36 竜翼勲章
マチルダとジャスパーの結婚を見たシリルが、自分もアイラと結婚すると言い出した。その事については、ブライアンの目論見通りだったので、アーチボルト家は反対する理由は無かった。
しかし、シリルの実家であるエアハート家は自分のところの息子が、平民と結婚する事に対してどう反応するのかがわからなかった。
戦勝式典に参加するのに、スティーブがアーチボルト家の人たちとクリスティーナ、それに従士のコーディとベラを王都に転移させるので、シリルとアイラも一緒に王都に行き、式典参加のために王都に滞在している両親への結婚許可をもらうことになった。
なお、王都での滞在先はベンソン男爵のタウンハウスだった。昇爵に伴い王都に滞在する事も増えるだろうからと、オーロラが主人のいなくなったタウンハウスをブライアンに譲ったのだ。
アビゲイルに連れられて、貴族専用の服飾店で衣装を買い、最低限の礼儀作法を叩き込まれたアイラ。しかし、本人は侯爵夫妻にどう言われるかと緊張でガチガチになっている。
「だ、大丈夫でしょうか奥様?もしも、身分が低いと言われたら」
「それは大丈夫よ。結婚前に一度うちの養女になってもらって、貴族家の一員という肩書きを与えることも出来るから」
「はい……」
アビゲイルに大丈夫だと言われても、まだ緊張の解けないアイラ。そんな彼女にシリルも大丈夫だよと声をかける。シェリーはそんな様子を見て気楽な雰囲気でアイラにアドバイスする。
「シリル様だって技官だから、独立した貴族なのよ。両親の反対があったとしても、貴族家当主として自分の結婚相手を決める権利があるから、どんな結果になっても結婚は出来るじゃない」
家族の結婚については当主の権限である。シリルはエアハート家の三男という立場ではあるが、技官なので貴族扱いとなっている。なので、自分の結婚相手を決める権利を持っているのだ。
それを聞いたアイラはシリルを見た。
「両親が反対しても結婚してくれますか?」
「勿論だよ」
二人の激アマな空間にみんなは暖かい視線を送った。
なお、結婚の許可をもらうのは戦勝式典の後と決まっており、それまでは二人は王都の観光をすることになっている。今回は婚前旅行も兼ねているのだ。
そんな甘々なアーチボルト家のタウンハウスに、王宮からの使者が突然やってきた。ブライアンが使者から受け取ったのは、スティーブへの勲章の授与を行うということであった。
使者が帰った後に、その事を家族に伝える。
「スティーブはやっぱりすごい」
と喜ぶのはベラだけであり、他の面々は今から国王陛下の前に出るための衣装をどうしようかと悩むのであった。蕎麦を持ってきた時のような非公式のものではないので、流石に今回は正装をしなければならない。大人用のものであれば他の貴族から借りる事も出来ようが、スティーブの背格好ともなるとそれは難しい。なにせ、子供を王都に連れてきている貴族が少ないし、連れてきている場合には衣装は自分の子供に着させる。
さあ困ったという時、今度はソーウェル辺境伯からの使者がやって来た。
今度もブライアンが対応すると、なんと子供用の衣装を貸すというのである。オーロラの子供が着たものではあるが、スティーブの体にあうだろうとのことであった。
「やたらとタイミングが良いのですが」
スティーブはブライアンを見た。
「閣下も勲章の授与に関与しているという事であろうな」
「そっちの方がまだいいですね。王宮の中にまで情報網が有るとなったら、いつかは陛下との戦争になりそうですから。どちらにつくか悩むような事態は勘弁願いたいものです」
「まったくだ」
オーロラが王宮に情報網を持っていた場合、それが国王にばれたならば処罰は免れない。しかし、それを素直に受け入れるようなオーロラではないので、絶対に戦争になってしまうのだ。
地理的にはオーロラと反目すればあっという間に攻め込まれるので、オーロラに味方することになるのだろうが、そうするとカスケード王国を敵に回す事になる。
当然シリルやクリスティーナの実家とも戦うことになるので、そうした未来が来ない事を祈るばかりだった。
そしていよいよ戦勝式典の当日。シェリーとクリスティーナ、それにアイラを残して登城する。会場ではオーロラとレオに直ぐに挨拶をし、次にマッキントッシュ伯爵家に挨拶をした。それ以外では特に付き合いがあるわけでもないので、会場の端にでも移動しようかと云う時に、エアハート侯爵、それにウィルキンソン子爵がやって来た。それぞれ息子であるシリルとジョージを伴っている。
エアハート侯爵がブライアンに話しかける。
「アーチボルト卿、息子が世話になっている。卿のお陰で息子も王立研究所での地位が確立出来たようでなにより。なんとか研究所に潜り込めた程度と思っていたが、子は親の知らぬところで成長しているものだな」
「閣下の血筋と幼い頃よりの教育のたまものではないでしょうか。我が領地は辺境の土地ゆえ、何かとご不便をおかけしておりまして申し訳ございません」
エアハート侯爵は、期待をしていなかった三男のシリルが、今や王立研究所の中でも最上位の技官になろうかという地位に上がったことに満足していた。最新の研究については、その全てにシリルの名前が入っており、軍事以外でも優秀な家系であるとのうわさ話が心地よかった。
そしてもう一人、ウィルキンソン子爵も息子の就職先について感謝の言葉をかけてきた。
「うちの息子もアーチボルト卿に雇っていただき、そこでの功績を認められて王立研究所に所属する事が出来ました」
王立研究所に所属したということは、貴族としての地位を手に入れたという訳である。ジョージの教育についても重要な研究項目となっている。今まで無知だと思っていた平民が、教育次第で文字を覚えて計算も出来るようになる。国家発展のための人材確保の近道が見えてきたという訳だ。
国家だけではなく、貴族も領地経営のための役人は、今迄は縁故採用だったために能力が劣るが、多少の計算が出来るからということで雇っていたのだが、これからは有能な平民を役人として雇える可能性が出てきた。
どうすれば、平民でも計算が出来るようになるのかという教育方法は、ジョージの授業を参考に作られている。
カスケード王国における教育研究の最先端がジョージであった。
「息子から聞いておりますが、アーチボルト卿のご子息は本当に優秀だそうで。技術、教育、軍事、経済と全てを指導する立場にあるとか。さらには、本日は陛下から勲章の授与があるとか。娘を婚約者に持つマッキントッシュ伯爵が羨ましい限り。うちに娘がおれば、ご縁を結びたかったですな」
「何分規格外すぎて、親の手に負えないのが難点でして」
エアハート侯爵にしても、ウィルキンソン子爵にしても、息子の活躍にはスティーブの影響があることは理解していた。そして、出来る事ならばアーチボルト家と強い結びつきを持ちたいと思っていた。
一方、スティーブを過小評価している貴族たちは、そんなエアハート侯爵たちを遠巻きに見て、新興の貴族家に寄って行かなくてもと陰口をたたくのであった。
そうしているうちにも時間は経過し、いよいよ戦勝式典の開始時刻となった。
国王からのお言葉があり、続いて昇爵と領地の変更についての発表があった。そのほとんどが西部地域の貴族であり、他地域から新規に割譲された領地に異動する貴族も西部閥になるということで、終始余裕の笑みがこぼれるオーロラとは対照的に、他地域の領袖たちの顔は渋かった。
そして勲章の授与となる。
「スティーブ・アーチボルト、此度の功績を評価し竜翼勲章を授与する」
そう発表があった時、会場がどよめいた。
勲章の授与があることは知らされていたが、その種類はもっと低いだろうと思われていたのである。
カスケード王国における勲章は5等級ある。上から竜頭勲章、竜翼勲章、金獅子勲章、銀獅子勲章、銅獅子勲章となっている。
竜は王家の紋章であり、獅子は力の象徴。
最上位の竜頭勲章は王族のみに授与されるのが慣例となっており、実質貴族が授与される最高位の勲章がスティーブに授与されると発表されたのである。
それに異を唱える者がいた。ドミニク・ミス・クレーマン辺境伯、東部閥の領袖であった。
「陛下、こんな子供に竜翼勲章とは過ぎた物ではないですか」
「クレーマン、朕はそうは思わぬ。敵の王都まで攻め入り国王をはじめとした主要人物を捕虜とした功績を評価せずして、他の者に領地や爵位を与えることは出来まい?」
「しかし、それはソーウェル辺境伯あってのこと。子供が一人で成しえた功績ではないでしょう」
「そのソーウェル辺境伯が推薦人である。この功績が竜翼勲章でないならば、他の者に褒美は出せないとまで言われてしまっては、朕としてもその気持ちを汲むのは当然のこと。また、それが無かったとしても、客観的に評価すれば当然である」
国王にこう言われてしまっては、クレーマン辺境伯も引き下がるしかなかった。ただ、他の西部の戦いを知らぬ貴族たちも、クレーマン辺境伯と同じ気持ちであり、よくぞ言ってくれたと心の中では称えていた。
実際のところ、スティーブに竜翼勲章を授与した場合、他の貴族からこうした不満が出る事は国王も宰相も予想していた。勲章ではなく金銭ではどうかということも検討したが、金銭に関しては既にアーチボルト家は多額の現金を保有しており、ソーウェル辺境伯からも金銭での褒美が出ると聞いていたので、王家としての感謝の意が薄まる可能性を考慮してやめていた。
では、領地ならばどうかということになったが、それは父親のブライアンですら人材不足で領地経営が難しいというのに、そこからスティーブのために人材を割く余裕はないだろうという事を考慮してなくなった。実際に、スティーブが今回の逆侵攻でソーウェル辺境伯の軍を借りたのは、占領したところでそれを維持するだけの戦力、人材が無いからだという事は国王もわかっていた。
そこで、消去法的に残ったのが勲章だったわけである。
そして、その勲章の等級であるが、敵国の国王を捕まえた実績があるのに、これを金獅子勲章以下とした場合、今後は竜翼勲章は二度と授与出来なくなってしまう。なので、スティーブに対しては竜翼勲章しかなかったのだ。
それでも、スティーブの年齢がネックとなって反発は起きるだろうと思っていた。
これが成人した魔法使いであれば反対の声も出なかっただろう。規格外の少年は、親だけでなく国王の頭も悩ませていた。王子の教育ですらここまで悩んだことない国王は、今更にして子育ての難しさを痛感していたのだ。
そして、推薦人のオーロラにも思惑があった。大規模な戦闘で大きく兵力を失ってしまい、割譲で広がった西部地域全体に睨みをきかせにくくなった。戦力が回復するまではスティーブにも防衛の責務を背負ってもらいたいという思いがあったのだ。そして、勲章であれば一代限りであり、子が相続することは無い。スティーブ引退後はソーウェル辺境伯が引き続き西部地域の唯一の領袖としての地位が戻ってくるという計算があった。
一方、授与される側のスティーブとしては、竜翼勲章を加工技術に対する知事賞くらいに考えていた。自治体が行っている一社一技術の表彰みたいに、わりと多くの人が貰っていると思っていたのである。中小企業の事務所に飾ってあるあれだ。
実際にはそんなことは無く、竜翼勲章ともなれば侯爵や辺境伯と同等の待遇を受ける事になり、金獅子勲章で伯爵、銀獅子勲章で子爵、銅獅子勲章で男爵という特別待遇があった。それだけ勲章の価値は重たいのである。なので、知事賞どころか大臣賞よりもはるかに価値があった。
勲章の授与で一通り式典が終了となり、その後は国王主催の晩餐会となる。ダンスや食事で貴族たちは楽しむが、全てが大人用に用意されたものであり、子供のスティーブはする事が無かった。
竜翼勲章を授与されて、待遇も辺境伯扱いとなったために、それよりも下位の貴族から気軽に声をかける事も出来なくなったため、会場の片隅でポツンと終了時間を待っていたのである。
そこにオーロラがやって来た。
「あら、英雄殿は随分と暇そうね」
「ええ。食事もダンスも大人用ですから、子供の僕が楽しめるようなものはないです」
「婚約者を連れてくれば良かったのに」
「招待されたのは貴族とその伴侶ですからね。クリスを連れてくる事は出来ませんよ」
「私みたいに父の代理という理由も言えないものね」
ブライアンが健康であり、尚且つ昇爵ともなれば本人が参加するのは当然で、スティーブとクリスティーナがその代理というわけには行かない。
ただ、次回からは辺境伯相当となるので、婚約者同伴も可能になる。
「それよりも、今一番勢いがあってみんなが挨拶をしたい閣下が、こちらで僕と話していてもいいんですか?」
「それはお気遣いなく。レオがちゃんとやってくれているはずよ。それに、命をかけずに利権にだけありつこうなんて連中は見たくもないもの」
「その辺を手際よく捌くのが閣下だと思っていました。司令官殿は優秀な将ではありますが、政治的な駆け引きにおいては苦手意識がお強いようで」
「あら、随分とはっきり言ってくれるわね。その通りなんだけど」
「今日から竜翼勲章ですからね。勲章などどれほどの価値があるのかと思っていましたが、先ほど説明を受けて辺境伯待遇と聞きました。これで、閣下に対しても対等な立場となったわけで、立場をはばかる事無く事実を申し上げられるようになったわけです」
「陛下に推薦したのは私よ。いうなれば生みの親みたいなものだから、出来れば慎みを持って接して欲しいわね」
「善処いたします。それで、閣下が世間話をしにきただけとは思えませんが」
スティーブはオーロラがやってきた真意を訊ねた。世間話だけをするような時間の使い方をするような女性ではないことは、スティーブは痛いほどわかっていたからだ。
「ダフニー・シールズを知っているわよね」
「はい。近衛騎士団長の娘さんで、本人も騎士団に所属していたはずです」
「彼女の結婚が決まりそうなのよ。お相手はスチュアート公爵家の跡取り息子」
「へえ、彼女がですか。ではその公爵家のご子息は彼女よりも強いとか?」
「そんな事はないわ。歳も下だしね。でも、その息子が彼女に一目ぼれしたとかで、決まっていた婚約を破棄してでも彼女と結婚するって言い出したの」
「揉めそうな話ですね」
「大揉めよ。その婚約を破棄されそうな婚約者っていうのがクレーマン辺境伯の娘だから」
「それはそれは。でも、僕には関係ない事ですよね?」
スティーブはどうしてその話を自分に持ってくるのかが理解できなかった。そうした噂話が社交界で盛り上がるのはわかるが、スティーブは興味が無かった。教えてくれたからといって、オーロラに恩を感じる事もない。
「それが大有りなのよ。ダフニー・シールズは貴方以外とは結婚したくないそうよ」
それを聞いたスティーブは盛大に噴き出した。