りにあうとかいうような迷信もない。
王都で生活するダフニーも当然、女性が不当な扱いを受けていると感じていた。
そこにスティーブが追い打ちをかける。
「女性は能力が低いという偏見の中で、果敢に飛び込んでいく事は難しいでしょう。しかし、その困難に打ち勝ったものが歴史に名を残す事になるのです。女性初の近衛騎士団長というだけで歴史書に名を残すでしょうけど、そこに出産育児を乗り越えたという条件が付くのならば、医師や学者などの道も既婚女性にも開かれるのではないでしょうかね?」
「お話をしていると、竜翼勲章殿には女性への偏見がないように聞こえますが」
「ないですね。うちの領は人手不足ですから、男だ女だと言っていられません。工場では託児所を作って、小さな子供がいる領民にも働いてもらっています。それに、妊娠出産で職を離れても、簡単に復帰できる制度も作りました。離職ではなくて休職というのが正しいかな。それに、休職中でも給金をだしてますよ」
出産育児休暇という制度がない、もっと言えばセイフティーネットなどない社会であり、そうした制度をスティーブが作ったことは驚きをもって受け止められていた。
女性を雇用しにくいのは、出産育児というのがある。当然その期間は仕事が出来ないので給金は発生しない。しかし、その期間も給金の一部を支払い、雇用を継続するのは他の貴族や富豪からしたら信じられなかった。
はた目には大盤振る舞いのように見えるが、実際には領民たちは手にしたお金は領内で使うことしか出来ないため、アーチボルト家としては痛くも痒くもないのである。生産性が向上して、他領から資金が流入超過となっていれば、領地経営は問題ないのである。
初期の持ち出し分については、スティーブが稼いだ一時金が多額にあるので、支払いも問題は無い。
優秀な女性を活用できない損失と、休業補償を天秤にかけた時に、優秀な女性を活用出来なくなることの損失を防いだ方が得であるとスティーブは計算したのだ。
「そこまで至れり尽くせりであれば、私も近衛騎士団長を目指すことも出来ましょうが、果たして嫁ぎ先がそこまでの好条件でありましょうか?」
「それはどうだろうね。でも、どの道、整えられた道なんて無いんだから、あれが無いとかこれが無いとか言っても始まらないだろうね。無ければどうすればよいかを考えていくしかない」
またまた困惑するダフニーであった。スティーブはそんなダフニーに優しく話しかける。
「前人未到なのだから、道は整備されていない。でも、貴女が道を整備することで、後に続く人が楽になる。これは誰かがやらなければならないこと。手伝えることがあれば手伝いますよ」
スティーブの手伝うという言葉にダフニーが嬉しくなる。
が、次の言葉を聞いて嬉しさが一気に吹っ飛んだ。
「貴女がやらないのであれば、僕はベラをその立場にするように動くだけですよ。国内に女性が男性に劣る訳ではないという認識を広げたいので、女性の近衛騎士団長は誕生させたいんですよ」
「ベラとは先ほどいた従士の女の子ですか?」
「そうだよ。彼女がもう少し体が大人になったら、本格的に剣術も教えていこうと思う」
「そんな…………」
ダフニーは自分だけがスティーブにとって特別であると考えていた。神速の剣を教えてくれた人であり、それは誰にでも教えるようなものではなかったので、自分が特別扱いなんだと考えるのは当然である。
しかし、スティーブからしてみれば、技術を教えて欲しいといわれたら、教えられることは教えるというのが当然だと思っていた。ライバル企業でもあれば別であるが、取引先の人であればホイホイと技術について喋ってしまうのも職人らしいといえばらしかった。
それは別に特別なわけではないのだ。
なので、がっかりするダフニーを見て、スティーブはどうしてそうなるのかを理解できなかったのだ。
「それでは本日はこれにて失礼します」
ダフニーはそれだけ言ってサロンを出た。
そこにはベラが立っており、スティーブが出てくるのを待っていた。
当然ダフニーの目に留まる。
ダフニーは自分と同じようにスティーブに目を掛けられているベラが気になり話しかけた。
「ちょっと二人きりで話がしたいんだけど、いいかしら?」
「それはスティーブの許可が必要なこと?」
「いいえ。特になにかの秘密を探ろうという訳じゃなくて、さっきまでのサロンでの談笑の続きよ」
「わかった。場所はどこで?」
場所を聞かれてダフニーは少し考える。サロンにはまだスティーブがいるので使えないし、かといって他人の家で勝手に使える部屋もない。
なので、彼女が出した結論は庭だった。
「庭を歩きながらはどう?」
「わかった」
そうしてダフニーとベラは庭を一緒に歩く。
「ベラは竜翼勲章殿とどういった関係なの?」
「幼馴染。生まれた年が1年私が早いだけ」
「じゃあ、ずっと一緒なんだ」
「そう。一緒に遊んだり、悪戯して怒られたり、狩りに行ったり。でも、スティーブが魔法を使うようになってからは、一緒の時間は減ったかな。スティーブがどこかに出掛けるようになったし、私も護衛とか見回りの仕事をするようになったから」
ベラの話すスティーブとの過去に、ダフニーは強い嫉妬を覚えた。ベラとしては自慢している訳ではないのだが、ダフニーはそれを自慢と受け取ったのである。
「竜翼勲章殿に剣術を教わった事はあるか?」
「ない。狩りに使う銃の扱いはあるけど。だから、盗賊が攻めてきた時も、スティーブに守ってもらうことになった」
「え、何それ。詳しく聞きたいんだけどいいかしら?」
ダフニーに求められ、ベラはジャック・オルグレンが盗賊に扮して領内に攻めてきた時のことを話した。その話し方にはスティーブへの憧れも交じっており、それが更にダフニーの胸を締め付けた。
今まで強さを求めて来たダフニーは、男性に守ってもらうなどというシチュエーションは経験したことが無かった。それゆえに、ベラの体験に対して激しい嫉妬と羨ましさを持つことになる。
尚、この時ベラは猪に襲われた時に、スティーブに助けてもらった話はしなかった。あれは大切な思い出だし、誰にも話したくはなかったのである。
「なるほどねえ。それにしても、随分と竜翼勲章殿に目を掛けられているようだな」
「どうしてそう思うの?」
「護衛や見回りに女の子を使うなど聞いたことが無い。余程信頼されて、特別に目を掛けられているのではないか」
「それなら、アベルも一緒だから私だけ目を掛けられているってことはないかなあ。あ、アベルっていうのは私のいっこ上の男の子。大体同じ仕事を任されているの。それに、スティーブはいつも人が足りないって言っているから。本当は私たちみたいな子供を使いたくはないんだって。自分も子供なのにね」
ベラとしてはスティーブに特別扱いしてもらいたい気持ちはあったが、アベルと一緒なのは仕方がないことかなとも思っていた。今、アベルがいなくなれば、アーチボルト領の見回りは手薄になる。自分の気持ちを優先して、スティーブを困らせるような事はしなくはなかった。
ダフニーはベラに過去のことを聞いて、いよいよ本人の気持ちを確かめたくなった。
「ベラは竜翼勲章殿の事が好きなのか?」
「勿論好きだよ」
真っ直ぐ答えられたことにダフニーがたじろぐ。もう少し照れとか恥じらいが有ると思っていたが、直球で返された事が予想外だったのだ。
「それって結婚して子供を作りたいっていう事?」
「それは無いかな。結婚はクリスがいるし、子供を作ったら生まれるまでは今の仕事が出来なくなるから。スティーブの役に立てるなら、結婚とか子供とかいらないよ。あ、でもスティーブなら、そうなったらそうなったで、今できる事を考えろって言うだろうね」
ベラが言ったのは、まさしく先ほどダフニーがスティーブに言われた事だった。自分よりも幼い少女が、自分よりもスティーブの考えを理解していることにダフニーは衝撃を受ける。
そして、自分の行動を恥じた。
「自分の考えが甘かったのか」
「え?」
「いや、こちらの話だ。ありがとう、話が出来て良かった。また話し相手になってくれるかな?」
「勿論だよ」
ダフニーは決意を新たにして、ベラと別れた。